解離したあちら側の世界への没入体験|空想・妄想

解離は、現実の世界から一定の距離を置くという心的メカニズムです。それはしばしば身体が全体的に透明な膜のようなもので包まれているような感覚を伴います。この膜は、現実世界の持つ感覚、手触り、耳に捉える音、他者の声の響き、そして視覚を通じて認識するすべての物事からの自己を隔てる役割を果たします。これにより、現実の感覚とのつながりが遮断され、その結果、身体や感情、思考などが統合されない状態となるのです。

この感覚遮断は、普段私たちが経験する五感の一部または全体が、あたかもフィルターを通されるかのように感じられることを意味します。音は遠くから響いてくるように聞こえ、触覚は鈍く感じられ、視覚も曇ったように見えることがあります。また、人々の声や周囲の音が遠くから聞こえるか、全く聞こえなくなることもあります。

このような状態はしばしば、現実から一時的に切り離されることで心的な苦痛から逃れるための防衛機制として機能します。これは特にトラウマを経験した人々においてよく観察され、トラウマティックな経験が再体験されることを防ぐための一種の心的な逃避手段として作用します。しかし、この解離状態は長期間にわたり続くと、自己と現実世界とのつながりを失うための逃避手段となり、日常生活を送る上で大きな困難をもたらすことがあります。

自己の断片化

解離現象は、心の中で深い断層が生じることで、人々の認識や感覚、自我の統合が崩れる現象として知られています。この現象の背後には、多くの場合、極度の感情的ストレスやトラウマが関与しています。深い恐怖や痛み、不条理な出来事など、普通の状態では受け入れることが困難な経験をしたとき、心はそれを処理するための特別な方法を取ることがあります。それが解離です。

過度のストレスやトラウマは、人の心のバランスを乱す強烈な外部の刺激であり、これに対処するために心が採用する防御メカニズムの一つが解離です。身体や心は、過度な痛みやストレスから自分を守るために、その出来事や感情から一時的に切り離すことで、一時的な平和や安定を取り戻すことができます。しかし、このような防御策が継続的に行われると、それ自体が新たな問題を引き起こす可能性があります。

特に、トラウマや重度のストレスを継続的に経験した人々は、彼らの心の中で自己が多数の断片に分かれてしまうことがあります。それぞれの断片は異なる感情や記憶を持つことがあり、これが解離同一性障害として知られる状態を生み出すこともあるのです。

解離した状態での生活は非常に複雑であり、その人の感情や感覚、思考が同期しないことが頻繁に発生します。一方で、解離はその人を過度な痛みやストレスから守る役割も果たしているため、矛盾した感情を抱くことも珍しくありません。

トラウマと解離

トラウマとは、精神的・肉体的に非常に大きなストレスや衝撃を受けることで引き起こされる深い心の傷跡のことを指します。人は生きていく中でさまざまな経験をしますが、その中でも特に過酷な状況や出来事が身に降りかかったとき、それは心の中に永続的な影を落とすことがあります。

特に、虐待や性暴力被害などの極めてつらい体験をした人々は、その経験が心の中で無意識の層に深く刻まれ、日常の生活の中で再びその痛みや恐怖を感じることがあります。このようなトラウマが心に刻まれた結果、解離症状を呈することがあるのです。

解離症状は、人の心が極端な状況下で自己を保護しようとする防衛反応の一つとも言われます。過去の辛い経験や恐怖を避けるため、現実からの一時的な逃避として、身体感覚や記憶、感情が分断されることがあります。これは、深い痛みから逃れ、心の平穏を保つための反応として機能しますが、長期的には自己の統合やアイデンティティを乱すことになります。

解離した状態では、人は現実と自己の間にギャップを感じることが多くなります。自分がこの世界に実在しているのか、自分の感覚や記憶が正確なのか疑問に思うことが増えます。また、日常の出来事や対人関係の中で、自己が二重性を持つかのように感じることもあります。

解離するとき狂気に襲われるかのような感覚

解離現象は、心的なトラウマや極度のストレスなど、何らかの心的な要因によって、現実との接続が一時的に途絶えるような感覚を伴う現象です。初めて経験すると、その感覚は非常に異質であり、多くの人々がそれを「狂気」として受け止めることがあります。なぜなら、普段私たちが経験する現実感とは大きく異なるからです。

