「幸せ」を前にしたとき、なぜ足がすくむのか
暗闇の中で生きている人は、色鮮やかな街並みがつらくなることがある。
イルミネーション、にぎやかな笑い声、肩を寄せ合う恋人たち。
その光景の中に、自分の居場所がないように感じられてしまう。
「ここに自分が居ていいとは思えない」
そう感じた瞬間、胸の奥がひりつき、視界のどこかが白くなる。
息をするだけで、心の内側が削られていくような感覚に襲われる。
この感覚は、単なる嫉妬や劣等感ではない。
むしろそこには、「光」と「闇」があまりにも正反対に分かれてしまったような、深い断絶がある。
自分は闇の側にいて、
普通の人は光の側にいる。
同じ場所に立ち、同じ幸せを分かち合うことはできない。
普通の幸せは、自分には最初から許されていない。
そう感じたとき、人は希望そのものを拒絶するのではなく、
希望の手前で、無意識に足を止める。
これが、「幸せ恐怖症」と呼ばれる心のあり方の、最も深い入口である。
「幸せ」がトラウマの影と結びつくとき
臨床の現場で見えてくるのは、幸せ恐怖症の背景には、かなりの頻度で過去の傷つきの記憶が潜んでいるという事実だ。
それは必ずしも、誰の目にも明らかな出来事である必要はない。
むしろ、日常の中の小さな場面が、神経系に強く刻まれていることが多い。
幼いころ、うれしそうにしている自分を、冷たい目で見られた記憶はないだろうか。
少し誇らしい出来事を伝えたとき、「それくらい普通でしょ」と突き放されなかっただろうか。
調子に乗ってはしゃいだ瞬間、「いい気になるな」と制止された経験はなかっただろうか。
そうした体験の積み重ねの中で、心の奥では、言葉にならない学習が起きていく。
楽しそうにすると、罰を受ける。
喜びを見せると、妬まれる、否定される。
良いことが起きると、そのあとには必ず悪いことが起きる。
やがて脳と神経は、ひとつの結論にたどり着く。
「幸せを感じすぎないほうが、安全だ」
ここで問題なのは、幸福そのものではない。
「幸福のあとに訪れた痛み」が、身体感覚と強く結びついてしまうことだ。
嬉しさ、充足感、緩み。
本来なら心と身体を休ませるはずの感覚が、いつのまにか警報のスイッチに変わってしまう。
幸せを感じるほど、身体は緊張し、構え、凍りつく。
つまり、幸せ恐怖症とは気分の問題ではなく、
過去の環境に適応するために学習された、防衛反応として理解したほうが、臨床的には現実に近い。
「もう傷つきたくない」心が選ぶ3つの戦略
幸せを前にして足がすくむとき、人は無意識にいくつかの戦略を取る。
ここで起きているのは、意志の弱さでも、甘えでもない。
過去に身につけた、生き延びるための自己防衛である。
一つ目は、期待値を極端に下げることだ。
「どうせ長続きしない」
「この人も、いつか離れていく」
「仕事なんて、そのうち評価が落ちる」
あらかじめそう考えておけば、実際に失ったときの衝撃は少しだけ和らぐ。
期待しなければ、深く傷つかずに済む。
それは理屈としては、非常に合理的な選択だ。
しかしその代償として、「今ここにある良さ」までもが、受け取れなくなる。
安堵や満足を感じる前に、「どうせ」「いつか」が割り込んでくる。
心は常に、幸せから半歩引いた場所に立ち尽くすことになる。
二つ目は、わざと壊すことだ。
恋愛がうまくいき始めたときに、相手を試すような言葉を投げてしまう。
仕事で評価され始めたタイミングで、締切を破ったり、突然連絡を絶ったりする。
「どうせ壊れるくらいなら、自分の手で壊したほうがマシ」
このロジックは、見捨てられ体験を重ねてきた人にとって、
痛みの主導権を自分に取り戻すための手段として働くことがある。
失われるのを待つより、先に手放すほうが耐えられるからだ。
三つ目は、幸せに見えない「安全な場所」へ退避すること。
昇進を断る。
挑戦の機会を見送る。
親密になりそうな相手から、少しずつ距離を取る。
はたから見れば「もったいない」選択に映るかもしれない。
だが当人にとっては、それが最も安全なルートだ。
「幸せになりかけたときほど、人生は牙をむいた」
「期待を抱いた瞬間から、転落が始まる」
この身体感覚にしがみつくことで、心は「これ以上の傷」を防ごうとしている。
幸せ恐怖症の奥にある、深い羞恥と罪悪感
幸せを受け取れない人の内側には、しばしば強い羞恥と罪悪感が潜んでいる。
「自分が幸せを望むなんて、生意気だ」
「自分には、そこまでの価値はない」
「他の人が苦しんでいるのに、自分だけ楽になっていいのか」
これらは単なる自己卑下ではない。
長い時間をかけて内面化された、「生き方のルール」のようなものだ。
親の機嫌を損ねないために、常に「いい子」でい続けた。
自分が楽しむと、誰かが不機嫌になった。
兄弟や他人と比較され、「あの子を見習いなさい」と言われ続けた。
