解離症状で現実が遠のく恐怖|「気が狂いそう」な感覚と内なる世界

狂気を感じる 解離・解離性障害

突然、目の前の世界が遠くなることがあります。

さっきまで普通に会話していた相手の声が、急に遠くから聞こえてくる。目の前にいる人の表情は見えているのに、その人が同じ空間に存在しているという実感が薄れていく。自分の身体がここにあることは分かっていても、身体の内側から自分が抜け出してしまったように感じる。

周囲の景色は変わっていません。時計も動いているし、人々はいつもどおり生活しています。それなのに、自分だけが現実から切り離され、別の場所へ引きずり込まれていくような感覚になることがあります。

その瞬間、強い恐怖が押し寄せます。

このまま戻れなくなるのではないか。自分という存在が消えてしまうのではないか。気が狂って、もう二度と元の自分には戻れないのではないか。

解離症状の苦しさは、単に現実感が薄れることや、頭がぼんやりすることだけでは説明しきれません。そこには、自分が自分であり続ける感覚が揺らぎ、意識や身体、周囲の世界とのつながりがほどけていくような恐怖があります。

一方で、解離にはもう一つの側面があります。

激しい苦痛や恐怖にさらされたとき、感情が突然遠のき、身体の痛みが薄れ、周囲で起きていることが自分とは関係のない出来事のように感じられる。そうすることで、何とかその場を耐えられた経験を持つ人もいます。

解離は、恐ろしい体験であると同時に、現実の苦痛から一時的に離れるための方法でもあったのです。

この二つの感覚が重なることで、解離の世界はさらに複雑になります。現実へ戻りたいのに、現実に戻ることも怖い。自分を失うことに怯えながら、何も感じなくなることでようやく耐えられる時間もある。

そうした矛盾した感覚を抱えながら、解離を経験する人は日常生活を送っています。

現実が遠のくとき、自分という存在の輪郭がほどけていく

私たちは普段、自分が自分であることを、いちいち確かめながら生活しているわけではありません。

手を伸ばせば、自分の手が動いていると感じます。誰かと話せば、自分の声が相手に届いていると分かります。昨日から今日へと時間が流れても、自分という存在が続いていることを自然に受け止めています。

しかし、解離が強まると、こうした当たり前の感覚が不確かになることがあります。

自分の手が自分のものではないように感じる。身体を動かしているのに、自分が動かしているという実感が乏しい。自分の声を聞いていても、誰か別の人の声を聞いているように思える。

目の前の景色も、どこか薄く、遠く感じられます。

見慣れた部屋にいても、自分の居場所という感覚がない。家族の顔を見ても、知っている人だということは分かるのに、親しみや温かさが感じられない。

何かが見えなくなったわけでも、音が聞こえなくなったわけでもありません。現実を理解する力は残っているのに、そこへ触れているという実感だけが失われていくのです。

こうしたとき、人は自分が世界の外側へ押し出されたように感じることがあります。

人々は笑い、話し、仕事をし、食事をしています。自分もその場に参加しているはずなのに、どこか遠くから眺めているように思える。

周囲の人には、その違和感が伝わりません。普通に座り、返事をし、必要なことをこなしているように見える場合もあるからです。

しかし本人の内側では、現実と自分を結びつけていたものが、少しずつ失われていくような体験が起きています。

解離の基本的な症状や、離人感・現実感消失との違いについては、解離とは何か|離人感・現実感喪失・健忘・DIDの原因と回復で詳しく解説しています。

「気が狂うのではないか」という恐怖は、どこから生まれるのか

解離を経験している人にとって、最も恐ろしいことの一つは、自分の感覚を信じられなくなることです。

目の前にあるものが現実だと頭では理解できる。それなのに、現実として感じられない。

自分が話し、歩き、考えていることも分かっている。しかし、そこに自分自身がいるという実感が持てない。

この食い違いは、本人を深く混乱させます。

自分の感覚に何が起きているのか分からず、説明しようとしても言葉が見つからない。誰かに相談したくても、こんなことを話せばおかしいと思われるのではないかと考えてしまう。

そして、「自分は気が狂ってしまうのではないか」という恐怖が強まっていきます。

ここでいう「狂気」とは、医学的な診断名ではありません。本人が主観的に感じる、自分の意識や存在を保てなくなることへの切迫した恐怖です。

離人感や現実感消失では、世界が非現実的に感じられても、実際には現実であることを理解している場合が多くあります。そのため、現実感が薄れる体験と、現実を判断する力が失われる状態とは、区別して考える必要があります。

