風景は、
私の意思とは無関係にやってくる。
拒む間もなく、
それは私を包み込み、
気づけば私は、
すでにその世界の内側にいる。
「おかしくなってしまうかもしれない」
という恐怖は、
ときどき息が止まるほどの強さで襲ってくる。
だが同時に、
予期していなかったはずの風景が、
生きもののような熱を帯びて迫ってくる。
それは私を、
つい先ほどまで「現実」と呼んでいた世界から
静かに切り離していく。
私は分かる。
――もう、戻っていないのだと。
そして恐ろしいことに、
こちらの世界のほうが、
本当の世界に感じられてしまう。
「現実検討の崩壊」という誤解
風景が勝手にやってきて、
私をその中へ連れ去ろうとする――
この体験は、臨床ではしばしば
「現実検討の崩壊」「精神病的体験」と誤解される。
だが、多くの理論は逆のことを語っている。
ここで起きているのは、
現実が壊れたのではない。
現実の定義そのものが切り替わったのである。
解離はなぜ「引きずり込まれる」感覚として体験されるのか
解離体験の特徴は、
「自分で移動している感じがしない」ことにある。
気づいたら、もうこちらにいる。
拒否や選択の余地はない。
意識が追いつく前に、
世界の側が先に切り替わっている。
この〈引きずり込まれる〉感覚は、
意思の弱さでも、現実検討の失敗でもない。
トラウマ理論の視点では、
それは自律神経と心的構造が同時に作動した結果である。
耐えがたい刺激が一定の閾値を超えたとき、
心は「考える」「判断する」という段階を経由せず、
即座に安全側の知覚モードへ移行する。
このとき起きているのは、
「逃げるか/留まるか」という葛藤ではない。
葛藤が成立する以前に、
世界の感じ方そのものが切り替わっている。
だから本人には、
「連れ去られた」「吸い込まれた」
という感覚として体験される。
解離とは、
自我が世界を選ぶ行為ではない。
生存を優先する神経系によって、世界の側が先に動く現象なのだ。
〈あちら側〉が「本当の世界」に感じられてしまう理由
解離状態で多くの人が当惑するのは、
「あちら側のほうが現実に感じられる」
という感覚の逆転である。
外の世界は遠く、薄く、手応えがない。
音や温度が弱まり、
自分がそこにいる実感が乏しくなる。
一方で、内側に立ち上がる世界は、
温度があり、質感があり、
妙に生々しく感じられる。
だがこれは、
精神病的な混乱ではない。
トラウマ理論では、
この現象は知覚の優先順位の反転として理解される。
外界が危険・侵入的・制御不能だった経験がある場合、
神経系は「外」を安全な参照点として使えなくなる。
その結果、
より安定して保持できる
内的知覚のほうが主現実として前景化する。
つまり、
- 外の世界が薄れるのではなく
- 内側の世界が強まるのでもなく
安全性に基づいて、現実の焦点が移動しているだけである。
〈あちら側〉が本当の世界に感じられるのは、
狂気の兆候ではない。
それは、
かつて生き延びるために選ばれた
現実の感じ方が再起動している状態なのである。
解離とは「壊れ」ではなく〈移動〉である
トラウマ理論の視点では、
この体験は「現実喪失」や「精神機能の破綻」とは理解されない。
起きているのは、
耐えがたい現実からの離脱であり、
より正確には、
**心と身体が生き延びるために選び取った〈移動〉**である。
重要なのは、
この移動が意識的な判断ではないという点だ。
「もう無理だ」「逃げよう」と考えた結果ではない。
考える余地が残されていない段階で、
神経系と心的構造が同時に作動し、
保持可能な場所へと切り替えが起きている。
そのため本人の感覚としては、
「動いた」という実感がない。
ただ、
気づいたときには、もう別の場所にいる。
この特徴こそが、
解離が「壊れ」と誤解されやすい理由でもある。
外から見ると、
・反応が鈍い
・現実感が乏しい
・表情や声のトーンが変わる
ために、
「心が止まっている」「機能していない」ように見える。
しかし実際には逆で、
心は最も負荷の少ない形で、機能し続けている。
解離は停止ではない。
過剰な刺激から距離を取るための再配置である。
身体が先に移動を決めている
この〈移動〉は、
心理だけで起きているわけではない。
実際には、
・筋緊張の変化
・呼吸の浅さ
・視野や聴覚の変化
・身体感覚の遠のき
といった身体レベルの反応が先行して起きる。
身体が先に
「ここは危険だ」と判断し、
心はその判断に後からついていく。