親自身が「どうせ人生なんてうまくいかない」と語る姿を見て育った。
こうした環境では、
自分の欲求を出すこと=誰かを怒らせる/傷つけること
という連想が、深く刷り込まれていく。
その結果、「ただ静かに満たされて生きたい」という、
ごくささやかな願いでさえ、どこか罪深いもののように感じられてしまう。
幸せ恐怖症は、この羞恥と罪悪感の層と、強く結びついている。
「幸せ=危険」という神経系の学習
ここまでを、神経生理の視点から見てみよう。
本来、安心しているときの身体は、
呼吸が深くなり、消化が働き、筋肉の緊張がほどけている。
ポリヴェーガル理論で言えば、腹側迷走神経が優位になっている状態だ。
ところが、幼少期から「安心が裏切られる体験」を繰り返すと、
リラックスそのものが危険と結びついてしまう。
安心した
→ 気が緩んだ
→ その隙を突かれて叩かれた/怒鳴られた/見捨てられた
この回路を何度も通過した身体は、やがてこう学習する。
「緊張していたほうが、まだ安全だ」
「安心すると、何かが起きる」
その結果、幸せや安堵を感じるほど、
交感神経が過剰に高ぶったり、
背側迷走神経が作動して凍りついたりすることがある。
つまり幸せ恐怖症とは、
「幸せ」と「危険」が、神経レベルで誤って結びついてしまった状態
とも言える。
外傷の再演としての「幸せ恐怖」
「幸せになりかけた瞬間に、必ず何かが壊れる」
このパターンは、トラウマ臨床では外傷の再演として理解されることがある。
温かい恋人ができたときに限って、激しい衝突を繰り返して別れてしまう。
安定した仕事に就いた途端、体調を崩して辞めざるを得なくなる。
生活が落ち着いてきたタイミングで、自らトラブルに足を踏み入れてしまう。
これらは自制心の欠如ではない。
心のどこかで、「かつての結末」をなぞろうとする衝動が働いている。
「幸福のあとには破綻が来る」
「愛されたあとは、必ず捨てられる」
「安心した瞬間に、世界は崩れる」
この筋書きをなぞることで、
予測不能な不幸よりも、「知っている不幸」を選ぶほうが、
神経系にとっては耐えやすい場合がある。
「幸せを選ぶ」という行為の、恐ろしさと尊さ
幸せ恐怖症の人にとって、「幸せを選ぶ」とは、
前向きになることでも、考え方を変えることでもない。
それは、
二度と行きたくない場所に、もう一度だけ足を踏み入れること。
裏切られた記憶を抱えたまま、もう一度だけ誰かを信じてみること。
崩れ落ちたあとも、生き延びてきた自分を、もう一度信じ直すこと。
だからこそ、「幸せを選ぶ」ことは、
本人にとって小さな勇気どころか、命がけの再挑戦のように感じられる。
たとえ半歩でも前に出られたなら、
それは外から見える成果以上に、
深いところで物語が書き換わり始めている証だ。
回復とは、「幸せに慣れ直す」長いプロセス
幸せ恐怖症からの回復は、劇的には訪れない。
むしろ、「少しずつ幸せに慣れ直す」ような、静かなプロセスになる。
いきなり大きな幸せを目指さなくていい。
安全基地が弱い状態で急激な変化を求めると、
かえって再トラウマ化を招くことがある。
朝、ほんの少し呼吸を深くする。
一日の中で「悪くなかった瞬間」を一つ探す。
小さな快を感じたとき、「でもどうせ」と打ち消さず、数秒だけ味わう。
こうした微細な体験を通して、
神経系は少しずつ、「幸せは即座に危険ではない」ことを学び直していく。
恐怖を消そうとしなくていい。
「怖いけれど、それでも半歩だけ進む」
恐怖を敵ではなく、かつて自分を守ってくれた古い警報装置として扱えたとき、
心の硬さは、少しずつほどけていく。
そして、ひとりで向き合えないときは、誰かと一緒に触れてみる。
信頼できる他者の存在は、神経系にとって強力な安全シグナルになる。
「幸せを怖れる自分」を、責めないという選択
最後に、いちばん大切なことを伝えたい。
幸せになることが怖い自分を、責めないでほしい。
その怖さは、怠けでも、根性のなさでも、性格の欠陥でもない。
それは、何度も裏切られ、何度も壊れながらも、
それでも生き延びようとしてきた神経系の、防衛の名残だ。
幸せを遠ざけてきたのは、
「もう壊れたくない」と願う、切実で健気な自己保護の働きでもある。
回復とは、防衛を無理に解除することではない。
守ろうとしてくれたことに感謝しながら、
少しずつ役目を終えてもらうプロセスだ。
幸せのまぶしさに目を細めてしまう時期があっていい。
行きつ戻りつしながらで、かまわない。
それでも、
「いつか、安全なかたちで幸せを受け取ってもいいのかもしれない」
と、ほんの少しだけ思える日が来たなら。
その瞬間から、あなたの人生の物語は、
ゆっくりと、しかし確実に、別の方向へと書き換わり始めている。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。