複雑性PTSDの人が生きる世界|平静な表情の裏で続く過覚醒と心身の消耗

正気と狂気 複雑性PTSD

複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)を抱えていても、外から見ると落ち着いて見えることがあります。

大きく取り乱すわけでもなく、きちんと受け答えをし、仕事や家事をこなし、周囲への気遣いもできる。職場では責任感が強く、相手の話を丁寧に聞き、求められた役割を果たしているため、「しっかりしている人」「思ったより元気そうな人」と受け取られることもあります。

けれど、その平静さの裏側では、心と身体が絶えず緊張している場合があります。

相手の表情が少し変わっただけで胸がざわつき、声が低くなると身体が固まる。突然の物音に心臓が跳ね上がり、誰かが近づく気配だけで呼吸が浅くなる。周囲には何も起きていないように見える場面でも、本人の内側では、危険を予測するための警戒が続いていることがあるのです。

特につらいのは、そうした反応が日常のあらゆる場面に入り込んでいることです。

人と話している間も、相手を怒らせないように言葉を選ぶ。仕事では失敗を避けるために何度も確認し、家に帰ってからも、その日に交わした会話を思い返す。誰にも責められていないのに、どこかで自分が間違っていたのではないかと気になってしまう。

こうした生活を長く続けていると、本人も自分がどれほど緊張しているのか分からなくなります。いつも身体に力が入っているため、それが普段の状態になり、疲労や不調が積み重なってからようやく限界に気づくことがあります。

複雑性PTSDの苦しさは、過去のトラウマを思い出す場面だけに現れるものではありません。危険が去った後も続く警戒、人との関係を維持するための過剰な努力、身体に現れる不調、自分を責める感覚などが重なり、日常生活そのものに大きな負荷がかかることがあります。

複雑性PTSDとは|心の傷が日常生活全体に影響する状態

複雑性PTSDは、強い恐怖や脅威を伴う体験の後に生じるPTSDの症状に加えて、感情の調整、自己認識、対人関係に持続的な困難が現れる状態です。

長期にわたる家庭内暴力、虐待、支配、性的被害など、逃れることが難しい状況で繰り返し傷ついた経験と関連することが多いとされています。ただし、特定の種類のトラウマを経験したことだけで診断が決まるわけではありません。

世界保健機関(WHO)の国際疾病分類ICD-11では、複雑性PTSDについて、PTSDの中核症状である再体験、回避、現在も脅威が続いているように感じる状態に加え、次の三つの領域で困難が生じることを重視しています。

  • 感情調整の困難: 不安や怒りが急激に強まる、落ち着くまでに時間がかかる、感情が麻痺する
  • 否定的な自己認識: 自分には価値がない、欠陥がある、何をしても駄目だと感じる
  • 対人関係の困難: 人を信頼することや、親密な関係を維持することが難しくなる

これらの症状は、それぞれ独立しているように見えて、日常生活の中では複雑に絡み合うことがあります。

例えば、職場で上司から注意されると、身体が強く緊張し、自分は駄目な人間だという感覚が湧き上がる。その後、相手と顔を合わせることが怖くなり、仕事に集中できなくなることがあります。

注意された出来事そのものに加えて、過去の恐怖、身体の警戒、自己否定、対人関係への不安が同時に動いている可能性があるのです。

こうした状態を理解するうえでは、現在の症状だけでなく、その人がどのような環境を生き延び、何に警戒し、どのように自分を守ってきたのかを見る必要があります。

危険が去っても、身体はまだ終わったと感じていない

長い間、怒鳴り声や暴力、支配的な態度にさらされてきた人は、危険を早く察知することによって自分を守ってきた場合があります。

親が帰宅する足音を聞き分ける。ドアの開け方で機嫌を判断する。食器を置く音が乱暴になると、家の中の空気が変わったことに気づく。相手の表情が険しくなれば、怒りが自分へ向かう前に、謝ったり、言われたことを済ませたりする。

