「好きって、どういう感覚だっけ」
そう呟くとき、人はたいてい“恋ができない自分”を責めます。けれど臨床的に見ると、恋愛感情がわからない状態は、性格の欠陥というよりも、**心のシステムが自分を守るために作った“仕様”**であることが多い。
恋愛感情とは、才能でも努力でもなく、もっと根源的には「安全の上に立つ感情」だからです。
人は安全なとき、胸の内側に余白が生まれます。相手を眺める余裕、近づく好奇心、触れたい衝動、受け取ってみたい温度。
しかし安全が足りないとき、心はまず“生存”を優先する。恋愛は後回しになります。恋が贅沢という意味ではありません。恋は、脳と身体が「今なら結んでも死なない」と判断したときに、はじめて自然に芽を出すものなのです。
この記事では、恋愛感情がわからない背景を「神経」「生育歴」「防衛」「病気や状態」の層で掘り下げ、恋を“作る”のではなく、恋が生まれる地面を取り戻す方法を扱います。
恋愛感情がわからないとは、何が「わからない」のか
まず整理しておきたいのは、「恋愛感情がわからない」と言う人が困っているのは、単に“ときめきがない”ことではない、という点です。多くの場合、困りごとは次のいずれかに分かれます。
相手に好意を向けられても、喜びより先に「重い」「怖い」「逃げたい」が出る。
関係が近づくほど、胸が冷えていく。
相手は良い人なのに、好きになれない。
逆に、刺激的な相手には執着するが、安心できる人には心が動かない。
ここで起きているのは、恋愛の問題というより、つながりの回路が“安全—危険”で色分けされてしまった状態です。恋愛がわからないのではなく、あなたの身体が「この距離は危険だ」と反応している。すると感情は、そもそも立ち上がれない。
原因1:不安定な育ちが「好き」を鈍らせる仕組み
不安定な家庭で育つと、子どもは早い段階で学びます。
「本音は危険」「欲しいと言うと嫌われる」「喜ぶと壊される」
この学習は、頭の信念ではなく、身体の条件反射として残ります。
恋愛感情は、本来“自分の欲求”の言語です。
「会いたい」「触れたい」「もっと知りたい」
しかし、幼少期に欲求を出すことで罰を受けたり、親の機嫌を取るために自分を引っ込めたりしてきた人は、欲求そのものが“罪”のように感じられる。結果として、恋愛感情の入口である欲求の微細な動きが、本人の意識に届かなくなります。
このタイプの人は、恋愛が始まるときに「好き」という快さではなく、先に「評価されなければ」「失敗してはいけない」「相手の機嫌を読まなければ」が作動しやすい。恋が“試験”になり、感情は消耗していきます。
それは恋がわからないのではなく、恋の前に走るべき回路(安全・欲求・遊び)が、過去の適応で塞がれているのです。
自分の輪郭(何が好きで、何が嫌か)が曖昧な人は、恋愛以前に「自己感覚」が霧に覆われている可能性があります(関連:自己同一性の揺らぎの整理 https://trauma-free.com/identity/ )。
原因2:解離とフリーズが「ときめき」を凍らせる
長期的な緊張が続くと、人の心は“感じない”方向へ舵を切ります。
それは冷たい人間になるためではなく、感じ続けると壊れてしまうからです。
このとき起きやすいのが、フリーズ(凍りつき)と解離です。
フリーズは、身体が固まり、動けない反応として表に出ることもあれば、外からは普通に見えるのに内側だけが硬直する形で出ることもあります。
解離は、感情・身体感覚・現実感が薄れ、「自分がここにいない」ようになる。
恋愛感情は、身体の微細な反応(胸の熱、呼吸の変化、皮膚感覚、目の奥の動き)と繋がっています。だから解離が強いと、恋愛感情は“存在しない”のではなく、“アクセスできない”状態になります。
この領域を丁寧に理解しておくと、「自分はおかしいのでは」という自己攻撃から一歩離れられます(関連:解離の基本整理 https://trauma-free.com/dis/ )。
原因3:シゾイド的防衛・回避が「安全」を守るために距離を取る
恋愛がわからない人の中には、内面でとても論理的に世界を捉えている人がいます。相手の良さも分かる。将来の合理性も分かる。会話もできる。
それでも“恋”が起きない。
この場合、よく見えてくるのがシゾイド的防衛や回避です。
これは「人嫌い」ではなく、親密さが危険と結びついた結果、距離を取ることで自我を守る方式です。近づくほど、自分が溶ける・支配される・飲み込まれる気がする。だから、心は静かに引いてしまう。
