解離したあちら側の世界

解離というのは、過去に想像を絶するような耐えられないショック体験をしている人に起こる現象です。強すぎるショックに曝された人は、痛みの身体の中に留まることができなくなり、その身体を麻痺させることで、冷静に自分を保ち、絶体絶命のピンチから生き残りを図ろうとします。痛みが身体に刻まれた後も、脅かされることが繰り返されると、この世界をとても恐ろしく感じるようになり、無力な状態が続けば、自己が二つに断片化していきます。解離している人は、日常生活のなかで、心(精神)と身体を別々の容器に分けられたまま過ごすことになります。

トラウマが複雑にあり、解離症状が出ている人は、身体感覚が切り離されることにより、私が私であるという実感が失われます。解離症状は、虐待や性暴力被害などを受けて、とてもつらく、くるしい毎日を送っている人によく見られる現象で、トラウマと深く関連しています。

人が解離するときは、その解離現象に慣れていないと、狂気に襲われたかのように感じ、どこか全く別の世界にすっぽりと吸い込まれていくように感じます。自分の身体を人々と共有しているこの世界に置いたまま、あちら側の世界に飛んでいきます。解離して、自分が自分で無くなりそうなときは、現実世界を認識できなくなり、遠近感も失われて、気が狂いそうになりますが、そこで正気を保つのはしんどいから、狂気に紛れていくと、心地良い感じが出てきます。そして、人によって、解離した後の世界の感じた方は様々ですが、魅力的で、我を忘れるような享楽に耽り、えも言われぬ至福に満ちた状態になる人もいます。

複雑なトラウマを経験して、解離症状が重たい人は、解離した後の世界と、多くの人がいるこの現実世界との間を揺れ動く振り子のような人生になります。彼らは、自分という存在を感じることが難しく、自分が自分で無くなる不安を抱えて、自分という意識を必死に保とうとします。そして、解離してあちら側の世界に連れ去られることに恐怖を感じ、何とかこの世界に留まろうと必死にもがきます。正気の世界と狂気の世界を綱渡りしながら、孤独との戦いのなかで、疲れ果ててしまい、眠りに誘うかのような、なめらかな空気に包みこまれて、あちら側の世界、別の言葉で言えば、解離した世界に溶けていきます。

解離しているときは、この現実世界に直接関わることができなくなり、現実との接触が遮断されて、現実感が喪失し、受け身的な姿勢を取りながら、空想や白昼夢に耽ります。解離している人は、筋肉が力を失い、血圧が下がり、血の流れが悪くなり、身体は麻痺して、低覚醒状態になり、自分の内なる声や思考、空想、夢の世界の扉が開きます。虚脱のような酷い場合には、筋肉は崩壊し、血が通わず、神経が通ってない感覚に陥り、自分を守ることができない状態になり、外の世界に反応が出来なくなります。

解離している人は、自分らしさが失われて、自分の人生に対して、主体的に関わるのではなく、劇を見ているかのような感じになります。解離して現実感が失われている人は、目の前のものが見えなくなり、視界が悪くなり、周りがぼやけてきます。視野が狭く、体の感覚や体温が分からなくなり、手触り、耳のとらえる音、他者の声、目の前の視覚などの全てのものが自分と繋がらなくなります。現実の出来事に主体的に関わろうとしても、ヴェールのようなものに包まれてしまって、自分の人生に関わることができません。

対人場面で、緊張が強まるときは、喉が詰まって、息苦しく、人の話が耳に入ってこず、地に足がつかず、自分は頭の中で思考そのものになっていき、身体性をもう一人の私に明け渡します。自分の身体を所有できなくなり、現実感を失った人は、自分の話している言葉に実感が持てず、脳が過去の経験をもとに話しているようになります。周りの人は、私の言葉を聞いてうなずいたりしながら意見を言っていますが、私はここに実在している人間には思えなくなります。もう一人の私が、目の前で何かしなければならないことをしていたり、目の前の人と話したりしている姿を見ています。

そして、自分が生活している姿を一歩引いた視点から眺めるようになり、それを他人事のように見ていたり、自分という存在が間近にいるのに、自分自身には戻れないという奇妙な感覚になります。頭(心)と身体が一致せず、自分が思っていることとは違うほうに動いていきます。自分ではないもう一人の私が、自分の身体を支配するようになり、今まで培ってきたマニュアル通りに身体が勝手に動いたり、笑い顔の表情を作ったり、口が勝手に喋ったりします。現実世界では、解離しているもう一人の私が、身体を所有して、その時々、うまく立ち回ろうとしています。

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2022-12-23
論考 井上陽平

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