毒親に育てられた人の苦悩|愛と憎しみの狭間で続く親子関係の葛藤

毒親に育てられた人 親子関係・毒親

毒親のもとに生まれた子どもの世界は、外から見える以上に静かで、深い緊張に満ちている。怒号や暴力といった目立つ出来事だけが、子どもを傷つけるわけではない。むしろ、何も起きていない時間にも家庭の空気が張りつめ、いつ親の機嫌が変わるか分からないという不安が、子どもの心と身体を少しずつ支配していく。

子どもは親の機嫌の揺れを、まるで地震計のように全身で感知する。怒りが噴き上がる前のわずかな沈黙、言葉が荒れる直前の呼吸の乱れ、食器を置く音の強さ。そうした小さな変化を察知し、自分の行動を変えることが、家庭の中で生き延びるための暗黙の規則となっていく。

親が帰宅する足音を聞いただけで、それまで楽しんでいたことをやめる。母親が不機嫌そうに台所に立っていると、何も言われていないのに手伝い始める。父親の表情が曇れば、今日あった出来事を話すのを諦める。

こうした生活の中で、子どもは愛情について複雑な理解を身につけていく。

「愛とは、いつ崩壊するか分からないものだ」「安心は一瞬で裏返る」「自分の存在は、誰かの感情に従属している」

本来、親との関係は安心して自分を表現するための土台になる。しかし、親の感情に生活を左右されてきた子どもにとって、親子関係は愛情を求める場所であると同時に、自分を守らなければならない場所でもある。

その矛盾は大人になってからも残り続ける。親から離れたいのに見捨てることができず、親を憎んでいるのに愛情を求めてしまう。自分の人生を生きたいと願いながら、親の期待を裏切ることに強い罪悪感を覚える。

毒親育ちの苦しさには、こうした愛情、憎しみ、依存、罪悪感が複雑に絡み合い、自分の気持ちを一つにまとめられない葛藤がある。

感情的に不安定な親のもとで形成される「ゆがんだ現実感」

有害な親子関係の中で、子どもの心を深く混乱させるものの一つが、親の感情の不連続性である。

昨日は優しく抱きしめてくれた親が、今日は些細なことで激しく怒鳴り、人格まで否定してくる。怒りが爆発した数時間後には、何事もなかったように食卓に座り、テレビを見ながら笑っている。

子どもには、つい先ほどまで泣いていた自分の気持ちが残っている。それなのに親は、暴言を吐いたことも、子どもが傷ついたことも、すっかり忘れてしまったかのように振る舞う。

「さっき、あんなに怒ったのに」「どうして今は普通に笑っているのだろう」。そうした疑問を口にすれば、親はさらに怒り出すかもしれない。

このとき、子どもの内側には二つの現実が生まれる。一つは、自分が確かに恐怖を感じ、傷ついたという現実。もう一つは、何も問題が起きていないかのように振る舞う親の現実である。

子どもはその食い違いを理解できないまま、親の態度に合わせて自分の感情を修正していく。怒っていたはずなのに、親が笑えば自分も笑う。悲しかったはずなのに、親から「そんなことで泣くな」と言われると、自分の悲しみが間違っているように感じる。

こうして自分の感覚よりも、親が示す現実の方を優先するようになる。

臨床心理学者リンジー・ギブソンは、感情的に未成熟な親との関係では、子どもの気持ちより親自身の不快感が優先されやすいことを論じています。子どもが傷ついたと伝えても、親は自分を正当化し、その訴えを大げさだと退けてしまうことがあります。

こうしたやり取りが続くと、子どもは何がつらかったのかを確かめる前に、親が受け入れやすい説明を選ぶようになります。

大人になっても、自分の感覚より相手の言い分を優先してしまう場合があります。

やがて子どもは、何かを感じること自体に慎重になっていく。怒りを表せば関係が壊れる。悲しみを見せれば面倒がられる。助けを求めても受け止めてもらえない。

その結果、感情を麻痺させることが、一つの生存戦略になっていくのである。

毒親育ちの長期的な影響|自分という輪郭が失われていく

毒親の家庭では、子どもが自分の意思や欲求を持つことが、親への反抗として扱われることがある。

好きな服を選べば「そんなものは似合わない」と言われ、進路について意見を述べれば「親の言うことを聞いていればいい」と否定される。少しでも不満を表せば、「誰のおかげで生活できていると思っているのか」と責められる。

