解離とは、痛みや恐怖といった極度のストレスによって、自己が二つに断片化する現象です。この現象は、想像を絶するようなショック体験をしている人に起こります。
自己の断片化
長期に渡り、生活上の強いストレスや緊張に曝されている人は、痛みや疲労を抱えたまま生き続けることができなくなります。そこで、身体を麻痺させることで、自分を保ち、生き残るための防御機構を身につけます。しかし、痛みが身体に刻まれた後も、脅かされることが繰り返されると、この世界をとても恐ろしく感じるようになり、自己が二つ以上に断片化してしまうのです。
解離している人は、心(精神)と身体を別々の容器に分けられたまま生活を送ることになります。このため、日常生活の中で、感情や思考、身体の感覚が分離してしまい、自己のアイデンティティが揺らぎます。例えば、自分自身が現実と繋がっていないような感覚や、自分自身を見ているような感覚があるかもしれません。
トラウマと解離
トラウマとは、非常に過酷な状況に置かれたことで、深い心の傷を負ってしまうことです。トラウマが複雑にあり、解離症状が出ている人は、虐待や性暴力被害など、とてもつらく、くるしい毎日を送っていることが多いです。
解離症状は、虐待や性暴力被害など、トラウマと深く関連しています。トラウマがあると、心と身体が傷ついた状態で、その傷を癒すことが難しくなります。そのため、身体感覚が切り離されることで、自己を守ることが必要となる場合があります。
解離症状によって、身体感覚が切り離され、自己アイデンティティが揺らぐことになります。身体感覚が切り離されると、自分が自分であることに疑問を感じるようになります。自己が現実と繋がっていないような感覚を抱くことがあります。また、自分自身が別の人物であると感じることもあるかもしれません。
解離するとき狂気に襲われるかのような感覚
解離現象に慣れていない人が解離すると、狂気に襲われたかのように感じ、現実世界から遠ざかって全く別の世界にすっぽりと吸い込まれていくように感じます。自分の身体を人々と共有しているこの世界に置いたまま、あちら側の世界に飛んでいくような感覚を覚えます。
解離して自分が自分でなくなりそうなときは、現実世界から遠ざかり、遠近感も失われます。このような状態に陥ると、人は気が狂いそうに感じるかもしれません。しかし、正気を保つのは難しいため、狂気に紛れていくと、心地良い感じが出てきます。人によって解離後の感じ方は様々ですが、魅力的で、我を忘れるような享楽に耽り、えも言われぬ至福に満ちた状態になる人もいます。
正気と狂気の世界の綱渡り
解離症状が重い人は、解離した後の世界と現実世界の間を揺れ動く振り子のような人生を送ります。自分という存在を感じることが難しく、自分が自分でなくなる不安を抱えながら、自分という意識を必死に保とうとします。解離してあちら側の世界に連れ去られることに恐怖を感じ、何とかこの世界に留まろうと必死にもがきます。
このような人たちは、正気の世界と狂気の世界を綱渡りしながら、孤独との戦いの中で、疲れ果ててしまいます。しかし、その疲れた状態が解離症状を引き起こす原因となることもあります。彼らは、眠りに誘うかのような、なめらかな空気に包まれて、あちら側の世界、別の言葉で言えば、解離した世界に溶けていくことがあります。このような状態は、解離症状が重い人にとって、生き残るための防御メカニズムの一つです。
解離状態に陥ると
解離状態に陥った人は、現実世界と切り離された感覚に陥ります。まるで現実とは異なる別世界にいるかのように、現実感が薄れ、受け身的な状態を取るようになります。身体も解離し、筋肉が力を失い、血圧が下がり、血の流れが悪くなります。このため、身体が麻痺して、自分自身を守るための力を失ってしまいます。低覚醒状態になり、周りの環境や人々の存在を感じることができなくなります。解離している人は、内面に向かって思考が集中し、自分自身と向き合う時間が増えます。このため、内なる声や思考、空想、夢の世界の扉が開きます。現実逃避をするかのように、空想や白昼夢に耽ることが多くなります。
解離している人は、自分らしさが失われて、自分の人生に対して、主体的に関わることが難しくなります。周囲の出来事や人々との交流が、遠い存在のように感じられ、まるで自分が演劇の舞台上にいるかのように感じます。現実感が喪失された状態では、目の前のものが見えにくく、視野が狭くなり、周りがぼやけて見えます。体の感覚や体温も分からなくなり、手触りや耳に届く音、他者の声や目の前の視覚的情報など全てが自分との繋がりを失い、自分自身と世界との関係性が希薄になります。その結果、現実の出来事に主体的に関わろうとしても、ヴェールのようなものに包まれて、自分の人生に関わることができなくなってしまいます。
