筋肉がもたらす幸福感|運動でトラウマから心身を解放する

筋肉がもたらす幸福 身体志向・ソマティック

かつて恐怖で身体が凍りついた経験をした人にとって、「身体を動かす」ことは、単なる運動以上の意味を持ちます。

逃げたいのに逃げられず、抵抗しようとしても身体が動かない。助けを求めたいのに声が出ず、ただ相手が立ち去るのを待つしかなかった。こうした体験をすると、その出来事が終わってからも、身体の緊張が抜けなくなったり、自分の意思で行動する感覚が失われたりすることがあります。

頭ではもう危険が去ったと分かっていても、肩や背中はこわばり、呼吸は浅く、ちょっとした物音に心臓が跳ね上がる。何かを始めようとしても身体が重く、行動する前から疲れ切ってしまうこともあります。

トラウマは、恐怖の記憶だけでなく、自分の身体をどのように感じ、どのように動かし、どれほど自分のものとして扱えるかという感覚にも影響します。特に、逃げることや抵抗することを妨げられた経験は、無力感や身体への不信感につながることがあります。

そのため、筋肉を使って再び身体を動かす経験には、大切な意味があります。

足の裏で地面を押し、脚に力を入れて立ち上がり、自分の意思で歩き始める。疲れたら速度を落とし、苦しくなれば立ち止まる。そのような動作の中で、かつて自由を奪われた身体を、もう一度自分の意思で扱えるという感覚が少しずつ育っていきます。

運動がもたらす幸福感とは、気分が高揚したり、筋力が増えたりすることだけではありません。自分の身体に力が戻り、自分で行動を選べるようになることが、心の回復にもつながっていくのです。

Table of Contents

  1. トラウマと凍りついた身体|なぜ動けなくなるのか
  2. 筋肉を動かすことは、失われた主体性を取り戻す経験になる
  3. 筋肉は「心の延長」|身体の動きと感情が結びついている理由
  4. 運動がもたらす幸福感|エンドルフィン・セロトニン・ドーパミンの働き
    1. エンドルフィンとエンドカンナビノイド|運動後の心地よさを支える仕組み
    2. セロトニン|気分と生活リズムを支える働き
    3. ドーパミン|小さな達成が行動する意欲を支える
  5. 運動は脳と自律神経にどのような影響を与えるのか
    1. ストレスホルモンと自律神経の調整
    2. 海馬と前頭前野|運動が脳の働きを支える可能性
  6. 運動によって「身体が自分のものだ」という感覚を取り戻す
  7. 運動が怖くなる人もいる|トラウマ回復で大切なのは安全と選択
  8. 頑張りすぎる運動は、過去の支配を繰り返してしまうことがある
  9. 日常に取り入れる「小さな筋肉の目覚め」
    1. 1.足裏で床を押す
    2. 2.椅子からゆっくり立ち上がる
    3. 3.壁を使って腕に力を入れる
    4. 4.骨盤を小さく動かす
    5. 5.肩や腕の緊張を確かめる
  10. 自然の中で身体を動かす|五感を使って現在の世界に触れる
  11. 運動はPTSDやトラウマの回復にどのくらい役立つのか
  12. 筋肉を通して自分を取り戻す|運動が「生き直し」につながる理由
  13. まとめ|筋肉がもたらす幸福感は、自分の身体を取り戻すことから生まれる
  14. 参考文献
    1. ご相談をご希望の方へ

トラウマと凍りついた身体|なぜ動けなくなるのか

強い恐怖にさらされたとき、身体は危険に対応するため、心拍や呼吸、筋肉の緊張などを瞬時に変化させます。

危険から逃げようとする場合もあれば、抵抗するために身体を緊張させる場合もあります。しかし、状況によっては動きが止まり、声が出なくなることがあります。こうした防御反応の一つが、フリーズ(凍りつき反応)です。

フリーズには、周囲の危険に注意を向けながら一時的に動きを止める反応があります。また、極度の恐怖の中で、本人の意思に反して身体が動かなくなる強直性不動が生じることもあります。

