性被害の内容とトラウマ後遺症・相談・カウンセリング

フラッシュバックなどの心配がある方は、ご自身の状態に注意してご覧ください。また、ここに書いていることは、性暴力被害の方々の全ての人に当てはまるわけではないので、その点をご了承ください。

性暴力とは

性暴力とは、加害者が被害者に暴力または強制を伴った性行動や人身売買を行おうとすることです。日本で性暴力被害を受ける人の数は、内閣府の「男女間における暴力に関する調査」(平成29年度)によれば、女性の13人に1人(7.8%)、男性の67人に1人(1.5%)が、無理やりに性交などをされた経験があると答えています。加害者は、男女とも「まったく知らない人」は約1割で、被害の約9割は、(元)配偶者、(元)交際相手、職場やアルバイト先の関係者など「顔見知り」によるものです。また、18歳未満で被害を受けた女性の約2割、男性の約3割は、被害者を監護し保護する立場にある実の親や養親などの「監護者」から被害を受けています。

性暴力被害については、加害者と被害者の関係は様々です。例えば、関係を持っていない相手に無理やり性的行為を強いるケースや、ある程度関係を築いた相手に、断りづらい状況を作り出して、強制的に同意させるケースがあります。後者の場合、加害者は自分が性暴力をしていることに気づかず、「嫌なら断れば良かった」と被害者を責めることがあります。しかし、そのような強制や嫌がらせをすることが絶対に許されないことを理解する必要があります。

魂の殺人と呼ばれるくらい

性暴力被害は、その被害者の人生を破壊するほど深刻な問題です。このような被害は、「魂の殺人」とも呼ばれ、その深刻さが伺えます。被害者が加害者に脅かされ続けると、身体は苦痛で動けなくなり、叫ぶことができず、感情も次第に麻痺してしまいます。心の中には、無力感や絶望感、怒りや悲しみなど、複雑な感情が渦巻きます。

見知らぬ人によるレイプなど、予測不可能な事態に遭遇した際、不意を突かれた戦慄の恐怖が襲いかかります。自分に何が起こっているのかわからなくなり、混乱し、気を失ってしまうこともあります。身体には痛みや膨大なエネルギーが溜まってしまい、その後も後遺症が残ります。このような体験は、一生消えない傷として、被害者の人生に深い影響を及ぼします。

性暴力被害を受けた人は、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)、複雑性PTSD、解離性障害に苦しむ場合が多く、親密な関係や身体的接触に対して深い恐怖や不安を感じることがあります。このような心理的ストレスは何年にもわたって続く可能性があり、日常生活や人間関係に大きな影響を与えます。

どのように被害者は体験するか

例えば、性暴力被害を受けている女性が、犯人から見つめられることで、その視線を避け、心を閉ざし、感情を交わすことなく自己防衛を図ります。無理やり性的行為をされると、痛みや汚さ、恐怖によって体が凍りついて、身動きが取れなくなり、抵抗することができなくなります。息苦しさに苛まれ、叫ぶことも話すこともできないまま、犯人に首を掴まれて身動きが取れなくなります。

このような状況に置かれると、恐怖や戦慄の衝撃により、全身に鳥肌が立って、身体が震えて、どうなっているのかわからなくなってしまいます。身体が壊れそうなほどの痛みや苦しみに苛まれ、意識と身体が分離していくように感じられ、頭が混乱していきます。被害者は、身体から切り離されたように感じて、自分が上から見下ろすような状態になることがあります。変な分離感のなかにいるか、自分自身が不動状態に陥って、意識が朦朧としているか、自分でない声で喘ぎ声を漏らしていることがあります。

犯人から繰り返し脅迫を受けると、非常に強いストレスや苦痛によって、被害者の頭はフリーズしてしまい、筋肉が衰弱していき、心臓の働きも弱くなってしまいます。混乱状態の中、何が起こっているのか分からず、身体を動かすこともできず、声を発することもできなくなります。人間としての形や感覚を失い、心の行き着く果てが無くなり、全てを失ってしまいます。

