暴力を受けて育った大人の特徴|親からの暴力と怒鳴り声が残す心の傷

暴力を受けて育った大人 性暴力・虐待

親からの暴力や怒鳴り声、理不尽な扱いの中で育った人は、大人になってからも、その影響を抱えながら生きることがあります。

子どもの頃に暮らしていた家を離れ、親と顔を合わせる機会も減り、自分の生活を築いている。それでも、職場で誰かの声が少し強くなっただけで身体が硬直し、胸の奥に冷たいものが広がることがあります。

相手に怒鳴る意図がなくても、「また責められる」「今度は何をされるのだろう」と瞬時に身構えてしまう。恋人や配偶者が不機嫌そうにしていると、何か悪いことをしたのではないかと考え、相手の機嫌が直るまで落ち着かなくなることもあります。

過去の出来事は終わっていても、当時の恐怖から形づくられた反応は、現在の人間関係や生活の中に残る場合があります。

「世界は突然危険な場所に変わる」「自分はいつでも責められる」「気を抜いていると傷つけられる」。

こうした感覚が、物事を判断する際の前提になってしまうのです。

暴力のある家庭で育った子どもは、親の機嫌や物音に注意を払い、自分が何をすれば怒られずに済むのかを考え続けます。反論することが危険なら黙り、泣くことが許されないなら感情を抑え、親の怒りが収まるまで、自分の存在を小さくしようとします。

そのような生き方は、当時の危険に対応するために身についたものかもしれません。しかし、大人になってからも同じように振る舞い続けると、人間関係で自分の意思を伝えられず、いつも相手を優先し、心身が限界になるまで我慢してしまうことがあります。

親から受けた暴力の影響を理解するうえで重要なのは、何をされたのかという出来事だけでなく、その経験によって、他者との関係や自分自身について、どのような感覚を身につけてきたのかという問題です。

親からの暴力や怒鳴り声は、なぜ大人になっても怖いのか

暴力が起こる家庭では、子どもにとって親の機嫌が生活の安全を左右します。

親が帰宅する時間になると、自然に身体が緊張する。玄関のドアが閉まる音や廊下を歩く足音に耳を澄ませ、その日の機嫌を予測しようとする。食器の置き方が荒い、ため息が増えた、返事が短くなったといった小さな変化が、これから起こる危険を知らせる合図になることがあります。

特に、親の怒り方に一貫性がない場合、子どもは何をすれば安全なのかを判断できなくなります。

昨日は許されたことが今日は叱られる理由になり、何もしていなくても親の不機嫌をぶつけられる。どれほど注意していても突然怒鳴られたり、殴られたりする環境では、子どもは常に次の危険を予測しなければなりません。

このような経験が繰り返されると、声の大きさや表情、物音といった刺激が恐怖と結びつき、成長してからも似た状況で強い身体反応が生じる場合があります。

職場で上司が少し強い声を出しただけで心臓が跳ね上がる。誰かが机の上に物を強く置くと、無意識に肩をすくめる。人の足音が近づくと、今までしていたことを急にやめてしまう。

頭では現在の状況を理解していても、身体の緊張がなかなか収まらないことがあります。

その背景には、過去の危険と似た刺激に対して、恐怖や警戒の反応が再び生じるという学習の働きが関係している可能性があります。

ただし、音に敏感であることや、大きな声が苦手であることだけで、過去の虐待やPTSDを判断することはできません。生まれ持った感受性や現在の疲労、身体的な状態なども関係します。

重要なのは、本人がどのような場面で身体を緊張させ、何を恐れているのかを、過去と現在の経験の両方から理解していくことです。

父親の威圧や支配が子どもの心身に残す影響については、支配的な父親との関係が子どもに与える心理的影響|家庭内トラウマと自己否定のルーツでも詳しく取り上げています。

他人の視線で、突然子ども時代の恐怖がよみがえる

親からの暴力を受けて育った人にとって、恐怖を呼び起こすものは、怒鳴り声や大きな物音だけではありません。

相手の目つきや表情、視線の向け方が、過去の記憶と結びつくこともあります。

たとえば、職場で上司が厳しい表情を浮かべた瞬間、幼い頃に親から睨みつけられた感覚がよみがえる。知らない人と目が合っただけなのに、身体が強く緊張し、視線を外さなければ落ち着かなくなることがあります。

