トラウマが集合的無意識に触れるとき|個人の痛みが「世界そのものの重さ」へ変わってしまう理由

複雑性PTSD

親から拒絶されたこと、学校で孤立したこと、信頼していた相手に裏切られたこと。過去の出来事を思い返しているうちに、いつのまにか、自分自身の人生だけでなく、人間という存在そのものが苦しく感じられることがあります。

ニュースで戦争や虐待の報道を目にすると、被害を受けた人の恐怖や絶望が、自分の過去の傷と重なっていく。街を歩いていても、行き交う人々の表情や沈黙の奥に、それぞれが抱えている孤独や悲しみを想像し、胸の奥が重くなることがあります。

もともとは、自分が受けた暴力や拒絶が苦しかったはずなのに、人間が人間を傷つけることそのものが耐えがたくなっていく。誰かが傷つけられた話を聞くたび、自分の中にある古い痛みまで動き出し、その苦しさがどこから来ているのか分からなくなることがあります。

自分一人の人生で起きたことが、何千年も繰り返されてきた人間の悲劇と結びつき、世界そのものが巨大な苦しみを抱えた場所のように感じられるのです。

そこには、幼い頃に助けてもらえなかった悲しみや、傷つけられた怒り、誰にも理解されなかった孤独があります。しかし、長い年月の中で、それらが自分自身の経験を超え、人類の歴史や神話にまで広がるようなイメージを帯びていくことがあります。

このような心の動きを考える際、一つの手がかりになるのが、ユング心理学の集合的無意識という考え方です。

ただし、集合的無意識はユングが提唱した心理学的な理論であり、トラウマを経験した人が人類全体の記憶や苦痛に直接つながることが、科学的に証明されているわけではありません。

ここで大切なのは、個人的な傷が、どのようにして人間全体の苦しみへと広がって感じられるのか、そして、その巨大な暗さの中から、再び自分自身の生活へ戻る道を見つけられるかということです。

集合的無意識という視点が必要になるとき

自分の中にある苦しみを言葉にしようとしても、悲しい、怖い、腹が立つといった表現だけでは、うまく説明できないことがあります。

胸の奥には、底の見えない暗い海のようなものが広がっている。そこへ近づくと、古い記憶や感情が次々と浮かび上がり、何から考えればよいのか分からなくなる。

誰かから傷つけられた出来事を思い出していたはずなのに、やがて自分の内面が、果てしなく続く地下世界のように感じられることがあります。

そこには助けを求めている子どもがいて、その子を脅かす恐ろしい存在がいて、外へ出ようとするたびに引き戻そうとする力がある。夢や空想の中で、そうしたイメージが鮮明に現れる場合もあります。

ユングは、人間が生み出してきた神話や宗教、昔話、夢の中に、地域や時代を超えて繰り返される象徴的なイメージがあることに注目しました。母なる存在、恐ろしい影、英雄の旅、死と再生、暗い地下世界からの帰還といった共通する心的な型を、元型(アーキタイプ)として考察しています。

この理論を手がかりにすると、幼い頃の無力感が深い海や暗い地下世界として、他者への恐怖が恐ろしい怪物として、回復への願いが帰還の物語として経験されることも、一つの象徴的な表現として理解できます。

しかし、実際に起きた出来事と、心の中に現れる象徴は区別して考える必要があります。

子どもの頃に親から怒鳴られた経験が、巨大な怪物に追い詰められる夢として現れたとしても、本人の人生で起きた出来事が変わるわけではありません。重要なのは、そのイメージがどのような恐怖や孤独を表し、いまの生活とどう結びついているかということです。

象徴を通して苦しみを理解できるようになる一方、そのイメージへ強く没入しすぎると、現実の生活よりも、心の中の物語の方が大きな意味を持つようになることがあります。

自分の人生の出来事が、世界全体の悲劇と切り離せなくなったときには、その壮大な意味をさらに追いかけるより、何が自分自身の経験だったのかを確かめることが必要になります。

現実の表面の下に、もうひとつの世界が開く

深い傷つきを経験した後、それまで当たり前だった日常が、以前とは違うものに見えることがあります。

朝起きて仕事へ行き、人と話し、食事をして眠る。周囲の人々は普段どおりに生活しているのに、自分だけが、その日常から少し離れた場所にいるように感じる。

会話の内容は理解できていても、相手と同じ場所にいる実感が薄い。窓の外の街並みを眺めても、そこに自分が生きているという感覚がなく、目の前の景色が舞台のセットのように見えることもあります。

