心に傷を負った人の特徴|治療や治し方、対処法

複雑なトラウマを経験し、構造的解離を持つ人々は、一日の間で二つの異なる世界を生きていることがあります。日中は大人として社会の一員となり、仕事をこなします。その表情は強く、知識と技能を駆使して課題に立ち向かい、期待に応える存在となります。

しかし夜になり、一人になると、その強さは崩れ去ります。心は脆く、孤独感に包まれ、じっとしていられなくなります。自我が消失し、自分が自分でないような感覚に襲われ、時には死にたいとさえ思うこともあります。 その時、自分の中にある子供の部分が現れます。頭は真っ白になり、身体全体が震え出します。足は自らの意志とは無関係に動き、声は無意識のうちに上がります。

これは過去のトラウマが現在の生活に影響を及ぼしている現象であり、その人が経験した苦痛が未だに心の奥底に残り、時折表面に現れてくるのです。その痛みと向き合い、それを癒すことが、その人自身の回復と成長につながる重要なステップとなります。

幼少期のトラウマが及ぼす影響

幼少期にトラウマを経験した子供たちは、生存のために切り抜けながらも、持続的な緊張感やストレスと戦うことを余儀なくされます。この持続的なストレス状態は、彼らが成人に達した時、さまざまな病理的な状況を引き起こす可能性があります。

子供時代の困難な経験は、文字通り私たちの脳と身体の生物学に影響を及ぼします。それは私たちの神経回路、神経伝達物質のバランス、そして結果として私たちが世界を理解し、反応する方法に影響を与えます。これらの影響は時には目に見えないかもしれませんが、それらは確実に私たちの心理状態、行動、そして最終的には全体的な生活の質に影響を与えます。

これらの子供たちは、非常に困難な環境で生き抜くために、自己防衛のスキルと戦略を学びます。しかし、このようなスキルと戦略は、彼らが大人になったときに日常生活での挑戦に対処するための健康的な手段とは必ずしも一致しません。その結果、これらの子供たちは成人時に心身の健康問題を抱えることが多くなります。

したがって、幼少期のトラウマが私たちの心と身体に及ぼす影響について深く理解することは、これらの困難を克服し、より健康的な生活を送るための鍵となります。

心の傷つきを隠し表面を取り繕うこと

複雑なトラウマを経験している人は、日々の生活を平穏に過ごすために、自身の心の痛み、その傷つきやすい部分を再びさらけ出さないようにしています。日常生活が揺らがないように、心の傷は、身体の深奥、見つけることが難しい密閉された空間に秘密として隠されています。その存在が隠されているのはあくまで保護のためであり、痛みを和らげるために我々自身がかかげた防護壁なのです。

しかし、その隠された傷つきやすい部分は、身体の隅々で声を上げ、助けを求め、泣き叫び、暴れることがあります。 それはまるで、心の深淵に閉じ込められた子供のように、見捨てられ、無視され、その存在を否定されて、痛みと孤独に苛まれています。それらの声は、私たちが忘れようとしても、無視しようとしても、常にそこに存在します。

傷つきやすさと痛みの身体の声

この深く隠された、傷つきやすい部分は、身体全体で声を上げています。その声は不安と心細さ、孤独と死にたいという絶望的な感情で満ちています。その声は誰かに向けられ、強く助けを求めています。

「痛い」とその声は訴えます。「不安だよ」と声は震えます。そして「怖いよ」と、自分が把握できない場所に迷い込んでしまうことへの恐怖を伝えます。「自分がどこかに行ってしまうよ」と、自我の消失への不安を告げます。

落ち着きを失い、動けない状態に陥ります。その中で「寂しい、どうにかなりそう」と深く悲痛な叫びを上げます。そして最後に、切実な願いを訴えます。「助けて、手を繋いで、一緒に遠い所に行って、心の支えになって」と。

その苦痛はあまりにも深く、逃れられないように感じます。そのため、自傷行為を繰り返すことから、薬を過剰に摂取してしまうこともあります。それは一時的な逃避、一時的な安堵の手段です。助けを求め、死によって楽になりたいという絶望的な願望が湧き上がります。

しかし、その中にも「どこにも行かないでほしい」「一緒にいてほしい」という強く切なる願いがあるのです。去らないで、ずっとそばにいてほしい。その声は寂しさと孤独から来るもので、愛と共感、そしてつながりを求めています。

これらの声は、身体と心の最深部から発せられるもので、その人自身の存在に対する深い認識と、それに対する深い恐怖を表現しています。それは孤独感と絶望感に満ち、助けを求め、つながりを求めています。そして、この心の叫びは、愛と理解、そして対話を通じてしか癒されないのです。