それでも、本人の恐怖が小さいわけではありません。

自分が本当にここにいるのか確かめたくなり、手を眺めたり、鏡を見たり、周囲の景色を何度も確認したりすることがあります。

以前の自分は、どのように世界を感じていたのだろう。どうすれば、あの当たり前の感覚へ戻れるのだろう。

そう考え続けるほど、失われた感覚が気になり、現在の自分に対する違和感が強まってしまう場合があります。

解離そのものへの恐怖が不安を高め、その不安がさらに現実感を不安定にする。こうした悪循環の中で、本人は自分の内側から抜け出せなくなったように感じることがあります。

解離への恐怖が、自分の内側を監視し続ける生活につながる

一度、現実が大きく遠のく体験をすると、再び同じ状態になることへの恐怖が生まれる場合があります。

仕事中に急に意識が遠のいたことがあれば、翌日も同じことが起きないか気になる。人混みで現実感が薄れた経験があれば、外出する前から身体が緊張する。

少し疲れたり、考え事に没頭したりしただけでも、「また解離が始まったのではないか」と感じることがあります。

そのため、本人は自分の意識や身体感覚を絶えず確かめるようになります。

今、自分は正常に感じられているだろうか。周囲の景色はいつもどおりだろうか。自分の声や身体に違和感はないだろうか。

こうした確認が続くと、本来は外の世界へ向かうはずの注意が、自分の内側の変化へ集中していきます。

友人と話していても、会話の内容より、自分の意識が遠のいていないかが気になる。外を歩いていても、景色を楽しむより、ちゃんと現実を感じられているかを確かめ続ける。

やがて、日常生活の中で何も気にせず過ごすこと自体が難しくなってしまいます。

解離によって現実感が失われることへの恐怖と、それを防ごうとして自分の感覚を監視し続ける緊張。この二つが重なり、生活全体が疲弊していく場合があります。

解離の内なる世界には、恐怖と奇妙な静けさが同居している

解離の世界は、いつも恐ろしいものとして経験されるわけではありません。

あまりにも強い恐怖や悲しみにさらされたとき、突然、感情が静かになることがあります。

さっきまで胸を締めつけていた苦しさが遠のき、身体の感覚が薄れ、周囲の声や物音が自分とは関係のないもののように感じられる。

泣きたいほどつらかったはずなのに、何も感じなくなる。恐怖で身体が固まっていたはずなのに、その恐怖さえ遠ざかっていく。

人によっては、身体が軽くなり、どこかへ浮かんでいくような感覚や、時間が止まったような静けさを経験する場合があります。

その状態では、現実の痛みや要求から一時的に離れられることがあります。

誰かの機嫌を気にする必要も、傷つく言葉へ反応する必要もない。自分がどれほど悲しいのか、どれほど怖いのかを感じなくて済む。

外から見れば、感情を失い、反応が乏しくなった状態かもしれません。しかし本人にとっては、その感覚の薄さが、耐えがたい現実をしのぐための方法になっていた場合があります。

Goldnerら(2023)は、幼少期に近親者から性的虐待を受け、解離性障害と診断された女性22人の体験を質的に分析しました。

参加者の語りには、身体や自分自身、周囲の世界から切り離される体験とともに、解離をある程度自分で使っているように感じる側面と、意思に反して制御できなくなる側面が表れていました。

この研究は重い虐待経験を持つ特定の集団を対象としたものですが、解離が本人にとって一時的な防御として機能する一方、次第に自分の意思では扱いにくい状態になることを理解する手がかりになります。