そのため、
「理由は分からないが、現実が遠のいた」
「説明できないまま、別の世界にいる」
という体験になる。
この点で解離は、
意志や性格の問題ではなく、
身体を含めた防衛反応である。
身体に残る緊張や解離の仕組みについては、
以下で詳しく扱っている。
→ トラウマが身体に残る仕組み
https://trauma-free.com/trauma-back-tension/
〈移行空間〉としての別世界
**ドナルド・ウィニコット**は、人が耐えがたい状況に置かれたとき、
「内的世界」と「外的現実」のあいだに
**移行空間(potential space)**が生まれると述べた。
それは空想でも妄想でもない。
現実が一時的に保留される空間である。
「今いる世界のほうが本当だ」と感じるとき、
外的現実が危険すぎて保持できず、
心が生き延びられる現実を選び直している状態に近い。
これは逸脱ではない。
現実再構成という適応である。
思考不能点としての白い風景
**ウィルフレッド・ビオンは、
処理不能な体験に直面したとき、
人は「名づけられない恐怖(nameless dread)」**に覆われると述べた。
白く塗り固まる風景。
空間とも呼べない場所。
飲み込まれる感覚。
ここでは言葉も理屈も役に立たない。
だから心は、
意味以前の世界へと退く。
この「白」は虚無ではない。
思考がまだ届いていない、
生の手触りそのものである。
世界が壊れる体験
**ロバート・ストロロウ**は、
トラウマを「出来事」ではなく、
世界が世界でなくなる体験として捉えた。
・時間が止まる
・現実が遠くなる
・自分がどこにいるか分からない
これは主観の破綻ではない。
間主観的世界の喪失である。
「現実とつながっていない」という感覚は、
あなたが壊れたからではなく、
世界との結び目が断たれた記憶が再起動しているにすぎない。
精神の非常事態モード
**R・D・ラング**や
**ロバート・ラングス**が示したように、
極限状況では「普通の現実」では生きられなくなる。
そのとき精神は、
非常用の世界観を起動する。
論理的ではない。
共有もされない。
だが、その人にとっては
唯一、整合性が保たれる世界である。
冥界下降という普遍パターン
多くの神話で、主人公は突然、
現実世界から切り離される。
冥界、地下、森、水の底。
それは罰ではない。
魂の再編成のための隔離である。
**ピンコラ・エステス**が描く〈野生の女〉は、
社会的世界から離れた場所で
感覚と本能を取り戻す。
カヴァラー=アドラーが示すように、
そこは再び戻るための準備領域でもある。
内的世界が主現実になるとき
ロナルド・フェアバーンは、
外的世界が耐えがたいとき、
人は内的対象の世界を現実として生きると述べた。
**マイケル・アイゲン**は、
これを「精神が限界で編み出した
ぎりぎりの生存構造」と呼んだ。
あなたが今いる世界は幻想ではない。
かつて生き延びるために成立していた世界が、
再び開いただけだ。
〈あちら側〉は魂を守るために現れる
ドナルド・カルシェッドは、
重度のトラウマ体験、とくに幼少期の関係性外傷を受けた人の内側に、
魂を守るために立ち上がる
自己防衛的なファンタジー構造
が形成されると述べた。
ここで重要なのは、
それが妄想や現実逃避ではないという点である。
カルシェッドの理論では、
この〈あちら側〉の世界は、
- これ以上、人格が壊れないため
- 生の核心が汚染されないため
- 絶望や侵入から魂を隔離するため
に生まれる。
つまりそれは、
破壊ではなく、防衛としての世界である。
この世界を否定しないという選択
重要なのは、
この世界を壊すことではない。
力づくで引き戻すことでもない。
必要なのは、
- なぜこの世界が必要だったのか
- どんな現実から、ここへ退いたのか
- この世界が担ってきた役割は何か
それを、安全な関係の中で言葉にしていくことである。
解離や「感じない」反応の全体像については、以下も参照されたい。
→ 感じないことで生き延びる反応
https://trauma-free.com/know-myself/
こちら側とあちら側のあいだに、
橋がかかるとき――
人は「戻る」のではなく、
行き来できるようになる。
橋は、消すためではない。
生き続けるために必要な構造なのだ。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造