心の傷が刺激されて感情が溢れ出したとき

しかし、時には本体が潜在的な脅威を察知すると、この心の傷が反応を示します。全身に警報を鳴らし、警戒状態に移行します。また、触れたくない記憶が何かの刺激によって呼び覚まされた場合も、同じパターンを辿ることになります。

その時、かつて静かに眠っていた心の傷が恐怖を覚え、平静を失ってしまいます。その結果、自身を閉じ込めていた場所から飛び出し、感情が噴出してしまいます。その恐怖感、閉じ込められていた時の悲しみや悔しさ、先の見えない不安、癒えていない傷の痛みを訴える叫び、人目を避けたくなるような醜い姿、本体の弱さへの怒り、自分自身の弱さを克服したいという衝動、そして、まだまだたくさんの小さな痛みが隠されていることを知るたびに感じる衝撃です。

感情が飛び出してしまった後も、我々は厳しい現実と向き合わなければならないという事実に直面します。その重圧を受け入れ、耐え抜く姿を見ていると、弱っている心はいたたまれない気持ちになります。

心の痛みと戦う複雑なダイナミクス

心の痛みが増すにつれ、その苦痛から解放されたいという切実な願いが湧き上がり、心を捨て去ることを望むようになります。痛みは制御不能になり、その暴力さに手を焼きます。その痛みに満ちた心を放棄するため、またその暴れる力を弱めるために、自らが自身の心を更に傷つけ、疲れ果てるまで力を奪い尽くすのです。

苦痛が耐えがたいほどになると、限界に達し、自己破壊を引き起こすことで痛みから解放されるのではないかと思い込むようになります。自分自身の手で、自分自身の心を終わらせようとしたはずなのに、心が完全に弱ってしまった瞬間、放棄することが容易になると思い込んでいたのに、いざ心を捨てようとすると、その弱弱しい心を拾い上げ、現実に引き戻されます。

自分自身が自分の心を弱めてしまったことに気づきます。自分の心に謝り、元気だった頃の心を懐かしく思い出します。今、手に取り上げている心は、ボロボロになり、冷たく、小さな塊のように感じられます。握りしめると、それは粉々になりそうなほど繊細です。かつて元気だった頃の心に戻したいと願うようになります。

痛みに苦しみ、暴れ、攻撃してきた心を捨てようと努力し、それを弱らせていたにも関わらず、心が弱りきったとたん、自分自身が痛みから逃れようとしていることに気づき、その心を救おうとするのです。

内なる悪魔的人物像に打ち勝つ理性

内心の隅々に巧妙に潜む悪魔が、自身を苛み続け、その弱さを利用しています。悪魔の仕業であり、私たち自身を深く傷つけ、弱体化させるその力があるのです。しかし、傷ついた部分が救済と保護を受け、回復の道を歩んだ後でも、再び痛みが激しく噴出すると、私たちはその苦痛に耐えることができず、再び弱さに取り込まれてしまいます。

この繰り返しのサイクル、この絶え間ない苦闘が、私たちの内面に平穏をもたらす試みを阻んでいます。しかし、この一連の流れを制御し、自身を統括する力が存在します。それこそが理性です。

理性は、自己保護の盾としての役割を果たします。それは、悪魔の企みから私たちを守り、自身を弱体化させる行為から逃れるための防御メカニズムを提供します。理性は、痛みが再び我々を覆いつくす前に、癒しと保護のプロセスを経て、内面の平和を回復し、維持することを可能にします。

だからこそ、私たちは理性を大切にしなければなりません。それは私たちの心の船長であり、潮流の中で舵をとる存在です。私たちの理性こそが、内なる悪魔との戦いで最終的な勝利を得るための、強固な防壁となるのです。

嫌な記憶や心の痛みと対峙すること

私たちの心身は、本能的に不快な記憶から自己を守るようプログラムされています。その記憶は、魂の奥深く、見えない牢獄の中で孤独に泣いています。それは絶えず我々に影響を及ぼし、しかし、その存在を直視することが難しいのです。

その嫌な記憶は、心の痛みの源泉であり、それが我々の感情や思考に静かなる波紋を投げかけています。それは忘れ去られることなく、また、ただ闇の中に封じ込められるだけでなく、理解し、和解するための努力が必要な存在なのです。それらの記憶を永遠に封じ込めてしまうわけにはいきません。それは私たち自身が逃げてしまうことと同じで、成長と癒しの可能性を奪う行為となるからです。