現実の世界に身体が存在しながら、精神が別の次元に引きずり込まれていく感覚は、映画や小説の中でしか経験したことのないような異界を彷彿とさせます。このため、自分の存在が二重性を持つかのように感じ、自我が曖昧になることがあります。

実際に解離を経験すると、周囲の物や人々との距離感が歪み、一種の浮遊感を覚えることがあります。現実の世界とは異なるこの感覚に対して、最初は恐怖や拒絶感を感じるかもしれませんが、時間が経つにつれ、この独特の世界に安らぎや魅力を感じることもあります。

実は、解離状態は防御メカニズムの一つとも言われ、人が強いストレスや心的外傷を経験した際に、それから逃れるための一つの手段として機能することがあるのです。解離後に感じる魅力や至福感は、そのような防御的な役割が背後にあると考えられます。

正気と狂気の世界の綱渡り

解離症状に苦しむ人々は、現実という拠り所と、解離が生み出すある種の幻影の間で、振り子のように揺れ動く状態を経験します。彼らの感覚世界は、常に二重性を持ち、自分の存在感を掴むのが困難になります。自分がこの現実に属しているのか、あるいは違う次元に取り込まれているのか、その境界が曖昧になるのです。それはまるで、自身のアイデンティティを求める旅のようでもあります。

この不安定な感覚に悩まされ、彼らは自分の意識や存在を必死に保とうとするのですが、それが余計に彼らを疲弊させることもあります。綱渡りのような日常は、彼らにとって孤独との連続した戦いであり、その疲れやストレスがさらに解離を引き起こす悪循環に陥ることも少なくありません。

解離した状態は、まるで柔らかな空気や温かな湖の中に浮かんでいるような感覚であり、それは時として心地よい安堵感をもたらすこともあります。この状態は、彼らが現実の苦しみから一時的に逃れるための心の防御メカニズムとして作動していることが考えられます。しかし、その背後には彼らの内なる孤独や痛み、そして過去のトラウマが隠されていることも多いのです。

解離状態に陥ると

解離状態にある人は、自らの存在と外部の現実が鮮明に繋がっていないように感じます。これは、精神的な守りの一形態として、激しい感情や過去のトラウマから自己を守るための無意識の反応であることが考えられます。心が何らかのショックやストレスを感じると、現実からの一時的な逃避として解離が始まることがあります。

この状態は、まるで夢の中にいるか、深い霧の中をさまよっているような感覚に似ています。身体的にも、力のなさや麻痺感、全体的な鈍さが生じ、身体の一部分や全体が自分のものでないかのように感じることがあります。これは、解離によって生じる物理的な反応であり、自己保護の一環として現れることが多いです。

現実の中での適切な反応や判断が困難となる一方、内面の深い部分への探求が活発化します。深い自己反省や、内なる声との対話が増え、夢や想像の世界が現実よりもリアルに感じられることがあります。この空想の世界は、解離した人にとっては、安全で安心できる場所として機能することも。

しかし、長期的にはこの解離状態は自分のアイデンティティや人生の方向性を見失わせる恐れがあります。日常生活の中での他者との交流や現実への参加が遠ざかることで、孤立感や虚無感が強まります。まるで、自分が透明なガラスの向こう側にいるかのように、現実の出来事や人々とのつながりが希薄になることは、解離を経験する多くの人々の共通の悩みとなっています。

虚脱状態に陥ると

虚脱のような状態は、体と心の深い部分での非常なストレスや不安感が原因となって発生することが多く、それが強烈な解離症状を引き起こします。解離している人は、まるで自分の身体が自分のものでないかのように感じることがあり、この感覚は筋肉の動きの鈍化や弱化をもたらします。結果として、身体はその重さを支えきれず、立つことができなくなり、まるで急激な疲労を感じるかのように床に倒れることがあります。

さらに、血流の循環が悪化することで、顔色が青白くなり、手足は冷たくなる。これは外部から見ても明らかな症状として現れるため、周囲の人々もその異変に気づくことが多いです。さらに、神経の感覚が麻痺するようになり、身体の一部や全体が感覚を失い、まるでその部位が存在しないかのような無感覚な状態に陥ります。

この状態は、外の世界との接触を失ってしまうほど深刻で、その人は周りの人々とのコミュニケーションをとる能力を失ってしまうことがあります。それにより、孤立感が増し、さらなるストレスや不安を感じることとなります。

