マゾヒズムとは?痛みが安らぎになる心理とトラウマ・自己犠牲の関係

マゾヒズムの浄化 複雑性PTSD

幸せになれそうなときほど、なぜか不安になる。誰かに大切にされ、仕事や人間関係が落ち着き始めると、その穏やかな時間がいつまで続くのか気になり、胸の奥に説明のつかない緊張が生まれる。

本当は幸せになりたい。安心できる人と一緒に過ごし、自分の人生を大切にしたい。それなのに、いざ幸福が近づいてくると、自分にはふさわしくないもののように感じられてしまう。

マゾヒズム的な心理傾向を抱える人にとって、幸せは、まっすぐ向かえば手に入る目的地とは限りません。近づけば近づくほど輪郭がにじみ、指先が触れそうになった瞬間に遠ざかっていく、蜃気楼のように感じられることがあります。

穏やかな恋人と出会っても、相手の優しさを信じられない。仕事がうまく進み始めると、自分にはまだ努力が足りないと思い、必要以上に働いてしまう。ようやく安心できる生活を手に入れたのに、どこか落ち着かず、以前のような苦しい環境へ戻りたくなる。

怒りっぽい恋人や支配的なパートナーから離れられず、自分を消耗させる職場でも我慢し続ける。過労や危険な行動、自分の意思を抑えた性的な関係などを通して、苦しさのなかに奇妙な安堵を感じる場合もあります。

周囲からは「なぜ、わざわざ苦しい方を選ぶのだろう」と見えるかもしれません。

しかし、本人は必ずしも苦痛そのものを望んでいるわけではありません。自分を犠牲にすることで関係が維持され、相手に従うことで衝突が収まり、苦しみを引き受けることで罪悪感が少し和らぐ。

そのような経験が積み重なると、安心するための方法が、いつの間にか苦痛や服従と結びついてしまうことがあります。

ここで考えたいのは、なぜ苦しいことを繰り返すのかという行動の表面だけではありません。

なぜ痛みだけが、自分にとって信じられるものとして残ったのか。なぜ安心するために、自分を犠牲にしなければならなくなったのか。

その背景には、幼少期の愛着関係や慢性的なトラウマ、解離、罪悪感、そして他者に従うことで自分を守ってきた長い歴史が関わっている場合があります。

マゾヒズムとは何か|苦痛と安心が結びつく心理

マゾヒズムという言葉は、一般には苦痛や屈辱を受けることに性的な喜びを感じる傾向として知られています。

一方、精神分析や心理臨床では、性的な意味に限らず、苦痛や自己犠牲を伴う関係を繰り返したり、自分の幸福を妨げるような行動を取ったりする心理を、マゾヒズム的な傾向として理解してきました。

たとえば、自分を大切にしてくれる相手よりも、冷たく突き放す相手に強く惹かれる。相手から理不尽に責められても、離れるより自分が謝ることを選ぶ。仕事で認められていても、休むことに罪悪感を覚え、心身が限界になるまで働き続ける。

こうした状態では、苦しみを引き受けることが、愛情や安心、自己価値と結びついている場合があります。

ただし、心理的な自己犠牲、非自殺性自傷、合意のある性的なマゾヒズムは、それぞれ異なる現象です。

成人同士が自由な意思と明確な同意のもとで行う性的な実践を、それだけでトラウマや精神疾患の表れと判断することはできません。重要なのは、本人の意思や境界線が尊重されているか、その関係が苦痛や生活上の問題を生んでいるかという点です。

心理臨床で問題になるのは、本人が望んでいない苦しみから離れられず、自分を犠牲にすることによってしか安心や愛情を得られないように感じている状態です。

そのような状態を理解するには、現在の行動だけでなく、過去にどのような人間関係を経験してきたのかを考える必要があります。

トラウマがつくる心と身体の分断|頭では分かっていても離れられない

幼少期から暴力や暴言、無視、過干渉、感情的な支配にさらされてきた人は、心と身体の反応が一致しにくくなることがあります。

相手が危険な人だと頭では理解しているのに、離れようとすると強い不安が生じる。もう終わった出来事だと分かっていても、似たような声や表情に触れた瞬間、身体が緊張する。

