解離性障害とは、自分が自分であるという感覚が失われている状態を指します。この状態にある人は、まるで空想の繭の中に自分自身を包み込んで、外界の生々しい刺激から自分の身を守るような感覚を持ちます。しかし、頭と体と心がつながらない状態であるため、現実感がなく、ふわふわとした感覚があります。また、ある時期の記憶が全く思い出せないことがあったり、いつの間にか自分の知らない場所にいたり、もう一人の自分が話したり行動したりすることを眺めることがあったりなど、生活の様々な面で支障をきたしている状態です。
かつてヒステリーと呼ばれていた解離性障害は、古代ギリシャ語で「子宮」という意味を持つ言葉に由来します。当時、女性特有の疾患と誤解され、原因は子宮にあると信じられていました。解離性障害の人は、無意識のうちに外の世界に危険を感じ、複雑な情報処理を頭の中で行っています。脅威に直面すると、交感神経と背側迷走神経が活性化し、体が凍りつき、足元が不安定になり、自分が自分でいられなくなります。重度の解離性障害になると、生きていくことが怖くなり、不安に圧し潰されながら、慢性的なトラウマ状態に陥ります。彼らは、凍りつきや死んだふりの状態で生活しており、現実世界と異なる世界を行き来して、なんとか乗り切ろうとしています。酷い環境に居る場合、虚脱状態になり、強制収容所に囚われた人々の状態を描いたヴィクトール・フランクルの「夜と霧」に登場する人々のような状態になってしまうかもしれません。
解離性障害の特徴-21項目
解離性障害の人には、発達障害の傾向を持っている人もいますが、どこかで恐ろしい外傷体験に曝されて、体が固まって身動きが取れなくなってしまい、その後も同様の反応をしてしまうため、慢性的な外傷を受けることがあります。彼らの多くは、幼少期や児童期の頃から強い精神的ストレスを受けてきた経験があります。彼らは、潜在的な脅威に備えた生き方をしており、内臓や筋肉は危機や崩壊への不安が強く、脳に危険信号が送られ、頭の中で過剰な情報処理を行い、ネガティブな情報を選択しがちで、思考に支配されます。そのため、体は凍りついて感覚が麻痺し、今を感じられなくなることがあります。
病的な解離性障害は、過去に繰り返し脅かされたことで、身体の感覚を麻痺させ、感情を抑え、表に出ないように心を守るために発生します。そのため、解離性障害の人は、過去の出来事を知識として覚えていても、体感として記憶することができません。常に環境の変化に敏感に反応し、緊張状態にあり、凍りついたり、死んだふりをしたり、虚脱に陥ったりする防衛パターンを繰り返します。疲労やストレスが高まると、感覚が麻痺してぼんやりとした状態になり、集中力が低下し、ものすごい眠気に襲われるなど、自分を守るために何も感じられなくなります。脅威が去っても、体が凍りついたり、死んだふりをしたままの状態が続いたりすることがあり、楽しいや嬉しいなどの感情が理解できない、生きている実感が乏しいなどの症状が出ることがありますが、その背後には複雑な感情があることがあります。
トラウマの影響により、自律神経系の調整が上手く機能せず、周囲の状況に緊張し、交感神経が活性化しているときは、この世界に存在しており、刺激に圧倒されたり、感覚に溢れたりしています。一方、交感神経がシャットダウンすると、筋肉が極度に弛緩し、この世界から離れて、刺激が遮断されたり、感覚が鈍麻したりします。そして、意識がぼんやりとして夢と現実が曖昧になり、現実感が失われることがあります。
自己喪失感
自分の身体や感覚が自らのものとして認識できなくなる経験は、深刻な心の葛藤や乖離を引き起こします。まるで外部から自分を見ているかのように、その存在感が次第に希薄になっていくことで、心の中にある情熱や喜び、悲しみなどの感情も鈍ってきます。このような状態になると、自分の思考や感情、言葉すらも外部から与えられたもののように感じられ、それによって物事を客観的に判断する能力が失われてしまいます。
それが続くと、日常生活においても、自分の意志や考えに基づく行動を取ることが難しくなり、無意識に周囲の意見や流れに身を任せるようになります。この時、自分が行っている行動や経験が自分のものでないと感じることから、実際の出来事や経験が自らの心に刻まれることがなくなります。それはまるで、霧の中を歩んでいるかのように、前も後ろも見えず、何を基準に進めば良いのかが不明確となります。
