虐待サバイバーの後遺症|生きている実感がない「生ける屍」と罪悪感・解離

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仕事から帰ってきても、玄関で靴を脱いだまま動けない。何かを考えているわけでも、泣いているわけでもない。ただ身体が重く、次の動作へ移ることができない。ようやく部屋に入って横になると、天井を眺めながら何時間も過ぎてしまう。明日も仕事があることは分かっているのに、食事をすることも、風呂に入ることも、ひどく遠い作業のように感じられる。

虐待サバイバーの中には、長い年月をかけて、このような状態に追い込まれる人がいます。

外から見れば、仕事をして、買い物をして、必要な会話を続けている。しかし本人の内側には、自分が生きているという実感がほとんどなく、何をしても心が動かないような空虚さが広がっていることがあります。

生きているのに、生きていない。身体は動いているのに、そこに自分自身が存在している感覚が乏しい。自分の人生を生きているというより、誰かに与えられた時間を、ただ消費しているように感じられるのです。

その状態を「生ける屍」と表現することがあります。

もちろん、これは医学的な診断名ではありません。けれど、長期間の虐待や暴力、支配によって感情や身体感覚が鈍くなり、自分自身とのつながりを失っているような苦しさを表す言葉として、切実な意味を持っています。

その心には、耐えがたい苦痛とともに、消えることのない罪悪感が残っていることがあります。

自分が悪かったから殴られた。自分がもっと賢ければ、親を怒らせずに済んだ。あのとき抵抗できなかった自分が情けない。家族を守れなかったことも、自分の責任だったのではないか。

こうした思いが積み重なると、生きることそのものが、終わることのない償いのように感じられる場合があります。

まるで重い十字架を背負い、過去に犯した覚えのない罪を、現在の自分が罰し続けているような状態です。

虐待によって傷つけられた人が、その傷つきの責任まで自分に引き受け、自分自身を罰するように生きてしまう。

この二重の苦しみが、虐待サバイバーの後遺症を理解するうえで重要になります。

虐待サバイバーが背負う「罪と罰」|被害者が自分を裁き続ける理由

物心がつく頃から親の暴力や怒鳴り声にさらされてきた子どもにとって、家庭は安心して休める場所ではなく、次の危険に備える場所になることがあります。

親が帰宅する時間、玄関のドアが閉まる音、廊下を歩く足音、食器の置き方。そうした小さな変化を手がかりに、その日の家庭が安全かどうかを判断しようとします。

何かを間違えれば怒鳴られる。反抗すれば殴られる。泣けばさらに責められ、黙っていても生意気だと言われる。

子どもは、どうすれば怒られずに済むのかを必死に考えます。しかし、親の機嫌や暴力が理不尽で予測できない場合、いくら努力しても確かな正解は見つかりません。

それでも子どもは、何とか自分に原因を探そうとすることがあります。

親が理由もなく暴力を振るう存在だと認めることは、その親に依存して生きている子どもにとって、あまりにも恐ろしい現実だからです。

自分が悪かったのなら、もっと努力すれば状況を変えられるかもしれない。自分が親を怒らせなければ、次は傷つかずに済むかもしれない。

こうして、本来は加害者が負うべき責任を、子どもが引き受けることがあります。

その認識が大人になっても残ると、仕事や人間関係で何か問題が起きるたびに、自分を責めるようになります。相手が理不尽なことをしていても、「自分の言い方が悪かった」「もっと気を遣えばよかった」と考え、相手への怒りより先に罪悪感が生じるのです。

罪悪感は、本来、自分の行動を振り返り、必要な責任を引き受けるためにも働く感情です。しかし、虐待によって形成された罪悪感では、何をしたかという行動の問題が、自分という存在そのものへの否定に変わってしまうことがあります。