こうした反応は、慢性的なトラウマを経験してきた人に見られることがあります。

強い恐怖や混乱にさらされているとき、人は現実の苦痛から心理的に距離を取ろうとする場合があります。

空想の世界へ入り込み、理想や観念に支えを求める。自分に起きていることを感情から切り離し、まるで他人の出来事であるかのように考える。正しさや理屈に集中することで、目の前の恐怖を感じないようにする。

空想や知性化は、圧倒されそうな状況から心を守るために働くことがあります。

しかし、頭の中でどれほど出来事を整理しても、身体には緊張が残る場合があります。

首や肩が固まり、みぞおちには力が入り、呼吸が浅くなる。相手が何もしていないときでさえ、次に怒り出すのではないかと身構える。

心は「もう大丈夫」と考えようとしているのに、身体は危険に備え続けているのです。

こうして、頭で理解している自分と、身体が覚えてきた反応が、別々の方向を向き始めることがあります。

頭では離れた方がよいと分かっていても、相手から距離を取ることに身体が耐えられない。優しい人と一緒にいても落ち着かず、むしろ慣れ親しんだ緊張のある関係へ戻りたくなる。

それは苦痛を望んでいるというよりも、これまで経験してきた関係のあり方から離れることが、未知の不安を伴っている可能性があります。

「服従することで愛される」と学んだ子ども時代

マゾヒズム的な自己犠牲を理解するうえで重要なのが、幼少期の親子関係です。

家庭の空気を読み、親の機嫌を損ねないことが、安心して生活するための条件になっていた子どもがいます。

親の声が少し低くなれば緊張する。食卓に沈黙が広がると、自分が何か悪いことをしたのではないかと考える。親が怒っているときには、自分の希望を伝えることを諦め、相手が望む行動を取る。

そのような環境では、子どもは自分の感情を表現することよりも、相手に従うことを優先するようになります。

嫌だと言えば怒られる。助けを求めても応えてもらえない。自分の希望を伝えると、わがままだと責められる。

それなら、最初から何も望まない方がよい。相手の期待に応え、自分の気持ちを抑えていれば、家庭の平穏を守れるかもしれない。

こうして、愛情や安心を得るための条件として、自己犠牲が身についていく場合があります。

「愛されるためには、自分を削らなければならない」という感覚が、言葉になる前から生活のなかへ入り込んでいくのです。

精神分析の領域では、マゾヒズム的な心理を、初期の愛着関係や自己像の傷つき、支配的な養育者との関係から理解する考え方が発展してきました。

Békés、Perry、Robertsonが2017年に発表した研究では、1924年から2012年までの精神分析文献23本を質的・量的に検討しています。

そこで繰り返し取り上げられていたのは、幼少期の苦痛を伴う愛着関係、自己の価値をめぐる傷つき、虐待的な親への同一化などでした。

特に興味深いのは、マゾヒズム的な心理の働きとして、制御できない大きな苦しみを避けるために、自分で引き受けられる比較的小さな苦しみを選ぶという理解が示されていたことです。

これは精神分析の臨床文献を整理した研究であり、すべてのマゾヒズムが幼少期のトラウマから生まれると証明したものではありません。

それでも、苦痛を選ぶように見える行動の背後に、予測できない恐怖を少しでも管理しようとする働きがあることを考える手がかりになります。

子ども時代に相手の機嫌を取ることで危険を避けてきた人は、大人になってからも、自分が我慢することで関係を保とうとする場合があります。

相手が怒るくらいなら、自分が謝る。見捨てられるくらいなら、相手の要求を受け入れる。

そうした選択には、かつての生活を支えた適応が、そのまま残っていることがあるのです。

なぜ支配的な恋人や苦しい関係から離れられないのか

相手から怒鳴られ、人格を否定され、傷つけられている。それでも、関係を終わらせようとすると強い恐怖が生じることがあります。

昨日は激しく責められたのに、今日は優しくされる。冷たく突き放されたあとに、突然抱きしめられる。別れを告げると脅される一方で、相手から「お前しかいない」と言われる。