相手が自分を傷つけようとしているわけではなくても、その表情に、かつて暴力を振るった親の面影が重なる場合があるのです。

2011年、Jean Riskoは、幼少期に親や養育者から身体的虐待を受けた成人が、他人との何気ない接触をきっかけに、過去の体験へ引き戻される感覚を調べる現象学的研究を行いました。

分析対象となった5人の体験では、見知らぬ人から向けられた視線が、子ども時代の暴力の記憶を鮮明に呼び起こすきっかけになっていました。

注目したいのは、そのような反応が特別な出来事の中だけで生じていたわけではないという点です。

日常のありふれた場面で、予想していなかった過去の恐怖が突然よみがえっていました。参加者たちは、その体験に驚きながらも、どこか懐かしいほど馴染みのある恐怖として感じていたのです。

小規模な質的研究ですが、親からの暴力が、成人後の対人場面でどのように経験されるのかを理解するうえで示唆があります。

現在の相手を見ているはずなのに、心の中では過去の親の表情が重なっている。現実には別の場所で、別の人と関わっていても、身体には以前の危険が迫っているように感じられる。

こうした状態では、本人が現在の出来事を落ち着いて判断しようとしても、恐怖の反応が先に生じることがあります。

「どうせ自分なんて」という自己否定は、どこから生まれるのか

親から繰り返し怒鳴られ、殴られ、「お前のせいだ」「役立たずだ」と言われ続けると、子どもは自分自身を否定的に捉えるようになることがあります。

子どもにとって親は、生きるために必要な存在です。その親から傷つけられることは、身体的な恐怖だけでなく、安心して頼れるはずの相手が危険な存在でもあるという混乱を生みます。

親が理不尽なことをしていると感じながらも、子どもは親を必要としています。そのため、親の行動を理解しようとする中で、「自分が悪かったから怒られたのだ」「もっとよい子になれば、親は優しくしてくれるはずだ」と考えることがあります。

自分の行動を変えれば親の怒りを避けられると信じることは、予測できない環境に対して、何とか自分で対処しようとする試みでもあります。

しかし、親の怒りが子どもの行動とは関係なく繰り返される場合、その努力が報われることはありません。

どれほど頑張っても認められず、些細な失敗を理由に人格まで否定される。そのような経験が続くと、「自分は何をしても駄目なのだ」という感覚が残る場合があります。

2023年、Dadiらは、幼少期に情緒的虐待を経験した18〜25歳の若者58人への聞き取りを行い、親からの言葉による傷つきが、どのような形で経験されていたのかを分析しました。

参加者の語りから浮かび上がったのは、親から人格を否定されること、到底満たせない期待を向けられること、きょうだいや他人と否定的に比較されること、そして自分の感情や精神的な苦しさを認めてもらえないことでした。

これらは、単に厳しい言葉を言われたという経験にとどまりません。

子どもが何を感じ、何を考え、どのような存在であるのかという部分まで否定されていく経験です。

大人になってからも、他者に褒められると落ち着かなくなり、仕事で成果を出しても、自分にはまだ足りないところがあると考えてしまう。何かに挑戦しようとすると、失敗したときに責められる場面が浮かび、行動する前から諦めてしまうことがあります。

そこには、現在の能力への評価と、過去に親から受け続けてきた否定的な評価が、重なっている可能性があります。

自分の感情を出さず、「いないふり」をしてきた人へ

暴力的な親の前では、自分の意見を言うことも、泣くことも、笑うことも危険になる場合があります。

子どもが悲しみを表現すると、親から「泣くな」と怒鳴られる。理不尽な扱いに抗議すると、さらに強い言葉や暴力で押さえつけられる。

喜んでいるときでさえ、「調子に乗るな」と叱られることがあれば、子どもは自分の感情を表に出すことそのものを避けるようになります。

その結果、できるだけ目立たず、余計なことを言わず、家の中にいながら存在を消そうとすることがあります。

親が怒っているときには、物音を立てず、自分の部屋で息を潜める。何かを聞かれても、できるだけ短く答える。反論することで事態が悪化するなら、自分の考えを伝えることを諦める。

そうして身につけた「いないふり」は、当時の危険に対応するための方法だったのかもしれません。

しかし、大人になってからもその反応が続くと、人間関係の中で自分の存在を小さく扱うようになることがあります。

職場で意見を求められても、間違っていたらどうしようと考えて言葉が出ない。恋人から嫌なことをされても、その場では笑ってやり過ごしてしまう。相手に頼まれたことが負担でも、断れば怒られるような気がして引き受けてしまう。