最も深刻な段階では、日常の営みに対する興味や意欲が極端に低下し、生きる喜びや目的を見失ってしまいます。生きているという実感が薄れ、心の中には空虚感や孤独、虚しさが広がります。これは非常に辛い経験であり、その人の心の奥深くに存在する悩みや苦しみ、過去の経験に関連している可能性が高いです。
身体性の喪失
心と体の統合が失われると、まるで自分が外部の世界と接触していないかのように感じられることがあります。身体の感覚に触れようとしても、その温かさや冷たさ、硬さや柔らかさといった具体的な感触が感じられず、まるで自分が人形のように無感覚であるかのように感じられることがあります。足元が地面にしっかりと接しているはずなのに、その確かさが感じられず、まるで空中を漂っているような、不安定な感覚に襲われることがあります。これは、歩行時のバランスを取るのが難しく、一歩一歩が不確かで躊躇われることがあります。
このような感覚の麻痺は、身体の内部がまるで空洞のように感じられることから生じるものです。通常、私たちは皮膚の表面や筋肉の動き、内臓の動き、関節や腱の働きといった、身体の様々な部分からの感覚を受け取り、それに基づいて自分の存在を実感しています。しかし、これらの感覚が薄れると、身体が自分のものであるという実感が失われ、まるで別の存在であるかのように感じることがあります。この状態は、心身の分離や外的なストレス、過去のトラウマなどが原因となることが考えられ、適切なサポートやケアが必要となることがあります。
気配過敏
解離性障害の人々は、外部環境や自分の内部感覚との関係が独特なものとなることがあります。特に、誰もいない静寂の場所でも、他者の存在を示すような微かな気配や、通常目に見えない何かの気配を感じることがある。これは、過去のトラウマや厳しい環境に晒された結果、警戒心が常に高まっていることに起因すると考えられます。
後ろに確かに誰かが立っているかのような感覚や、不意に見える黒っぽい影は、心を不安定にさせる要因となることが多い。さらには、聴覚の過敏さにより、普段聞き流してしまうような微細な音が、驚くほど大きく響き渡ることがある。この敏感さは、光や匂いにも及ぶことがあり、日常の光が眩しく感じられたり、特定の香りに過敏に反応することも。
特に夕方から夜にかけての時間帯は、日常の雰囲気が少しずつ変わる中で、それに伴う不安や恐怖を強く感じることがある。この時間帯は一日の中でも感情が揺れやすい時間で、特に解離性障害の人々にとっては、神秘的で不確かな存在を強く意識することがある。その原因として、彼らは、外部の現実と内面の現実の境界が曖昧になってしまっていることが多く、そのために上記のような独特の感覚や見方をすることがあるのです。
対人恐怖
解離性障害を抱える人々は、多くの場面で世界や他者を脅威として感じることがあります。彼らの感じる不安や恐怖は、一般的な不快感を超えて、深い層での経験や過去のトラウマから生じるものとなっています。特に、人が多く集まる場所や公共の交通機関は、彼らにとって大きなストレス源となります。電車内での密集した人々や、背後からの接近、そして他者の視線や声、感情に対して、彼らは過剰な警戒や恐怖を感じることがあります。
その原因は、過去のトラウマや悪い経験が、現在の日常生活に影を落としているからです。このような感じ方は、人との関わり合いで自分が攻撃される、あるいは何らかの形で傷つけられる可能性があるという強烈な恐怖に結びついています。このため、交感神経が過度に活性化し、彼らは常に「戦うか逃げるか」というサバイバルモードになってしまいます。これらの感情や反応は、彼らが他者との距離を置くことで、自分自身を保護しようとする自然な反応です。
離人感
ストレスの強い場面や過酷な状況下で、解離性障害を持つ人々は、特有の心理的なメカニズムを体験します。彼らは突如、自身が現実とは隔離されたような感覚に包まれることがあります。この感覚は、まるで自分の体が遠く離れた場所にあるか、あるいは自分が第三者の視点から自らを見ているかのような状態です。これは一種の自己防衛機制として、過去のトラウマや強いストレスから心を保護するための反応と考えられています。