人から話しかけられれば返事をし、必要な仕事もこなせる。それでも、どこか現実に触れていないような感覚が続き、心の中には、日常生活とはまったく異なる世界が広がっている場合があります。

目の前の机や壁より、頭の中に浮かぶ暗い海や底のない空間の方が鮮明に感じられる。静かな部屋で目を閉じると、忘れていたはずの記憶が動き出し、現在の自分が何歳なのか、どこにいるのかを一瞬見失うほど、昔の感覚に引き込まれることもあります。

そこにある闇は、ただ暗い空間というだけではありません。

すべてを飲み込む巨大な存在のように感じられたり、何千年も前から続いている人間の悲しみが積み重なっているように感じられたりすることがあります。

こうした体験には、想像力や象徴的な思考だけでなく、解離や現実感の変化が関係している場合もあります。

PTSD研究では、強いトラウマ反応の中で、感情の反応が抑制され、離人感や現実感消失が現れることが報告されています。ラニウスら(2010)は、こうした解離性の反応を伴うPTSDの一群について論じています。

ただし、豊かな空想世界を持つこと自体が解離を意味するわけではありません。物語や神話に強く惹かれることも、創作を通して自分の内面を表現することもあります。

問題になるのは、現実の生活へ戻りたくても戻れない、食事や睡眠、仕事や人との関係が維持しにくくなるほど、内面の世界へ引き込まれてしまうときです。

自分の心の中に深い世界が存在していても、必要なときにはそこから離れ、目の前の生活を感じられることが大切になります。

深い内的世界は、避難所であると同時に引力でもある

外側の世界に安心できる場所がなかったとき、心の内側が唯一の避難所になることがあります。

家庭では親の機嫌を読み、学校では周囲の視線におびえ、自分の気持ちを誰にも話せない。そんな生活の中で、頭の中に別の世界をつくり、その中だけでは自由に生きられるようにしていた場合があります。

現実の家庭では、親の言うことに従わなければならない。しかし、空想の中では、自分の意志でどこへでも行ける。誰かに助けてもらうことも、恐ろしい相手から逃げることも、自分を守ってくれる存在を思い描くこともできます。

外側の世界で手に入らなかった自由や安心が、内側の世界には存在しているのです。

そうした空想は、孤独や恐怖に耐えるための大切な支えになっていたのかもしれません。

しかし、そこには慰めや安心だけでなく、恐ろしい存在が現れることもあります。

何かに挑戦しようとすると、失敗すると告げる声が浮かぶ。誰かを好きになりかけると、その人も必ず裏切るという考えが強まる。幸せになりそうな瞬間に、自分にはその資格がないという感覚が生まれ、せっかく築き始めた関係を壊したくなる場合もあります。

傷つけられることを恐れている心が、傷つく可能性のある関係そのものを遠ざけようとするのです。

ユング派の心理学者ドナルド・カルシェッドは、1996年の著書『The Inner World of Trauma』で、圧倒的な体験から傷つきやすい自己を守るために形成された防衛が、後には本人を苦しめる迫害的な働きを持つことを論じました。

誰かを信頼しようとすると、心の中から強い警戒が生じる。自分の人生を変えようとすると、これまで守ってきた世界を壊されるような不安が現れる。

この防衛が強く働いている場合には、本人が望んでいるはずの安心や親密ささえ、危険なものとして感じられることがあります。

内側の世界へ退けば、ひとまず誰にも傷つけられずに済む。しかし、そこから抜け出せなくなると、人との関わりや仕事、食事、睡眠といった日常の営みが遠ざかっていくことがあります。

空想の世界では壮大な意味を感じられるのに、現実の生活では何をしたいのか分からない。誰かと過ごす時間よりも、一人で自分の内面へ沈んでいる時間の方が切実に感じられる場合もあります。