「自分は間違ったことをした」という後悔から、「自分は存在しているだけで悪い」という感覚へ移っていくのです。

その段階では、何かを償えば終わるという感覚も失われていきます。

仕事で成功しても、まだ足りない。誰かに優しくされても、自分にはその価値がない。少し楽しい時間を過ごすと、そんなことをしていてよいのだろうかと不安になる。

そうして人生の中に生まれた喜びや安心さえ、自分で打ち消してしまうことがあります。

罪悪感が自己の一部になる|恥と解離を抱えた人たちの経験

虐待サバイバーが経験する罪悪感や恥は、単に過去の出来事を後悔しているという状態を超えて、自分自身の存在感にまで影響することがあります。

2012年、精神病理学者Martin DorahyとKen Clearwaterは、子ども時代に性的虐待を受けた成人男性7人を対象に、恥や罪悪感、解離についての質的研究を行いました。

参加者はいずれも重度の性的虐待を経験しており、研究では、自分自身を恥ずべき存在として感じること、周囲や自分自身から経験を疑われること、怒りや苦痛を制御できない感覚、解離などが重要なテーマとして明らかになりました。

特に注目されるのは、恥が一時的な感情にとどまらず、「恥ずべき存在としての自己(self-as-shame)」という形で、自己認識そのものに入り込んでいたことです。

虐待を受けたという出来事が、自分の中にある汚れや欠陥の証拠のように感じられる。誰かに過去を知られれば、自分という存在そのものを拒絶されるのではないかと恐れる。

そのような感覚が強くなると、他者と親しくなることにも抵抗が生じます。

誰かに理解してほしいと思いながら、自分の内側を知られることが怖い。助けを求めたいのに、助けを求める自分を恥ずかしく感じる。過去について話そうとしても、自分が責められるのではないかと不安になり、言葉が出なくなることがあります。

この研究は少人数の男性性的虐待サバイバーを対象としており、結果をすべての虐待経験者に一般化することはできません。それでも、恥や罪悪感が過去の出来事への感情として残るだけでなく、自分自身の存在価値にまで入り込んでいく過程を理解するうえで重要です。

被害を受けた人が、自分自身を責め続ける。その責めを誰にも見せられず、ますます孤立していく。

この構造の中で、罪悪感は終わらない罰のようになっていきます。

トラウマが自己を侵食するとき|自分の人生を選べなくなる

長く虐待を受けてきた人は、成長してからも、自分の意思で何かを選ぶことに強い不安を感じる場合があります。

子どもの頃、何かを選ぶことは、必ずしも自由を意味しませんでした。間違った選択をすれば怒られ、親の期待から外れれば罰を受ける。自分の希望を伝えたことで、家族の雰囲気が悪化することもあったでしょう。

そのような経験が重なると、何かを決める前に、危険が起きないかを考えるようになります。

仕事を変えたいと思っても、失敗したときのことが頭から離れない。誰かとの関係を終わらせたいと感じても、相手が怒る姿を想像してしまう。新しいことを始めようとしても、必要な準備を考えているうちに、気力がなくなってしまう。

周囲から見ると、優柔不断で、行き当たりばったりに生活しているように映る場合があります。

しかし、本人の内側では、選択するたびに強い緊張が生じているのかもしれません。

これまでの生活では、自分が何を望むかより、何をすれば傷つけられずに済むかが重要だった。そのため、自分自身の希望を基準にして人生を選ぶ経験が乏しくなっていることがあります。

未来を考えようとしても、何をしたいのか分からない。目標を立てても、そこへ向かう自分の姿を思い描けない。何かを手に入れることより、今日一日を無事に終えることの方が切実になってしまうのです。