また、心の行き場を無くしまった人は、自分自身を切り離すことで、自分を守ろうとする防衛が働くため、自分の体を別の自分に明け渡し、全く違う人に生まれ変わることもあります。自分が以前に持っていたアイデンティティや自己像は、現実から遠ざかり、日常生活では、別の人物が自分の代わりに行動するようになります。今までの私は、全く違う人が生活しているところを離れた場所から見ているかもしれません。

魂の殺人では、別の人格が自分の体を支配し、過去から繋がっている自分は、苦しい状態のまま、身体が凍りついたように硬直してしまいます。この過去のトラウマによって、本来の自分は固まってしまい、身体の中に閉じ込められ、何も感じることができなくなってしまいます。笑うこともできず、悲しいことや嬉しいことが何も響かなくなってしまいます。

さらに、この閉じ込められた人格は、現実と繋がって生きることができず、代わりにあちら側の世界に行くことがあります。そこでは、過去の夢を見続けるか、もう一つの世界の湖畔で休息しているかもしれません。本当の自分はどこかへ行ってしまい、日常生活を過ごしているのは、あたかも正常に見える人格部分です。

抵抗できないのは

性暴力の被害者が抵抗できないのは、生物学的に当然のことです。加害者に強制的に侵され、身体は硬直して、動けなくなります。緊張性不動や虚脱反応が起き、気管支は絞めつけられて、息苦しくなります。叫ぶこともできず、身体感覚が麻痺して手足を動かせなくなり、抵抗することができなくなります。さらに、体が動けないままされるがままに痛みを受けることで、筋肉は崩壊し、心臓にダメージを受け、脳は虚血状態になり、血の気が引いていきます。このような状態に陥ることで、意識が朦朧としたり、気を失うこともあります。この恐怖に凍りついて身体が動かなくなる状態は、加害者に抵抗すると、余計酷いことをされるとか、殺される可能性もあるので、生き残りをかけた戦略とも言えます。

加えて、このような状態に陥る原因として、子どもの頃に親や兄弟から脅かされた経験がある場合があります。そのような経験を持つ人は、脅威に直面した場合に、まともに動くことができず、抵抗することができません。そのため、性的暴力から逃れられず、加害者にいいなりになってしまう可能性が高くなります。 このように、被害者が性的暴力に遭うと、身体は凍りつき、動けなくなる状態に陥ることがあります。これは、生存を守るための本能的な反応であり、加害者から身を守るための防衛本能です。

性暴力被害のその後

性暴力被害に遭う前と遭った後では、自分という存在が他人のように感じることがあります。性暴力被害中に、あまりに強いストレスに曝され、その衝撃に神経が張りつめすぎて、崩壊してしまったため、自分自身が変わってしまったように感じます。そして、時間が止まったかのように感じ、自分自身を愛おしく思えなくなってしまいます。外の世界の生々しい刺激に疲れ果て、自分自身は無力な存在になりがちです。

さらに、次の脅威に備えた生き方になり、脳の防衛的な部分が働いて、警戒心が過剰になることがあります。体は危機を感じて過緊張になったり、恐怖で凍りついたり、死んだふりをしたりすることがあります。性暴力被害に遭った人は、過去の嫌な記憶や想定外の刺激にも敏感に反応し、身体がビックリして、胸が痛み、心臓がバクバクと動き、固まり凍りついて、手足が震えることがあります。このように、性暴力被害に遭った人は、体と心に深い傷を負ってしまい、それによって自分自身の存在についても変容が生じることがあります。

事件が不快で、身体の中にトラウマを負ってしまったため、心が壊れてしまうかもしれません。加害者への憎しみや嫌悪感、屈辱感、フラッシュバックに苦しみ、感情を押し殺して、何も感じなくなってしまうことがあります。このような心の状態が体に現れ、苦痛で夜眠れなくなったりすることがあります。頭はぼんやりとしており、現実感が薄れ、周囲の環境に適応することが難しくなるかもしれません。

朝起きても、妙な不安から起き上がれなくなったり、別の自分が日常生活を過ごしているような感覚を持つことがあります。心と体がバラバラになってしまい、うまく連携が取れなくなるため、うつ状態になることがあります。