そのような環境では、周囲の小さな変化を見逃さないことが、自分の安全に関わっていました。

大人になって危険な環境から離れても、似たような音や表情、声の調子に触れると、身体が以前のように反応することがあります。

上司が少し低い声で名前を呼んだだけで、胸が苦しくなる。廊下で急に足音が近づくと、背中がこわばる。誰かが黙り込むと、何か悪いことをしたのではないかと考え始める。

本人は、今の相手が過去に自分を傷つけた人とは違うと理解していることもあります。それでも、身体は先に警戒へ切り替わり、心拍や呼吸、筋肉の緊張などに変化が現れる場合があります。

こうした状態を理解するうえで重要なのが、**過覚醒(hyperarousal)**です。

過覚醒では、危険を見張るような状態が続き、些細な刺激に驚きやすくなったり、神経が高ぶって眠れなくなったりします。

ただし、複雑性PTSDの人が常に同じ程度の過覚醒を示すわけではありません。警戒が強くなる時期もあれば、疲労や感情の鈍さが前面に出る時期もあります。

過覚醒とは|PTSDで起きる「身体が先に緊張へ切り替わる」反応では、頭では安全だと理解していても身体の警戒が続く仕組みについて詳しく解説しています。

普通の一日を過ごすだけで、見えない労力を使っている

複雑性PTSDを抱える人の疲労は、仕事や家事の量だけでは説明しきれないことがあります。

朝起きた瞬間から、今日起こるかもしれない問題を考える。出勤前には忘れ物や予定を何度も確認し、電車の中では周囲の人の動きや視線が気になる。職場に着けば、誰がどのような機嫌なのか、今日は何を求められるのかを把握しようとする。

ほかの人にとっては何気ない場面でも、本人は多くの情報を確認し、危険を予測しながら行動していることがあります。

会議中も、話の内容を理解することに加えて、上司の表情や同僚の反応に注意を向ける。自分が発言するときには、間違ったことを言わないように言葉を慎重に選ぶ。少しでも相手の表情が変われば、何か不適切な発言をしたのではないかと気になる。

そのような状態では、周囲と同じ仕事をしていても、使っている心身のエネルギーが大きく異なる場合があります。

Stadtmannら(2018)は、複雑性PTSDと診断された成人17人へのインタビューを通して、日常生活の中で症状をどのように管理しているかを調べました。

参加者の中には、自分の症状を長い間、病気に関連する反応だと認識できず、性格の弱さや自分自身の問題だと考えていた人がいました。また、仕事や学業で高い能力を発揮しながら症状を補おうとし、長年にわたって高い活動水準を維持した末に、心身の限界を迎えた経験も報告されています。

この研究では、症状を抑えながら日常生活を維持する努力そのものが、非常に消耗するものであったことが示されています。

複雑性PTSDを抱える人が、周囲からは優秀で責任感の強い人に見えることがあります。しかし、その働きぶりを支えるために、休息や身体の感覚、自分の感情を後回しにしている場合もあるのです。

薄氷の上を歩くように、自分の平静を保っている

複雑性PTSDを抱えた生活は、薄氷の上を歩くような感覚に近いことがあります。

表面上は普通に仕事をし、人と会い、日常生活を送っていても、内側では少しの刺激で均衡が崩れそうな不安が続いている。

薄い氷の下には、整理しきれない感情や過去の恐怖、身体に残った緊張が広がっています。本人は、その境界を破らないように細心の注意を払いながら生活しているのです。

誰かの不機嫌を察知したら、話しかけるタイミングを変える。相手が怒りそうになったら、自分の意見を引っ込める。予定が急に変更されても困った顔を見せず、何とか対応しようとする。

こうした微調整は、本人にとって特別な行動というより、長年の生活の中で身についた習慣になっていることがあります。

それでも、予想していなかった出来事が重なると、均衡が急に崩れることがあります。

仕事でミスをした日に、家族から責められる。疲れて帰宅したところへ、急な予定変更を求められる。すでに余裕がない状態で、さらに誰かの機嫌を取らなければならなくなる。

一つひとつの出来事は、周囲から見れば大きな問題ではないかもしれません。しかし、その日の心身に残っている余力が少なければ、わずかな負担が加わっただけで、考えがまとまらなくなったり、涙が止まらなくなったりすることがあります。