この解離状態の中で、彼らは自分の行動や感情が、まるで機械的に、あるいは自動的に制御されているように感じることがあります。意識はあるものの、自分の意志で動いているとは思えない、という状態が生じます。このような状態は、外界とのつながりや自分自身の存在感が曖昧になり、まるで霧の中を歩いているかのように、現実世界が遠く感じられることがあります。これらの経験は、彼らにとっては非常に混乱するものであり、現実との接点を見失い、孤独や不安を増大させる要因となります
現実感喪失
強烈なストレスや突如として押し寄せる現実の刺激に直面すると、解離性障害の人は特異な心理的状態、すなわち変性意識状態に陥ることがあります。この状態では、彼らは現実の境界がぼやけ、外部の世界と自分自身との間に不可侵な壁が存在しているかのように感じます。時と場所に対する認識が鈍り、「今、ここ」という確かな存在感が失われ、まるで夢の中に取り残されたかのような錯覚を抱えることがあります。
このような状態の中で、夢と現実の境界が曖昧になり、何が真実で何が幻想かを判別するのが難しくなります。夢の中の出来事が現実として感じられ、逆に現実の出来事が遠く離れた夢のように映ることがあります。このような状況で現実感を失った時、彼らは自分が確かに存在していること、生きていることを確かめたいという強い欲求に駆られることがあります。この現実感の喪失という深刻な心理的苦痛から逃れるため、一部の人々は、自らの身体に傷をつけることで現実感を取り戻そうと試みることがあります。これは彼らの生存本能や現実とのつながりを確認するための行動であり、その背後には深い心の叫びや絶望が隠れているのです。
二重の自己
解離性障害を持つ人々は、多くの場合、その背景に過去の深刻なトラウマが隠れています。虐待、いじめ、性的暴力など、言葉では簡単に表現できないほどの痛みや恐怖を経験した結果、日常の生活や人間関係が圧倒的に辛くなります。これらの経験は心に深い傷を残し、それを乗り越え、また逃避するために、心は特異なメカニズムを発動させることがあります。
彼らは、過去の痛みやトラウマから逃れるため、あるいはそれと向き合わないように、自分自身を切り離すような感覚に陥ることがあります。この心の策略として、彼らはしばしばもう一人の「自分」という存在を作り出し、日常を通して自分自身を遠くから冷静に観察するようになります。この時、彼らは自分がまるで別の人物であるかのように感じることが多く、これは彼らの心が保護メカニズムとして働いている現れです。このメカニズムにより、彼らは自分の存在を2つの視点、つまり存在としての「私」と、外部からの観察者としての「私」とに分けることができます。この2つの視点は相互に独立しており、彼らはその間を自由に行き来することができます。
体の明け渡し
解離症状は、その人が過去に体験したトラウマや過度なストレスから自己を守るための無意識の心の反応として発生することが多いです。この症状の中でも特に強い形態として、自分の意識や身体感覚が分離し、まるで「もう一人の自分」が存在するかのように感じる状態があります。
この「もう一人の自分」は、特定のトラウマティックな出来事や状況に対処するための戦略として生まれることが多く、その存在が持つ行動パターンや反応は、そのトラウマを乗り越えるためのものとして形成されます。このため、その「もう一人の自分」は、特定の状況や刺激に反応して、本来の自分とは異なる行動をとることがあります。
外部の人々から見れば、その「もう一人の自分」は本人そのものとして認識されてしまいます。しかし、本当の自分は、内部で深い苦しみや孤独感、自己喪失感と戦っています。外見上は普通に生活しているように見えても、その背後には複雑な感情や状態が隠されているのです。このような解離症状を持つ人々は、周囲の理解やサポートが非常に必要とされていますが、実際には彼らの内面の苦しみを完全に理解し、共感してくれる人は少ないというのが現状です。
解離性健忘