子どもの欲求、怒り、悲しみ、反抗心は、親の都合を乱すものとして扱われる。何を考えているのかよりも、親が何を望んでいるのかが優先される家庭では、子どもが自分の意思を育てる機会が少しずつ失われていく。

こうして成長した人は、大人になってから自分の気持ちを尋ねられると、答えに詰まることがある。

何をしたいのか分からない。何が好きなのか分からない。誰かに誘われると、本当は気が進まなくても断れない。自分にとって大切な選択でさえ、相手がどう思うかを考えることから始めてしまう。

周囲からは穏やかで協調性があると評価されても、その内側には、自分という容れ物がいつの間にか抜き取られてしまったような空虚感が残っている。

自分の人生を歩いているはずなのに、自分で決めている感覚が乏しい。誰かの期待に応えているときだけ、自分の存在に意味があるように感じる。

こうした状態には、幼少期から自分の欲求を抑え、他者の期待に合わせることで家庭内の安全を確保してきた経験が関係している場合がある。

そして、この生き方は成人後の仕事や恋愛、友人関係にも持ち込まれる。人に合わせすぎて疲れ果て、拒絶を恐れて本音を隠し、相手との距離感がつかめない。親しい関係になるほど相手の感情に巻き込まれ、自分の輪郭が曖昧になっていく。

こうした心理については、過剰適応とは?他人軸で生きて疲れ切る人の特徴・原因と回復でも詳しく取り上げている。

親への愛と憎しみが同居する|毒親育ちが抱える深い葛藤

毒親に育てられた人の苦しみは、親から受けた傷だけで完結するものではない。その親を今でも大切に思っていたり、愛情を求め続けていたりすることが、さらに複雑な葛藤を生み出している。

「親を憎んでいる自分が怖い。でも、親を愛している気持ちも確かにある」

幼い子どもにとって、親は自分を傷つける存在であると同時に、生きていくために必要な存在でもある。親から逃げたいと思っても、親に見捨てられることは恐ろしい。傷つけられても、次の日にはまた優しくしてほしいと願ってしまう。

成長してから親への怒りを自覚するようになっても、子どもの頃に抱いていた愛情や期待が簡単に消えるわけではない。

親の言葉に傷つき、もう連絡を取りたくないと思った翌日、親が病気になったと聞けば心配になる。自分を苦しめてきた母親に対して、もう関わりたくないと思いながら、母の日には何か贈った方がいいのではないかと考える。

親を憎むことは、自分の一部を否定するように感じられる。一方で、親を愛そうとすれば、自分が傷つけられた事実を見失いそうになる。

この二つの感情を抱えたままでは、親を批判することにも、親を大切にすることにも、苦しさがつきまとう。

2024年に発表された、家庭内暴力を経験した女性たちの質的研究でも、成人後の親子関係には愛情だけでなく、裏切られた感覚や複雑な感情が残ることが示されている。親との関係が変化した人もいれば、傷ついた経験を抱えながら関係を続ける人もおり、親への感情は一つの結論に収まりきらない。

大切なのは、愛情と憎しみをどちらか一方に決めようとしないことである。

親に優しくされた記憶が残っていても、傷つけられた経験は消えない。親から受けた傷を認めたからといって、親を大切に思う気持ちまで失われるわけでもない。

「親を愛していること」と「親から傷つけられたこと」は、同時に存在していてよい。

この二つを分けて考えられるようになることが、親への複雑な感情を整理する一つの手がかりになる。

「親が望む自分」を演じ続けるという苦しみ

幼少期に身につけた「親が望む自分」を演じる習慣は、大人になってからも深く残ることがある。

親の前では明るく振る舞い、怒られそうな話題を避け、自分の意見を言う前に相手の機嫌を確かめる。親が不満を口にすれば、反論するより先に、その不満を解消する方法を考える。

