複雑性PTSDの回復が一進一退になる理由|過去の対処法が今を苦しめるとき

複雑性PTSDの治療の難しさ 複雑性PTSD

トラウマを抱えた人の苦しさは、過去の出来事を思い出す瞬間だけに現れるわけではありません。むしろ多くの場合、生活が少し落ち着いた頃や、人間関係が穏やかになった頃に、理由の分からない疲労、焦り、空虚感、強い緊張として表れます。

以前なら危険を避けるために役立っていた反応が、今の生活では自分を追い込む形で残っていることがあります。相手の表情を読み続ける。嫌でも断れない。少しの沈黙で不安になる。何か問題が起きる前に自分を責める。休んでいても気が休まらず、何もしない時間にかえって落ち着かなくなる。

こうした反応は、本人の性格の問題ではありません。危険の多い環境で、自分を守るために身につけた反応です。ただ、その方法が長く続くと、現在の安全な環境の中でも身体が警戒を解けなくなります。

トラウマからの回復では、過去を忘れることよりも、今の身体と心が「もうあの頃と同じ場所にはいない」と感じられるようになることが重要になります。
→ トラウマの治し方・克服する方法―凍りつきと過覚醒から回復していくために

安心できるはずの場所で、なぜ苦しくなるのか

トラウマを抱えてきた人の中には、危機的な状況では気を張って動けるのに、家へ帰った途端に何もできなくなる人がいます。仕事や子育て、介護などを何とかこなしている間は平気でも、予定が終わると急に涙が出る。休日になると身体が重く、起き上がれない。誰にも急かされていないのに、胸がざわつき、何かしなければならないような焦りだけが残る。

これは、緊張が切れた途端に弱くなったのではありません。ずっと後回しにされていた身体の疲労や感情が、安全な場所に戻ったことで表面に出てくる場合があります。

子どもの頃から家庭内で安心できなかった人にとって、静かな時間は必ずしも休息ではありません。家が静かになると、次に誰かの機嫌が悪くなる気配を探してしまう。親の足音、扉の閉まる音、食器の置かれ方、声の調子に注意を向けていた人ほど、何も起きていない時間にまで身体が警戒を続けます。

そのため、休むこと自体が難しくなります。何もしないと不安になり、疲れているのに動き続ける。人から見ると働き者に見えても、本人の内側では、止まったら崩れてしまいそうな感覚が続いていることがあります。
→ 孤独と寂しさを感じる人の特徴|他人と関わりが苦手な理由

過去の防衛反応が、人間関係で繰り返されるとき

複雑性PTSDでは、過去に身につけた対処法が、人との関わり方に深く残ります。

怒られないように先回りする。相手の期待を外さないように頑張りすぎる。何かを頼まれると、断るより先に引き受けてしまう。本当は嫌なのに笑ってしまう。傷ついたことを伝えられず、限界まで我慢した後で急に関係を切りたくなる。

こうした反応には、一つひとつ理由があります。過去に、意思を示したら否定された人。嫌だと言ったら責められた人。助けを求めても誰も来なかった人。相手の不機嫌を自分の責任にされてきた人。その人にとって、人間関係は対等なやりとりよりも、相手の機嫌を損ねずに生き延びる場になっていたかもしれません。

そのため、大人になってからも、少しでも相手が不機嫌そうに見えると、自分が悪いことをした気がします。断るだけで罪悪感が出ます。距離を取ろうとすると、見捨てられる不安が強くなります。

回復の過程では、誰かを強く拒絶することよりも、まず自分が何を嫌がっているのかを確かめることが大切になります。小さな違和感を見逃さず、「これは引き受けられない」「今日は返事を急げない」と言葉にしていく。その積み重ねが、自分の境界を取り戻す練習になります。
→ 複雑性PTSD(CPTSD)の人への接し方|悪化させない対応の基本

感情が戻るとき、苦しさが強くなることがある

回復が進むほど、感情が強くなることがあります。

これまで何も感じなかった人が、急に怒りを感じる。悲しい記憶が浮かぶ。人に優しくされただけで涙が出る。以前なら耐えられていた場面で、急に苦しくなる。こうした変化が起きると、「治療を始めてから悪くなった」と感じることがあります。

ただ、感情が戻ることと、状態が悪化することは必ずしも同じではありません。

長い間、感じたら耐えられなかった怒りや悲しみを抑え込み続けてきた人は、感情を切り離すことで何とか日常を保ってきた場合があります。怒りを感じれば家庭が壊れる。悲しめば誰にも助けてもらえない。怖がれば余計に危険になる。そうした環境では、感じないこと自体が生存のための方法になります。