回避は、冷たさではなく“壊れないための知恵”です。
ただし回避が強いほど、恋愛は「始まらない」か「始まっても急に冷める」かのどちらかになりやすい。理由は単純で、距離が縮まるほど、防衛が強く作動するからです(関連:回避の特徴整理 https://trauma-free.com/complaint/schizoid/ )。
恋愛感情がわからなくなる「病気・状態」たち
恋愛感情がわからないという訴えの背景には、「性格」や「やる気」の問題ではなく、うつ病や社交不安、解離、慢性疲労といった心身の状態が静かに横たわっていることがあります。
ここでは、それぞれの状態がどのようにして「恋する力」を奪っていくのかを、一つひとつ丁寧に見ていきます。
うつ病:世界全体がグレーに見えるとき、恋だけを色づけることは難しい
うつ病になると、まず最初に失われるのは“興味”と“喜び”です。
かつて心を躍らせていた音楽も、友人との会話も、ただ「騒音」や「作業」にしか感じられなくなる。世界全体がグレーに沈んでいく中で、「この人を好きになろう」「恋愛を楽しもう」と言われても、それはまるで、真っ暗な部屋で色を当てろと言われるようなものです。
うつ状態では、脳のエネルギーが「生き延びること」だけに注がれており、恋愛は最優先のタスクから外されます。やる気の問題ではなく、生存優先モードなのです。
さらに、自己評価の低下が重なると、「こんな自分を好きになる人なんていない」「迷惑をかけるだけだ」という思考が自動的に立ち上がり、恋愛感情が芽生えそうになった瞬間に、自ら引き抜いてしまうこともあります。
このとき必要なのは、「恋をがんばること」ではなく、まずうつ病そのものへの介入です。気分や意欲の低下、絶望感が長く続く場合は、専門機関につながりつつ、自分を責める視点から離れていくことが何よりも重要になります(うつ状態や深い抑うつについての整理は、こちらの記事も参考になります:
https://trauma-free.com/depression/ )。
社交不安症・対人恐怖:人前に立つだけで精一杯のとき、恋は「試験」になる
社交不安症や対人恐怖を抱える人にとって、「誰かと二人きりで会う」「自分を好いてくれる相手の前に立つ」という状況は、しばしば“恋”ではなく“公開処刑”のように感じられます。
汗、動悸、手の震え、頭が真っ白になる感覚。言葉を選ぶ余裕などどこにもなく、「変に思われないか」「嫌われないか」という不安だけで全身が占領されてしまう。
この状態で恋愛感情を感じようとしても、心のスペースはすでに「生き延びること」と「恥をかかないこと」でいっぱいです。
相手を好きかどうかを確かめる前に、「とにかくこの場を乗り切りたい」という生存本能が最優先されるため、恋愛感情の微細な動きに気づく余地がなくなります。
また、拒絶への恐怖が強い人は、「恋愛=傷つく場」「恋愛=評価される場」という意味づけをしてしまいやすく、関係が近づくほど、むしろ感情をシャットダウンしてしまうこともあります。
こうした背景には、幼少期からの対人不安やいじめ、家庭内の批判的な雰囲気などが絡み合っていることが少なくありません(人前の不安や社会的な恐怖については、こちらの記事が補助線になります:
https://trauma-free.com/social-anxiety/ )。
失感情症:感情のスイッチが“オフ”になっているとき
失感情症に近い状態では、「好き・嫌い」どころか、「嬉しい」「悲しい」といった基本感情さえも、輪郭がぼやけて感じられます。
日々を「なんとなくこなしている」感覚はあっても、心の奥で何が動いているのかが分からない。表面的には淡々と暮らしていても、内側では“無音状態”が続きます。
この状態にある人は、「恋愛感情がわからない」というよりも、「そもそも感情全般が弱くなっている」ことが多い。
背景には、長期的なストレス、トラウマ体験、そして「感じると苦しいので、感じないようにしてきた」歴史が隠れていることが少なくありません。
感情を切って生き延びてきた人にとって、恋をすることは“感情のブレーカーを再び入れる”行為です。それは美しいだけでなく、恐ろしくもある。だからこそ、ゆっくりと身体感覚や小さな喜びを取り戻すプロセスが必要になります。
特定不能の解離性障害:自分の「好き」が誰のものか分からなくなる
特定不能の解離性障害を抱える人は、自分の中に「別のモード」や「別の自分」が存在するような感覚を持つことがあります。ある時は誰かに強く惹かれ、別の時には急に冷え切ってしまう。