夢と現実の区別がつかない不動状態

夢の中での経験が現実として非常に鮮明に感じられることは、私たちの心と脳の複雑な関係性が示す興味深い現象の一つです。特に、夢がリアルに感じられる背後には、脳と身体の神経ネットワークの一時的な非同期が関与していることが考えられます。この状態では、外部からの刺激に対する反応が鈍化し、脳は覚醒しているにも関わらず、身体は不動となり、思考の流れも遅くなることがあります。

日常生活の中で私たちが経験する様々なストレスや緊張が極限まで高まると、心と身体はこれ以上の過度なストレスを受けないように保護機能を発動させます。この際、脳は身体を一時的に「OFF」状態にし、リラックスや回復を促すための省エネモードに切り替わるのです。この状態が生じると、私たちの認識する現実と夢の間の境界が希薄になり、夢の中の出来事が現実のように感じられることが増えます。

このような瞬間に、例えば空を自由に飛ぶ夢や、透明な海で泳ぐ夢など、非現実的なシーンであっても、五感が生き生きと働くようなリアルな夢を体験することがあります。これは、心が現実からの一時的な逃避を求め、その結果として鮮明な夢の中でリフレッシュを試みているのかもしれません。

夢を見ているような感覚

解離性障害や離人症は、現実と夢の境界が曖昧になる不思議な症状を呈する病気です。この状態に陥ると、目の前の現実が夢のように感じられ、まるで夢の中にいるかのような錯覚を覚えます。時には、幻想の世界が現実の世界に重なってしまい、どちらが真実なのか分からなくなることもあります。これらの症状は、現実と自分自身とのつながりが希薄になることで、幻想的で不思議な世界に迷い込んだかのような体験を引き起こします。

解離性障害は、心の中に生じた断絶が現実とのつながりを遮断し、あたかも夢の中にいるかのような遠い世界に自分が存在するかのように感じさせます。この神秘的な症状は、ストレスやトラウマなど、心に深い傷を負った人に現れることがあります。一方、離人症は、自分がまるで第三者の視点から自分自身を見ているかのような感覚に陥る症状です。この状態では、現実と自分自身が切り離され、幻想の世界に身を置いているように感じることがあります。

夢を見ているような感覚は、現実と幻想が交錯する瞬間を体験することで、私たちの心に新たな世界が広がるかのような錯覚をもたらします。この感覚は、まるで詩や絵画の中に迷い込んだかのような、神秘的で幻想的な美しさを秘めています。

自己の二重性

対人場面で緊張が強まると、身体的な反応が強く出てしまうことがあります。喉が詰まって息苦しくなり、人の話が耳に入らなくなります。自分がどこにいるか分からなくなり、地に足がつかなくなってしまいます。そうした状態になると、自分の身体を所有できなくなり、自分が自分であるという実感が薄れます。このような状態になると、もう一人の自分が現れ、自分の意識をもう一人の私に明け渡すことになります。

このような状態に陥ると、自分の話している言葉に実感が持てず、自分が口に出していることが現実と繋がらなくなります。自分の言葉や行動が自分自身のものではなく、外から観察しているような感覚になってしまいます。周りの人が自分の言葉を聞いているのにも関わらず、実在している人間には思えず、自分自身が現実に存在しているかどうかも分からなくなってしまいます。

もう一人の自分が、目の前で何かしなければならないことをしていたり、目の前の人と話したりしている姿を見ているような感覚になります。このような状態になると、自分が本当に自分自身であることを疑い、現実感が薄れていくため、不安や恐怖心が強くなることがあります。

解離している状態の人は、自分が生活している姿を一歩引いた視点から眺めるようになります。それは、まるで他人事のように見えたり、自分という存在が間近にいるのに、自分自身には戻れないという奇妙な感覚に襲われます。頭(心)と身体が一致しないため、自分が思っていることとは違う方向に身体が動いてしまうことがあります。

自分とは別のもう一人の私が、自分の身体を支配するようになり、今まで培ってきたマニュアル通りに身体が勝手に動いたり、笑顔の表情を作ったり、口が勝手に喋ったりします。現実世界では、解離しているもう一人の私が、身体を所有して、その時々、うまく立ち回ろうとしています。

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2022-12-23
論考 井上陽平

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