解離を経験している人が、自分の内側に生まれる静けさを怖いと感じながら、同時にそこへ戻りたいような気持ちを抱くこともあります。

その矛盾した感覚こそ、解離を単純な症状として捉えきれない理由の一つです。

現実から離れることで、かろうじて自分を保ってきた

幼い頃から逃げ場のない環境で傷ついてきた人は、現実の中で自分を守ることが難しかった場合があります。

親が激しく怒り出しても、家から出ていくことはできない。暴力を受けても抵抗できず、助けを求めても誰も来てくれない。

怒鳴り声や足音が近づくたびに身体が固まり、何を言えば相手を怒らせずに済むのか、必死に考える。

しかし、どれほど気をつけても危険を避けられないことがあります。

そのような状況では、苦しさを十分に感じ続けること自体が、本人にとって耐えがたいものになる場合があります。

身体はそこに残っていても、意識や感情が現実から遠のいていく。痛みや恐怖が薄れ、目の前の出来事を、どこか離れた場所から眺めているように感じることがあります。

そこでは、誰かへ助けを求めたり、抵抗したりすることが難しかった本人が、感覚を遠ざけることで何とかその場をやり過ごしていたのかもしれません。

ただし、解離が起きたからといって、本人が意識的にその反応を選んだとは限りません。また、すべての解離症状がこうした経験から生じるわけでもありません。

重要なのは、解離を経験してきた人の中には、現実とのつながりが薄れることによって、圧倒的な苦痛から一時的に距離を取れた人がいるという点です。

そのため、現在の生活で解離が苦しさになっていても、本人にとっては、かつて自分を守るために必要だった反応としての意味を持っている場合があります。

内なる世界は避難場所でありながら、自分を閉じ込める場所にもなる

現実から離れることによって、傷つかずに済む時間が生まれることがあります。

人からの言葉が遠くなり、周囲の刺激が薄れ、感情が静かになる。現実の世界と自分の間に距離ができることで、ようやく耐えられるように感じる場合があります。

しかし、その距離は、苦痛だけを遠ざけるとは限りません。

人の優しさも遠くなる。誰かが自分を心配していることは分かっていても、その気持ちが届かない。楽しいはずの時間を過ごしていても、喜びが十分に感じられない。

身体を傷つけられる恐怖から離れた代わりに、身体を通して得られる温かさや安心感まで遠くなってしまう場合があります。

本人は、外の世界へ戻りたいと思っています。

普通に人と話したい。好きなものを楽しみたい。自分の身体を、自分の身体として感じたい。

それなのに、現実とのつながりが戻ってくると、今度は不安や緊張が強まり、再び感覚を遠ざけたくなることがあります。

現実から離れれば、自分が消えていくようで怖い。しかし現実へ戻れば、再び傷つくかもしれない。

この葛藤の中で、本人は二つの世界の間を行き来しているように感じる場合があります。

現実の世界では、自分を守るために緊張し続けなければならない。内側の世界では、外の痛みから離れられる代わりに、自分が生きている実感も薄くなってしまう。

解離が引き起こす感覚遮断|心のカプセルに包まれた生活では、このような外界との隔たりを、心のカプセルという比喩を通して詳しく扱っています。

自分の中に戻りたいのに、戻ることが怖い

解離を抱える人は、現実にとどまることそのものを負担に感じる場合があります。

意識がはっきりすると、周囲の音が強く聞こえる。身体の緊張や疲労が感じられる。これまで遠ざかっていた悲しみや怒りが、急に胸の中へ戻ってくることがあります。

そのため、解離が弱まることを望んでいても、同時に強い不安を感じる場合があります。

今まで感じなくて済んでいたものを、すべて感じなければならなくなるのではないか。身体の中へ戻れば、また耐えがたい恐怖に襲われるのではないか。

そうした気持ちがあると、現実へ戻るための働きかけ自体が、本人には怖く感じられることがあります。

Opsvikら(2022)は、複雑な解離性障害を抱える16人へのインタビューを通して、日常生活の中で「今ここに存在すること」がどのように経験されているのかを調べました。

そこでは、現在にいることで日常の出来事を経験し、後から思い出せることの大切さが語られる一方、現実から離れることによって困難を避けようとしながら、今度は自分の内的な体験に苦しめられるという葛藤も示されました。