その場から逃げたいという気持ちがあっても、身体は思うように動きません。相手に抵抗できなかった経験は、その後、「なぜ逃げなかったのか」「どうして何もできなかったのか」という自責感につながることがあります。

しかし、強い恐怖の中で身体が動かなくなる反応は、単純に本人の意思や勇気だけで説明できるものではありません。

こうした経験のあと、身体の緊張や警戒が長く続くことがあります。背中や首に力が入り、胃が縮むような感覚が生じたり、突然身体が重くなったりすることもあります。

一方で、強い疲労や無気力、抑うつなどが重なり、何かをしたいと思っていても行動を始められなくなる場合があります。

これらは一つのフリーズ反応だけで説明できるものではありませんが、トラウマによって身体の防御反応が強まり、行動すること自体が負担になる場合があることは重要です。

筋肉は緊張しているのに、動くための力が湧かない。休んでいるつもりなのに、身体はまったく休まらない。この矛盾した状態が、日常生活の中で長く続くことがあります。

フリーズによって身体が止まる仕組みについては、凍りつき反応(フリーズ)とは何か|トラウマで心身が止まる仕組みと回復の全体像で詳しく解説しています。

筋肉を動かすことは、失われた主体性を取り戻す経験になる

トラウマを経験した人にとって、運動が持つ心理的な意味を考えるうえで重要なのが、主体性の回復です。

虐待や暴力、支配的な人間関係の中では、自分の意思で行動できない経験が繰り返されることがあります。

逃げたいと思っても逃げられず、嫌だと言っても聞いてもらえない。自分の身体に何をされるのか、自分がどこへ行けるのかということまで、他者によって決められてしまう。

こうした経験が続くと、自分の行動が状況を変えるという感覚が弱まることがあります。

心理学では、自分の行動によって何かを変えられるという感覚は、自己効力感やコントロール感と関係しています。

筋肉を動かすことは、この感覚を身体的な経験として取り戻す機会になります。

椅子から立ち上がろうと思い、脚に力を入れる。足裏で床を押し、身体を持ち上げる。その動作が自分の意思によって実行され、思ったところで止められる。

そこには、自分の行動を自分で決められるという、ごく基本的な経験があります。

2019年、Nilssonらは、戦争や迫害などのトラウマを経験した難民33人を対象に、運動や身体活動を取り入れた治療について質的研究を行いました。

参加者の語りからは、運動によって身体的・精神的な調子が改善したという経験だけでなく、自分の身体を再び信頼できるようになったこと、自信や自己理解が深まったこと、自分の意思で行動する力を取り戻したことが重要な意味を持っていたと報告されています。

この研究は、運動の効果を単に症状の軽減として捉えるだけでは見えてこない、身体を動かすことの心理的な価値を示しています。

トラウマによって自分の身体が思いどおりにならなくなった人にとって、「自分で動かせる」「自分で止められる」「自分で選べる」という経験は、失われていた主体性を取り戻す手がかりになるのです。

筋肉は「心の延長」|身体の動きと感情が結びついている理由

筋肉は、物を持ち上げたり、歩いたりするためだけに働いているわけではありません。

私たちは筋肉や関節の状態を感じ取ることで、自分の身体がどのような姿勢を取り、どの方向へ動いているのかを理解しています。この働きは固有受容感覚(proprioception)と呼ばれます。

また、心拍や呼吸、胃腸の感覚など、身体の内部で起こっている変化を感じ取る働きは、内受容感覚(interoception)と呼ばれます。

人が自分の感情を理解するときには、こうした身体の感覚も関係しています。

怒りを感じると肩や顎に力が入り、恐怖を感じると呼吸が浅くなる。安心しているときには身体の緊張が緩み、動作が自然になることがあります。

ただし、感情と身体反応は一対一に対応しているわけではありません。同じ動悸でも、恐怖によって起こる場合もあれば、運動や喜び、身体的な疾患によって生じる場合もあります。

トラウマを抱えている人では、この身体感覚の受け取り方に偏りが生じることがあります。

周囲の物音には敏感に反応するのに、自分が疲れていることには気づきにくい。身体が緊張しているのに、何に不安を感じているのか分からない。反対に、わずかな心拍の変化が恐怖の記憶と結びつき、強い不安を引き起こすこともあります。