そうした関係では、恐怖を感じさせる相手が、同時に安心を与えてくれる相手にもなります。

傷つけられていると分かっていても、相手の機嫌が直ることによって、ようやく落ち着けるようになる場合があります。

これまで支配的な親との関係に適応してきた人にとって、相手の怒りを鎮め、関係を修復しようとする行動は、慣れ親しんだ対処方法でもあります。

そのため、苦しい関係から離れることよりも、その関係のなかで自分がどう振る舞えば安全でいられるのかを考え続けてしまうことがあります。

2024年にLohmannらが発表した質的研究では、パートナーから強圧的な支配を受け、DV支援サービスを利用した女性16人へのインタビューが行われました。

参加者たちは、支配が徐々に強まり、生活の自由や自分自身の感覚が失われていく過程を語っています。

その経験には、不安、過警戒、感情調整の難しさ、自分に対する否定的な捉え方、他者への信頼の揺らぎなどが伴っていました。

支配的な関係は、暴力が起きた場面だけでなく、日常生活の判断や自己感覚にまで影響していたのです。

苦しい関係から離れられない背景には、経済的な依存や孤立、脅迫、生活上の制約など、現実的な問題もあります。

そのため、本人が無意識に苦痛を求めていると決めつけることは適切ではありません。

マゾヒズム的な心理は、支配的な関係のなかで自己犠牲を繰り返してしまう一つの理解の仕方ですが、相手の支配や暴力の責任は、加害行為を行っている側にあります。

日常に忍び込むトリガー|「従えば過ぎる」という防衛反応

過去の支配的な関係から離れても、身体は似たような状況に強く反応することがあります。

誰かのため息、予定外の変更、突然の大きな音、恋人の不機嫌そうな表情。それまで落ち着いていたのに、些細な出来事をきっかけに、心拍が速くなり、呼吸が浅くなり、頭の中が真っ白になる。

その瞬間、怒りたい気持ちと、すぐに従ってその場をやり過ごしたい気持ちが、同時に生じることがあります。

本当は嫌なのに「大丈夫です」と答えてしまう。相手に腹が立っているのに、なぜか笑ってしまう。もう関係を終わらせたいと思っているのに、見捨てられることが怖くて、相手にしがみついてしまう。

トラウマを経験した人のなかには、脅威を感じたときに闘争や逃走だけでなく、身体を固めたり、相手に迎合したりする反応が生じる場合があります。

特に、抵抗することで危険が強まる環境では、相手に従うことが、その場をやり過ごすための方法になっていた可能性があります。

大人になってからも、その反応が自動的に現れると、自分の気持ちを理解するより先に、相手が求める行動を取ってしまうことがあります。

「反抗して関係が壊れるくらいなら、自分が苦しむ方を選ぶ」。

そこには、長いあいだ危険な関係に適応してきた人なりの、切実な判断があります。

しかし、その判断が現在の人間関係でも繰り返されると、自分の意思や境界線が失われ、苦痛を伴う関係から離れにくくなる場合があります。

こうした関係での心理的な結びつきについては、トラウマボンドとは何か|傷つけられても離れられない心理でも詳しく解説しています。

解離と「痛みで自分の輪郭を取り戻す」心理

トラウマによる解離が強まると、自分の身体や感情、現実とのつながりが薄れることがあります。

自分の身体を遠くから眺めているように感じる。時間の連続性が失われ、何をしていたのか思い出せない。自分が話しているのに、その声が自分のものではないように聞こえる。

こうした状態では、現実の出来事が遠く感じられ、自分が生きているという実感そのものが弱まる場合があります。

嬉しいことがあっても何も感じられない。悲しい出来事が起きても涙が出ず、怒りや恐怖さえ、自分とは関係のない感情のように思える。

何も感じられない状態が長く続くと、その空白が耐え難くなることがあります。

そのようなとき、一部の人は、強い刺激や苦痛を通して、自分の身体や存在を確かめようとする場合があります。

「何も感じないより、まだましだ」「痛みを感じているときだけ、自分がここにいると思える」。

こうした感覚は、解離と自傷行為の関係を考えるうえでも重要です。

Mughalらが2023年に発表した質的研究では、自傷行為を経験した16~25歳の若者へのインタビューを通して、その行為が本人にとってどのような役割を持っていたのかが調べられました。