解離性障害は、多くの場合、過去のトラウマや精神的ストレスに起因して発症します。これらのトラウマは、特に幼少期に起きた経験であることが多く、その痛みや恐怖から自己を守るために、心が自動的に記憶や感情を遮断してしまう現象です。この結果として、日常生活の中でも解離性健忘という症状が発生することがあります。
解離性健忘は、時として非常に微細な瞬間から長時間にわたる記憶の喪失まで多岐にわたります。例えば、自分が食事をしたことや、先ほど行った場所、または昨日の夜の出来事など、日常の中での短期間の出来事を忘れてしまうことがよくあります。
この記憶の断片化により、突如として周囲の状況が変わったように感じたり、時間の流れが異常に感じられることがあります。一瞬のうちに数時間が経過していたり、自分が知らない場所にいることに気付くことも少なくありません。このような状態の中で、具体的な出来事を思い出せなくても、その間に体験した感情や疲労感は残っており、不安や緊張、恐怖といった感情が心の中に溜まっていくことが多いのです。
この解離症状は、人によっては一時的なものであることもあれば、継続的に繰り返されることもあります。そのため、解離性障害を持つ人は、常にこのような予測不可能な記憶の断片化による不安や混乱と戦っていることとなります。
時間感覚の障害
トラウマは、深く心に刻まれた傷跡のようなもので、時として突然、何らかのトリガーによって、その記憶や感情が鮮明に蘇ってきます。これをフラッシュバックと呼び、過去の出来事が現在進行形のように再現されることがあります。この経験は非常に生々しく、当時の恐怖や痛み、悲しみなどの感情が再び浮かび上がります。
フラッシュバックに襲われると、現実と過去の出来事との境界が曖昧になり、時間感覚や場所の感覚が混乱します。このとき、現実に存在していることを忘れてしまい、過去の出来事が今、この瞬間に再び起きているかのように感じることがあります。これにより、日常生活における意識が途切れ、自己とのつながりが希薄になってしまいます。
この感覚的な混乱は、時間感覚を脆くさせ、当時の不快な感情や恐怖が再び心を支配するようになります。このため、現在の状況に対する適切な判断や対処が難しくなることもあります。また、自己意識の喪失や現実感の薄れは、時間の流れを捉えることが困難になり、まるで自分が時空の間に取り残されてしまったかのような感覚に陥ることもあるのです。
現実から切り離されたようなこの状態になると、外の世界が遠く、抽象的に感じられます。まるで、厚いガラスの壁を通して、ぼんやりとした世界を眺めているような印象になることがあります。このように現実感が薄れてしまうと、日常の生活や周囲の人々とのコミュニケーションが困難となり、自分自身を孤立させてしまうことが考えられます。その結果、さらなる苦痛や孤独感を経験することとなるのです。
思考の混乱や幻聴
人間の心と脳は、生き抜くためのさまざまなメカニズムを持っています。とりわけ、解離性障害の人は、外部の脅威やストレスに対応するときに、情報処理機能が高まることがあります。しかし、この反応が持続的に過剰となると、内部の思考プロセスにも異常が現れることが考えられます。
思考が連続的にグルグルと回る状態とは、過去の出来事や未来の心配事に対する反復的な考えが止められなくなる現象です。この状態が継続すると、心の中での混乱が増大し、自己同一性や現実感が乱れることがあります。
更に、一部の人々では、自分の声や言葉が外部からのものであるかのように感じることがあります。これは、思考や意識の断片化と関連しており、極端な場合には、頭の中に別の声が響くという体験をすることも。このような状態は、自分の心や体をコントロールできないという強い不安や恐怖を伴うことが多いです。
体感異常・幻覚症
人の心は、過去の痛みやトラウマを内包することがあり、その痛みは時として心の奥深くに封印されることがあります。しかし、これらのトラウマは、長年にわたり無視されたり放置されたりすると、心の内部に疼痛として存在し続けることが考えられます。心の奥で凍りついたこの痛みは、日常生活の中でのささいな刺激やストレスによって触発されることがあり、一見関連のない状況で突如として表面化することも。