そのような状態では、人生は自分で進めるものというより、次々と押し寄せる問題に対応し続けるものとして経験されます。

かつて家庭の中で奪われた主体性が、成人後の選択にも影響し続けている可能性があります。

身体が先に恐怖を感じる|過覚醒から凍りつきへ

長期間の虐待や暴力を経験した人は、大人になってからも、突然の音や他者の表情、予期しない出来事に強く反応することがあります。

誰かが急に大きな声を出す。職場で上司が強い口調になる。恋人が黙り込み、表情が変わる。

その瞬間に心臓が速く打ち始め、胸や喉が締めつけられ、胃のあたりが重くなる。肩や背中に力が入り、周囲の刺激を細かく確認しようとすることがあります。

一方で、強い恐怖が生じたときに、身体が急に動かなくなる人もいます。

言葉を返そうとしても声が出ず、その場で固まってしまう。強い不安に襲われていたはずなのに、突然何も感じなくなり、頭の中が真っ白になる場合もあります。

トラウマに関連した身体反応には、強い警戒や緊張が続く過覚醒、動きが止まる凍りつき、活動性が低下する虚脱など、さまざまな現れ方があります。

これらが常に決まった順序で起きるわけではなく、すべての人が同じ反応を経験するわけでもありません。

しかし、過去に逃げることも抵抗することも難しかった人では、現在のストレス場面でも、自分の意思より先に身体の反応が生じる場合があります。

その反応を自分で止められないことが、さらに自己否定を強めてしまうことがあります。

「どうしてあの場で何も言えなかったのか」「なぜ、あんなに小さなことで取り乱したのか」。

そう考えて自分を責めるほど、過去に傷つけられた経験が、現在の自分を裁く理由にもなってしまうのです。

自分が自分でなくなる感覚|解離と「生ける屍」の内側

虐待が長く続くと、自分が何を感じているのか分からなくなり、周囲の世界が遠く感じられることがあります。

人と話しているときにも、その会話に自分が参加しているという実感が乏しい。目の前に景色が広がっていても、色や明るさが自分の感覚として入ってこない。

身体は椅子に座っているはずなのに、そこに自分がいるという感覚が曖昧になることもあります。

こうした体験には、離人感や現実感喪失などの解離症状が関係している場合があります。

しかし、「生きている実感がない」という状態を、すべて解離だけで説明できるわけではありません。

抑うつに伴う快感消失や意欲の低下、長期間の疲労、睡眠障害、慢性的な痛みなどが重なり、生活全体から生き生きとした感覚が失われていく場合もあります。

仕事では普通に話していても、その会話が終わると何も残らない。食事をしても満足感がなく、誰かと過ごしても心が動かない。以前は好きだった音楽や趣味にも関心が向かず、時間だけが過ぎていく。

本人は自分が何かを望んでいるのかどうかさえ、分からなくなることがあります。

2019年にオンライン公開されたStigeらの質的研究では、子ども時代の性的虐待を経験した成人11人に聞き取りを行い、自分が虐待を受けていたことを、どのように理解するようになったのかが検討されました。