参加者の語りからは、感情を調整すること、自分を罰すること、精神的な苦痛やトラウマに対処すること、制御感を取り戻そうとすることなど、複数の働きが見いだされています。

なかには、感情が強すぎる状態を変えようとする人もいれば、感覚が麻痺したような状態から抜け出そうとする人もいました。

自傷行為が一時的に苦痛の感じ方を変えることはあっても、身体を傷つける危険を伴い、問題を解決する方法にはなりません。

自傷や解離への対処では、痛みに頼ることなく、自分の感情や身体の状態を確かめられる方法を見つけていくことが重要になります。

解離とは何か|離人感・現実感喪失・健忘・DIDの原因と回復では、トラウマによって身体や感情とのつながりが薄れていく状態について詳しく扱っています。

なぜ痛みが安らぎになるのか|苦痛を制御できる感覚

痛みや強い刺激のあとに、一時的な安堵を感じることがあります。

強い不安や緊張で頭がいっぱいになっているとき、身体への刺激によって注意の向かい方が変わり、混乱していた感情が一時的に弱まったように感じられる場合があります。

また、解離によって自分の存在感が薄れている人にとっては、身体の感覚が変化することによって、現実とのつながりを取り戻したように感じられる場合もあります。

こうした現象には、注意、感情調整、痛みの知覚、身体のストレス反応など、さまざまな仕組みが関わっていると考えられています。

ただし、痛みが必ず交感神経の緊張を高め、その反動として弛緩や安心を生み出すという、一定の生理的な過程が確認されているわけではありません。

痛みへの反応には個人差があり、強い刺激によって恐怖や身体の緊張がさらに高まることもあります。

心理的に重要なのは、痛みがどのように作用するかだけでなく、本人がその体験をどのような意味で受け取っているかという点です。

予測できない怒りや支配にさらされてきた人は、何が起こるか分からない恐怖よりも、自分で予測できる苦痛の方が耐えやすいと感じる場合があります。

相手がいつ怒り出すか分からない関係にいるより、自分が先に謝り、要求を受け入れれば、少なくとも衝突を避けられるように思える。

こうした場合、苦痛そのものよりも、状況を少しでも予測できることが、安堵につながっている可能性があります。

制御できない苦しみよりも、自分で引き受けられる苦しみの方が安心できる。

そこには、マゾヒズム的な心理の重要な一面があります。

しかし、安らぎを得るために自己犠牲や苦痛を繰り返していると、自分の欲求を後回しにすることが当たり前になり、さらに傷つきやすい関係へ入り込んでしまう場合があります。

問題になるのは、安らぎを求めていることよりも、そこへたどり着くための方法が、自分自身を傷つけるものに限られてしまっていることです。

自己罰と「きれいになりたい」という願望

罪悪感や恥が強い人は、自分を苦しめることによって、何かを償おうとする場合があります。

過去に大切な人を傷つけたことを悔やんでいる。誰かを助けられなかったことが、長いあいだ心に残っている。本当は嫌だったのに、相手に従ってしまった自分が許せない。

そのような記憶に触れるたび、自分だけが楽になってはいけないという感覚が生じることがあります。

休もうとすると罪悪感が湧き、何もしていない時間を許せない。仕事を過剰に引き受け、心身が疲れ切るまで頑張ることで、ようやく自分を責める気持ちが少し弱まる。

そこには、自分を苦しめることによって、罪悪感との折り合いをつけようとする心理がある場合があります。

自分がこれだけ苦しんでいるのだから、少しは許されるかもしれない。

その感覚が一時的な安堵をもたらす一方で、自分は罰を受けなければならないという考えを、さらに強めてしまうこともあります。

自己罰の奥には、「きれいになりたい」「軽くなりたい」「許されたい」という切実な願いが潜んでいる場合があります。

しかし、自分を傷つけることによって、過去の出来事の責任がなくなるわけではありません。

また、支配的な関係のなかで自分を責め続けてきた人の場合、そもそも自分が引き受ける必要のない責任まで抱えていることがあります。

そのため、回復ではまず、何が実際に自分の責任であり、何が他者の責任なのかを区別していく必要があります。

本当に自分が誰かを傷つけたのであれば、必要に応じて謝罪し、行動を改めることができます。自分には責任のない出来事については、罪悪感だけを理由に自分を罰し続ける必要があるのか、考え直していくこともできます。