そこで役立つ場合があるのが、筋肉を使った小さな動作を通して、身体の感覚を確かめ直していくことです。

腕を曲げたり伸ばしたりするときに、どこに力が入っているのかを感じる。歩いているときに、足裏が地面に触れ、体重が左右へ移動していく感覚を確かめる。

こうした経験は、身体への気づきを育てる手がかりになります。

身体の感覚に注意を向けることが苦痛になる人もいるため、その場合には無理に内側へ集中せず、周囲の景色を眺めながら動くなど、取り組みやすい方法を選ぶことが大切です。

運動がもたらす幸福感|エンドルフィン・セロトニン・ドーパミンの働き

運動を続けていると、ある瞬間から気持ちが軽くなり、身体が温まり、呼吸が自然に深くなるように感じることがあります。

運動後に生じる心地よい疲労感や達成感は、筋肉を動かしたことによる身体的な変化だけでなく、脳内で働く複数の神経伝達物質や神経調節物質とも関係しています。

エンドルフィンとエンドカンナビノイド|運動後の心地よさを支える仕組み

エンドルフィンは、身体の痛みの調節やストレス反応に関わる内因性オピオイドの一種です。運動によってその働きが変化することが知られており、運動後の心地よさを説明する物質として広く紹介されてきました。

しかし、ランニング後に感じる高揚感、いわゆる「ランナーズハイ」を、エンドルフィンだけで説明することはできません。

近年は、エンドカンナビノイドと呼ばれる体内物質の働きが注目されています。

2023年にSiebersらが発表した系統的レビューでは、運動後のエンドカンナビノイドの変化について、人を対象とした研究が検討されました。単回の運動を調べた17研究のうち14研究で、運動後にエンドカンナビノイドの増加が確認されています。

エンドカンナビノイドは、不安、気分、痛みの調節などに関わる物質であり、運動後の心地よさに寄与している可能性があります。ただし、人におけるランナーズハイの仕組みが、すべて明らかになっているわけではありません。

トラウマを抱えた人にとって重要なのは、強い高揚感を得ることよりも、身体を動かしたあとに「少し気持ちが軽くなった」「身体が温かい」「心地よい疲れを感じる」といった経験が生まれることです。

これまで恐怖や緊張と結びついていた身体の感覚に、心地よさという別の意味が加わっていくからです。

セロトニン|気分と生活リズムを支える働き

セロトニンは、気分、睡眠、食欲などに関わる神経伝達物質です。運動によってセロトニン系の働きが変化する可能性が研究されています。

特に、朝に散歩をする習慣には、身体活動とともに日光を浴び、睡眠と覚醒のリズムを整えやすくするという利点があります。

夜に眠れず、朝は身体が重く、日中も疲労感が続いている人にとって、毎日決まった時間帯に軽く身体を動かすことが、生活のリズムを作り直す助けになる場合があります。

ただし、散歩やストレッチをすれば脳内のセロトニンが必ず増えるという単純な関係ではありません。運動による気分の改善には、睡眠、身体的な健康状態、心理的な達成感など、さまざまな要因が関係しています。

ドーパミン|小さな達成が行動する意欲を支える

ドーパミンは、報酬の予測、動機づけ、学習、行動の選択などに関わる神経伝達物質です。

何かを達成したときの喜びだけでなく、「もう一度やってみよう」という意欲にも関係しています。

トラウマによって無力感が強くなっている人は、行動する前から失敗を予想し、「どうせ自分には無理だ」「何をしても変わらない」と感じることがあります。

そのような状態では、大きな目標を立てるよりも、小さな達成を実際に経験することが役立ちます。

今日は10分歩けた。昨日より少し長く散歩できた。椅子から立ち上がる動作を、自分の意思で数回繰り返せた。

その経験を自分自身が認めることで、次の行動へ向かう意欲が生まれやすくなることがあります。

運動による達成感をドーパミンだけで説明することはできませんが、自分の行動によって何かが変わったという経験の積み重ねは、自己効力感を育てるうえで大切な意味を持っています。