参加者の語りからは、記憶の曖昧さ、身体を通して現れる経験、そして自分の経験に気づき、認めてくれる他者との出会いが重要なテーマとして示されています。

ここで注目したいのは、過去の経験を理解するために、記憶だけでなく身体感覚や他者との関係が重要な役割を持っていたことです。

本人が自分の苦しさをうまく説明できなくても、身体の違和感や日常生活での反応が、自分の経験を理解する手がかりになることがあります。

ただし、身体症状があるからといって、必ず忘れている虐待の記憶が存在するわけではありません。

身体に現れている苦痛を丁寧に扱いながら、現在の生活の中で何が起きているのかを確かめることが重要です。

解離によって感覚や現実感が遠のく仕組みについては、解離が引き起こす感覚遮断|心のカプセルに包まれた生活とは?でも詳しく解説しています。

「生ける屍」の呼吸と身体|生き延びることに力を使い尽くした感覚

強いストレスを抱え続けてきた人は、身体のどこかに常に力が入り、十分に休んでいるつもりでも疲労が抜けないことがあります。

首や肩がこわばり、背中が重く、胃腸に不快感が続く。外出する前から疲れてしまい、帰宅すると、身体を支える力が失われたように感じることもあります。

反対に、全身の力が抜け、首から下がぶら下がっているような感覚になる人もいます。

筋肉を動かそうとしても、身体に十分な力が入らない。立っているだけで疲れ、歩くときにも手足の動きがぎこちなく感じられる。

その身体感覚を、まるで糸で吊るされた人形のようだと表現することがあります。

また、呼吸の仕方にも独特の違和感を覚える場合があります。

息が浅く、胸や横隔膜が十分に動いていないように感じる。大きく息を吸おうとすると、かえって疲れたり、息苦しさが強まったりする。

水の中でかすかに息を続けているような、あるいは、存在しないはずの鰓で呼吸しているような感覚になることもあるでしょう。

こうした表現は、本人が身体をどのように感じているかを理解するための比喩です。実際の呼吸機能や横隔膜の運動が、その感覚どおりに低下しているとは限りません。

また、慢性的な疲労、筋力低下、動悸、めまい、呼吸困難、腹痛などには、心理的な要因以外にもさまざまな原因があります。

そのため、身体症状が強い場合には、トラウマだけで説明しようとせず、必要な医学的評価を受けることも大切です。

臨床的に重要なのは、身体の苦痛を訴える人に対して、すぐに運動や深呼吸を勧めることが、必ずしも負担の軽減につながるとは限らないという点です。

大きく呼吸しようとすると息苦しくなる人や、身体の内側へ意識を向けると不安が強まる人もいます。

その場合には、呼吸を無理に変えるよりも、今の姿勢が少し楽になるか、身体を支える場所を増やせるか、周囲の刺激を調整できるかといったことから考える方が取り組みやすい場合があります。

身体を動かすことそのものが怖くなっている人にとっては、いつでも止められることや、自分で動きの大きさを決められることも重要になります。

内なる保護者と迫害者|自分を守るはずの心が、自分を罰する

虐待サバイバーの中には、誰かから責められていないときにも、自分の内側で厳しい非難が続くことがあります。

仕事で小さな失敗をしただけで、「お前は何をやっても駄目だ」と考える。休んでいると、「そんなことをしている場合ではない」と自分を急かす。誰かに迷惑をかけたと思うと、何度謝っても自分を許せなくなる。

外側には、もう自分を怒鳴る親はいない。それなのに、心の中では、かつて親から向けられた厳しい評価が続いているように感じられるのです。

こうした自己批判は、精神分析では内面化された批判的な対象や、厳格な超自我などの観点から理解されることがあります。

さらに、ユング派の精神分析家ドナルド・カルシェッド(Donald Kalsched)は、1996年の著書『The Inner World of Trauma』で、深刻なトラウマを経験した人の内的世界に生じる防衛的な構造について論じました。

カルシェッドは、耐えがたい経験から傷つきやすい自己を守ろうとする心の働きが、結果として、その人が再び感情を感じたり、他者とつながったりすることを妨げる場合があると考えました。

つまり、自分を守るために作られた防衛が、今度は自分自身を苦しめるようになるのです。

たとえば、誰かを信頼して再び傷つけられることを避けるために、心の中の一部が「誰も信じるな」と警告し続ける。

何かに挑戦して失敗することを防ぐために、「お前にはできない」「最初からやめておけ」と言い続ける。

休んでいる間に危険が迫ることを恐れ、「気を抜くな」「もっと頑張れ」と自分を追い立てる。

そうした内的な声は、本人を守るために生まれた厳しい保護者のように働きながら、同時に、本人を傷つける迫害者のようにもなってしまいます。

心の内側に、守ろうとする部分と、攻撃する部分が同時に存在しているように感じられるのです。

ただし、これらは精神分析的なモデルであり、心の中に実際に独立した人格が存在することを意味するわけではありません。また、内的な自己批判が強いことだけで、解離性同一性障害などを判断することもできません。

重要なのは、かつては危険を防ぐために役立っていた心の働きが、現在の自分を過剰に制限し、苦しめるようになっているという点です。

誰かに傷つけられないために、自分から人を遠ざける。失敗して責められないために、何も始めない。自分を守るために、自分の人生の可能性まで狭めてしまう。

この逆説が、虐待による心の傷を複雑にしています。

内側の迫害者が強まるとき|自傷衝動と自己処罰の心理

自分への批判や罪悪感が強くなると、心の中では、自分を罰することが当然のように感じられる場合があります。

何か失敗したときに、必要以上に長く反省を続ける。自分に楽しいことを許さず、休息や食事を後回しにする。誰かから大切にされても、自分にはその価値がないと感じ、相手との関係を壊すような行動を取ってしまうこともあります。

こうした状態では、自分にとって何が必要なのかという判断より、自分がどの程度罰を受けるべきなのかという感覚が優先される場合があります。

また、強い感情に圧倒されたとき、自分を傷つけたい衝動が生じることもあります。

自傷行為には、耐えがたい感情を一時的に調整する、現実感を取り戻そうとする、自分への怒りを向けるなど、さまざまな背景があります。すべてを自己処罰として説明することはできません。