本当は会いたくない日でも、親から呼び出されると断れない。電話が鳴るだけで身体が緊張し、出なければ後で何を言われるか分からないという不安が広がる。

こうした生活の中では、親と一緒にいる時間が終わっても、緊張がすぐには抜けないことがある。

大人になった今も、親からの一言で幼い頃の自分に戻ったように感じ、何も言い返せなくなる。その一方で、電話を切ったあとには激しい怒りが湧き上がり、「どうしてまた言いなりになってしまったのだろう」と自分を責める。

このとき内側で働いているのは、かつて親との関係を保つために身につけた行動のパターンである。

「本当の自分を出すと関係が壊れる」「望まれる役割を果たしていれば安全でいられる」「相手を怒らせたら自分が悪い」

このような信念は、家庭を離れてからも人間関係の中で働き続けることがある。

仕事では上司の期待に応えようと過剰に頑張り、恋愛では相手の機嫌を損ねないように自分を抑える。友人に対しても嫌われることを恐れ、自分の限界を超えて頼み事を引き受けてしまう。

人生のさまざまな場面で、親の機嫌を中心に組み立てられた生き方が繰り返される。

その結果、本人は疲れ果てているにもかかわらず、休むことにも罪悪感を覚えるようになる。誰かの期待に応えていない自分には価値がないように感じ、自由な時間を与えられても、何をすればよいのか分からなくなる。

ここには、親との関係で形成された「役割としての自分」と、本来の感情や欲求を持った自分との深い隔たりがある。

親を嫌っているのに離れられない|罪悪感と親孝行の重圧

毒親育ちの葛藤は、親が年老いたときにも強く表れる。

これまで散々傷つけられてきたのに、親が弱ってくると見捨てることができない。親の面倒を見たくないと思う一方で、介護を拒めば冷たい人間だと責められるように感じてしまう。

「育ててもらったのだから、最後くらい面倒を見るべきだ」「親を放っておいたら後悔するのではないか」。そう考えるほど、自分が受けてきた苦しみを後回しにしてしまう。

家族療法家ボスゾルメニ=ナジは、家族のあいだで受け継がれる忠誠心や義務、公平さの問題を論じました。親から傷つけられていても、育ててもらった恩を返さなければならないという思いが、親との距離を取りにくくすることがあります。

親の介護が始まると、過去の怒りを抱えたまま、通院や生活の援助を引き受けることがあります。きょうだいが協力しなくても自分だけは断れず、助けるほど苦しくなる場合もあります。

親への感謝と、現在の介護をどこまで担うかは別の問題です。家族への義務感だけで決めず、自分の生活や健康を守れる範囲を確かめる必要があります。援助の量も方法も、一度決めたら変えられないわけではありません。

親への愛情、怒り、義務感が入り混じる中で、子ども時代の苦しさが再び表面化することは、決して珍しい問題ではない。

親の介護をすることと、過去の虐待を許すことは別である。また、親の生活をどこまで支えるかという問題も、自分の健康や経済状況、家族関係などを考慮して決めていく必要がある。

親孝行という言葉の裏側で、自分の生活が再び親に奪われてしまわないようにすることも大切である。

感情を取り戻すこと|怒りや悲しみに居場所を与える

毒親からの心理的な解放は、必ずしも親に対して大きな反抗をすることや、関係を断つことから始まるわけではない。

むしろ、自分の中で長い間押しつぶしてきた感情に、少しずつ気づいていくことから始まる場合がある。

親から嫌なことを言われたとき、本当は腹が立っていた。頼み事を断れなかったとき、本当は疲れていた。親の期待に応えようと頑張ってきたけれど、本当は誰かに自分の気持ちを聞いてほしかった。

そうした感情を認めようとすると、最初は強い不安が生じることもある。これまで親の怒りを避けるために抑えてきた感情を表に出すことが、身体にとって危険な行為のように感じられるからである。

