ハインツ・コフートの自己心理学では、自己愛的な人の問題は「悪意」ではありません。
それは自己の凝集性(まとまり)の脆さです。
賞賛・共感・特別扱いは快楽ではない。
それは自己をつなぎ止める支柱です。
評価は酸素のようなもの。
途切れると、内側に“空洞”が広がります。
この空洞は本人にとって、
- 虚無
- 急な死にたさ
- 存在が薄くなる感覚
として体験されることがあります。
(参考:自己愛の崩壊と虚無)
https://trauma-free.com/narcissistic-collapse-inner-void/
壊れる瞬間の前に、何が起きているのか
自己愛が壊れる瞬間だけを切り取ると、
そこには怒り、支配、冷酷さ、あるいは突然の無力化が見えます。
しかし臨床的に重要なのは、その“直前”です。
壊れる人は、突然壊れるのではありません。
その前に、長期間にわたり、細い芯を外部エネルギーで必死に支え続けています。
自己愛構造は、内側に十分な自己保持力が育たなかった場合、
外部の応答によって自己の輪郭を保つ構造になります。
つまり、
内的調整ではなく、外的調整で維持されている自己。
これが崩壊前夜の状態です。
外部電源で動く自己
自己愛的な人は無意識に補給行動を取っています。
これは策略ではありません。生理的必要です。
① 賞賛を集める:評価は酸素
仕事で成果を出す。
人より優位に立つ。
特別なポジションを確保する。
「すごいですね」と言われる。
これらは誇大欲求ではありません。
コフートの言う「自己対象経験」が不足すると、
自己は内部でまとまりを保てません。
賞賛は快楽ではなく、
自己の凝集を保つ接着剤です。
これが途切れると、
・窒息感
・存在の薄まり
・身体の内側が空洞になる感覚
が始まります。
ここで既に、神経系は軽度のパニック状態に入っています。
② 関係を支配する:主導権は安定剤
議論で勝つ。
相手を論破する。
関係の主導権を握る。
これは攻撃衝動というよりも、
「見下される恐怖」の回避です。
主導権を握っている間は、
自己は揺れません。
しかし対等関係は、
未処理の恥を刺激します。
支配は強さではなく、
不安調整装置です。
③ 理想化と投影:他者を鏡にする
優秀な人と繋がる。
成功者と親しいことを誇る。
自分が属する集団を誇大化する。
理想化された他者は、
自己の輪郭を映す鏡になります。
鏡が曇ると、自分も曇る。
そのため、他者の失敗や離脱は、
自己の崩壊に直結します。
投影は責任転嫁ではありません。
自己内部で処理不能な恥を外に置く行為です。
④ 比較で自分を測る:常に相対化する
SNSチェック。
同業者との比較。
地位や数字への過敏さ。
これは競争心ではありません。
外部基準がなければ、
自己の輪郭が曖昧になる。
比較は自己確認です。
やめられないのは、
やめると「自分が消える」感覚が出るからです。
これらは誇大性ではありません。
自己凝集性の維持行為です。
オットー・カーンバーグの視点では、誇大性は防衛であり、その下には未処理の恥と無価値感があります。
補給が止まると何が起きるか
問題は、補給ラインが同時に断たれたときです。
・失敗
・批判
・無視
・恋人からの距離
・社会的地位の低下
外部電源が落ちる。
その瞬間、内側の「空洞」がむき出しになる。
ここから、怒りか、凍結か、崩落が始まります。
自己愛が壊れる瞬間は突然ではありません。
それまで必死に外からエネルギーを取り込み、細い芯を支え続けてきた構造が、ついに補給不能になる瞬間なのです。
起きているのは“怒り”ではなくパニック
自己愛が壊れる瞬間は、人格が崩壊する瞬間ではありません。
神経系の調整が破綻する瞬間です。
(神経系の基礎)
https://trauma-free.com/hyperarousal/
https://trauma-free.com/panic-dissociation-body-emergency-brake/
神経系は大きく二択に振れます。
交感神経優位(闘争)
= 自己愛憤怒、攻撃性、支配、反撃
背側迷走優位(凍結)
= 空虚化、無感覚、自己消失、シャットダウン
外からは「加害性」に見えることがあります。
しかし臨床的には、保持されていない幼い部分が露出したときのパニック反応であることが少なくありません。
壊れているのは人格ではない。
調整システムが止まっただけです。
中核にあるのは“恥”
自己愛憤怒は“強い人の暴れ”ではありません。
恥と無価値感の崩落を止める緊急防衛です。
崩壊時に噴き出すのは、
「見られてはいけない」
「弱さが露呈したら終わる」
「価値がないと確定してしまう」
という身体レベルの記憶。
ここで重要なのは、
身体は“いま”ではなく“過去の危険”に反応していることです。
(身体は危険を記憶する)
https://trauma-free.com/body-remembers-trauma/
崩壊は現在の問題ではなく、
過去の危機反応の再起動であることが多い。
誇大性が剥がれた=本当の姿、ではない
崩壊の瞬間に前面化するのは“本当の自分”ではありません。
それは危機モードの自己状態です。
自己は単一ではなく、複数の自己状態の切り替えで生きています。
豹変は本性ではなくモードです。
この構造は、慢性的な安全欠如の背景でも起きやすい。
(安全の欠如と発達性トラウマ)
https://trauma-free.com/trauma-no-safety/
https://trauma-free.com/developmental-trauma-disorder/
自己愛だけの話ではありません。
中心は「空洞で細くてもろい」
自己愛の中心は強固ではありません。
むしろ細く、もろく、外部調整に依存しています。
だから崩壊は派手に見える。
怒りは強さではない。
冷酷さも優越も、本質ではない。
それらは、崩れそうな自己をつなぎ止める最後の防衛なのです。
治療の核心:誇大性を壊すのではなく“処理可能なサイズ”にする
治療の核心は、誇大性を叩き壊すことではありません。
誇大性の下にある恥と無力感を、
神経系が処理できる範囲に落とし込むこと。
ポイントは3つ。
- 強度を下げる(身体ベースの鎮静:呼吸・接地・微細運動)
- 言語化はあと(先に身体の安全)
- 崩れても終わらない体験を、関係の中で積む
神経が落ち着いた後で、
初めて言語化が機能します。
「崩れても終わらない」体験が入ると、
誇大性は防衛から自己感へ変化します。
結論
壊れているのは人格ではない。
人格を支えていた外部調整の仕組みが限界に来ただけ。
怒りも冷酷さも、空洞の中心に触れたときの生存反応。
そしてその空洞は、
破壊の証拠ではなく、まだ触れられていない痛みの入口でもあります。
崩壊は終わりではない。
神経系が、はじめて“本当の調整”を求め始めたサインでもあるのです。