そのようなときには、内的世界を否定するよりも、そこへ入り込んだ後に、安心して現実へ戻ってこられる道をつくることが重要になります。

深い傷つきは、記憶だけでなく時間の感覚も壊していく

何年も前に終わったはずの出来事が、いま起きていることのように感じられる場合があります。

子どもの頃、親から激しく怒鳴られていた人が、大人になって職場で上司から強い口調で注意されたとします。

頭では、目の前にいるのは親ではなく上司だと分かっています。現在の職場で起きていることと、子どもの頃の家庭で起きていたことは違います。

それでも、相手の声が大きくなった瞬間に身体が固まり、胸が苦しくなり、何も言い返せなくなることがあります。

その場では上司の説明を聞いているはずなのに、心の中では、幼い頃に親の怒りを受けていたときの無力感が広がっていく。何を言っても理解してもらえない、逃げることもできないという感覚が、再び現れるのです。

過去の出来事を思い出しているというより、身体がその場面に引き戻されたように感じられることもあります。

エーラースとクラーク(2000)は、PTSDが持続する仕組みについて、外傷体験が現在も重大な脅威であるかのように感じられることや、記憶が過去の文脈の中で十分に整理されにくいことを論じました。

そのため、現在の出来事と過去の危険が結びつき、いま起きていること以上の恐怖が生じる場合があります。

こうした体験を繰り返していると、過去は終わった出来事として感じられにくくなります。

誰かに拒絶された経験があれば、今の人間関係でも、いつか必ず拒絶されるように感じる。突然傷つけられた経験があれば、何も問題が起きていない時間にも、次の危険を待つようになります。

未来について考えるときにも、何をしたいのかという希望より、また同じことが起きるのではないかという恐怖が先に浮かぶことがあります。

新しい仕事を始めたいと思っていても、以前の職場で受けた叱責が思い出される。恋人と穏やかに過ごしたいと思っていても、過去に裏切られた場面が浮かび、安心して近づくことができない。

そこへ、戦争や虐待、災害など、人間の残酷さを伝える報道が重なると、個人的な恐怖がさらに大きなものへ広がることがあります。

自分が過去に傷つけられたという経験が、人間はいつの時代も誰かを傷つけてきたという感覚と結びついていくのです。

そのとき、一人の人生で起きた出来事が、人間の歴史全体と重なるように感じられることがあります。

なぜ人は、個人の苦しみを世界規模の暗さとして感じるのか

子どもの頃から親の機嫌を読み、家族の問題を自分が何とかしなければならないと考えてきた場合、他人の感情と自分の感情を分けて捉えることが難しくなることがあります。

母親が不機嫌なら、自分が何か悪いことをしたのではないかと考える。父親が怒っていれば、これ以上怒らせないように行動を変える。家族の誰かが落ち込んでいると、自分が元気づけなければならないと感じる。

そうした生活の中では、他者の苦しさを感じ取ることが、自分の安全を守るための重要な働きになっていきます。

しかし、家族の問題を引き受け続けているうちに、自分が何を感じているのか、何を望んでいるのかが分かりにくくなることがあります。

大人になってからも、他人が悲しんでいると自分まで苦しくなり、その人の問題を解決しなければ落ち着かなくなる。誰かが怒っていると、直接自分に向けられた怒りではなくても、身体が緊張してしまう場合があります。

このような感受性が強いトラウマ反応と重なると、他者の苦しみと自分自身の苦しみの境界が曖昧になることがあります。

ニュースで虐待の事件を知ったとき、被害者の恐怖を想像するだけでなく、自分が子どもの頃に感じていた無力感まで戻ってくる。遠い国で起きた戦争の映像を見ているうちに、自分の身体が危険にさらされているような緊張を覚えることもあります。

世界のどこかで起きている悲劇が、自分の内側で繰り返されている出来事のように感じられるのです。

その感覚がさらに広がると、自分だけが傷ついたという思いから、人間という存在そのものが深い傷を抱えているという感覚へ変わっていきます。

戦争、支配、差別、虐待、裏切り。人間の歴史の中で繰り返されてきた苦しみを知るほど、自分の経験も、その終わることのない連鎖の一部のように思えてくる場合があります。

そこでは、個人的な記憶と、人類の歴史に対する悲しみや怒りが重なっています。

そして、その苦しさを表現しようとすると、巨大な闇や深淵、破壊と再生、救済といった神話的なイメージが浮かぶ場合があります。

こうしたイメージには、自分自身の体験を理解するための意味があります。しかし、世界に存在するすべての苦しみを、自分一人で引き受けなければならないように感じ始めると、その感受性自体が大きな負担になります。