そして、一人になってから強い疲労感や悲しみ、怒りが湧き上がることがあります。

長い間、感情を表現することを避けてきた人は、自分が何を感じているのかを理解すること自体が難しくなる場合があります。

感情を抑える防衛や解離との違いについては、抑圧と解離の防衛機制の違いとは|ストレス・トラウマ・精神的苦痛への心の反応でも詳しく解説しています。

昭和期に正当化されてきた厳しいしつけと、子どもが感じた恐怖

かつて家庭や学校では、体罰や厳しいしつけ、根性論が教育の一部として受け入れられやすい時代がありました。

「昔はみんな殴られた」「愛のムチだった」「厳しく育てられたから強くなれた」。

こうした言葉によって、子どもが経験した恐怖や屈辱が、十分に理解されないまま扱われてきたことがあります。

親自身も、自分の親から暴力を受けたり、感情を表現することを許されなかったりした経験があるかもしれません。厳しさによって人を育てることが当然だと教えられ、別の関わり方を知らなかった場合もあるでしょう。

そのような時代背景や親自身の経験は、なぜ暴力的な養育が繰り返されたのかを考える材料になります。

しかし、親に事情があったことと、子どもが受けた傷つきは別の問題です。

親がしつけのつもりで怒鳴っていたとしても、子どもが強い恐怖を感じていた事実は変わりません。殴られたあとに親が優しくしてくれたとしても、次にいつ暴力が起こるか分からない緊張が消えるとは限りません。

子どもにとって必要だったのは、親の言うことを恐怖によって守らせることよりも、失敗しても人格を否定されず、困ったときに助けを求められる関係だったはずです。

大人になってからも、自分の経験について「たいしたことではなかった」と考えようとする人もいます。けれど、当時の社会では普通だったという説明によって、自分が感じた恐怖や悲しみまで否定する必要はありません。

何をしても怒られる家庭で育つと、「正解探し」が終わらなくなる

理不尽な親のもとでは、子どもがどれほど注意しても、怒られることを完全に避けるのは難しい場合があります。

家事を手伝えばやり方が悪いと叱られ、手伝わなければ怠けていると責められる。成績がよくても、もっと上を目指せと言われる。静かにしていれば愛想が悪いと怒られ、自分の意見を言えば生意気だと否定される。

何をしても正解にならない家庭では、子どもは自分の希望を持つよりも、親の反応を予測することに力を使うようになります。

しかし、親の機嫌によって基準が変わる場合、どれだけ考えても確実な正解は見つかりません。

その経験が積み重なると、大人になってからも、自分で判断することに強い不安を感じる場合があります。

仕事では上司の期待する答えを探し、人間関係では相手が望んでいる反応を考える。何かを選ぶときにも、自分が好きかどうかより、周囲から否定されないかどうかを優先してしまう。

こうして、失敗を避けることが生活の中心になると、新しいことへ挑戦する機会も減っていきます。

また、努力しても状況が変わらなかった経験から、何かを始める前に「どうせ無理だ」と感じることもあります。

自分の行動で状況を変えられるという感覚が弱まり、苦しい人間関係や仕事を続けながらも、そこから離れる選択肢を考えられなくなる場合があるのです。

ここで必要なのは、すべての選択に自信を持つことよりも、現在の生活では誰が何を決めることができるのかを、少しずつ確かめ直していくことです。

子どもの頃には親の怒りを止められなかったとしても、大人になった今は、関わる相手や働く環境、自分の時間の使い方などについて、新しい選択肢を持てる場合があります。

親への怒りと罪悪感のあいだで、心が引き裂かれる

親から暴力を受けて育った人が、親に対して抱く感情は複雑です。

怖かったという気持ちもあれば、怒りや憎しみもある。それでも、親を嫌いになりたくない、いつか理解してほしい、親にも苦労があったのだから仕方がないと考えることがあります。

暴力を振るわれた記憶と、優しくしてもらった記憶が混在している場合には、親をどのように理解すればよいのか分からなくなることもあります。

親を責めようとすると、育ててもらったことへの恩義が浮かぶ。距離を取りたいと思っても、親が寂しがる姿を想像してしまう。自分が受けた傷つきを認めることが、親を否定する行為のように感じられるのです。