平静に見えることと、心身に余裕があることは同じではありません。

複雑性PTSDの人が保っている静かさには、崩れないように自分を調整し続けてきた努力が含まれている場合があります。

人と関わるだけで疲れる|会話の裏で続く警戒と過剰適応

複雑性PTSDの人は、人との関わりの中で強い疲労を抱えることがあります。

それは、人と関わること自体が嫌いだからとは限りません。むしろ、人との関係を大切にしたい気持ちが強いほど、相手の感情や期待に注意を向けすぎてしまうことがあります。

相手が何を求めているのか。自分の発言で不快にさせていないか。会話の途中で沈黙が生まれたのは、何か失敗したからではないか。

そうしたことを考えながら会話を続けていると、楽しい時間であっても疲労が蓄積していきます。

特に、幼少期に親の機嫌を調整する役割を担ってきた人では、相手の感情を自分の責任として引き受けやすくなる場合があります。

親が怒っていれば謝り、悲しんでいれば慰め、不機嫌になれば理由を探す。そのようにして育ってきた人は、大人になってからも、相手が少し困っているだけで自分が何とかしなければならないと感じることがあります。

また、自分の希望を伝えることにも強い不安が生じる場合があります。

本当は帰りたいのに、相手が楽しそうにしていると帰ると言えない。頼まれた仕事を断りたいのに、失望されることが怖くて引き受けてしまう。嫌なことをされたときにも、その場の空気が悪くなるのを避けるため、笑ってやり過ごす。

そのような過剰適応が続くと、人と関わる時間が、自分の感情を抑える時間になっていきます。

機能不全家族で育った大人の特徴では、親の機嫌や家庭内の緊張へ適応してきた経験が、大人になってからの人間関係にどのような影響を残すのかを扱っています。

人と会った後に強い疲労が残る場合には、会話そのものの負担に加えて、その場でどれほど自分を抑え、相手に合わせていたのかを振り返ることが役立ちます。

平静を保つために働き続け、ある日突然動けなくなる

複雑性PTSDの人の中には、忙しくしている間は比較的調子を保てる人がいます。

仕事があると動ける。誰かから頼まれれば力が出る。締め切りが近づくと集中できる。周囲から期待されている間は、疲れていても何とか役割を果たそうとします。

しかし、仕事が終わり、誰からも求められない時間になると、急に力が抜けることがあります。

帰宅しても着替えられない。食事を作る気力が残っていない。ソファに座ったまま動けず、気づけば何時間も経っている。休日は眠って終わり、以前は好きだったことにも手が伸びなくなる。

Stadtmannらの質的研究でも、複雑性PTSDの参加者が仕事や学業へ過度に打ち込むことで、苦しい感情から注意をそらし、自分の社会的な価値を保とうとしていたことが報告されています。

ところが、そのような働き方を長く続けるうちに、ある時点で症状を抑えきれなくなり、仕事や生活を維持することが難しくなった人もいました。

忙しくしている間は、自分の内側にある苦しさを感じずに済む場合があります。仕事をしているときには、何をすればよいかが明確になり、役割を果たしている感覚を得られるからです。

しかし、その活動を維持するために心身の余力を使い続ければ、やがて疲労が蓄積します。

仕事ができていることを健康の証拠と考え、限界まで無理を重ねると、本人も周囲も不調の深刻さに気づきにくくなります。

また、静かな時間になるとかえって不安が強まる人もいます。何もしていない状態では、自分の感情や身体の緊張が意識されやすくなるためです。

何もしないと不安になる理由|機能不全家庭と慢性的過覚醒の心理構造では、休息そのものが不安を引き起こし、何かをしていなければ落ち着かない状態について詳しく解説しています。

心の緊張は身体にも現れる|痛み・胃腸症状・睡眠の問題

複雑性PTSDの影響は、感情や思考だけでなく、身体のさまざまな部分に現れることがあります。

肩や首の慢性的な緊張、顎の食いしばり、頭痛、動悸、胃腸の不調、手足の冷え、疲労感、睡眠障害などです。音や光に敏感になったり、人から触れられることに強い緊張を感じたりする場合もあります。