他者の苦しみを理解できることと、その苦しみを自分の責任として背負うことは違います。

自分が何に傷つき、何を失い、誰に何をしてほしかったのか。その個人的な痛みを取り戻すことが、果てしなく広がっていた苦しみに輪郭を与える手がかりになります。

集合的無意識に触れることそれ自体は、まだ回復ではない

古い神話や物語の中に、自分と似た苦しみを抱えた人物を見つけることがあります。

地下世界へ落ち、暗闇の中をさまよい、恐ろしい存在と向き合い、そこから帰還しようとする物語。自分自身の人生を振り返ったとき、そのような物語が深く心に響くこともあるでしょう。

これまで誰にも理解されなかった経験が、神話や文学を通して、少しずつ言葉を持つようになる。

自分だけが苦しんでいると思っていた人が、遠い時代から似た悲しみを抱えてきた人間がいたことを知り、孤独が和らぐ場合もあります。

しかし、物語の中に自分の苦しみを見つけることと、現在の生活で安心できるようになることは、同じではありません。

親との関係を、支配や迫害をめぐる神話として理解できたとしても、実際に親から電話がかかってくると、身体が固まるかもしれません。

職場で上司の声を聞くたびに緊張し、人と話しているときに自分の感情が分からなくなる状態も、神話的な意味を理解しただけでは変わらないことがあります。

なぜ自分がそのような反応をするのかを理解することは大切ですが、現在の生活で何が苦しく、何を変える必要があるのかを見失ってしまうと、心の中だけで考え続けることになります。

親から傷つけられた怒りを、巨大な悪との闘いとして捉えることができても、現実の親との距離をどうするかは、別に考える必要があります。

人間の残酷さについて深く理解できたとしても、職場で受けている不当な扱いにどう対応するかは、具体的な問題として残っています。

象徴的な理解は、自分の体験へ意味を与える助けになります。しかし、その意味を考えることに没頭するあまり、睡眠や食事、人との関係が遠のいてしまうなら、いったん内面の世界から離れることも必要です。

とくに、現実とイメージの区別が難しくなったり、睡眠が大きく乱れたり、強い恐怖によって日常生活が維持しにくくなったりしている場合には、医療機関などで状態を確認することが大切になります。

回復とは、苦しみの意味をどこまでも深く掘り下げることだけではなく、その苦しみを抱えたまま、現在の生活へ戻れるようになることでもあります。

トラウマケアの本質は、絡み合った層を分け直すことにある

親から傷つけられた経験を思い出しているうちに、人間の残酷さや社会の不条理について考え始めることがあります。

最初は親への怒りだったものが、やがて人間全体への絶望へと広がり、その重さに耐えられなくなる。

自分が何を悲しんでいるのか分からなくなり、どれだけ考えても出口が見つからないように感じられることがあります。

こうしたときに大切なのは、一つに絡み合っている苦しみを、少しずつ分けていくことです。

子どもの頃、実際に何が起きていたのか。

そのとき、自分は何を感じ、誰に何をしてほしかったのか。

いまの生活では、どのような出来事が過去の恐怖を呼び起こしているのか。

そして、世界に存在する暴力や不条理に対して感じる悲しみや怒りは、自分の経験とどのように重なっているのか。

これらは互いに関係していますが、すべて同じ問題として扱う必要はありません。

たとえば、幼少期に親から暴力を受けていた人にとって、まず重要なのは、そのとき本当に何が起き、どのような恐怖や孤独を抱えていたのかを理解することです。

その経験によって、人を信頼することが難しくなったのかもしれません。怒っている人を見ると身体が緊張し、自分の希望を伝えられなくなっている場合もあります。

一方、人間の歴史に繰り返される暴力や社会の不条理について考えることは、その人の倫理観や価値観に関わる問題でもあります。

過去の個人的な傷と、現在の社会に対する感情を区別できるようになると、世界全体を変えなければ自分の苦しみは終わらないという感覚から、少し距離を取れる場合があります。

また、過去の記憶が強くよみがえり、現在の時間や場所を見失いそうになるときには、いま自分がどこにいるのかを確かめることが助けになる場合があります。

椅子に座っているなら、身体が支えられている感覚を確かめる。窓から見える景色や部屋の中にある物へ目を向け、現在の場所を確認する。信頼できる相手と短く話すことで、目の前の生活へ注意を戻せることもあります。