心の痛みは、それ自体が治癒のための指針でもあります。それはまるで、罅割れた壁から光が漏れ出るように、私たちの手で優しく触れ、愛情を込めて手当てしていくことを求めています。それは過去の痛みを引きずるだけでなく、それに対処し、理解し、そして成長するための道しるべなのです。

したがって、これらの嫌な記憶、そしてそれがもたらす心の痛みに対峙することは、私たち自身を癒し、理解し、成長させる重要なステップなのです。

トラウマ治療や自分で治す方法

複雑なトラウマを持つ人々は、身体の緊張と防御メカニズムを経験します。これを克服するためには、自分の心と体を深く理解し、恐怖の根源を探求することが重要です。この理解を深めることで、身体と心の自己調整スキルが向上します。

トラウマを克服するには、支持的なカウンセリングが有効であり、カウンセラーによる肯定的な反応は、自己理解とトラウマを克服するための自信を育てるのに重要です。しかし、トラウマ治療は時に抵抗が生じ、その過程はしばしば苦痛を伴います。治療中に苦しみを経験することがあるものの、専門家の指導のもとで徐々にトラウマからの解放を実感することができます。

身体感覚の取り戻しは、トラウマからの回復に重要であり、ソマティックエクスペリエンス、呼吸法、マインドフルネスなどのアプローチが役立ちます。身体感覚に焦点を当てた治療法は、身体性や感情を育み、刺激に対する反応の理解に役立ちます。これにより、心と身体の内部から起こる困難な感情や感覚に対しても冷静に対処する能力が向上し、患者が自分自身を癒すのに有効です。

トラウマを克服するための主流のアプローチは、イメージワークと身体ワークを組み合わせることです。イメージワークでは、自由連想法やアクティブイマジネーションを用い、トラウマのイメージの書き換えなどを通じて、自己や他者のイメージを逆転させ、モードを切り替えます。

身体ワークでは、身体の感覚に注目し、全身の緊張を緩和させる動作を行い、安心できるイメージを持つことで身体をリラックスさせます。また、脅威のイメージを思い浮かべ、トラウマを受けた時の身体の状態を再現し、自己防衛の行動を取ることで安心感を取り戻します。

複雑なトラウマを持つ人は、闘争・逃走反応が機能しなくなることがあり、その結果、身体が凍りつくことがあります。そのため、トラウマ治療では、恐怖や苦痛に向き合い、エネルギーを身体から解放することで、生き生きとした自分を取り戻すことが重要です。さらに、自分自身や他者を受け入れることが重要で、不快な感情や恐怖を受け入れ、自己犠牲や思いやりを持つことで、自身の内面が変化し、成長の可能性が広がるとされています。

トラウマを抱える人々は、自身の身体感覚に意識を向けることから始め、ヨガ、瞑想、ストレッチ、呼吸法などの方法を用いることで、身体と心をつなげ、トラウマからの回復を助けます。自分の身体に意識を向け、感覚を観察し、現在の安心感と安全感に注目することが重要です。これにより、身体の緊張が和らぎ、より安定した状態に移行することができます。

トラウマを克服するためには安全な環境の確保が必要であり、これには自宅、職場、治療の場、セラピストとの関係性などが含まれます。さらに、ストレスと緊張を軽減するためには、適切な睡眠、バランスの良い食事、適度な運動、リラクゼーションの時間を確保することが重要です。

まとめ

心に傷を負った人は、正しい道を突き進むことで明るい未来が待っていることを理解していますが、その苦痛に直面する姿を見ると、その辛さから解放したいという思いが高まります。手を引いて、避難路へと導きたいという衝動に駆られます。しかし、成長のために、困難に立ち向かうことの重要性を理解しています。それは決して楽な道ではありませんが、心の傷が浄化され、新たな光明を見出す可能性があるのです。

だからこそ、その心の傷が痛みを引きずりながらも、正しい道を突き進もうとする姿は、時には涙を誘い、同時に尊敬の念を抱かせます。その途中で、周りの人ができることは、心の傷が痛みを引きずりつつも前に進めるよう、適切なサポートと愛情を示し、彼らが自分自身の力で立ち上がれることを信じることです。

結局のところ、心の傷は自分自身の一部であり、それを受け入れ、理解し、治療することが、本当の意味での癒しと成長への道となるのです。その道のりは決して容易ではありませんが、それを乗り越えることでしか、真の自己と向き合うことはできません。だからこそ、この道程は、たとえ苦しくとも、避けて通ることのできない重要な旅なのです。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-05-17
論考 井上陽平