感情ない人形に

性的虐待など、加害者から何度も脅かされ続けると、肉体が激しいショックを受け、数えきれないほどに体が動かなくなり、感情が失われることがあります。生きながらにして死んだような状態に陥り、感情や感覚がなくなり、血液が流れている感じや神経の通り方を感じることもなく、ただの空っぽの殻のようになってしまうことがあります。

自分自身の体が、操り人形のように加害者にいいなりにされていく感覚を持つことがあります。また、苦痛にまみれた状態の生活は、神経がパンパンに張りつめていくため、着ぐるみを着ているかのように、自分自身の体を感じることがあります。

自分を責める

性暴力被害に遭ったときは、判断力が落ち、体が動かなくなる、声が出なくなる、逃げることができなくなるなど、加害者のいいなりになってしまうことがあります。このような状況では、恐怖やストレスが過剰になり、身体が反応しなくなってしまうため、加害者に対して逃げることができず、身動きが取れなくなってしまうことがあります。

性暴力被害に遭った後は、なぜあの時自分自身を守ることができなかったのか、なぜ動けなくなって逃げなかったのかと自分を責めることがあります。しかし、自己責任ではなく、加害者の罪であることを理解することが重要です。

性暴力被害に遭ってしまったことを後悔するのではなく、加害者の行為を非難し、加害者を責めることが必要です。加害者の行為に責任があることを理解し、傷ついた心や身体を癒すことが大切です。

意識下に抑圧される

悲惨な出来事は、意識下に抑圧され、見て見ぬふりをしていたり、そのことを感じないように心を麻痺させることがあります。これは、出来事がトラウマを引き起こし、受け止めることができないときに起こる心理的な防衛機制の一種です。

出来事から十年ほど経過すると、当時の記憶がほとんど薄れてしまい、何も覚えていなくなることがあります。トラウマを引き起こした出来事を忘れることができるため、その後の生活を送ることができるようになります。

しかし、トラウマは脳や身体に深く刻み込まれているため、何らかのトリガーによって再び思い出されることがあります。これは、フラッシュバックとして表れることがあり、再びトラウマを体験するように感じることがあります。

トラウマ症状

性暴力被害者は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことが多く、フラッシュバック、過覚醒、解離、パニック、悪夢、回避行動、ネガティブな認知に悩まされます。これらは、過去のトラウマが再現されたり、日常生活での状況に対して異常な反応が起きたりすることで現れます。

また、身体レベルでは、闘争/逃走、凍りつき/すくみ、緊張性不動、虚脱のトラウマを負い、長期に渡って、体調不良に苛まれ、気持ちが落ち込むことがあります。これらの身体的な反応は、加害者に襲われたときの身体的な反応ですが、それが日常生活の中で引き起こされることがあります。

トラウマを負う前と比べると、この世界の捉え方が全く変わってしまうことがあります。人の気配に怯えたり、周囲を観察したり、人から隠れたり、人を疑ったり、逃げ出したくなったりすることがあります。これらの反応は、加害者からの脅威に対する防衛機制であり、自己防衛のために必要なものです。しかし、これらの反応が日常生活においても起きてしまうと、社会的に機能しなくなることがあります。

性暴力被害者が負うトラウマは、表層的な生活とは裏腹に、深い心の闇を抱え込んでいることが多いです。周りの人たちは、その人の表面的な態度や行動しか見えておらず、その人の内面の苦しみや痛み、生きるために必要なエネルギーがどれだけ枯渇しているかには気付きません。

実際には、地に足がつかなくなってしまって、深い呼吸ができず、息苦しく感じます。現実感が薄く、自分が本当にここに存在しているのかすら怪しく思えます。そして、頭の中でフワフワと空想に逃げてしまうことがあり、白昼夢に耽ることもあります。心は空っぽになり、感情が鈍くなっていきます。

さらに、自分の意図しない場面でも、身体は潜在的な脅威に反応して、落ち着かなくなったり、驚愕反応が起きたり、心臓がドキドキしたり、胸が痛んだり、動けなくなったり、手足が震えたり、頭が働かなくなったりするなど、不具合が出ることがあります。