その中には、本人が長い間、当たり前だと思ってきた身体の状態もあります。

朝起きたときから肩が固まっている。人と話すと無意識に息を止めている。緊張する相手の前では胃が痛くなり、帰宅すると頭痛が強くなる。

こうした身体症状は、ストレス反応と関わっている場合がありますが、すべてが複雑性PTSDによって起きるわけではありません。身体疾患や睡眠の問題、服薬などの影響も考慮する必要があります。

Blackettら(2025)は、複雑性PTSDと慢性的な身体の不調を抱える12人へのインタビューを通して、心の症状と身体症状が生活の中でどのように関わっているかを調べました。

参加者の語りからは、痛みや疲労、睡眠障害、感情的な苦痛が互いに影響し、仕事や家庭生活、人との交流に支障をもたらしていることが明らかになりました。

また、症状を周囲に説明することへの恥ずかしさや、理解されない経験によって、支援を求めることが難しくなっていた人もいました。

この研究は慢性的な身体症状を併せ持つ人々を対象としたものであり、複雑性PTSDの人すべてに同じ身体症状が起こることを示すものではありません。それでも、心と身体の負担を切り離さずに考えることの重要性を示しています。

身体の不調が長く続くと、本人は自分の体調を管理するためにも多くの力を使うようになります。

今日はどの程度なら働けるか。人に会っても大丈夫か。体調が悪くなったときに休める場所はあるか。そうしたことを考えながら生活するため、身体症状そのものに加えて、予定を立てたり行動を選んだりする負担も大きくなります。

フラッシュバックは、過去の映像だけで起こるわけではない

複雑性PTSDでは、過去の出来事が、現在起きていることのような切迫感を伴って思い出されることがあります。

突然、過去の場面が浮かぶ。声や物音によって当時の恐怖がよみがえる。頭では今の出来事だと分かっていても、身体が強く緊張し、周囲の状況を落ち着いて捉えられなくなることがあります。

例えば、上司から注意されたとき、子どもの頃に親から怒鳴られた場面が鮮明によみがえり、身体が固まってしまう場合があります。

また、過去の場面が映像として浮かばなくても、特定の刺激によって、当時と似た恐怖や身体反応が強まることがあります。

誰かに背後から近づかれると、反射的に身体がこわばる。大きな音を聞くと心拍が急に上がる。自分の意見を否定されたとき、強い羞恥や無力感に襲われる。

こうした体験をすべてフラッシュバックと呼ぶわけではありませんが、トラウマに関連する手がかりによって、過去の反応が現在の生活の中で強く呼び起こされる場合があります。

そのため、本人は自分の反応の大きさに戸惑うことがあります。

今の相手はそこまで怖い人ではない。少し注意されただけなのに、なぜこれほど身体が震えるのか。自分でも説明できないまま、動揺したことを恥ずかしく感じる場合もあるでしょう。

フラッシュバックの対処法|PTSDの再体験から現在へ戻る手順では、過去の恐怖が現在に入り込んだように感じられるときに、心身の状態を確かめながら対処する方法を整理しています。

苦しさを隠すほど、周囲からは「大丈夫」に見えてしまう

複雑性PTSDの人が抱える大きな苦しさの一つに、自分の状態を周囲に理解してもらいにくいことがあります。

本人は、つらさを言葉にする前に、相手がどう受け取るかを考えてしまいます。

こんなことを話したら迷惑だろうか。大げさだと思われるのではないか。弱い人間だと見られたくない。過去のことを話しても信じてもらえないかもしれない。

そのようにして苦しさを隠し続けると、周囲からはますます落ち着いているように見えてしまいます。

実際には、仕事を続けるだけで精一杯なのに、周囲から新しい役割を任される。体調が悪くても普通に会話できるため、十分に余裕があると思われる。相談の場でも淡々と説明できるため、深刻な状態とは受け取られないことがあります。

WuとSalter(2025)は、複雑なトラウマを経験した女性19人へのインタビューを分析し、支援を求める場面で生じる恥の感情について調べました。

参加者の中には、過去の被害を話したときに疑われたり、自分の苦しさを十分に理解してもらえなかったりした経験を持つ人がいました。また、生活を維持できているように見えることで、必要な支援の対象にならなかった人もいました。