特に、怒りや悲しみを表現するたびに親から責められてきた人は、自分の感情を持つこと自体に罪悪感を覚える場合があります。

しかし、親への感情を一つにまとめる必要はありません。

親を大切に思う気持ちと、親から傷つけられたことへの怒りは、同時に存在することがあります。

親の事情を理解することと、その行動を許すことも同じではありません。

怒りは、自分が何をされたのか、何を大切に扱ってほしかったのかを理解するための手がかりになります。

すぐに親へ怒りを伝えたり、関係を断ったりする必要はありません。まずは、自分の内側にどのような感情があるのかを、他者の評価から少し離れて確かめていくことが大切です。

日常の出来事が、突然「非常事態」になるとき

親からの暴力を経験した人は、現在の生活の中で起きた出来事に対して、自分でも驚くほど強く反応することがあります。

上司から注意された瞬間に頭が真っ白になる。恋人が少し強い口調になっただけで、涙が止まらなくなる。家族が食器を乱暴に置いたとき、突然激しい怒りが湧き上がる。

その場にいる相手は親とは違うと理解していても、身体は過去の危険と似たものを感じ取っている場合があります。

このような反応には、トラウマに関連した再体験や過覚醒、条件づけられた恐怖などが関係することがあります。ただし、強い反応が生じることだけでPTSDと判断できるわけではありません。

特に、怒鳴られたあとに何も言えなくなり、感覚が鈍くなったり、周囲の出来事が遠く感じられたりする場合には、解離や凍りつき反応などが関わっている可能性も考えられます。

また、現在の相手に対して急に攻撃的になってしまう場合もあります。

親からの暴力を受けていた頃には、怒りを表現することができなかった。しかし、大人になってから、比較的安全な相手に対して激しい怒りが出てしまうことがあります。

そのような反応が起こると、自分も親と同じようになってしまったのではないかと苦しむことがあります。

大切なのは、怒りが生まれた背景と、その怒りをどのように表現するかを分けて考えることです。

過去の恐怖が現在の反応に影響していたとしても、他者を傷つける行動をそのまま続けてよいことにはなりません。

自分が何に反応し、どのようなときに限界を超えやすいのかを理解し、必要であれば距離を取ったり、言葉で伝えたりする方法を身につけていくことが重要です。

PTSDにおける再体験や過覚醒、回避については、PTSDの症状とは|フラッシュバック・過覚醒・回避でも詳しく解説しています。

親からの暴力が、人との距離感に残す影響

親から暴力を受けて育った人は、他者と親しくなることに強い不安を感じる場合があります。

近づきたい気持ちはあるのに、相手に自分の内側を知られることが怖い。恋人が優しくしてくれると安心する一方で、その優しさがいつか怒りに変わるのではないかと警戒してしまう。

親密な相手ほど、自分を深く傷つける可能性があると感じられることもあります。

そのため、恋人や配偶者の言葉を細かく確認したり、相手の不機嫌を自分の責任として引き受けたりする場合があります。

一方で、誰かに依存することを避け、できるだけ人と距離を取り続ける人もいます。

人に頼れば支配される。弱さを見せれば利用される。親しくなるほど、自分の自由が奪われるように感じる。

そうした恐怖があると、人間関係を深めることより、自分が傷つかずに済む距離を保つことが優先されていきます。

しかし、誰とも深く関わらずにいると、孤独感が強まる場合があります。反対に、相手へ過剰に合わせ続けると、自分の意思や希望を見失っていくことがあります。

親からの暴力が残す影響は、対人関係における過剰な接近と回避という、異なる形で現れることがあるのです。

親との距離を取ることは、自分を守るための選択になる

親との関係をどうするかは、暴力を受けて育った人にとって難しい問題です。

親も年を取り、以前ほど強く怒鳴らなくなっているかもしれません。暴力を振るわれたことについて、親が謝ってくる場合もあれば、まったく覚えていないと言い張る場合もあります。