自己罰へ向かっていた力を、関係の修復や休息、自分の生活を整えることへ向け直していく。

そのような変化を通して、「罰を受ければ許される」という感覚が、少しずつ別の形へ変わっていく場合があります。

苦痛を繰り返す関係と、合意のある性的マゾヒズムの違い

マゾヒズムという言葉を扱うときには、苦痛を伴う支配関係と、本人が自由に選んでいる性的な実践を区別する必要があります。

合意のある性的なマゾヒズムでは、痛みや支配・服従の要素が、本人にとって親密さや性的な喜びと結びつくことがあります。

2022年にZaniniが発表した質的研究では、イタリア北東部のBDSMコミュニティにおけるフィールドワークとインタビューを通して、参加者たちが痛みや権力、喜び、暴力の境界をどのように捉えているかが調べられました。

参加者は、痛みを伴う実践の意味を、本人の意思や協働的な関わり、集団への帰属感などと結びつけて語っていました。

こうした研究からも、痛みを伴う性的な経験が、必ずしも病理的な自己破壊やトラウマの再演を意味するわけではないことが分かります。

一方、支配的なパートナーから脅されたり、断る自由を奪われたりしている関係では、表面的に同意しているように見えても、本人が自由に選べているとは限りません。

心理的に重要なのは、その人が本当に望んでいるのか、途中で拒否できるのか、相手が拒否や境界線を尊重するのかという点です。

自分の意思が尊重され、自由に選べる関係と、見捨てられる恐怖や支配によって従わされている関係は、同じものとして扱うことはできません。

浄化を求める心理と、伝統的な身体技法

痛みを通して何かを変えたい、苦しみを身体の外へ出したいという願いは、さまざまな文化や宗教的な実践にも見られます。

アヤワスカなどを用いるシャーマニックな儀礼、嘔吐を伴う浄化儀礼、断食や身体苦行などが、精神的な変容と結びつけられてきた例もあります。

しかし、強い身体的苦痛や意識の変化を伴う実践は、トラウマを抱える人にとって大きな負担になる場合があります。

とくに、解離や強い不安、精神疾患がある場合には、急激な意識変容によって症状が悪化する危険もあります。薬物を用いる儀礼には、法律上の問題や薬物相互作用などの医学的リスクもあります。

また、極端な断食や嘔吐を伴う行為は、脱水や栄養障害などの身体的な危険を伴います。

こうした実践については、苦痛を与えること自体を回復の方法として考えるべきではありません。

一方、穏やかなヨガや身体への気づきを取り入れた介入、鍼灸などによって、身体のこわばりや緊張が軽減したと感じる人もいます。

ただし、それぞれの方法には適応や限界があり、トラウマや解離への効果が同じ程度に確立されているわけではありません。オステオパシーなどを含む身体技法についても、施術者の資格や安全性、医学的な根拠を確認することが大切です。

強い刺激を求めるよりも、身体が安心できる範囲を確かめ、少しずつ休息を取り戻していくことが重要になります。

苦痛を通して自分を変えようとしてきた人にとっては、何かを耐え抜くことより、苦痛を増やさずに自分を整える経験そのものが、新しい学習になる場合があります。

マゾヒズム的な生き方から回復するには|痛みを介さず安心できる経験を増やす

マゾヒズム的な自己犠牲や、苦しい関係に安心を感じる習慣は、長い時間をかけて形成されている場合があります。

そのため、頭で問題を理解したからといって、すぐに行動を変えられるとは限りません。

相手に従わないと不安になる。休もうとすると罪悪感が出る。優しくされると、かえって緊張する。

こうした反応を変えていくためには、自分が何に不安を感じ、なぜ苦痛を引き受けようとするのかを理解しながら、これまでとは違う経験を少しずつ重ねていくことが大切になります。

