ユング派心理学における防衛機制:トラウマがもたらす闇の記憶

ユング派心理学 ユング・深層心理

本稿で手がかりにするのは、ユング派の臨床心理学者ドナルド・カルシェッドの著書『Trauma and the Soul』です。カルシェッドは、幼少期の圧倒的な体験によって心が傷ついたとき、その人の内側にどのような防衛が組織されるのかを、神話的なイメージと臨床経験の両方から考察しました。

彼の理論で中心となるのが、自己保護システムです。これは、耐えきれない恐怖、恥、孤独、見捨てられる不安から、傷つきやすい心の中心を隔離し、守ろうとする無意識の働きを指します。幼い子どもにとって、暴力、情緒的な放置、親の不安定さ、繰り返される否定は、一つの出来事として受け止めきれないことがあります。心はその痛みをそのまま抱える代わりに、感情、身体感覚、記憶、願いを分けながら、生き延びる形をつくっていきます。

この防衛は、当初は生きるために必要なものでした。しかし大人になってからも強く働き続けると、親密さ、喜び、助けを求めること、安心して休むことまで危険に感じられるようになります。カルシェッドの理論は、なぜ人が自分を守りながら、同時に自分を閉じ込めてしまうのかを理解するための視点を与えてくれます。

自己保護システムは、傷つきやすい部分を隔離して守る

幼少期に強い恐怖を経験した子どもは、自分の内側にある繊細な部分を、外の世界へそのまま出しておくことが難しくなります。泣けば責められる。助けを求めても届かない。安心した直後に傷つけられる。そうした経験が続くと、心は「感じること」そのものを危険として扱うようになります。

そこで生まれるのが、傷つきやすい自分を奥へ隠し、外の世界へ対応するための防衛的な自己です。周囲の期待に合わせる。感情を出さずにやり過ごす。人に頼らず、一人で問題を処理する。誰かが近づくと、先に距離を取る。こうした反応は、本人の性格だけで説明できるものではなく、過去の危険を繰り返さないために身についた生存の技術でもあります。

カルシェッドは、心の中心にある傷つきやすい部分を、単なる弱さとして扱いません。そこには、人を信じたい気持ち、世界へ触れたい好奇心、愛されたい願い、自分らしく生きたい力が残されています。防衛は、その大切な部分が再び壊されないよう、外界との接触を厳しく制限する役割を担っているのです。

幼少期の傷は、出来事の記憶としてだけ残るとは限りません。感情、身体感覚、自己像、人との距離の取り方にまで影響し、現在の生活の中で繰り返し姿を現します。身体はトラウマを記憶する|脳・心・体のつながりでは、過去の体験が身体の警戒や凍結反応として残る過程を詳しく扱っています。

内なる迫害者は、なぜ生まれるのか

カルシェッドの理論には、傷つきやすい部分を守る存在と、その部分を厳しく攻撃する存在が登場します。後者は、内なる迫害者として感じられることがあります。

その声は、「失敗するな」「人を信じるな」「期待するな」「弱みを見せるな」といった形で現れます。誰かに褒められても素直に受け取れない。休んでいると強い罪悪感が出る。親しい人に頼ろうとすると、自分を責める言葉が浮かぶ。何か良いことが起きても、すぐに失う予感がする。こうした反応の背後には、再び傷つく前に自分を厳しく管理しようとする防衛が働いていることがあります。

内なる迫害者は、本人を苦しめる存在として感じられます。しかし、その働きは単純な自己破壊だけでは語れません。幼い頃に無防備でいたことで深く傷ついた人にとっては、「二度と同じ目に遭わないように」と警戒を続ける守護者の役割も担っています。問題は、その守り方があまりに強く、現在の安全な関係や穏やかな時間まで遠ざけてしまうところにあります。

回復では、この厳しい声を力ずくで消そうとするより、「何から自分を守ろうとしているのか」を理解する方が役立ちます。自分を責める声の奥に、かつて誰にも守られなかった恐怖や、見捨てられたくなかった願いが隠れていることがあります。

トラウマ記憶は、感覚や身体反応として戻ってくる

トラウマに関わる記憶は、出来事を物語として思い出す形だけで現れるわけではありません。特定の声、表情、匂い、光、距離感、言葉の調子に触れたとき、胸が詰まる、呼吸が浅くなる、身体が固まる、急に現実感が薄れるといった反応として戻ってくることがあります。

本人には理由が分からないまま、身体だけが危険に反応することもあります。頭では安全な場所にいると理解していても、神経系は過去の緊張を引き継ぎ、今この瞬間を以前の危険と重ねてしまうのです。

このため、トラウマの回復を「考え方を変える作業」だけで進めることには限界があります。身体がどのような場面で警戒を強めるのか、どんな距離や言葉に反応するのか、どのような環境なら少し落ち着けるのかを知ることが、回復の土台になります。

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人格化とは、自分の経験を自分のものとして感じ直すこと

ウィニコットが用いた人格化という概念は、心が身体の中に根を下ろし、自分の感覚や経験を「自分のもの」として感じられる過程を考えるうえで重要です。深いトラウマを経験すると、心と身体のつながりが薄くなり、自分がどこにいるのか分からなくなることがあります。