性暴力被害者たちは、フラッシュバックや悪夢によって日常生活を疲弊させられています。普通の人が普通に暮らせることが、彼らにとってはとても辛くて大変なことになってしまいます。日常生活や人と関わることのあらゆることがトラウマのトリガーになっているため、日々の生活が不安定になり、過敏に反応してしまうことがあります。人の気配や音、匂い、振動、光など、様々な刺激に過敏になり、感情の起伏が激しく、突然泣き出してしまったり、怒り出してしまったりすることがあります。

また、過去の忌まわしい体験が突然蘇ってきて、気が狂いそうで叫びたくなり、過呼吸やパニック発作が頻繁に起こることがあります。現実から離れることで、トラウマから逃れようとしてしまい、現実感を持つことが怖くなってしまいます。彼らは、生きていること自体が苦痛になり、生きていることが辛くて、絶望的に感じられることがあります。

体に刻まれたトラウマ

性暴力被害を受けた人は、自分自身に対しての嫌悪感を感じることがあります。自分が傷つけられたことにより、体が汚れてしまったと感じ、自分自身を責めたり、罰するように感じることがあります。体に触れることに対して、異常に怖がったり、避けたりすることもあります。さらに、体の嫌な感覚や記憶が蘇ってきて、身体にあるような嫌な感覚を思い出し、不快感や痛みを感じたり、手足が勝手に動いてしまうことがあります。

体の中にある「ヘドロ」のようなものは、嫌な記憶や感情が蓄積されたものとして感じられ、それを取り除きたくても取り除けず、吐き出したくても吐き出せないような苦痛を感じることがあります。さらに、息苦しくなり、胸が苦しくなってしまうこともあり、歩くことが難しくなることもあるでしょう。性暴力被害によるトラウマは、身体に深く刻み込まれてしまうため、時間が経っても解消されず、苦しむことがあります。

トラウマを負った人は、日常生活の中でいつでも、急激な不安やパニックを感じることがあります。心臓がバクバクと高鳴り、息が詰まってしまい、手足がピクピクと動いたり、震えたりしてしまいます。しかし、このような反応は彼ら自身でも理解できず、どうしてこのような状態に陥ってしまうのか、自分で説明できないことが多いです。彼らは自分の体に対して怖がり、理解できないため、悪化する傾向があります。常に不安な状態にあるため、疲れがたまり、心身ともに疲弊していくことになります。

性暴力被害を受けた人は、自分自身を拒絶し、身体に対する不快感を抱くようになります。過去の出来事により、身体に対して恐怖心が芽生え、自分が自分の体であることに耐えられなくなってしまいます。喜びや楽しみも感じなくなり、ただ無気力になってしまうこともあります。自分で自分の体を触っても、異常な感覚や違和感しか感じられず、さらに嫌悪感を抱くこともあります。身体と心が分離してしまったような状態になり、その状態を解消することが困難な場合があります。

性暴力被害を受けた人は、性的な行為に対する強い恐怖や嫌悪感を抱え、その感情が体の中に深く刻まれてしまいます。そのため、自分の体を人から注目されることを極端に嫌がり、見られることを恐れます。特に女性であることが脅威源となることが多く、自分の体が汚いと感じたり、血を抜きたいという衝動に駆られることもあります。体は痛みに苦しんでいたり、不快な感触を感じたりしているかもしれません。また、脅威となる人物に対して、手を振り払おうとする、逃げ出そうとする、身を小さく丸めるなど、身体的な反応を示すことがあります。これは、トラウマから身体が自然に反応してしまうためです。

酷い暴力を受けた場合、体は痛みに苛まれ、繊細な神経反応が過剰に現れるため、他者と接する際には、距離を置く必要があるかもしれません。本来の自分ではいられなくなってしまい、解離や離人状態、演技など、様々な表情を取り繕って、他者との交流を維持することが必要となります。また、体の反応もおかしくなり、後ろから誰かが近づくだけでも、過度の緊張で身体が固まったり、震えたりすることがあります。