また、自分が一つにつながっているという感覚を保ちにくいことや、自分自身の生活へ十分に参加できないことの苦しさも報告されています。

解離を経験する人にとって、現実に戻ることは、単に意識をはっきりさせる作業ではありません。

そこには、自分が何を感じ、何を思い、どのように身体を動かしているのかを、再び自分自身の経験として受け取っていく難しさがあります。

そして、その過程で過去の痛みや現在の不安に触れることもあるため、回復を急ぐこと自体が大きな負担になる場合があります。

解離のある人は、普通に暮らすだけで多くの力を使っている

外からは静かに見えても、解離を抱える人の内側では、現実にとどまるための努力が続いている場合があります。

会話中に意識が遠のきそうになると、相手の言葉を必死に追いかける。自分の声が自分のものではないように感じても、いつもどおり返事をしようとする。

仕事中に頭が真っ白になっても、周囲へ知られないように作業を続ける。

本当は何も考えられなくなっているのに、普通に振る舞おうとすることがあります。

そのような状態では、会話や仕事をこなすことに加え、自分の意識や身体感覚を保つことにも、多くの注意を向けなければなりません。

帰宅する頃には、強い疲労が残ることがあります。

人と話した内容が曖昧になり、何を伝えたのか思い出そうとして不安になる。相手の表情は覚えていても、その場でどのような気持ちだったのかが分からない。

楽しい時間を過ごしたはずなのに、体験したという実感が薄い。そのため、自分の人生が自分のものとして積み重なっていかないように感じる場合もあります。

周囲からは「ぼんやりしている」「やる気がない」「話を聞いていない」と誤解されることがあります。

しかし本人は、現実から離れてしまいそうな感覚の中で、その場にとどまろうと努力しているのかもしれません。

解離のある人を理解するためには、目に見える反応の少なさだけでなく、現実に参加し続けるために、どれほどの負担を抱えているのかを見ることが大切です。

解離をなくしたい気持ちと、手放すことへの怖さ

解離に苦しんでいる人は、症状がなくなれば楽になれると考えることがあります。

以前のように世界を感じたい。自分の身体を取り戻したい。何も気にせず人と話し、普通に生活したい。

その願いは切実です。

しかし、解離が長い間、苦痛から距離を取るための方法になっていた場合には、その反応が弱まること自体に不安を感じる場合があります。

これまで解離によって何とかしのいできた悲しみや恐怖を、今度は自分で引き受けなければならないように感じるからです。

そのため、解離を減らしたいと思いながら、同時にその状態から離れることを怖がることがあります。

Vancappelら(2022)は、解離症状を伴うPTSDの患者15人に半構造化面接を行い、解離が生じる状況や、本人がその状態をどのように理解し、対処しているのかを調べました。

研究では、解離について肯定的な捉え方と否定的な捉え方の両方が見られ、症状を抑えようとするために、集中や感情調整、現実との接点を確かめる方法などが使われていました。

解離は、本人にとって苦痛を和らげる意味を持つことがある一方、意思に反して起きると恐怖や生活上の問題を生むこともあります。

そのため、解離をただ取り除くことだけを目標にするより、その人がどのようなときに解離を必要としてきたのか、現実へ戻ると何が苦しくなるのかを理解することが重要になります。