1. 苦痛を選びたくなる場面を振り返る

まず、自分がどのようなときに、自己犠牲や自己罰へ向かいやすいのかを確かめてみます。

誰かから褒められたあとに不安になるのか。相手が不機嫌になると、すぐに謝りたくなるのか。仕事を休もうとしたときに、強い罪悪感が出てくるのか。

そうした場面を振り返ることで、苦痛を引き受ける行動と、その直前に生じている感情のつながりが見えてくることがあります。

2. 「相手のため」と「自分を差し出すこと」を区別する

相手を大切にすることと、自分を犠牲にすることは、必ずしも同じではありません。

誰かの相談に乗ることはできても、毎日何時間も話を聞き続ける必要はありません。恋人を大切に思っていても、自分の身体や時間を相手の要求に合わせ続ける義務があるわけではありません。

これまで相手の期待に応えることを優先してきた人は、自分がどこまでなら無理なく関われるのかを確かめていく必要があります。

相談に付き合う時間を決める。仕事を引き受ける前に、今の負担を考える。身体的な接触について、自分が望んでいるかを確認する。

そうした具体的な境界線を持つことで、自分を消耗させずに他者と関わる方法を少しずつ育てていくことができます。

3. 身体が安心できる方法を探す

苦痛や緊張に慣れている人は、静かな時間や身体の弛緩を、かえって落ち着かなく感じる場合があります。

そのため、無理に深くリラックスしようとするよりも、自分にとって負担の少ない状態を探すことから始められます。

椅子に座り、背中が支えられている感覚を確かめる。足の裏が床に触れていることに意識を向ける。部屋のなかで落ち着ける場所を選び、静かに過ごす。

身体の内側へ注意を向けることで解離や不安が強まる場合には、周囲の景色や物音など、外側の感覚に注意を向ける方法もあります。

呼吸や筋肉を無理にコントロールする必要はありません。

自分が少し楽だと感じられる姿勢や環境を見つけることが、身体との関係を変えていくきっかけになります。

4. 罪悪感が出ても、自分を罰する行動をすぐに選ばない

休むことや、自分の希望を優先することに罪悪感がある場合、その感情をなくそうとするほど苦しくなることがあります。

大切なのは、罪悪感を感じたという理由だけで、自分が悪いと結論づけないことです。

誰かの期待に応えられなかったとしても、そのことだけで自分に責任があるとは限りません。

罪悪感が強くなったときには、実際に何が起きたのか、そのとき何を感じたのか、本当はどうしたかったのかを、落ち着いている時間に整理してみることができます。

こうした振り返りによって、他者の期待に応えることと、自分の意思を尊重することを、少しずつ分けて考えられるようになる場合があります。

5. 安心できる関係のなかで、異なる経験を重ねる

支配的な関係のなかで育ってきた人は、自分の意見を伝えることで関係が壊れると感じる場合があります。

そのため、拒否しても尊重してもらえること、意見が違っても関係を続けられることを経験することには意味があります。

相手に嫌だと伝えても、怒鳴られない。疲れたと言っても、怠けていると責められない。何かを失敗しても、そのことで人格まで否定されない。

そうした関係を経験するなかで、他者に従うことだけが安全を守る方法ではないと、少しずつ感じられるようになる場合があります。

心理療法で扱うこと|自己犠牲の奥にある愛着と恐怖

マゾヒズム的な自己犠牲が長く続いている場合には、心理療法を通して、その背景にある愛着関係や自己批判、感情の扱い方を理解していくことが役立つ場合があります。

精神分析的心理療法では、なぜ苦痛を伴う関係を繰り返し選んでしまうのか、幼少期に形成された愛着や自己像が、現在の人間関係へどのように影響しているのかを考えていきます。

スキーマ療法では、自己犠牲、厳格な基準、服従、欠陥感などの認知・感情のパターンに注目し、それらが現在の生活へ与えている影響を整理することがあります。

また、PTSDや複雑性PTSDなどが関わっている場合には、症状や安全性を評価しながら、適切なトラウマ治療を検討します。

自傷行為を繰り返している場合には、その機能や危険性を理解し、感情調整や安全確保を支える介入が重要になります。

英国NICEの自傷行為診療ガイドラインでは、本人の状況に合わせた心理社会的な評価を行い、必要に応じて、自傷行為に焦点を当てた心理的支援や安全計画を検討することが勧められています。