特に、このようなトラウマが引き起こす体感異常は非常に特異的であり、内臓や頭部に異物感を覚えたり、まるで虫が手足を這っているかのような感覚が走ったりすることがあるのです。これは、心が体に直接的に影響を与えている現れとも言えるでしょう。
これらの症状によって、日常生活が困難になることも。イライラや不安感が高まることで、人々は自分の感情や反応をコントロールできなくなることがあります。そして、このような状態は、日常の生活の質を低下させるだけでなく、対人関係や仕事、学業などの様々な場面での挑戦ともなるのです。
原因不明の身体症状
嫌な出来事や強いストレスに直面すると、人の心身は非常に敏感に反応します。特に、強いストレスを感じると、心拍数の増加や呼吸の苦しさを伴い、一時的に思考のクリアさや判断力が低下することがあります。さらに、極度のストレス下では発作的な反応が生じることも。これは、脳と身体が非常に高いアラート状態になることに起因します。
しかしその後、身体は自らを守るためにエネルギーの消耗を避けるモードに移行します。この際、神経の緊張が緩和される一方で、筋肉が急激にリラックスし、全身の血液の循環が不均衡となることが起こりえます。その結果、まるで時間が止まったかのような、茫然自失の状態になり、身体の基本的な動きすら困難になることがあるのです。
長期間、このような状態が続くと、心身のバランスが乱れてしまいます。特に自律神経や免疫系はデリケートな部分であり、その調整機能が乱れると、喘息や頭痛、腹痛、生理痛といった具体的な体調不良が表れることも。更には、めまいや吐き気、疼痛、発熱などの症状が伴ったり、過呼吸やパニック発作が発生することも考えられます。
心身機能の制限
過度のストレスや深い精神的な圧迫を経験すると、私たちの身体はその影響を直接に受けることがあります。この極度のプレッシャーは、身体の一部や全体が一時的に機能を停止させることで自らを守ろうとします。例えば、突如として声が枯れてしまったり、歩くことが困難になったり、一時的な聴覚や視覚の障害を経験したりします。特に視界が霞んだり狭くなったり、周囲の状況を正確に認識できなくなったりすることも。最悪の場合、身体がその場に立ち尽くしてしまったり、意識が朦朧として倒れることも考えられます。
多くの場合、これらの症状は一時的なもので、十分な休息やリラックスした環境の中で、自然と身体のバランスが戻ることが期待されます。しかしながら、もしこのような症状が繰り返し現れるようであれば、それは身体からの深刻なサインかもしれません。
過剰な自己防衛
多くの人が人間関係の中で心の傷を持って生きていますが、特に深刻な傷を持つ人たちは、再び同じような痛みを感じることを強く恐れます。そのため、他者との関係においても、最小限のリスクを取りたくないという気持ちから、防衛意識が過剰に高まることがあります。その結果、日常生活の中でさえ、何気ない出来事や人々の言動を悲惨なシナリオとして解釈してしまう傾向が強くなります。
楽観的な態度や前向きな期待は、彼らにとって予期しない出来事やストレス源になる可能性があると感じられ、神経が過度に刺激され、さらなる心のダメージを受けることを恐れます。このような恐れから、彼らはサバイバルモードに切り替わり、日常の中でも常に危険を察知し、最悪のシナリオを想定して行動するようになります。その心の状態は、予期したストレスへの対応策としての意味合いも持ちつつ、同時に心の安定を求める防衛機制でもあります。
死んだふりの中での生存戦略
人々は基本的に社会的な存在であり、多くの人が人々との関わりを通じて心の慰めや安堵を見つけます。しかしながら、過去の経験やトラウマ、悲しい出来事などで、他人との接触が脅威と感じられる場合があります。特に、過去に深い傷を受けたことがある人たちは、再びそのような痛みを味わうことを極端に恐れ、自らを守るための異なる手段をとることがあります。
このような人々は、目立たないように、あるいは他者からの視線や期待、判断から逃れるために、人里離れた場所や隠れ家のような場所に住みつくことがあります。人との関係性においては、彼らは一歩引いた位置をとり、常に警戒心を持ちつつ、周囲の環境や人々の動きを冷静に観察します。その目的は、予期せぬ危険から自分を守ること。そして、心の平安を保つために必要な距離感を確立することです。