この研究からは、トラウマによる恥の感情だけでなく、支援を求めたときの扱われ方が、さらに孤立や自己否定を強める場合があることが分かります。

本人が落ち着いて話せることと、苦しさが軽いことは別です。

長い間、感情を隠し、相手の期待に応えることで生きてきた人ほど、強い苦しさの中でも平静に振る舞うことがあります。

必要な支援を考えるときには、その場での表情や受け答えだけでなく、仕事が終わった後の状態、睡眠や食事、身体症状、日常生活にどの程度の負担がかかっているのかを丁寧に確認することが重要になります。

複雑性PTSDの人が安心できる関係には、どのような特徴があるのか

複雑性PTSDを抱える人にとって、対人関係は強い緊張を伴う一方で、安心を取り戻すための重要な場にもなります。

特に、幼少期から親の機嫌や暴力に脅かされてきた人にとって、相手の反応が予測できることや、自分の意思を尊重してもらえることは大切です。

突然大声を出されない。予定の変更を事前に知らせてもらえる。答えを急かされない。断ったときに不機嫌にならない。自分の考えを伝えても、人格を否定されない。

そうした経験を重ねることで、人との関係にある危険を常に予測し続ける必要が少しずつ減っていく場合があります。

また、複雑性PTSDの人は、親しい関係を望みながらも、相手との距離が近づくほど警戒が強くなることがあります。

誰かに甘えたいと思っていても、自分の弱さを知られたら嫌われるのではないかと感じる。相手が優しくしてくれても、いつか態度が変わるのではないかと不安になる。親密さの中で安心することが、かえって難しくなる場合もあるのです。

そのため、支援する側には、本人が安心できる距離や関わり方を一緒に探していく姿勢が求められます。

相手が話したくないことを無理に聞き出さず、本人の意思を確認しながら関わること。急に距離を縮めたり、回復を急かしたりせず、その人が落ち着いて過ごせる関係を維持することが大切です。

複雑性PTSDの人への接し方|過覚醒・トリガーを悪化させない対応の基本では、家族や恋人、周囲の人がどのような点に配慮すると、安心できる関係につながりやすいのかを解説しています。

回復では、緊張に気づき、自分の意思を取り戻していく

複雑性PTSDからの回復では、これまでのように無理をして動ける自分へ戻ることだけを目標にすると、同じ消耗を繰り返してしまう場合があります。

長い間、危険を予測し、他人の期待へ応えることで生きてきた人は、自分の疲労や感情を後回しにすることが習慣になっています。

そのため、まず必要になるのは、自分がどのような場面で緊張し、何によって疲れているのかを知ることです。

人と話した後に肩が固まっていないか。頼まれごとを引き受けたとき、身体が重くなっていないか。誰かの機嫌が悪いとき、自分の責任だと感じていないか。

そうした小さな変化に気づくことで、これまで無意識に続けてきた適応を少しずつ見直せるようになります。

身体の緊張を早い段階で確かめる

疲れ切ってから休むのではなく、疲労が大きくなる前に気づけることが重要です。

長く緊張してきた人は、自分が疲れているのか、怒っているのか、不安なのかを区別しにくい場合があります。

そのため、最初から感情を正確に理解しようとするより、肩に力が入っている、呼吸が浅くなっている、胃が重い、身体を休ませたいといった変化に注意を向けることが役立ちます。

身体へ意識を向けることで不安が強くなる人は、無理に身体の内側へ集中する必要はありません。目を開けたまま周囲の景色を確かめるなど、安心しやすい方法を選ぶことが大切です。