痛みの体

性暴力被害を受けた人は、その後も二次被害に遭って苦しみ続けることがあります。慢性疼痛、慢性疲労、そしてうつ病に陥ることがよくあります。被害者の体は、加害者に脅迫され続けた結果、痛みに包まれています。首が腫れ、喉が痛くなり、胸や背中に痛みが生じ、内臓がなくなったかのように感じられます。関節が固まって痛み、みぞおちが固まり、お腹が痛くなり、子宮が痛くなることもあります。手足が詰まり重くなり、足が冷え、顔が歪むこともあります。さらに、腸や臓器がねじれたり、体の左右がずれたり、背中が曲がったり、息が上がるなど、様々な症状に見舞われます。被害者は、空虚で虚しい感覚に襲われ、自分の人生に実体がなくなります。体が完全に満身創痍になり、被害者は空洞のような状態に陥ります。

恐怖症

性暴力被害の影響は、被害者の社会的生活にも大きな影響を与えます。被害者は、社会生活を送るなかで、過度の不安や恐怖を感じ、それらの感情は、被害者自身が望まない形で現れ、様々な恐怖症になります。たとえば、加害者に似た人物に遭遇すると、過去のトラウマを引き起こすことがあります。また、同じ性別、年齢、外見、雰囲気を持つ人物に出会うと、過去のトラウマが蘇り、強い不安感を覚えることがあります。

このような不安や恐怖感は、被害者が一人になることも怖くなるため、孤立感を感じることがあります。また、人と触れ合うことや人前に出ること、無防備でいることが怖いため、自己防衛のために自分を隠したいと思うことがあります。そのため、不特定多数の人がいる場所や交通手段を使うことが難しくなることがあり、引きこもりや依存的な生き方に陥ることもあります。その結果、何事も長続きしなくなり、大学を中退したり、職場を辞めたりして、自分のキャリアや将来が見えなくなります。

思い詰める

自分自身が性暴力被害に遭ってしまったという不条理な現実に直面して以来、背中に大きな十字架を背負って、重たい荷物を引きずりながら、冷たく厳しい道を歩くことになります。誰にも話すことのできない秘密を抱え、どうして私がこのような目に遭わなければならなかったのかと後悔しています。自分が何もできないという絶望感に陥り、消えることのない傷を背負って、自分なりの答えを見つけるために苦闘し続けています。

悲しみと怒り

性暴力被害者には、救いようのない悲しみと、加害者によって自分の人生が台無しにされたという怒りが根底にあります。加害者が今でも平然と生きており、毎日楽しそうに過ごしていることに対して、復讐心を抱くことがあります。加害者が生きていること自体が許せなく、吐きそうなほどの気持ち悪さを感じます。

外傷の再演

性暴力によって、継続的に脅される状況に置かれると、体が動かなくなり、意識が朦朧として自己を制御できなくなります。自分自身から切り離されたような感覚に陥り、何が起こっても自分にはかかわりがないような錯覚を覚えます。自分自身の体を、別の自分に明け渡してしまい、その人格は性関係以外に生きる術を知らない異常な状態になり、性的な行動に対する認識が歪み、性的欲求が強まり、性的に放縦な人格になる可能性があります。

性的に放縦な人格は、異性を誘惑し、人妻のような雰囲気を漂わせ、重度の浮気性や性的奔逸を繰り返し、愛情のない性行為を手当たり次第に行うことがあります。一方で、本来の私は、知らない相手との性的な関係を強いられる状況に追い込まれ、凍りつきや虚脱するトラウマを抱えることになります。

性暴力被害を経験することは、予期せぬ出来事であり、恐怖や戦慄の衝撃に曝されて、心と体に深刻な影響を与えます。被害を受けたときの不快な感覚は、その後も残り続け、その嫌な気持ちが再び出てきたときに、わざと危険な場所に行ったり、自分をいたぶるような行動をして、再びレイプされてしまうことがあります。

また、外傷体験を乗り越えた後、信頼できる異性に接近し、裏切られたり、失望したりすることが続くと、人生の目的や方向性を見失い、自分を追い詰めてしまうことがあります。自分の心を癒す方法として、性風俗で性行為をしてお金を得る環境に身を置き、性行為に対する理解を深めたいという欲求に駆られたり、自分に癒しを求めてくる異性を浄化したいという気持ちになり、実際に行動する人もいます。