このような生き方は、外部の世界との接触を最小限に抑えることで、自分の心の安全を確保する戦略と言えるでしょう。しかし、完全な孤立は、人間の精神にとっても負担となることがある。それにも関わらず、彼らはそのリスクを取ることで、過去の傷からくる痛みや脅威から自分を守ろうとするのです。
希死念慮(自殺念慮)
解離症状や離人症状、さらには死んだふりや虚脱の状態に長くとらわれると、その体験は日常の営みを遥かに超えた深刻な影響を及ぼします。これらの症状は、外界との接触を断ち切るかのように、人の心を包み込む厚い霧のように感じられます。この持続的な状態は、まるで暗闇の中に取り残されたような絶望感をもたらすことがあり、人生における希望や目的を見失いがちになります。
このような時期に、生きることの重さや痛みを感じると、時には死ぬことが解放や平穏をもたらす唯一の方法のように思えてしまうこともあります。これは、痛みや混乱からの逃避ではなく、現実からの一時的な解放を求める心の叫びとして理解されるべきです。
このような状態に陥ったとき、人は周りの支援や助けを受け入れることが困難になることが多いです。自分の中の暗闇や混乱を他者に理解してもらえるかの不安や、他者を心配させたくないという気持ちから、自らを孤立させてしまうこともあります。
過剰な同調性
解離性障害の人々は、繊細な心の中に、他者との関係を円滑に進めるための独特の能力を持っています。彼らは他人の期待やニーズを察知し、自分自身をその期待に合わせて変えることが得意です。これは、彼らが過去の経験から、周囲の人々との調和を保つことが、自らを守る最も効果的な方法であると学んできたためです。
しかし、この適応の過程で、彼らは時として自分の真の感情や意見を見失うことがあります。何が「本当の自分」なのかを識別するのが難しくなり、時にはその瞬間、その場面で求められる役割を演じることが自動的な反応となってしまいます。このような自分を「猫を被っている」と感じ、真実の自分を見失っていると感じることがしばしば。その結果、自己同一性の危機や、自分の行動や感情に対する違和感を経験することがあります。
この「他者の期待に応えるための自分の変容」は、一見すると単なる柔軟性や適応力の高さのように思えるかもしれません。しかし、それは深く痛みを伴う自己の喪失感や、自己価値の不確実性と結びついていることを理解することが重要です。
過集中と過活動
解離性障害を持つ人々は、日常の過度な刺激や外部からの圧力に対して特に敏感です。そのため、彼らは自らの心と体を保護する方法を独自に発見・習得してきました。彼らは、外部の情報や刺激を遮断することで、集中力を極限まで高める能力を持っています。この集中力は、彼らが体験する日常の混乱や不安からの一時的な逃避として、また、自分自身と向き合い、内面の平和を見つけるための手段として機能します。
彼らは、絵や音楽、詩の創作、読書、学問の研究、仕事の集中、自然観察、宇宙への関心、さらには空想や想像に深く浸ることで、外部の騒ぎや混乱から一歩引いて、気をリフレッシュし、エネルギーを取り戻します。これらの活動は彼らにとって、現実世界での安定や意義を感じるための救いとなります。ただし、時にはこれらの活動が過度になり、周囲の声が聞こえなくなる、約束を忘れる、疲労の極みに達するなどの問題を引き起こすこともあります。
しかし、このような没頭する活動や興味は、彼らの内面と向き合い、自己理解を深める重要な要素となっています。そして、自らの世界に熱中することで、彼らは自身の潜在的な才能を最大限に引き出し、発展させることができます。これを通じて、彼らは一時的に不安や恐怖から解放され、自分を表現する場所を見つけ、自分の真の価値や存在意義を再評価することができるのです。
イマジナリーフレンドと空想に耽る
解離傾向を持つ人々は、しばしば困難な現実からの逃避手段として空想に頼ることがあります。特に、彼らの幼少期には、この空想の中で生み出されたイマジナリーフレンドが心の安らぎをもたらし、孤独や痛みを軽減する助けとなることが多いです。このようなイマジナリーフレンドは、彼らにとって現実の世界で得られない愛情や理解を提供する存在となることがあります。