そのような親を前にすると、自分がどう関わればよいのか分からなくなることがあります。

実家へ帰ると身体が緊張するのに、帰らなければ罪悪感が生じる。連絡を取りたくないと思っていても、親から電話が来るとすぐに出てしまう。

長年の親子関係の中で身についた反応は、大人になってからも簡単には変わらない場合があります。

しかし、親との関係を続けることと、親の要求をすべて受け入れることは異なります。

連絡する頻度を減らす。会う時間を短くする。話したくない話題には触れない。親が強い言葉を使い始めたら、その場を離れる。

そうした方法によって、自分の心身への負担を減らせる場合があります。

現在も暴力や脅迫が続いている場合には、関係の改善を試みることより、安全を確保することが優先されます。

親との距離を取ることは、必ずしも親への愛情を完全に失うことを意味しません。

親とどの程度関わるのかを、自分の生活や安全に合わせて決められるようになることが大切なのです。

親との支配関係から離れていく心理的な過程については、親の呪縛から自由になるには|支配されてきた心が自分の人生を取り戻すまででも詳しく取り上げています。

親からの暴力が残した心の傷から回復するために

親からの暴力や怒鳴り声の影響は、出来事を思い出さなくなれば自然に解消するというものではありません。

大人になってからも、特定の音や視線、人間関係の中で恐怖や緊張が生じる場合があります。

そのため、回復では過去の経験を理解するとともに、現在の生活の中で、自分の身体や感情をどのように扱っていくかが重要になります。

過去の責任を、自分自身のものとして背負い続けない

暴力を受けた子どもは、「自分が悪かったからだ」「もっといい子なら殴られなかった」と考えることがあります。

しかし、子どもの行動に問題があったとしても、暴力や脅しによって従わせることの責任は、その行動を取った大人にあります。

この区別を理解することは、自分への責めを減らしていくために重要です。

当時の出来事を振り返るときには、親が何をしたのか、自分には何ができたのかを分けて考えていきます。

幼い子どもだった自分には、親の感情を調整したり、家庭の暴力を止めたりする責任も能力もなかった。その事実を少しずつ受け入れていくことが、長く抱えてきた罪悪感を見直す手がかりになります。