しかし、ある程度の安全が確保され、心身に余力が生まれると、以前は封じ込められていた感情が少しずつ動き始めます。怒り、悲しみ、悔しさ、恥、寂しさが出てくるのは、心が壊れたからではなく、これまで感じられなかったものに触れ始めているためです。
→ 凍りついた心と身体が動き出すとき|複雑なトラウマからの回復

解離は「記憶がない」だけではない

解離という言葉から、記憶が抜け落ちる状態だけを思い浮かべる人もいます。しかし実際には、解離はもっと日常的な形で現れることがあります。

会話をしていたのに内容が頭に入ってこない。自分が話しているのに、少し遠くから見ているように感じる。時間が飛んだように思う。感情が分からなくなる。現実が薄い膜を隔てた向こうにあるように見える。身体はそこにいるのに、自分がそこにいないような感覚になる。

こうした反応は、強いストレスや恐怖が高まったとき、心が圧倒されないために起きることがあります。解離は、耐えがたい状況から自分を切り離し、何とかその場をやり過ごすための防衛です。

ただ、この反応が日常的に続くと、自分の気持ちや身体感覚をつかみにくくなります。何が嫌なのか、何に傷ついたのか、なぜ疲れているのかが分からなくなり、気づいたときには限界を超えていることがあります。
→ 解離性障害の症状・チェックリスト:日常生活に現れるサイン

後退に見える時期にも、回復の動きがある

トラウマ回復は、昨日より今日、今日より明日と、少しずつ楽になるものではありません。

眠れるようになった後に悪夢が戻る。人に会えるようになった後で、急に一人になりたくなる。以前より自分の気持ちを言えるようになったからこそ、周囲との摩擦が増える。カウンセリングで安心した後に、強い疲労や不安が出ることもあります。

こうした波があると、自分は何も変わっていないように思えます。しかし、以前なら苦しさに飲み込まれるだけだった人が、「今は刺激が多すぎた」「あの言葉で昔の感覚が戻った」「疲れているのに無理をしようとしている」と気づけるようになることがあります。

その気づきは小さく見えても、回復にとって大きな変化です。自分の内側で起きていることを言葉にできるようになると、苦しさに巻き込まれたままではなく、少し距離を取って自分を守る選択ができるようになります。

回復とは、揺れなくなることではありません。揺れたときに、自分が何に反応しているのかを知り、以前より少し早く戻れるようになることです。

身体が覚えている危険を、今の時間へ戻していく

トラウマの影響は、考え方だけに残るわけではありません。

人前で話すと喉が詰まる。少し責められると胸が苦しくなる。誰かが怒っている気配だけで肩が固まる。眠っているのに疲れが取れない。危険がないと分かっていても、身体が先に逃げようとする。

身体は、過去の出来事そのものを文章のように記録しているわけではありません。けれども、特定の声、視線、場所、匂い、距離感、沈黙に触れたとき、「あのときと似ている」と反応することがあります。

その反応を無理に消そうとすると、かえって身体は強く防衛します。必要なのは、「そんな反応をするな」と命じることではなく、今この瞬間に安全なものを少しずつ増やしていくことです。

足裏を床につける。背中を椅子に預ける。部屋の中で安心できる色や光を探す。温かい飲み物を持つ。外の景色を見る。信頼できる人と短い会話をする。こうした小さな感覚を通して、身体は今の環境を学び直していきます。

回復は、自分を責めない練習から始まる

トラウマを抱えてきた人は、苦しくなると自分を責めやすくなります。

「もっと強ければよかった」
「自分が悪いから嫌われた」
「こんなことで傷つく自分がおかしい」
「いつまで過去のことを引きずるのか」

ただ、自分を責める癖にも理由があります。

子どもにとって、親や養育者は簡単に離れられない存在です。傷つけられたとき、「親が間違っている」と考えるより、「自分が悪い」と考えた方が、関係を失わずに済む場合があります。自分が頑張れば何とかなる。自分が我慢すれば大丈夫だと信じることで、その場を生き延びてきた人もいます。

だからこそ、自己否定は単なる悪い考え方ではありません。自分を守るために長く使われてきた方法です。

回復では、いきなり自分を好きになる必要はありません。まずは、自分を責めているときに「この責め方にも、昔の自分を守る理由があったのかもしれない」と見つめ直すことが大切です。

トラウマからの回復は、過去をなかったことにする作業ではありません。過去の中で一人きりで耐えてきた自分を、今の自分が少しずつ見つけ直し、これからの人生で守り直していく過程です。

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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