動けない・感じない状態の正体― 闘争・逃走が終わった後の神経系で起きていること

休もうとしているわけでも、
諦めたつもりでもないのに、
身体だけが、先に深く沈んでいく。

もう踏ん張れない、というより、
踏ん張るという選択肢自体が
身体の中から消えてしまったような感覚。

この状態は、
「何も起きていない」のではなく、
ある段階に到達した結果として現れています。

人は限界に近づくと、まず「気持ち」が折れるのではありません。
むしろ先に折れるのは、神経系が維持していた“張り詰めの持続”です。
闘争・逃走で踏ん張り続けてきた回路が、ある地点で燃え尽きる。
すると心は「頑張れない自分」を責め始めますが、そこで起きているのは道徳の問題ではなく、生理学的な移行です。

このページでは、動けない・感じない状態を、
怠惰や性格ではなく、闘争・逃走が終わった後の神経系の配置として扱います。
「動けないのに、内側では何かが続いている」
その矛盾の正体を、章ごとに解きほぐしていきます。


力を入れられなくなった身体が到達する段階

過弛緩の人は、目の前に差し迫った危険がないにもかかわらず、
身体の深部で
「これ以上、力を入れて生きることはできない」
という段階に入っています。

それは気力の問題でも、甘えでもありません。
長期にわたる過緊張の末、
神経系が生存のために選び取った最終的な配置です。

この段階は、
闘争・逃走が終わった後の神経系、
あるいは慢性背側迷走神経優位状態として理解されます。

ここでのポイントは、「危険が去ったから休んでいる」のではなく、
危険が去っても、神経系が戦闘解除できないまま限界点に達したということです。
戦う回路(闘争)も、逃げる回路(逃走)も、もう長く維持できない。
すると身体は、落ち着くためではなく、生き延びるために出力を落とす

身体はもはや抵抗も期待もしない。
関係に向かって身を乗り出すことも、
自分を押し出すことも行われません。

その代わり、
感じること、欲すること、
つながろうとする衝動そのものが、
静かに、しかし徹底的に沈められていきます。

この“沈め方”は、心が選んだ思想ではありません。
代謝、筋緊張、呼吸、心拍、表情、声量――
あらゆる出力が、生命を維持できる最低限へと寄せられる。
体感としては、世界に対する「手応え」が薄くなる。
自分が透明になったような感じ、時間が平たい感じ、感覚が遠い感じ。
それらは、壊れた兆候というより、過負荷からの隔離です。

体感としては、
回復不能型シャットダウンに近い質感を帯びます。
ただし「回復不能」に見えるのは、いまの神経系が“動く回路”ではなく
“止める回路”で生を守っているからです。


止まっているように見える身体の内側で起きていること

外から見ると、
動きが少なく、感情の起伏も乏しい。
淡々としていて、問題がないように見えることもあります。

しかし内側では、
常に
「これ以上、崩れないようにする」
という作業が続いています。

凍結後の低活性化状態とは、
何も起きていない状態ではありません。
むしろ、崩壊を防ぐために
活動水準を意図的に極限まで落とした状態です。

この「意図的」という言葉は、本人の意思決定を意味しません。
神経系が、自動的に選ぶ配置です。
たとえば、感情が湧き上がると同時に息が詰まる。
予定を入れると身体が鉛のように重くなる。
会話の途中で頭が白くなる。
それは怠けではなく、“起動すると崩れる領域”に触れたサインです。

動かないこと、反応しないこと自体が、
この段階では
生を維持するための重要な働きになっています。

重要なのは、ここで「休めている」とは限らない点です。
出力は低いのに、内側は緊急モードのまま、ということが起こります。
静かに見えるが、神経は休めていない。
止まっているが、解除されていない。
この矛盾が、本人に「自分はダメだ」という自己攻撃を生みます。
しかし本質は、
“動くことで崩れるから、動けない”という生理の順序です。


他者に預けられなかった緊張がつくる関係構造

この状態に至るまでには、
本来であれば他者に預けられたはずの緊張や不安を、
身体ひとつで引き受け続けてきた時間があります。

頼るよりも、
自分で抱えたほうが安全だった。
緩むよりも、
耐え続けるほうが関係を保てた。

そうした選択の積み重ねによって、
世界との関係性そのものが
「力を抜いたまま、かろうじて保つ」
構造へと変化していきました。

ここで言う「関係構造」とは、恋愛や家族に限りません。
職場、学校、近所、SNSのつながり――
どの場でも、本人が無意識に引き受けてしまう役割があります。
空気を壊さない係。
誰かの不機嫌を吸収する係。
先回りして問題を消す係。
その役割を長く続けるほど、神経系は学習します。
「自分が張り続けないと、関係は壊れる」と。

そして恐ろしいのは、張り続けるほど孤立することです。
“支えられる経験”が増えるのではなく、
“支えるしかない経験”が増える。
その結果、身体は「預ける」という回路を持てないまま
限界まで動員され、最後に出力を落とす。

▶︎ 人に預けられなかった緊張が身体に残る仕組み
https://trauma-free.com/body-remembers-trauma/


感情や衝動が「起きないように」管理される段階

この段階では、
感情や衝動は自然に消えたのではありません。
起きないように管理されている
と言ったほうが正確です。

当事者はしばしば、
「何も感じない」
「欲がない」
「生きている実感が薄い」
と語ります。

これは死への欲望ではありません。
存在が揺らがないよう、
存在感そのものを弱めている状態、
すなわち生存反応としての低覚醒です。

「感じる」ことは、実は大量のエネルギーを要します。
悲しみは胸を開く。怒りは境界を押し出す。喜びは接触を増やす。
しかし過去の環境では、胸を開けば侵入された。
境界を押し出せば罰せられた。
接触を増やせば裏切られた。
そういう学習を経た神経系にとって、感情は危険物になりうる。