何を感じているのか分からない。身体が自分のものではないように思える。人と話しているのに、どこか遠くにいる感覚がある。怒りや悲しみが出ても、自分の感情として受け止めきれない。こうした状態では、過去の経験が現在の生活へ入り込みながらも、それを自分の物語として語ることが難しくなります。

人格化は、過去を詳しく思い出すことだけを意味しません。自分の身体が今どこに触れているかを確かめる。悲しいと感じたときに、その悲しさを自分の感情として受け止める。疲れたときに休む選択をする。嫌なことに対して、嫌だと言葉にする。そうした小さな積み重ねによって、心と身体のつながりは少しずつ戻ってきます。

内なる子どもは、傷つきと希望の両方を抱えている

内なる子どもという表現は、幼い頃に置き去りになった感情、願い、恐怖、身体感覚を受け止めるための比喩です。その中には、助けてほしかった気持ち、愛されたかった願い、怒りを出せなかった悔しさ、誰にも見せられなかった孤独があります。

同時に、その部分には、世界の美しさへ心を動かす力や、誰かを信じたい気持ちも残っています。深い傷を受けた人の中でも、花を見てきれいだと感じる瞬間、誰かの優しさに胸が熱くなる瞬間、ふと安心して眠れる夜があります。そうした感覚は、トラウマによって覆われながらも、消えずに残ってきた生命の側面です。

内なる子どもと向き合うことは、過去の自分へ無理に戻ることではありません。今の自分が、かつての自分の感情や願いを切り捨てず、現在の生活の中で引き受け直していくことです。「弱いから苦しい」と責める代わりに、「あのときの自分は、守られる必要があった」と理解する。そうした態度が、自己保護システムの緊張を少しずつ和らげていきます。

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フラッシュバックと解離は、心が抱えきれなかったものの表れ

フラッシュバックが起こるとき、過去の記憶は時間の順序に沿って戻るとは限りません。映像の断片、皮膚の感覚、吐き気、強い羞恥、怒り、身体の冷たさなどが、突然押し寄せることがあります。本人は、現在の生活の中にいながら、身体だけが当時の危険へ引き戻されたように感じます。

強い再体験の最中には、心が現実から少し離れることがあります。周囲の音が遠くなる。言葉が頭に入らなくなる。自分を外から見ているように感じる。時間が飛んだように思える。こうした解離反応は、圧倒的な感情や感覚から距離を取るために起こる心の防衛です。

そのため、フラッシュバックや解離を経験している人に対して、過去を急いで掘り起こすことは負担になり得ます。まずは、今の生活の中で安全を感じられる時間を増やし、自分の身体が「ここはあの時とは違う」と学び直せる条件を整えることが大切です。

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統合は、防衛を壊すことではなく役割を変えていくこと

トラウマからの回復では、防衛を取り除くことが目標になるわけではありません。防衛は、その人が生き延びるために必要だった働きです。感情を麻痺させたこと、人と距離を取ったこと、一人で何とかしようとしたことには、それぞれ理由があります。

統合とは、防衛だけに頼らずに済む時間を増やしていく過程です。怒りが出る前に、自分が傷ついていることへ気づく。誰かを切り捨てる前に、少し距離を取る。自分を責める声が聞こえたとき、その言葉を事実として受け取らず、過去から続く警戒の声として眺めてみる。感情と行動の間に少し余白が生まれると、自分の人生を選ぶ力が戻ってきます。

カルシェッドの理論では、回復は傷の中心へ無理に突入することではなく、内側の守りと傷つきやすい部分の両方に、安心できる関係を届ける過程として考えられます。防衛は、危険が去ったことを一度で理解するわけではありません。約束が守られること、断っても関係が続くこと、疲れたときに休めること、弱さを見せても壊されないこと。そうした経験が重なる中で、内側の警戒は少しずつ役割を変えていきます。

複雑性PTSD治療|ダンテの『神曲』を通じて理解する神話的旅路では、トラウマからの回復を、暗い領域を通りながら再び自分の人生へ戻る長い過程として描いています。

他者との関係が、心と身体をつなぎ直す

トラウマからの回復は、一人で内面を見つめる作業だけで進むものではありません。人は、信頼できる誰かとの関係の中で、安心を身体へ取り戻していきます。話の途中で黙っても待ってもらえる。気持ちをうまく説明できなくても、急かされない。つらいときに距離を取っても、関係がすぐに切れない。そうした経験は、心の中に新しい安全の記憶を残します。

カウンセリングも、出来事を詳しく語る場だけではありません。言葉にならない感覚、身体のこわばり、ふと浮かぶイメージ、強い自己批判を、関係の中で少しずつ扱えるようにしていく場です。内なる迫害者を追い出すのではなく、その声が生まれた背景を理解し、現在の自分に必要な守り方へ変えていくことが、回復の中心になります。

トラウマは、過去を消すことで終わるものではありません。傷ついた経験を抱えながらも、自分の感覚を自分のものとして感じ、人と関わることを自分で選び、安心できる場所へ戻れるようになること。その積み重ねの中で、自己保護システムは閉じ込めるための壁から、自分の生活を守るためのしなやかな境界へ変わっていきます。

参考文献
Donald Kalsched.(2013):『Trauma and the Soul:A psycho-spiritual approach to human development and its interruption』

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執筆者 / 監修者
井上陽平
公認心理師・臨床心理学修士

保有資格

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士

臨床経験

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

専門領域

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造
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