運動は脳と自律神経にどのような影響を与えるのか

筋肉を動かすことは、脳や自律神経の働きにも影響します。

継続的な身体活動は、気分や睡眠、ストレスへの対処能力、認知機能などと関係しており、心理的な健康を支える一つの要素として研究されています。

ストレスホルモンと自律神経の調整

強いストレスを経験すると、身体では交感神経や視床下部―下垂体―副腎系(HPA軸)などが働き、危険へ対応するための変化が生じます。

その過程に関わるホルモンの一つが、コルチゾールです。

コルチゾールには、血糖や代謝を調整し、ストレスへ対応する重要な役割があります。ただし、慢性的なストレスを経験した人のコルチゾールが、常に高くなっているとは限りません。反応の大きさや日内リズムには個人差があり、低下や変動の仕方が問題になる場合もあります。

適度な運動を継続することは、ストレスへの生理的な適応や自律神経の調整を支える可能性があります。

しかし、運動によって一時的に心拍数やコルチゾールが増加することもあります。運動は身体に一定の負荷を与える活動であり、その負荷に適応していく過程が、健康への効果につながるからです。

そのため、トラウマを抱える人にとっては、運動の強さや時間を自分の状態に合わせて調整することが重要になります。

過覚醒や自律神経の働きについては、自律神経とポリヴェーガル理論でも詳しく解説しています。

海馬と前頭前野|運動が脳の働きを支える可能性

継続的な運動は、記憶や学習に関わる海馬、注意や行動の調整に関わる前頭前野などの働きとも関連しています。

また、運動によって、神経細胞の働きや可塑性に関係する脳由来神経栄養因子(BDNF)が変化することも研究されています。

BDNFは、神経細胞の維持や学習に関わる物質であり、運動が脳の健康に影響する仕組みを考えるうえで注目されています。

ただし、運動によってBDNFが増加することと、トラウマ記憶が直接修復されることは同じではありません。

それでも、日常的に身体を動かし、睡眠や気分、集中力が改善していくことは、トラウマ治療に取り組むための心身の余裕を育てることにつながる場合があります。

歩くことや軽い筋力トレーニングは、身体の変化に注意を向けながら現在の環境を確かめられる活動でもあります。

考えすぎて頭が疲れているとき、歩くという一定の動作に集中することで、反芻思考から少し距離を取れることもあるでしょう。

運動によって「身体が自分のものだ」という感覚を取り戻す

トラウマを抱えている人は、身体の感覚そのものに不安や嫌悪感を覚えることがあります。

動悸がすれば過去の恐怖を思い出し、息苦しさが生じるとパニックになる。身体が重くなれば、自分がまた動けなくなるのではないかと不安になる。

その結果、身体の感覚に注意を向けることを避けたり、反対にわずかな変化を常に監視したりするようになる場合があります。

こうした状態では、運動を通して身体との関係を少しずつ変えていくことが助けになることがあります。

筋肉を動かすときには、どこに力が入り、どの程度の動きなら負担が少ないのかを、自分で確かめることができます。普段は身体の不調ばかり気になっていても、腕を伸ばせたことや、歩く速度を調整できたことに気づく場合があります。

身体の感覚が怖いときには、無理にそこへ意識を集中する必要はありません。周囲の景色を見ながら歩いたり、決まった場所まで移動することを目標にしたりする方法もあります。

自分の身体に注意を向け、動作を選び、その動作を実行する。苦しくなったら止めてもよいと分かっている。そのような経験が、身体への不信感を和らげ、自分の身体を再び受け入れていく過程につながる場合があります。

身体を動かすことは、他者に奪われていた身体の主導権を、自分の側へ取り戻していく試みでもあるのです。

運動が怖くなる人もいる|トラウマ回復で大切なのは安全と選択

運動には心身を支える効果が期待できますが、トラウマを経験したすべての人にとって、身体を動かすことが心地よいとは限りません。

特に、身体への侵入や暴力を経験した人にとって、身体の感覚に注意を向けること自体が恐怖につながる場合があります。

2018年、Smith-Marekらは、性暴力を経験した女性8人を対象に、運動についての体験を聞き取る質的研究を行いました。

その研究では、運動が心身に良い影響をもたらすと感じている一方で、身体への過度な意識や、運動する環境への不安、過去のトラウマによる制約が、運動への参加を難しくしていることが明らかになっています。