それでも、虐待によって自分を責め続けてきた人にとって、自分の苦しさをさらに強めるような行動が、内側の罪悪感と結びついている場合があります。

特に、自分の中に攻撃的な感情や衝動が生じたとき、その感情を持つ自分まで悪い存在として捉えてしまうと、自己批判がさらに強まることがあります。

ここで必要なのは、内側に生じる怒りや攻撃性をすべて危険なものとして押し込めることでも、その感情に従って行動することでもありません。

その感情が、これまで何を守ろうとしてきたのかを理解し、現在の自分にとって負担の少ない扱い方を見つけていくことです。

自傷衝動や希死念慮が強くなっている場合には、一人で対処しようとせず、現在の安全を確保し、医療機関や支援者と連携していくことが重要になります。

罪悪感が自己批判や自己処罰へ変わっていく心理については、罪悪感とは何か|「私が悪い」にとらわれる心のしくみでも詳しく取り上げています。

慢性的な不動状態|何もできないのに、生きるための仕事は続いていく

心身の疲労が強くなっていても、生活を維持するために働き続けている人がいます。

仕事へ行かなければ収入が得られず、家賃や生活費を払うことができない。そのため、身体が限界に近づいていても、何とか出勤し、必要な業務をこなそうとします。

勤務中は強い緊張によって動けていても、仕事が終わった途端に身体から力が抜け、帰宅後は横になったまま過ごすことがあります。

食事を用意することも、部屋を片づけることも、風呂に入ることも大きな負担になり、休日には何もできないまま時間が過ぎてしまう。

本人は、自分の生活が崩れていくことを理解しています。

それでも、何かを立て直すための力が湧かず、目の前の仕事や生活を維持することで精一杯になる場合があります。

この状態では、周囲から「もう少し休んだ方がいい」「気分転換をしたらどうか」と言われることがあります。

しかし本人にとっては、何もしない時間が十分な休息になっているとは限りません。

横になっていても身体の痛みや緊張が続き、仕事や生活のことを考えると強い不安が生じる。休んでいる自分に対して罪悪感を覚え、さらに疲れてしまうこともあります。

過去に休むことを許されなかった人にとって、休息は心地よい時間というより、何かを怠っていることを責められる時間として経験される場合があるのです。

このような状態では、努力を増やすことよりも、現在の生活にどのような負担がかかっているのかを整理し、必要な休息や支援を確保することが重要になります。

また、強い疲労や意欲低下には、うつ病や睡眠障害、身体疾患、薬剤の影響なども関係するため、心理的な問題だけで判断しないことが大切です。

非常事態が終わらない生活|準備をやめられない人の心理

虐待のある家庭で育った人は、予想外の出来事に対して強い不安を感じる場合があります。

突然怒られたり、必要なものを取り上げられたり、助けを求めても応じてもらえなかったりした経験があると、何かが起きたときに備えておくことが重要になります。

その習慣が大人になってからも続くと、外出する際に必要以上の荷物を持ち歩いたり、同じことを何度も確認したりする場合があります。

いつ必要になるか分からないものを捨てられず、少しでも不安があると準備をやり直す。予定が急に変わると強い緊張が生じ、その後の行動が難しくなることもあります。

周囲からは心配性や完璧主義に見えるかもしれません。

しかし、その人にとっては、準備を怠ったために危険な状況へ追い込まれることが、現実的な恐怖として感じられている場合があります。

準備をしている間は、少しだけ安心できる。けれど、どれだけ準備しても、すべての危険を防げるわけではありません。

そのため、不安を減らすための準備が、かえって不安を強める循環になることがあります。

こうした反応には、トラウマに関連する警戒心のほか、不安症や強迫症など、さまざまな状態が関係する場合もあります。

重要なのは、準備すること自体を問題にするのではなく、その行動が現在の生活をどの程度制限し、どのような恐怖によって支えられているのかを理解することです。

虐待サバイバーが回復するために|罪悪感という十字架を少しずつ降ろす

虐待サバイバーの回復では、過去に何が起きたのかを理解することと、現在の生活の中で自分をどのように扱っていくかを考えることが、どちらも重要になります。

特に、強い罪悪感や自己批判が続いている場合には、自分がこれまで何を背負わされてきたのかを整理する必要があります。

親の暴力を止められなかったこと。助けを求められなかったこと。抵抗できなかったこと。家族を守れなかったこと。

その一つひとつについて、当時の自分には何ができ、何ができなかったのかを考えていきます。