ただし、身体感覚へ注意を向けることが、かえって苦痛を強める場合もあります。そうしたときには無理をせず、自分にとって負担の少ない方法を選ぶことが大切です。

過去の記憶や現在の脅威反応については、トラウマの生存反応モデルとは|闘争・逃走・凍りつき・シャットダウンの全体構造でも詳しく解説しています。

自分が経験した痛みと、他者が経験している痛みを分けられるようになること。過去に起きたことと、いま目の前で起きていることを区別できるようになること。

その積み重ねによって、無限に広がっていた苦しみに、自分が扱える範囲が生まれてくることがあります。

回復とは、世界の深みを切り捨てることではなく、自分の岸を持つこと

深く傷ついた経験があると、その後の人生で、人間の孤独や悲しみ、残酷さに敏感になることがあります。

以前なら気に留めなかったニュースに胸を痛め、古い神話や文学の中に、自分自身の経験と重なるものを見いだす。誰かが言葉にできずにいる苦しさを想像し、社会の中で繰り返されている不条理について、深く考え続けることもあるでしょう。

そのような感受性は、人間や世界を理解するための大切な力になる場合があります。

しかし、世界の暗さへ注意を向け続けていると、自分自身の生活が遠のいてしまうことがあります。

目の前の食事を楽しむことや、誰かと穏やかに会話すること、疲れたときに休むこと。そうした日常の小さな営みが、人類全体の苦しみに比べれば、取るに足らないもののように感じられることがあります。

世界には、いまも戦争や暴力、差別や貧困が存在しています。自分が穏やかな時間を過ごしていても、どこかで苦しんでいる人がいる。そのことを考えると、自分だけが幸せになってよいのかという罪悪感が生じる場合もあります。

そのようなときに必要なのは、世界の苦しみを知らなかった頃へ戻ることではなく、世界に苦しみが存在することを知りながら、自分自身の生活も大切にできるようになることです。

過去の出来事を思い出して悲しくなったとしても、いま自分がいる場所を確かめることができます。

人間の残酷さに胸を痛めながらも、今日は温かい食事を取り、眠ることができます。社会の不条理について考え続けていても、自分が疲れていると気づいたなら、その問題からいったん離れることができます。

他者の苦しみに共感することと、自分の身体や生活を犠牲にすることは別です。

親への怒りが生じたときには、その怒りが何を訴えているのかを考える。寂しさを感じたときには、本当は誰にそばにいてほしかったのかを振り返る。

自分が失ったもの、諦めてきたこと、誰にも話せなかった悲しみを、少しずつ自分自身の歴史へ戻していく。

そうすることで、世界全体の重さとして感じられていた苦しみが、自分に起きた出来事として言葉にできるようになる場合があります。

そこでは、自分の過去を小さく扱う必要も、世界の悲しみを否定する必要もありません。

世界には深い闇が存在していて、自分自身もその闇の一部に触れてきた。その事実を抱えながらも、現在の自分には、過去とは異なる生活を選ぶ余地があります。

誰かと話すことも、一人で休むことも、外へ出かけることもできます。苦しい記憶がよみがえったときには、その記憶との距離を取り、いまの生活へ戻る方法を少しずつ育てていくこともできるでしょう。

深い海へ目を向けることができても、そこから戻る岸がなければ、心は休まりません。

その岸とは、自分の身体であり、現在の時間であり、信頼できる人との関係であり、今日の生活でもあります。

長い間、世界の闇へ引き込まれるように苦しんできた人が、自分の悲しみを自分のものとして感じられるようになる。誰かの痛みに共感しながらも、その人の人生と自分の人生を区別できるようになる。

世界の深みを理解することと、自分自身の人生を生きることは、両立できます。

人間の歴史にどれほど深い悲しみがあったとしても、今日の自分が経験する穏やかな時間や、誰かと分かち合う喜びまで失われるわけではありません。

世界の闇を見つめた後でも、自分の身体へ、自分の生活へ戻ってこられること。そのための岸を持つことが、トラウマからの回復において大切になります。

参考文献

  1. Jung, C. G. (1969). The Archetypes and the Collective Unconscious. The Collected Works of C. G. Jung, Vol. 9, Part 1. Princeton University Press.
  2. Kalsched, D. (1996). The Inner World of Trauma: Archetypal Defences of the Personal Spirit. Routledge.
  3. Ehlers, A., & Clark, D. M. (2000). A cognitive model of posttraumatic stress disorder. Behaviour Research and Therapy, 38(4), 319–345. https://doi.org/10.1016/S0005-7967(99)00123-0

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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