だから心は、感情を消すのではなく、起動前に落とす
湧く直前に眠らせる。
その結果、本人は「自分は空っぽだ」と感じる。
しかし空っぽなのではなく、
危険なものが起動しないように厳重に管理されている

▶︎ 何も感じない感覚と身体反応の関係
https://trauma-free.com/paralysis/


低活性の背後で働く、強い内部の守り

このような低活性の背後には、
非常に厳格な内的構造が存在します。

それは、
これ以上傷つかないために、
生命力そのものを封じるという選択です。

生きることを止めるのではなく、
「感じながら生きる」回路を一時停止する。
それによって、
全体の存続を守っています。

ここで起きているのは、「弱さ」ではなく制御です。
外からは無気力に見えるのに、内側では規律が強い。
やらねばならない。迷惑をかけてはいけない。
崩れてはいけない。
その規律が、身体の出力を落とすことでしか守れない段階に来ている。

この内部の守りは、本人を苦しめもします。
なぜなら、守りは「感じる回路」を止めることで成立するからです。
安全は保たれるが、手応えがなくなる。
傷つきにくくなるが、喜びも入らない。
これは“生の量”を減らして生を守る方法です。
だからこそ、回復は「気合で元に戻す」では達成できません。
守りが必要なくなる条件を、少しずつ現実に作っていくしかない。


回復を「元気になること」と誤解しない

この段階にある人は、
回復を
「元気になること」
「前向きになること」
と誤解されやすい。

しかし臨床的に必要なのは、活性化ではありません。
まず必要なのは、安全な間(あいだ)です。

何も起こらなくていい関係性。
期待も評価も差し向けられない時間。

ここで言う安全とは、励ましが多いことではありません。
「頑張れ」と言われないこと。
「説明しろ」と迫られないこと。
「普通にしろ」と矯正されないこと。
そして何より、低いままでも関係が切れないこと。
この条件が、神経系にとっての安全になります。

回復の初期に、元気さを求められると逆に固まります。
活性化は、守りを突破する圧になるからです。
必要なのは突破ではなく、緩みです。
“戻る”より前に、“緩めても壊れない”を積む。
これが順序です。

▶︎ 仏教と心理学が教える安心感を育む方法
https://trauma-free.com/safe/


「何もしない」ことで始まる、身体の変化

闘争・逃走が終わった後の神経系は、
「何もしない」ことによってのみ、
再び身体へ戻る準備を始めます。

回復は意欲や理解から始まるのではありません。
まず、身体の微細な変化として現れます。

深い溜息。
わずかな違和感。
小さな嫌悪。

それらは、
回復不能型シャットダウンが
少しずつ緩み始めた兆候です。

この「嫌悪」は、ときに重要です。
嫌悪は境界の萌芽だからです。
いままで耐えるしかなかった人が、
「それは嫌だ」と身体の奥で言い始める。
その瞬間、止められていた生命力が、ごく小さく戻ってくる。

そして、ここで大切なのは速度です。
急に動かすと、神経系は「危険」と判断して再び沈みます。
だから回復は、運動量や社交量を増やす前に、
“何もしなくても崩れない時間”を増やす形で進みます。

低いままでいい。
動かなくてもいい。
感じなくても問題が起きない。

この経験が積み重なった先で、
必要な分だけの反応が、
自然に戻ってくる余地が生まれます。
回復とは、何かを足すことではなく、
安全が増えたぶんだけ、止めていたものが勝手に戻る現象です。


力を抜ききったところで続いてきた、生存の形

身体は、力を抜いたまま生きる配置を選び続けてきました。

もう踏ん張れないからではありません。
踏ん張り続けた末に、
これ以上エネルギーを使わない形で
生を維持する段階へ移行しただけです。

感じない。
欲さない。
動かない。

それらは停止ではなく、
消耗をこれ以上進めないための
維持のやり方でした。

この維持は、敗北ではありません。
「壊れずに残る」ための勝ち方です。
戦って勝つのではなく、燃え尽きない形で残る。
そのために、出力を下げ、接触を減らし、感情を止めた。
その結果、本人は「生きていないみたいだ」と感じる。
しかし実際には、生を守り抜くために生の濃度を下げたのです。

回復とは、
再び気力を奮い立たせることでも、
感情を取り戻そうと無理に掘り起こすことでもありません。

まず起きるのは、
力を入れなくても続く時間がある、
何もしなくても崩れない関係がある、
という事実を、
神経系が静かに受け取っていくことです。

その事実が積み重なるほど、
内部の守りは“不要な場面”では作動しなくなっていく。
そして、必要な場面でだけ反応できるように再編される。
つまり回復とは、元の自分に戻ることではなく、
生存反応の使い分けが回復することです。

低いままでいい。
動かなくてもいい。
感じなくても問題が起きない。

その条件が守られた先で、
身体は少しずつ、
「反応しても大丈夫」という許可を持てるようになります。
それが、過弛緩の位置から始まる回復のプロセスです。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造
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過緊張や生きづらさは、あなたのせいではなく、育った環境や親子関係の中で身についた生存の反応として残ることがあります。
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。