特に怒りは、毒親育ちの人が自分の中で扱いにくい感情の一つである。

親への怒りを感じると、親不孝なのではないかと罪悪感が生じる。怒りが大きくなると、自分も親のような人間になってしまうのではないかと恐ろしくなる。

そのため、怒りを感じた直後に「親も大変だったから」「悪気があったわけではないから」と、親を擁護する考えが浮かぶこともある。

親の事情を理解しようとすること自体は自然なことだが、それによって自分が受けた傷まで打ち消してしまうと、怒りや悲しみは行き場を失ってしまう。

感情を取り戻す過程では、次のような問いが役立つことがある。

  • 親の言葉を聞いたとき、自分は本当は何を感じていたのか。
  • 親の機嫌を考えなければ、どのような返事をしたかったのか。
  • 自分の気持ちと、親から求められてきた気持ちは、どこで食い違っているのか。
  • これからの人生で、自分は何を大切にして生きたいのか。

最初から明確な答えが見つかるとは限らない。長い間、自分の感情よりも親の要求を優先してきた人にとって、自分が何を感じているのかを知ること自体が難しい場合もある。

それでも、自分の中に怒りがあること、悲しみが残っていること、親に愛してほしかった気持ちが消えていないことを少しずつ認められるようになると、それまで切り離されていた感情に居場所が生まれてくる。

幼少期に表現できなかった気持ちと向き合う過程については、インナーチャイルドの癒し方|過去のトラウマを抱えた自分との向き合い方でも取り上げている。

親を超えるということ|過去と未来の境界線

毒親育ちの人は、親を許すべきか、それとも許さないままでいるべきかという問題に長く苦しむことがある。

親のことを考えるたびに怒りが湧き上がり、もう二度と関わりたくないと思う。しかし、そのままでは自分が冷たい人間になってしまうようで、親を許そうと努力する。

一方で、無理に親を許そうとすると、これまで自分が耐えてきた苦しみまで否定してしまうように感じられる。

親を許すことと、自分が受けた影響を整理することは、別の問題として考えることができる。

重要なのは、親の未熟さを自分の責任と混同しないようにすることであり、親の価値観を自動的に自分のものとして受け継がないようにすることである。

親が不機嫌だったのは、自分が悪い子どもだったからなのか。親の期待に応えられなかったことは、本当に自分の失敗だったのか。親が望んだ人生を歩むことが、自分の幸福につながるのだろうか。

こうした問いを重ねる中で、これまで当然だと思っていた親の考え方に、少しずつ疑問を持てるようになる。

心理的な境界線を引くとは、親を敵として扱うことではない。親の感情や要求と、自分の感情や意思を分け、それぞれの責任がどこにあるのかを考えられるようになることである。

親が悲しんでいても、その悲しみをすべて自分が引き受ける必要はない。親が自分の選択に反対していても、それだけで自分の選択が間違っていることにはならない。

2021年に発表されたLindenとSillenceによる質的研究では、親から不適切な扱いを受け、距離を置くようになった成人女性7人への聞き取りから、親との関係を見直すことが、自分の意思を取り戻す経験につながる一方で、心理的な負担も伴うことが示されている。

親と距離を置くことには、安心感が生まれる面と、悲しみや喪失感が残る面がある。親子関係のあり方を変えることは、それまで慣れ親しんできた関係や役割を手放すことでもあるからだ。

親との接触を減らす、電話に出る時間を決める、頼まれ事を断る、必要に応じて別居するなど、境界線の引き方は人によって異なる。現在も暴力や脅迫が続いている場合には、安全を優先しながら支援を得る必要がある。

親の呪縛から自由になるには|支配されてきた心が自分の人生を取り戻すまででは、親の価値観や期待から心理的に距離を取り、自分の人生を取り戻していく過程を詳しく解説している。

自分の人生を取り戻す|親に愛されるための人生から抜け出す

毒親に育てられた人が自分を取り戻していく過程では、これまで信じてきた価値観が少しずつ変化していく。

親の期待に応えることで自分の価値を確かめてきた人が、期待に応えなくても自分には価値があると考えられるようになる。親の機嫌を優先していた人が、自分の疲れや不快感に気づき、休んだり断ったりできるようになる。