回復とは、現実へ無理に引き戻されることではない

解離からの回復では、過去のトラウマを急いで思い出したり、無理に身体感覚を取り戻そうとしたりすることで、かえって圧倒される場合があります。

特に、現実へ戻ること自体に強い恐怖がある人へ、突然「今ここに集中して」「身体を感じて」と求めると、その感覚が負担になることがあります。

身体の内側へ注意を向けた途端に、恐怖や嫌悪感が強まる。目を閉じると、過去の場面が浮かぶ。呼吸へ集中することで、かえって現実感が遠のく場合もあります。

そのようなときには、無理に感覚を追いかけず、現在の環境へ注意を向けられることが大切です。

部屋の中にある物を眺める。自分が今いる場所を確かめる。椅子が身体を支えていることを感じる。必要であれば立ち上がり、少し歩いてみる。

また、信頼できる人の声を聞いたり、一緒に現在の出来事について話したりすることが、現実とのつながりを保つ助けになる場合もあります。

ただし、こうした方法によって必ず症状が落ち着くわけではありません。本人が負担に感じる場合には、別の方法を選ぶ必要があります。

大切なのは、解離している自分を責めたり、力ずくで現実へ戻そうとしたりすることより、現在の生活の中で比較的安心して過ごせる条件を増やしていくことです。

過去の恐怖が強い場合には、専門的な心理療法や医療的支援を受けながら、本人の状態に合わせて取り組むことが重要になります。

トラウマの治し方・克服する方法|凍りつきと過覚醒から回復していくためにでは、安全感を確保しながら、身体の緊張やトラウマ反応を扱っていく過程を解説しています。

現実と内なる世界のあいだで、自分自身を取り戻していく

解離を抱える人にとって、現実へ戻ることは、ただ症状が消えること以上の意味を持つ場合があります。

自分の手を、自分の手として感じられること。誰かの言葉を聞き、その意味だけでなく、そこにある温かさや悲しみを受け取れること。

身体の疲れに気づき、休みたいと思えること。嫌なことをされたときに、嫌だと感じられること。

こうした感覚が、自分自身のものとして戻ってくることには、大きな意味があります。

しかし、その過程では、これまで遠ざけてきた痛みや恐怖に触れることもあります。

感情が戻れば、悲しみも戻ってくる。身体感覚がはっきりすれば、緊張や疲労にも気づくようになる。

だからこそ、現実へ戻ることを急がず、自分が今どこまで感じられるのかを確かめながら進む必要があります。

誰かと話していて、少し安心できた。短い時間でも、身体の重さや温かさを感じられた。外の景色を眺めているとき、以前より現実が近く感じられた。

そのような経験が積み重なることで、現実がただ危険な場所として感じられる状態から、少しずつ変化していく場合があります。

また、これまで現実の中で十分に守られてこなかった人にとっては、安心できる人間関係を持つことも重要です。

自分の感覚を否定されず、苦しさを急いで説明するよう求められず、今の状態をそのまま伝えられる関係。

そうした経験の中で、現実にいることが、必ずしも傷つくことばかりではないと感じられるようになる場合があります。

おわりに|解離の奥にある、現実へ戻りたいという願い

解離症状を経験する人は、現実が遠のき、自分の存在が薄れていくような恐怖に襲われることがあります。

自分の身体が自分のものではない。目の前の景色が現実として感じられない。人と話していても、自分だけがその場から切り離されているように思える。

その感覚が強まると、このまま気が狂ってしまうのではないか、自分が消えてしまうのではないかという恐怖が生じる場合があります。

しかし、その一方で、解離によって苦痛から距離を取れた時間もあります。

逃げることも抵抗することもできなかった現実の中で、感覚が遠のくことによって耐えられた。何も感じなくなることで、その場をやり過ごせた。

そのような経験を持つ人にとって、解離は単純に恐ろしい症状としてだけ理解できるものではありません。

現実から離れることは怖い。それでも、現実に戻って再び苦しむことも怖い。

その二つの恐怖の間で、本人は自分自身を保とうとしているのかもしれません。

解離を理解するうえで大切なのは、現実感が薄れるという表面的な症状だけを見るのではなく、その人がどのような現実を経験し、何から自分を守ろうとしてきたのかを知ることです。

そして、解離が生じてきた背景を理解しながら、現在の生活の中に、安心できる時間や関係を増やしていくことです。

解離からの回復とは、現実へ無理に引き戻されることではなく、自分が安心して現実に存在できる感覚を、少しずつ取り戻していく過程でもあります。

身体がここにあることを感じられる。自分の感情を、自分のものとして受け止められる。誰かとの関係の中で、無理に自分を切り離さずにいられる。

そうした経験を重ねることで、これまで恐怖と安堵の間を揺れていた内なる世界と、現在の生活との間に、少しずつつながりが生まれていきます。

解離の奥には、現実から離れざるを得なかった苦しさと、それでも自分自身として生きていきたいという願いが、同時に存在していることがあります。

その両方を理解することが、解離を経験する人の内なる世界へ近づくための、大切な手がかりになります。


参考文献

  1. Goldner, L., Lev-Wiesel, R., & Bussakorn, B. (2023). “I’m in a Bloody Battle without Being Able to Stop It”: The Dissociative Experiences of Child Sexual Abuse Survivors. Journal of Interpersonal Violence, 38(13–14), 7941–7963.
    https://doi.org/10.1177/08862605231153865
  2. Opsvik, Y. Ø., Holbæk, I., Arefjord, K., & Hjeltnes, A. (2022). The challenge of being present with yourself: Exploring the lived experience of individuals with complex dissociative disorders. European Journal of Trauma & Dissociation, 6(2), 100250.
    https://doi.org/10.1016/j.ejtd.2021.100250
  3. Vancappel, A., Suzan, L., Bailly, S., Fraigneau, M., Réveillère, C., & El-Hage, W. (2022). Exploring strategies to cope with dissociation and its determinants through functional analysis in patients suffering from PTSD: A qualitative study. European Journal of Trauma & Dissociation, 6(2), 100235.
    https://doi.org/10.1016/j.ejtd.2021.100235

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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