虚脱状態に陥ると
虚脱のような状態になると、解離している人は身体の動きが鈍り、筋肉が弱まり、動けなくなることがあります。筋肉が崩壊するため、立っていられなくなり、床に倒れ込むことがあります。血が通わなくなり、顔色が青白くなり、手足が冷たくなることがあります。神経が通っていない感覚に陥るため、身体の一部が感覚を失い、まるで無感覚になってしまうことがあります。外の世界に反応できなくなるため、周りの人たちとのコミュニケーションがとれなくなり、孤立してしまうことがあります。解離から虚脱のような状態になると、人生において大きな影響を与える可能性があります。
夢と現実の区別がつかない不動状態
夢の世界が非常にリアルに感じられる時、それは脳と身体の神経ネットワークがうまく機能していないかもしれません。この状態では、脳は覚醒しているものの、身体は動かず、思考も停滞します。日々の生活におけるストレスや緊張が頂点に達し、人が完全に疲弊すると、それ以上のダメージから身を守るため、脳は身体を一時的に「OFF」状態に切り替えます。これは省エネモードの一種で、この不動状態になると、夢と現実の境界線が曖昧になるような感覚に陥ります。この時、空を飛んでいる夢や、海で泳いでいる夢など、生き生きとした感覚を伴う夢を見ることがあります。
夢を見ているような感覚
解離性障害や離人症は、現実と夢の境界が曖昧になる不思議な症状を呈する病気です。この状態に陥ると、目の前の現実が夢のように感じられ、まるで夢の中にいるかのような錯覚を覚えます。時には、幻想の世界が現実の世界に重なってしまい、どちらが真実なのか分からなくなることもあります。これらの症状は、現実と自分自身とのつながりが希薄になることで、幻想的で不思議な世界に迷い込んだかのような体験を引き起こします。
解離性障害は、心の中に生じた断絶が現実とのつながりを遮断し、あたかも夢の中にいるかのような遠い世界に自分が存在するかのように感じさせます。この神秘的な症状は、ストレスやトラウマなど、心に深い傷を負った人に現れることがあります。一方、離人症は、自分がまるで第三者の視点から自分自身を見ているかのような感覚に陥る症状です。この状態では、現実と自分自身が切り離され、幻想の世界に身を置いているように感じることがあります。
夢を見ているような感覚は、現実と幻想が交錯する瞬間を体験することで、私たちの心に新たな世界が広がるかのような錯覚をもたらします。この感覚は、まるで詩や絵画の中に迷い込んだかのような、神秘的で幻想的な美しさを秘めています。
自己の二重性
対人場面で緊張が強まると、身体的な反応が強く出てしまうことがあります。喉が詰まって息苦しくなり、人の話が耳に入らなくなります。自分がどこにいるか分からなくなり、地に足がつかなくなってしまいます。そうした状態になると、自分の身体を所有できなくなり、自分が自分であるという実感が薄れます。このような状態になると、もう一人の自分が現れ、自分の意識をもう一人の私に明け渡すことになります。
このような状態に陥ると、自分の話している言葉に実感が持てず、自分が口に出していることが現実と繋がらなくなります。自分の言葉や行動が自分自身のものではなく、外から観察しているような感覚になってしまいます。周りの人が自分の言葉を聞いているのにも関わらず、実在している人間には思えず、自分自身が現実に存在しているかどうかも分からなくなってしまいます。
もう一人の自分が、目の前で何かしなければならないことをしていたり、目の前の人と話したりしている姿を見ているような感覚になります。このような状態になると、自分が本当に自分自身であることを疑い、現実感が薄れていくため、不安や恐怖心が強くなることがあります。
解離している状態の人は、自分が生活している姿を一歩引いた視点から眺めるようになります。それは、まるで他人事のように見えたり、自分という存在が間近にいるのに、自分自身には戻れないという奇妙な感覚に襲われます。頭(心)と身体が一致しないため、自分が思っていることとは違う方向に身体が動いてしまうことがあります。
自分とは別のもう一人の私が、自分の身体を支配するようになり、今まで培ってきたマニュアル通りに身体が勝手に動いたり、笑顔の表情を作ったり、口が勝手に喋ったりします。現実世界では、解離しているもう一人の私が、身体を所有して、その時々、うまく立ち回ろうとしています。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2022-12-23
論考 井上陽平