最初は小さな変化かもしれない。親からの電話にすぐ出ず、自分の都合のよい時間に折り返す。親に何かを相談する前に、自分はどうしたいのかを考える。これまでなら親の反対を恐れて諦めていたことを、自分の意思で選んでみる。

そうした経験を積み重ねる中で、親との関係だけを中心に組み立てられていた人生に、少しずつ自分自身の居場所が生まれてくる。

2025年に『日本看護科学会誌』に掲載された永井翔・篠崎惠美子の研究では、幼少期に不適切な養育や虐待を経験し、成人後も精神疾患とともに生活する3人の女性の人生の語りが分析されている。

そこでは、傷ついた経験を振り返りながらも、その後に出会った人々との関係や人生経験を通して、過去の意味を捉え直していく過程が示されている。

人は自分の生育歴を変えることはできないが、そこで形成された自己理解や他者との関係のあり方を、人生の中で見直していくことができる。

親から愛されなかった悲しみが残っていても、別の誰かとの関係の中で安心を経験することはできる。幼い頃に自分の意見を否定されていても、現在の人間関係の中で自分の考えを大切にしてもらう経験を重ねることはできる。

そして、親に認めてもらうことを人生の中心に置かなくなったとき、自分が本当に望んでいることへ目を向ける余裕が生まれてくる。

終わりに|あなたの人生は、あなた自身へ回帰していく

毒親の影響は、親と暮らしていた年月が終わってからも、心の奥に残り続けることがある。親の声を聞いただけで緊張し、親の期待を裏切ることに罪悪感を覚え、親を憎む気持ちと愛する気持ちの間で揺れ続ける。

その苦しみの中には、かつて親に愛してほしかった子どもの気持ちが残っている。

本当はもっと甘えたかった。怖いときには守ってほしかった。何かができたときだけでなく、何もできない自分のことも大切にしてほしかった。

そうした願いが満たされないまま大人になると、親に対して怒りを抱きながらも、いつか分かってもらえるのではないかという期待を捨てきれないことがある。

しかし、親が変わることを待ち続ける人生から、自分がどう生きたいのかを考える人生へと移っていくことはできる。

親を美化する必要も、憎しみを無理に消す必要もない。親から受けた愛情と傷ついた経験の両方を認めながら、その親の人生と自分の人生を少しずつ分けていく。

かつて親の機嫌を読み、親に望まれる自分を演じることで生き延びてきたとしても、これから先まで同じ役割を続ける必要はない。

「私は、もうあの時の子どもではない」

その感覚が少しずつ育っていくとき、親の感情に従属していた心にも、自分の意思で選び、自分の感情を大切にする余地が生まれてくる。

親の期待を満たすために使ってきた時間を、これからは自分自身の人生のために使っていく。

それが、愛と憎しみの狭間で生きてきた人が、自分の人生を取り戻していく一つの道になる。


参考文献

  1. Adult Maltese Women’s Understanding of How Childhood Domestic Violence Has Impacted Their Relationships with Their Parents and Siblings: A Grounded Theory Study. (2024). Behavioral Sciences, 14(4), 333. 論文
  2. Gibson, L. C. (2015). Adult Children of Emotionally Immature Parents: How to Heal from Distant, Rejecting, or Self-Involved Parents. New Harbinger Publications. https://www.newharbinger.com/9781626251724/adult-children-of-emotionally-immature-parents/
  3. Boszormenyi-Nagy, I., & Spark, G. M. (1973). Invisible Loyalties: Reciprocity in Intergenerational Family Therapy. Harper & Row. https://cir.nii.ac.jp/crid/1971993809727773341
  4. Linden, A., & Sillence, E. (2021). “I’m Finally Allowed to Be Me”: Parent-Child Estrangement and Psychological Wellbeing. Families, Relationships and Societies, 10(2), 325–341. 論文
  5. 永井翔・篠崎惠美子(2025)「幼少期に保護者からチャイルド・マルトリートメントを受けた経験と精神疾患を抱えて生きる人々のライフストーリー」『日本看護科学会誌』45,267–277.論文

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井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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