空想の中で過ごす時間が増えると、彼らの想像力は特別に豊かになります。このため、絵画、文章、音楽などの芸術分野で驚くべき才能を発揮することができる場合があります。彼らの作品には、深い感受性や独自の視点が詰まっており、他の人々が感じることのできない微細な感情や情景を鮮明に表現することができます。
しかしながら、解離の度合いが深まり、心の保護機制としての役割を果たしている空想が過度になると、現実との境界が曖昧になり、脳が過負荷となることもある。この状態になると、脳は一時的に「固まる」ような状態になり、新しい情報の処理や想像する能力が低下することが起こりえます。このような状況は、彼らの心が再び安定し、現実と向き合う準備ができたときに、徐々に改善されることが期待されます。
現実とその向こう側の世界
解離性障害を持つ人々は、時に精神的なトラウマや極端なストレスから逃れるために、現実から自己を切り離すことがあります。彼らの中で生まれる「別の世界」は、現実の厳しさや痛みを忘れさせる、安らぎの場所として存在します。この空間は、現実世界とは異なる次元にあり、日常の喧騒や痛みから遠く隔てられた場所として機能します。
この特別な場所では、彼らは真の自分、すなわち最も純粋で保護された自我として存在することができます。肉体や社会的な役割から一時的に解放されることで、個のアイデンティティや輪郭は消えてしまいます。この結果、自己と他者、または外部の世界との区別は曖昧になり、一つの全体として存在する感覚が生まれます。この原初的な空間は、極めて安全で包容的であり、その中では完全な安心感や陶酔を感じることができます。しかしながら、このような状態は一時的な逃避であり、長期的には現実との関わりや自己の再確立が必要となります。
解離性障害の治療
解離症状が深刻な人は、自分の体が自分のものでないように感じたり、周りの世界と切り離されたり、体の反応が鈍かったり、感覚が麻痺していることがあります。解離性障害の治療では、現実世界で安全感を育み、自分が自分でいられるようになるためのリハビリが必要です。この治療の目的は、この世界とのつながりを取り戻し、自分が安心できる場所を見つけることです。治療では、ソマティックエクスペリエンスなどの体にアプローチする方法が有効であり、自分の体に注意を向け、無意識の解離や離人の流れに気づいていきます。以前は無意識に解離していましたが、今度は意識的に自分の体を観察することで、症状を少しずつコントロールできるようになります。
解離症状に苦しんでいる人々は、これまで自分の体の感覚を無視してきました。しかし、現実に向き合い、自分の体の感覚に寄り添うことで、震えや揺れ、チクチク感などが生じ、気力を取り戻していきます。同時に、脅威となるものに立ち向かい、勝利を手にするイメージを繰り返すことで、心身を強化します。体の凍りつきが解けると、手足の感覚が回復し、自分自身をよく理解できるようになり、落ち着いて話すことができるようになります。自分の心が体の中に戻ってくると、全体が自己のものになっていきます。
解離性障害の治療を進めることで、頭と体が繋がり、主体性や自己感が復活し、解離や離人感が消えるようになります。これにより、感情や感覚が自然に動き、本来の自分に近づくことができます。また、目の前の見え方が明確になり、体の感覚が改善され、心身が安定して過ごせるようになります。警戒心が和らぎ、人と関わることが少しずつできるようになります。以前は人の顔色しか見ていなかったが、自分に注意を向けることができ、物事に対する動揺が減少し、思い悩むことが少なくなります。さらに、動きたくない、何もしたくないと思っても、気持ちをすぐに切り替えることができるようになり、食欲も戻ります。自分を肯定できるようになると、嫌なことを思い出しても気にならなくなります。
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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-05-10
論考 井上陽平