子どもだった自分には、親の行動を変える力がなかったかもしれません。逃げる場所がなく、助けを求める相手もいなかったのかもしれません。

そのような状況で起きた出来事を、現在の自分の責任として背負い続ける必要があるのかを、少しずつ問い直していくのです。

自分を責める内側の声を理解する

「もっと頑張れ」「失敗するな」「人を信用するな」。

そうした声が心の中で繰り返される場合には、無理に消そうとするより、その声が何を恐れているのかを考えてみることが役立ちます。

失敗すれば傷つけられるという恐怖があるのか。誰かを信じれば裏切られると感じているのか。休んでいると、昔のように責められる気がするのか。

その声がかつて何を守ろうとしていたのかを理解することで、現在の自分にとっても同じ厳しさが必要なのかを考えられるようになる場合があります。

ただし、内側の批判的な声をすべてトラウマの防衛として理解できるわけではありません。本人の体験や症状に応じて、専門的な評価が必要になる場合もあります。

身体を無理に変えようとせず、負担の少ない状態を探す

強い緊張や虚脱が続いている人にとって、身体を動かすことや深く呼吸することが、かえって負担になる場合があります。

そのため、まずは自分がどのような姿勢で過ごすと少し楽なのか、どの程度の動きなら負担が少ないのかを確かめていきます。

椅子に背中を預ける。足裏で床を軽く押してみる。肩の位置を少し変える。部屋の明るさや音を調整する。

こうした小さな働きかけを通して、現在の身体にとって何が心地よく、何が負担になっているのかを理解していきます。

ただし、身体感覚へ注意を向けることで不安や解離が強まる場合には、その方法を無理に続ける必要はありません。

回復のための行動が、新たな義務や自己批判の原因にならないようにすることも大切です。

過去の経験を、一人で抱え続けない

虐待を受けて育った人は、自分の経験を誰かに話すことに強い抵抗を感じる場合があります。

信じてもらえなかったらどうしよう。自分にも悪いところがあったと言われるかもしれない。過去のことを話すことで、かえって傷ついてしまうかもしれない。

そうした不安から、長い間、一人で苦しさを抱え続けることがあります。

しかし、信頼できる相手に自分の経験を少しずつ話し、その苦しさを理解してもらうことが、回復の支えになる場合があります。

2015年、Mauritzsonらは、病的な解離症状からの回復過程にある女性6人への聞き取りを行いました。

参加者はいずれも性的虐待の経験があり、研究では、自分自身の変化と他者との関係の変化が、回復の重要な要素として示されました。

特に、他者との関係で安心を感じられることが回復を支える一方、関係の中に不安や葛藤があると、その過程が難しくなることも明らかになっています。

過去の経験を理解することと、現在の人間関係の中で新しい経験を持つことは、互いに関係しているのです。

ただし、誰かにすべてを話すことが、必ずしも回復につながるわけではありません。相手がどのように受け止めるかによっては、傷つきが強まる場合もあります。

何を、誰に、どの程度話すのかを、自分で選べることが重要です。

自分のために何かを選べる経験を増やす

虐待によって長く自分の意思を抑えてきた人にとって、回復は、特別な成果を出すことよりも、自分で物事を選べるようになるところから進む場合があります。

今日は休むことにする。嫌な頼み事を断る。疲れているので予定を変更する。自分が食べたいものを選ぶ。

そうした小さな選択を重ねる中で、自分の感情や身体の状態を、生活の判断に反映させることができるようになります。

子どもの頃には、親の機嫌に従う以外の選択肢がほとんどなかったかもしれません。

しかし、大人になった現在では、自分の生活を守るために、以前とは違う選択ができる場合があります。

その経験が増えていくことは、長く失われていた主体性を取り戻すことにもつながります。

「生ける屍」からの回復|自分の人生が、自分のものになるまで

虐待によって心身が深く傷ついた人は、長い間、自分を守ることだけに力を使ってきたのかもしれません。

親の怒りを避けること。誰かに責められないこと。失敗しないこと。嫌われないこと。自分の存在が誰かの負担にならないようにすること。

そうしたことを考え続けているうちに、自分が何を望んでいるのか、何に喜びを感じるのかを確かめる時間が失われていく場合があります。

生きるために必要だった防衛が、いつの間にか、自分が生きているという感覚そのものを遠ざけてしまうのです。

さらに、自分が傷つけられた責任まで引き受け、過去の出来事について何度も自分を責め続けていると、人生は終わりのない償いのように感じられることがあります。