その揺れの大きさのために、「自分が本当に何を感じているのか」が分からなくなっていきます。
特に、恋愛や性の領域は、解離を引き起こしたトラウマ(性的被害、境界侵害、暴力)と直接結びついていることが多く、親密さ=危険という連想が無意識レベルで働きます。
その結果、恋が始まりそうになると、別の自己状態が前に出てきて、関係を拒否したり、相手を攻撃したり、突然切り捨ててしまうこともあります。
本人から見ると、「昨日まで好きだったのに、今日の自分はもう冷めている」「頭では続けたいのに、身体が拒否してしまう」など、自己矛盾に苦しむことになります。
こうした揺れには、解離についての丁寧な理解と、安全な場での長期的な支援が欠かせません。
慢性疲労:恋よりも「今日を終えること」で精一杯の身体
慢性疲労や長期的な体調不良を抱える人にとって、恋愛は「人生を彩るイベント」というよりも、「体力を削る追加タスク」と感じられることがあります。
誰かと会えば、その前後の準備や移動、会話に膨大なエネルギーを使う。翌日はぐったりして起き上がれない。それを何度か繰り返すうちに、「恋愛をしたい」という気持ちそのものが、身体の負担を考えてしぼんでいく。
慢性疲労の人はしばしば、「恋愛感情がない」のではなく、「恋をするためのエネルギーが残っていない」状態にいます。
このときに必要なのは、気合や努力ではなく、まず徹底したペース配分と、休息を守るための境界線づくりです。
社会から置いていかれるような不安や無力感が強い場合は、逆境の中で心がどう変形していくかを整理してくれる視点も、自己理解の助けになります(逆境・生きづらさに関する整理としては、こちらも参考になります:
https://trauma-free.com/adversity/ )。
アセクシュアル:恋愛感情が薄いこと自体が「あり方」である場合
すべての「恋愛感情がわからない」が、病気やトラウマだけに由来するわけではありません。
アセクシュアル(無性愛)の人の中には、生物学的にも心理的にも、「恋愛感情や性的欲求がほとんど生じない」という在り方の人がいます。これは欠損ではなく、スペクトラム上の一つの位置です。
アセクシュアルの人は、深い友情や精神的なつながりを大切にしながらも、「恋愛」という枠組みそのものに強い意味を見出さないことがあります。
この場合、「自分は壊れているのでは?」という問いから、「自分の指向・在り方をどう尊重して生きるか」への問いに、そっと軸足を移していく必要があります。
大切なのは、「世間が言う“普通の恋愛”ができない=人間として欠けている」では決してない、という基準を取り戻すことです。
生理的欲求と安心・安全の欠如:恋愛は“第三段階”にある贅沢な感情
マズローの欲求階層を持ち出すまでもなく、人はまず「食べられること」「眠れること」「暴力や危険から守られていること」が満たされてはじめて、他者との親密さを欲する余裕を持ちます。
日々の生活が不安定で、住まいや仕事、人間関係が常に揺らいでいるとき、恋愛感情はしばしば後景へと追いやられます。
安全が不足したまま恋愛をしようとすると、相手は恋人であると同時に「避難所」「家族の代わり」「生活の保証」といった役割を背負わされやすく、恋愛感情そのものが重さや依存の中でつぶれていくこともあります。
恋愛感情がわからないときに、「私はまず何に怯え、何に飢えているのか」という問いを投げかけてみること。それは、恋を取り戻す以前に、自分の土台を回復させるための問いでもあります。
身体性/感情の劣化と若者の貧困:恋する前に削られていくもの
過重労働、低賃金、不安定な雇用、孤立した生活――。
若い世代ほど、「生きるためだけに必死で、恋どころではない」という現実を抱えています。
デートに行くお金も時間もなく、将来の見通しも立たない。自分を大切にしてくれる誰かを探すよりも、自分を安く使い潰してくる職場に耐えることが、毎日のメインタスクになってしまう。
このような環境では、恋愛感情がわからなくなるのは異常ではありません。むしろ、自己防衛としての“麻痺”とも言えます。将来の不安が大きすぎると、人は「今ここで誰かを好きになる」ことよりも、「崩壊しないこと」を優先してしまう。
その結果、心は疲弊し、身体感覚は鈍り、感情はゆっくりと色を失っていきます。
恋愛感情がわからない背景には、社会的・経済的なストレスと、それに適応してきた結果としての“感情の節約モード”が潜んでいることも忘れてはいけません。