身体が危険に反応したとき、現在の状況を確かめる

誰かの大きな声や物音に強く反応したときには、すぐに落ち着こうとするより、現在の環境を確かめることが役立つ場合があります。

今いる場所はどこなのか。目の前にいる相手は誰なのか。その相手が実際に何をしているのか。

自分が何に恐怖を感じているのかを、少しずつ整理していきます。

身体の緊張が強いときには、足裏が床に触れている感覚を確かめたり、周囲の景色をゆっくり見渡したりする方法があります。

呼吸に注意を向けることが心地よければ、無理のない範囲で少しゆっくり息を吐いてみてもよいでしょう。

ただし、身体感覚に集中することで不安や解離が強まる場合には、その方法を続ける必要はありません。自分が取り組みやすい方法を選ぶことが大切です。

長く抑えてきた怒りや悲しみに、言葉を与えていく

親からの暴力を経験した人は、自分の感情を理解することに強い抵抗を感じる場合があります。

親を怒ることは悪いことだと思っている。悲しかったと認めると、これまで我慢してきたものが崩れてしまうように感じる。

そのようなときには、急いで感情を表現しようとする必要はありません。

「あのとき本当は怖かった」「あの言葉はつらかった」「自分は親に怒っているのかもしれない」。

そうした感覚を、自分の中で少しずつ確かめていきます。

日記に書いたり、信頼できる相手へ話したり、カウンセリングの中で整理したりする方法もあります。

感情を理解することと、その感情をすぐに相手へぶつけることは別です。

自分の怒りや悲しみを認めながら、それをどのように扱うかを選べるようになることが大切なのです。

自分の意思で決められることを増やしていく

親の機嫌によって生活が左右されていた人にとって、自分の意思で物事を決めることは、思いのほか難しい場合があります。

何かを選ぼうとすると、親ならどう言うだろうか、相手に嫌われないだろうかと考えてしまう。

そのようなときには、日常の小さな選択から、自分の希望を確かめていくことが役立ちます。

今日は何を食べたいのか。休日はどのように過ごしたいのか。誰と会いたいのか。どのような頼み事なら引き受けられるのか。

誰かの期待に応えることを考える前に、自分が何を望んでいるのかを確かめてみる。

そして、その選択をしたときに罪悪感や不安が生じたとしても、すぐに自分の希望を取り消さず、何が怖くなったのかを考えていきます。

自分で決める経験を積み重ねることが、長く他者に左右されてきた生活を変えていく土台になります。

安全な人間関係の中で、新しい経験を重ねる

親からの暴力を経験した人は、他者を信頼することに強い不安を感じる場合があります。

そのため、回復の過程では、安心できる人との関係を無理のない範囲で築いていくことが重要になります。

自分の意見を伝えても怒鳴られない。疲れているときに断っても、関係が壊れない。困ったときに助けを求めても、責められずに話を聞いてもらえる。

そうした経験を重ねることで、人との関わりに対する予測が変わっていく場合があります。

過去に親から受けた暴力を、現在の人間関係の中で繰り返すことを避けるためにも、自分の感情や身体の反応を理解し、相手との距離を調整できることが大切になります。

親の暴力を、自分の代で終わらせるということ

親から暴力を受けて育った人の中には、「自分は絶対に親のようにはならない」と強く決意してきた人もいます。

しかし、実際に恋人や配偶者、子どもとの関係を築く中で、自分の内側にも激しい怒りがあることに気づき、戸惑う場合があります。

相手が言うことを聞かないと、かつて親から向けられた言葉が浮かぶ。疲労や不安が強いとき、思わず大きな声を出してしまい、そのあとで自分を責めることもあります。

こうした経験は、親と同じ行動を繰り返してしまうのではないかという恐怖につながる場合があります。

その一方で、親と同じようになりたくないという思いから、怒りを一切表現せず、自分だけが我慢し続ける場合もあります。

どちらも、過去の親との関係が、現在の行動を強く左右している状態として理解できます。

大切なのは、親と同じになるか、親と正反対になるかという二つの選択肢から離れることです。

自分が怒りを感じたとき、何に傷ついたのかを確かめる。相手へ伝える必要があることを整理し、暴力や威圧とは違う方法で表現する。必要なときには距離を取り、支援を求める。

そうした経験を積み重ねることで、親から受け継いできた関係のパターンとは異なるものを築いていくことができます。

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親からの暴力が残した傷とともに、自分の人生を取り戻す

親から殴られたり、怒鳴られたり、理不尽な扱いを受けたりした経験は、時間が経っても簡単には整理できないことがあります。

親の足音や物音を聞き分け、自分が傷つかずに済む方法を必死に考えていた子ども時代。その中で、自分の感情を押し込め、親の機嫌を優先し、言いたいことを飲み込む習慣が身についてきたのかもしれません。

大人になってからも、その反応が仕事や恋愛、人間関係の中で続くことがあります。

しかし、今の生活では、子どもの頃とは違う選択ができる場合があります。

誰かが怒っていても、その怒りをすべて自分の責任として引き受ける必要はありません。相手の期待に応えられなくても、自分の価値が失われるわけではありません。

また、親を理解することと、親から受けた傷つきを否定することは別です。

親に対する怒りや悲しみ、親を大切に思う気持ちが同時に存在していても、それらを一つの結論へまとめる必要はありません。

回復とは、過去を無理に忘れたり、親を許すことを急いだりする過程ではなく、自分がどのような経験をしてきたのかを理解し、現在の生活の中で選べることを少しずつ増やしていくことです。

親の声が聞こえなくなったあとも、長い間、自分の内側では親の評価や怒りが続いていたのかもしれません。

その声に従うことが当たり前だった人にとって、自分の気持ちを確かめ、自分の意思で行動することには、強い不安が伴う場合があります。

それでも、何が嫌だったのか、何を望んでいたのか、これからはどのような関係を築きたいのかを考えられるようになると、過去の影響との向き合い方も変わっていきます。

親の怒鳴り声に従って生きる人生から、自分の感情と意思を大切にして生きる人生へ。

長く危険を予測するために使ってきた力を、これからは自分の生活を守り、大切な人と関わり、自分が望む人生を築くためにも使っていく。

その変化が、暴力によって奪われてきた自分自身の感覚を、少しずつ取り戻していくことにつながるのです。


参考文献

  1. Risko, J. (2011). The Experience of Being Thrown Back in Encounters for Adults who were Physically Abused as Children by a Parent or Caregiver: An Empirical-Phenomenological Investigation. Doctoral dissertation, Duquesne University.
  2. Dadi, D., Bonilla, Z., Beckstrand, M. J., et al. (2023). Emerging adult college students’ descriptions of exposure to childhood emotional abuse and associated factors: A qualitative exploration. Child Abuse & Neglect, 146, 106516.
  3. Band-Winterstein, T. (2014). The Impact of Lifelong Exposure to IPV on Adult Children and Their Aging Parents. Journal of Family Issues, 35(4), 439–461.

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井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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