つまり、運動をしない理由が、単純な意欲の低さとは限らないのです。

人が多いジムでは周囲の視線が気になり、身体に密着する服装に強い抵抗を感じる。インストラクターから姿勢を直されることや、身体に触れられることが怖い場合もあるでしょう。

また、ランニングによって心拍数が上がったとき、その動悸が過去の恐怖体験と結びつき、パニックやフラッシュバックを引き起こすこともあります。

こうした反応がある場合には、運動の種類だけでなく、場所、時間帯、服装、周囲にいる人、途中でやめられるかどうかといった条件も重要になります。

自宅で一人で行う方が安心できる人もいれば、信頼できる人が近くにいる方が取り組みやすい人もいます。

運動をするかどうか、どのくらい動くか、どこでやめるかを自分で決められることが、トラウマを抱える人にとって大きな意味を持つのです。

また、運動による負荷が強すぎると、疲労や不眠、身体の痛みが増す場合があります。体調や持病に応じて負荷を調整し、強い胸痛、失神、異常な息切れなどが生じる場合には、身体的な原因の確認も必要です。

頑張りすぎる運動は、過去の支配を繰り返してしまうことがある

トラウマを抱える人の中には、幼い頃から「もっと頑張れ」「弱音を吐くな」「怠けるな」と言われ続けてきた人もいます。

そのような人が運動を始めると、身体を大切にするための活動が、いつの間にか自分を追い込む行為へ変わってしまうことがあります。

疲れていても予定した回数を終えなければ気が済まない。筋肉痛が強くても休めず、運動できなかった日には罪悪感を覚える。

本来は健康のために始めた運動なのに、いつの間にか「できない自分」を責める材料になってしまうのです。

これは、過去に他者から求められてきた過剰な努力や自己犠牲のあり方が、運動という新しい場面でも繰り返されている状態として考えることができます。

トラウマからの回復において重要なのは、運動の記録を伸ばすことだけではありません。

今日は疲れているから休む。昨日より身体が重いので運動量を減らす。途中で嫌な感覚が出てきたら中断する。

そうした判断を自分自身でできることも、大切な回復の経験になります。

かつて身体の限界を無視されてきた人にとって、今度は自分がその限界を尊重できるようになることには、大きな意味があります。

日常に取り入れる「小さな筋肉の目覚め」

身体を動かすことに不安がある場合には、激しい運動から始める必要はありません。

日常生活の中でできる小さな動作でも、筋肉に力を入れ、その動きを自分で調整する経験を積み重ねることができます。

1.足裏で床を押す

椅子に座り、両足を床につけて、足裏でゆっくり床を押してみます。

5秒ほど力を入れたら緩め、数回繰り返します。太ももやふくらはぎに力が入る感覚を確かめながら、どのくらいの力で押すと心地よいかを探してみます。

足裏の感覚が分かりにくいときには、実際に床を押しているという動作だけに意識を向けても構いません。

2.椅子からゆっくり立ち上がる

椅子に座った状態から、足裏で床を押し、ゆっくり立ち上がります。

立ったあとには身体の重さが足へ移ったことを確かめ、再び自分のペースで座ります。

脚や腰に無理がない範囲で行い、必要であれば手を使って身体を支えてもよいでしょう。

自分の意思で動作を始め、終えるという経験を大切にします。

3.壁を使って腕に力を入れる