相手の気持ちを優先しすぎる人が、最後に見失うもの
最後に、「恋愛感情がわからない」と訴える人の中には、実はとても優しく、思いやり深い人が多くいます。
相手を傷つけたくない。
嫌われたくない。
期待に応えたい。
その優しさゆえに、常に相手の気持ちを最優先し、自分の感情をひっこめ続ける。
最初は、それで関係がうまくいっているように見えます。相手も「分かってくれる人」「やさしい人」と評価するかもしれません。
しかし年月が経つにつれ、内側では静かな侵食が進んでいきます。
「本当は何が好きで、何が嫌なのか」
「本当はどうしてほしかったのか」
この問いに答えられなくなったとき、人は恋愛感情そのものが分からなくなっていきます。
恋をする能力が失われたのではなく、“自分を感じる力”が削られてしまったのです。
ここからの回復は、「相手のために」ではなく、「自分のために」ノーと言ってみる小さな練習から始まります。
自分の限界を守ること、自分の欲求を認めること。
それはわがままではなく、恋愛感情を再び感じるための前提条件なのです。
恋愛感情がわからない人の「その後」を分ける一つのポイント
恋愛感情がわからないまま結婚する人もいます。そこに善悪はありません。
ただし分岐点が一つあります。
「感情がわからないことを、二人で扱えるか」
それができる関係は、時間をかけて育ちます。
できない関係は、沈黙の中で孤独が増えます。
だからこそ、恋愛感情の問題は“恋の問題”で終わらず、自己理解・身体感覚・安全基地の再構築へつながっていく。ここを丁寧にやり直した人は、恋愛だけでなく人生全体の色温度が変わっていきます。
恋愛感情がわからないときの対処法:恋を起こす前に、地面を整える
恋愛感情を“生み出そう”とすると、だいたい失敗します。感情は命令で動かない。
現実的にできるのは、恋が育つ条件を整えることです。
1)「好き」ではなく「快・不快」の微差を拾う
恋愛感情が薄いとき、いきなり「好きかどうか」を問うと、答えが出ません。
代わりに、もっと手前の信号を拾います。会った後に疲れるか、少し回復するか。沈黙が苦しいか、落ち着くか。相手の声が刺さるか、柔らぐか。
恋は、こうした微差の積み重ねの上にしか育ちません。
2)親密さを“段階化”して、身体の警報を止める
一気に距離を縮めると、トラウマ反応や回避が暴発します。
連絡頻度、会う時間、話題の深さ、身体的距離。これらを段階化し、「安全の範囲で親密さを試す」ことが必要です。恋愛を“試験”から“実験”に変えるイメージです。
3)「興奮=恋」と決めつけない
恋愛初期の高揚は、必ずしも愛情の証拠ではありません。ときにそれは、不安・欠乏・見捨てられ恐怖が作る興奮でもあります。
逆に、穏やかで静かな安心は、恋愛感情の“成熟形”であることも多い。あなたが求める関係がどちらなのかを、身体の感覚で選び直すことが大切です。
4)病気・状態の可能性は「恥」ではなく「点検」として扱う
うつ、不安、慢性疲労、睡眠障害、強いストレス状態では、恋愛どころか快の回路が閉じます。
このとき必要なのは根性ではなく、休養・医療評価・生活の再設計です。恋愛感情が戻ること自体が、回復の指標になる場合もあります。
恋愛感情がわからないあなたへ:ここから先の歩き方
恋愛感情がわからない状態は、決して「壊れた人間」の証ではありません。
むしろ、過酷な環境に適応するために、心と身体が選んできた合理的な戦略の結果であることが多い。
大切なのは、
「どうして私は恋ができないのか」と責めることではなく、
「どうして、ここまで恋を切り捨ててでも生きねばならなかったのか」と問い直すことです。
その問いを誰かと一緒に扱うことで、恋愛感情は“作り出すもの”から、“自然に戻ってくるもの”へと姿を変えていきます。
もしあなたが、恋愛感情がわからないことに長く苦しんでいるなら、その背景にあるトラウマや生育歴、防衛のパターンを、専門家とともにほどいていくことは、大きな助けになるはずです。
当相談室では、
・恋愛感情がわからない/恋愛に興味が持てない
・相手を好きになれず、罪悪感だけが残る
・安心できる人には心が動かず、危うい関係ばかり選んでしまう
といったテーマについても、トラウマや解離、愛着の視点から丁寧にご一緒しています。
当相談室で、恋愛感情がわからないことについてのカウンセリングや心理療法を受けたいという方は以下のボタンからご予約ください。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造