自分の意思で選ぶ経験を増やす

複雑性PTSDの人の中には、他人の期待に応えることを優先し、自分が何を望んでいるのか分からなくなっている人もいます。

頼まれれば断れず、嫌なことがあっても我慢する。自分がどうしたいかより、相手がどう思うかを考えてしまう。

そのような場合には、日常の小さな選択から自分の意思を使う経験を増やしていくことが役立ちます。

すぐに返事をせず、少し考える時間を持つ。疲れている日は予定を一つ減らす。自分の希望と相手の希望が違っていても、落ち着いて伝えてみる。

そうした経験によって、自分の感情や意思を持っていても、人との関係を維持できる感覚が育まれていく場合があります。

必要に応じて専門的な治療を受ける

複雑性PTSDでは、トラウマに焦点を当てた心理療法など、症状や生活状況に応じた専門的な治療が用いられます。

解離や強い感情調整の困難、対人関係の不安がある場合には、現在の生活の安全や本人の負担に配慮しながら治療を進めることが重要です。

また、過去の出来事を理解することだけでなく、現在の人間関係や仕事、身体の不調、日常生活の維持についても、必要な支援を考えていきます。

複雑性PTSDの回復は、症状がすべて消えることだけで測れるものではありません。

以前より早く疲労に気づけるようになる。相手の不機嫌を自分の責任として抱え込むことが減る。苦しいときに助けを求められるようになる。安心できる人との関係を少しずつ維持できるようになる。

そうした生活の中の変化も、回復を考えるうえで大切なものです。

おわりに|平静に見える人の内側で、続いていること

複雑性PTSDを抱える人は、外から見れば普通に生活しているように見えることがあります。

仕事をこなし、家事をして、人と会話し、周囲への気遣いもできる。大きく取り乱すことが少なければ、本人がどれほど苦しんでいるのか、周囲には伝わりにくいかもしれません。

しかし、その日常を維持するために、本人は多くの力を使っている場合があります。

相手の声の調子や表情の変化に警戒し、失敗しないように自分を監視し、苦しい感情を抑えながら人と関わる。身体には緊張が残り、休んでいても完全には落ち着けない。周囲からは何も起きていないように見える時間にも、内側ではさまざまな反応が続いていることがあるのです。

そうした生活が長くなると、自分にとっての普通が、どれほど負担の大きいものだったのか分からなくなることがあります。

周囲から頼りにされ、仕事ができることによって、さらに無理を重ねてしまう場合もあります。苦しいと伝えられないまま限界を迎え、突然動けなくなってから、初めて自分の状態に気づくこともあるでしょう。

だからこそ、複雑性PTSDの人を理解するには、外から見える落ち着きや能力だけで判断せず、その人が日々どのような緊張を抱え、何によって消耗しているのかを知る必要があります。

そして本人にとっても、これまでの生き方を振り返り、自分がどれほど周囲へ注意を向け、どれほど自分の感情を抑えてきたのかを理解することが大切です。

長い間、危険に備えることで生き延びてきた人が、急に警戒を解くことは難しいかもしれません。それでも、安心できる環境や関係の中で、自分の身体が緩む時間を知り、無理を重ねる前に休み、自分の意思で選べることを増やしていくことはできます。

平静に見える人の内側では、周囲が想像する以上の緊張や努力が続いていることがあります。

その苦しさが理解され、自分を守るために続けてきた緊張を少しずつ緩められるようになることが、複雑性PTSDからの回復を支える大切な土台になります。


参考文献

  1. World Health Organization. (2024). Clinical descriptions and diagnostic requirements for ICD-11 mental, behavioural and neurodevelopmental disorders. World Health Organization.
    https://www.who.int/publications/i/item/9789240077263
  2. Stadtmann, M. P., Maercker, A., Binder, J., & Schnepp, W. (2018). Why do I have to suffer? Symptom management, views and experiences of persons with a CPTSD: A grounded theory approach. BMC Psychiatry, 18, 392.
    https://doi.org/10.1186/s12888-018-1971-9
  3. Blackett, L., Radcliffe, P., Rexhepi-Johansson, T., & Reynolds, N. (2025). “When my mind hurts, my body hurts”: Complex PTSD and chronic physical health conditions—A qualitative study exploring the factors contributing to their relationship. British Journal of Clinical Psychology, 64(4), 1020–1042.
    https://doi.org/10.1111/bjc.12551
  4. Wu, Q., & Salter, M. (2025). Women’s experiences of shame while seeking care for complex trauma: Towards shame-sensitive practice. The British Journal of Social Work.
    https://doi.org/10.1093/bjsw/bcaf101
  5. Stubley, J., Chipp, B., & Buszewicz, M. (2025). Diagnosis and management of complex post-traumatic stress disorder (C-PTSD). BMJ, 388, e079458.
    https://doi.org/10.1136/bmj-2024-079458

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井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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