壁の前に立ち、両手を壁につけて、軽く身体を預けます。

腕や肩に力が入る感覚を確かめながら、ゆっくり壁を押して元の姿勢に戻ります。

力を入れることと、力を緩めることの違いを感じられると、身体の緊張に気づく手がかりになる場合があります。

4.骨盤を小さく動かす

仰向けになり、膝を立てて、骨盤をゆっくり前後へ動かしてみます。

腰に痛みが出ない範囲で、ごく小さな動きから始めます。床に接している身体の部分が、動きに合わせてどのように変わるのかを確かめてみます。

仰向けの姿勢が不安な場合には、座った状態で骨盤を少し前後に動かしてもよいでしょう。

5.肩や腕の緊張を確かめる

肩を軽くすくめて数秒間保持し、そのあとゆっくり下ろします。

肩に力が入っている状態と、力を緩めた状態とで、どのような違いがあるかを確かめます。

首や肩に痛みがある場合には、無理に動かす必要はありません。

こうしたエクササイズでは、何回できたかという成果よりも、身体がどのように反応し、自分がどの程度の動きを心地よく感じるのかを知ることが大切です。

身体への働きかけを通してトラウマ反応を理解する方法については、ソマティック・エクスペリエンシング(SE)の効果とやり方でも詳しく解説しています。

自然の中で身体を動かす|五感を使って現在の世界に触れる

自然の中で身体を動かすことには、筋肉を使うという働きに加えて、周囲の環境に注意を向けられるという特徴があります。

公園を歩いているときには、足裏に伝わる地面の感触、木々の匂い、風が肌に触れる感覚、光と影の変化など、さまざまな刺激を経験します。

トラウマによって過剰な警戒が続いている人は、周囲の刺激を危険の兆候として受け取ることが多くなりがちです。

そのような状態でも、自分が心地よいと感じられる環境で歩くことによって、身体の外側にある世界へ少しずつ注意を向けられる場合があります。

近所の公園を一周する。川沿いを10分ほど歩いてみる。体調のよい日には、山や海など、自分が落ち着ける場所でゆっくり過ごす。

そのときに、無理にリラックスしようとする必要はありません。

木々の間から光が差していることに気づいたり、風の冷たさを感じたり、歩く速度を変えてみたりするだけでも、今いる環境に触れる経験になります。

ただし、自然の中がすべての人にとって安心できる場所とは限りません。人の少ない場所に恐怖を感じたり、過去の出来事を思い出したりする人もいます。

自分が落ち着ける場所を選び、安心できる範囲で身体を動かすことが大切です。

運動はPTSDやトラウマの回復にどのくらい役立つのか

運動とPTSDの関係については、近年、臨床研究が蓄積されています。

2025年にYuanらが発表した12件のランダム化比較試験を対象とするメタ分析では、身体活動によってPTSD症状、睡眠の問題、不安、抑うつ症状などが改善する傾向が確認されました。

この結果は、運動がトラウマを抱える人の心身の回復を支える可能性を示しています。

さらに、Rosenbaumら(2015)は、PTSDと診断された成人81人を対象に、通常の治療に運動を加える効果をランダム化比較試験で調べました。

12週間にわたり、筋力トレーニングと歩行を組み合わせた運動に取り組んだ群では、通常治療のみの群と比較してPTSD症状や抑うつ症状、睡眠の質などに改善が認められました。運動を心理療法や薬物療法などと組み合わせることの有用性を示す研究です。