心理療法で大切なのは、苦痛を伴う生き方を責めることよりも、その方法がどのような状況で必要になったのかを理解していくことです。

かつては相手に従うことしか選べなかった。自分を罰することで、ようやく罪悪感を和らげられた。苦しい関係にいる方が、先の見えない孤独より安心できた。

そうした経験を理解しながら、現在の自分には別の選択肢があることを、少しずつ確かめていく。

その過程で、苦痛を引き受けることによって保ってきた安心が、自分を大切にすることや、信頼できる他者との関係へ移っていく場合があります。

おわりに|痛みを通さなくても、安心できるようになるために

痛みが安らぎになるとき、その人は必ずしも苦しみを望んでいるわけではありません。

支配的な親のもとで育ち、相手に従うことで衝突を避けてきた。自分の感情を出せず、何かを望むたびに責められてきた。

そのような経験が続くと、自分を犠牲にすることや、相手に従うことが、安心を得るための方法になってしまう場合があります。

また、解離によって自分の身体や感情の実感が薄れた人にとっては、強い刺激が一時的に現実感を変えるものとして働くこともあります。

罪悪感が強い人は、自分を罰することで、ようやく少し許されたように感じる場合もあるでしょう。

それぞれの心理は異なりますが、共通しているのは、安心したい、苦痛を減らしたい、自分の存在を確かめたいという切実な願いです。

しかし、その願いをかなえるために、いつも自分を傷つけたり、他者の支配を受け入れたりしていると、生活は次第に苦しくなっていきます。

だからこそ、回復で目指していくのは、これまでの生き方をすべて否定することよりも、痛みを介さなくても安心できる方法を、少しずつ増やしていくことです。

自分の身体を休ませること。誰かに嫌だと言えること。失敗した自分を、必要以上に責めずにいられること。相手の機嫌を取らなくても、穏やかに関係を続けられること。

そうした経験は、長いあいだ苦痛や服従に慣れてきた人にとって、最初は落ち着かないものかもしれません。

何も起きていないのに不安になる。大切にされるほど、いつか傷つけられるのではないかと身構える。

それでも、その不安を理解しながら、自分が望む関係や生活を少しずつ選べるようになることがあります。

かつては苦痛のなかでしか、自分の存在を確かめられなかったかもしれません。誰かの要求に応えることでしか、愛情を感じられなかったかもしれません。

しかし、これからの人生で、何を受け入れ、何を拒み、誰とどのような関係を築くかを、自分自身で決めていくことはできます。

マゾヒズム的な自己犠牲からの回復とは、痛みに慣れた自分を消し去ることよりも、痛みを必要としなくても生きられる関係を、自分の内側と外側に育てていくことなのだと思います。

痛みと安らぎが、長いあいだ同じ場所にあったとしても、その二つを少しずつ切り離していくことはできます。

これまで自分を傷つけることでしか得られなかった落ち着きを、休息や安心できる関係、自分の意思を尊重する経験のなかで感じられるようになること。

そこから、痛みと安らぎの位置関係は、ゆっくりと変わっていくのです。


参考文献

  1. Békés, V., Perry, J. C., & Robertson, B. M. (2017). Masochism: A Mixed-Method Analysis of Its Development, Psychological Function, and Conceptual Evolution. The Psychoanalytic Review, 104(1), 33–63.
  2. Lohmann, S., Felmingham, K., O’Donnell, M., & Cowlishaw, S. (2024). “It’s Like You’re a Living Hostage, and It Never Ends”: A Qualitative Examination of the Trauma and Mental Health Impacts of Coercive Control. Psychology of Women Quarterly, 48(4).
  3. Mughal, F., et al. (2023). The functions of self-harm in young people and their perspectives about future general practitioner-led care: A qualitative study. Health Expectations, 26(3), 1180–1188.
  4. Zanini, S. (2022). Playing with Pain. Narratives of Hurting and Authenticity in the BDSM Scene of North-Eastern Italy. Etnografia e ricerca qualitativa, 3, 381–400.
  5. National Institute for Health and Care Excellence(NICE). (2022). Self-harm: Assessment, management and preventing recurrence(NG225).

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井上 陽平

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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