けれど、子どもの頃に背負わされた責任を、大人になってからも引き受け続けなければならないわけではありません。

親が暴力を振るったこと。助けを求めても守られなかったこと。逃げられない環境で、身体が動かなくなったこと。

そうした出来事を、自分の価値の低さや罪の証拠として扱う必要があるのかを、少しずつ考え直していくことができます。

回復の過程では、感情が戻ってくることで、かえって苦しくなる時期もあるでしょう。

これまで感じられなかった怒りや悲しみ、失ったものへの悔しさが浮かび上がってくることもあります。

そのような感情に触れることには、十分な時間と安全が必要です。

また、身体の疲労や痛みが続いている場合には、心理的な支援だけでなく、医療や生活面の調整が必要になることもあります。

回復には波があり、思うように進まない時期もあります。それでも、自分の苦しさを少しずつ理解し、必要な支援を選び、生活の中に負担の少ない時間を増やしていくことはできます。

かつては、誰かの怒りを避けることが生活の中心だったかもしれません。現在も、自分を責める内側の声に従い、何かを楽しむことや休むことに罪悪感を覚えるかもしれません。

しかし、その声が今の自分にとって本当に必要なのかを考えられるようになると、これまでとは違う選択肢が見えてくる場合があります。

虐待サバイバーの回復とは、自分を罰することで生き延びてきた状態から、自分を守り、自分のために生きることを少しずつ許せるようになる過程です。

長い間、罪悪感や恐怖によって支配されてきた人生の中で、自分の意思を持ち、何かを選び、必要なときには助けを求める。

誰かの期待へ応えるためではなく、自分の生活を続けるために休む。自分が心地よいと感じることを、自分の意思で選ぶ。

そのような経験が積み重なる中で、これまで他者の支配や過去の恐怖によって占められていた時間が、少しずつ自分自身のものへ変わっていきます。

生きているという実感は、ある日突然、完全な形で戻ってくるとは限りません。

それでも、自分の感情を理解し、身体の状態を確かめ、誰かとの関係の中でも自分の意思を持ち続けられるようになると、生活の感じ方が変化していくことがあります。

かつては、ただ一日を終えることが精一杯だった。その生活の中に、自分が何をしたいのかを考える余裕が少しずつ生まれてくる。

その変化は、過去に奪われてきた人生を、自分自身のものとして取り戻していく過程でもあるのです。


参考文献

  1. Dorahy, M. J., & Clearwater, K. (2012). Shame and guilt in men exposed to childhood sexual abuse: A qualitative investigation. Journal of Child Sexual Abuse, 21(2), 155–175.
  2. Stige, S. H., Halvorsen, J. E., & Solberg, E. T. (2020). Pathways to Understanding—How Adult Survivors of Child Sexual Abuse Came to Understand that They Had Been Sexually Abused. Journal of Child Sexual Abuse, 29(2), 205–221.
  3. Mauritzson, M., Bergendahl Odby, E., Holmqvist, R., & Nilsson, D. (2015). The Fog Is Lifting; Veils of Mist Come and Go: An Interpretative Phenomenological Analysis of the Experiences of Six Women Recovering From Pathological Dissociation. Journal of Interpersonal Violence, 30(1), 45–61.
  4. Kalsched, D. (1996). The Inner World of Trauma: Archetypal Defences of the Personal Spirit. Routledge.

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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