一方で、運動の種類や強度、対象となる人の状態、治療との組み合わせは研究によって異なります。そのため、運動だけでPTSDが治ると判断することはできません。

PTSDの治療では、トラウマ焦点化認知行動療法やEMDRなど、効果が検証されている心理療法が重要な選択肢となっています。

運動は、こうした治療と組み合わせながら、身体の緊張や疲労、睡眠の問題、自己効力感の低下などに働きかける補助的な方法として役立つ場合があります。

特に、身体感覚が乏しくなっていたり、自分の身体を怖いものとして感じたりしている人にとって、運動の目的は筋力を増やすことだけではありません。

身体を動かすことができたという経験、心地よい疲労を感じる経験、動きを自分で選べる経験が、心身の回復を支えていく場合があるのです。

筋肉を通して自分を取り戻す|運動が「生き直し」につながる理由

トラウマを経験した人は、身体を自分のものとして扱う感覚を失ってしまうことがあります。

他者から支配され、自由に動くことを許されなかった経験があると、自分が何かをしたいと思っても、その意思を行動へ移すことに恐怖が生じる場合があります。

身体はいつも緊張し、次に何が起こるのかを予測し続ける。疲れていても休むことができず、危険を感じてもその場から離れられない。

そうした状態が長く続くと、身体は自分を支えるものというより、常に苦しみを生み出すものとして感じられるようになることがあります。

しかし、筋肉を使って自分の意思で動く経験を重ねる中で、身体との関係が少しずつ変わっていくことがあります。

歩きたいと思ったときに歩ける。疲れたときには休める。今日は少し動けそうだと感じたら、できる範囲で身体を動かしてみる。

そのような経験を通して、自分の身体を信頼する感覚が育っていきます。

大切なのは、筋肉を強くすることだけではなく、身体の状態を確かめ、自分にとって必要な動きや休息を選べるようになることです。

かつて他者によって自由を奪われた身体を、今度は自分自身の意思で扱っていく。その過程で生まれる安心感や達成感が、心の回復にもつながっていくのです。

運動は、過去の記憶を消してくれるわけではありません。しかし、現在の身体の中に新しい経験を積み重ねることはできます。

自分の身体は、恐怖や苦痛を感じるだけの場所ではなく、力を発揮し、心地よさを感じ、自分の意思を実現するための場所でもある。

その感覚を取り戻していくことが、トラウマによって分断された心と身体を、再び結び直していく一つの道になります。

まとめ|筋肉がもたらす幸福感は、自分の身体を取り戻すことから生まれる

筋肉を動かすことは、身体の健康だけでなく、心の安定や自己効力感にも関係しています。

運動によって身体が温まり、気分が軽くなる。筋力がつくことで、以前は難しかった動作ができるようになる。散歩や軽い筋力トレーニングを通して、自分の身体の状態を少しずつ理解できるようになる。

そうした経験は、トラウマによって失われていた身体への信頼を育てる手がかりになります。

何より重要なのは、自分の意思で動けるという感覚です。

かつて恐怖によって身体が凍りつき、何もできなかったとしても、現在の身体には、新しい動きや感覚を経験する可能性があります。

その変化は、激しい運動や大きな成果を必要とするものではありません。

椅子からゆっくり立ち上がる。足裏で床を押す。少しだけ歩き、疲れたら休む。そうした小さな動作の中にも、自分の身体を自分で扱う経験があります。

筋肉を動かすことで得られる幸福感は、運動による一時的な高揚感だけでなく、自分の身体を信頼し、自分の意思で行動できるという実感からも生まれてきます。

長い間、危険に備えるために使ってきた身体の力を、これからは自分の生活を楽しみ、望む場所へ向かい、自分自身を支えるためにも使っていく。

身体を動かすことは、そのための大切な入り口になるのです。


参考文献

  1. Nilsson, H., Saboonchi, F., Gustavsson, C., Malm, A., & Gottvall, M. (2019). Trauma-afflicted refugees’ experiences of participating in physical activity and exercise treatment: A qualitative study based on focus group discussions. European Journal of Psychotraumatology, 10(1), 1699327.
  2. Rosenbaum, S., Sherrington, C., & Tiedemann, A. (2015). Exercise augmentation compared with usual care for post-traumatic stress disorder: A randomized controlled trial. Acta Psychiatrica Scandinavica, 131(5), 350–359.
  3. Smith-Marek, E. N., Baptist, J., Lasley, C., & Cless, J. D. (2018). “I Don’t Like Being That Hyperaware of My Body”: Women Survivors of Sexual Violence and Their Experience of Exercise. Qualitative Health Research, 28(11), 1692–1707.
  4. Siebers, M., Biedermann, S. V., & Fuss, J. (2023). Do Endocannabinoids Cause the Runner’s High? Evidence and Open Questions. The Neuroscientist, 29(3), 352–369.
  5. Yuan, Z., Peng, C., Yang, L., & Chen, H. (2025). Effects of physical activity on patients with posttraumatic stress disorder: A systematic review and meta-analysis of randomized controlled trials. Medicine, 104(3), e41139.
  6. National Institute for Health and Care Excellence. (2018). Post-traumatic stress disorder: NICE guideline NG116.

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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