 二次被害

性暴力被害者は、体調が悪く、精神状態も非常に不安定になることがあります。医療関係者や警察、司法、相談員、身内に疑われたり、性暴力被害者を精神異常者扱いされたりすることで、二次被害を受け、心身ともに限界に達することがあります。さらに、被害後、恋人やパートナーに嫌われたり、迷惑がられたり、傷つけてしまうことが増え、自分自身も傷つくことになります。また、性に関する問題については、非常に傷つきやすい状態になっているため、職場やコミュニティでセクハラやパワハラに遭うことが多くなります。

異性との親密な関係

性暴力被害者は、性的に見られたり、触られたりすることに恐怖を感じます。好きな人と触れ合うことには抵抗がないかもしれませんが、誰かに触れられることに嫌悪感を覚えます。異性と仲良くなりたい、大切にされたい、傍にいてほしいと思っていても、自分の体のパーツはいろんな男性に狙われると感じ、危険を感じてしまいます。そのため、異性が近寄ることに嫌悪感を覚え、疲れる、面倒くさい、嫌だ、痛い、来ないでほしい、気づかせないでほしい、近づかないでほしいと感じることがあります。性暴力被害者は、気持ちと体が分裂していることが多いため、混乱している場合があります。また、ずっと苦しい思いを一人で抱えて、本音や本当の感情を抑えつつ生きていることがあります。

恋愛しても、関係がなかなか深まらず、好意を向けてくれる異性に申し訳ない気持ちになることがあります。一方で、選んだ異性がドメスティックバイオレンスやモラハラをする人だった場合、思い悩むことが多くなります。性的な関係については、弱い刺激で十分であり、強い刺激にはついていけなくなり、自分自身が分離して、フラッシュバックが起こったり、回避行動が出たり、攻撃的な人格や子供のような人格に変わったりすることがあります。また、性的な関係に対して恐怖心を抱くことがあるため、セックスレスになることがあり、子供を作ることが困難になる場合があります。さらに、性的な関係を持つ場合、正常な意識で行うことが難しく、お酒を飲んで意識を変えないと難しい可能性があります。

性被害者の回復と成長

性被害を経験した人々は、その深い傷とともに日々を生きています。彼らの心の回復と成長の過程で、何よりも大切な要素は周囲からの深い理解と安定した安心感です。彼らが自らの辛い体験や内なる感情を共有しようとする時、それは彼らの勇気の表れであり、外界との信頼関係を築き上げる試みです。

そのような繊細な瞬間においては、対話者として迫るような質問や、過度な共感を示す反応を避け、ただ静かに、暖かく耳を傾けることが求められます。それは、彼らが最もプライベートな部分、痛みや不安を外部に開示する重要な瞬間であり、この対話の質が彼らの心の回復過程に深く影響を与えるのです。

被害者がトラウマや感じている痛みを吐露する行為は、その治癒への道のりの第一歩とも言えます。そんな彼らに対して、持続的かつ適切な理解と支援を提供することで、被害者は再び自分自身の価値を見出し、自尊心を取り戻す基盤を築いていくことができるでしょう。この過程は容易ではありませんが、周囲の人々の手を借りながら、彼らは新たな自分を再発見する可能性があるのです。

最後に

フレーザーは成人として自分の児童期の秘密と対決するようになった時の恐怖と危険とをこう述べている。(J Herman 1996)

私はほんとうに父の寝台の下にあったパンドラの箱をあけたかったのだろうか。四十年もの間、鍵を探し謎を解こうとして得た報いは父が私を性的に虐待したという事実を知ることだったとは。このことをどう思えばよいのだろう?一つの犯罪を暴露するために費やした私の生涯のエネルギーの量を自分に納得させられるものだろうか、口惜しい思いなしに?

一人の人間が人生の一つの段階を終えて、生きつづけるためには別種の人間にならなければならない時には、突然死が起こることが実に多いだろうと思う。不死鳥は蘇って飛び立とうという、きわめて良いことをめざして燃える火の中に入ってゆくが、飛び上る時に力が萎える。移行点で私は私の別の(親しい)自己を抱えたままほとんど死ぬところだった。(Fraser,My Father’s House,211-12.)

 参考文献
J.L.Herman(1992):Trauma and Recovery. New York, Basic Books中井久夫 訳『心的外傷と回復』みすず書房,1996年

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-02-16
論考 井上陽平

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