強いストレスや不安が閾値を超えると、心は現実からそっと距離を取ります。
その“距離”こそが解離です。意識がぼやけ、全身の感覚は鈍り、抗いきれない眠気が波のように押し寄せる。心は、耐えがたい苦痛から自分を守るための一時避難所へと身を移し、束の間の安堵を得ます。
けれど、この避難所は永住の場所ではありません。ほっとしたのも束の間、酩酊に似た曖昧さや、罪悪感・不安のさざなみが戻ってきて、私たちはまた現実の重さに向き合うことになります。**解離は守ってくれる——しかし、解決はしてくれない。**その二面性を理解することから、回復は始まります。
「解離」という心の防衛:避難所が生まれるまで
- 高圧の心身状態 → 自動的な切り離し
精神的圧力が頂点に達すると、心は自己防衛として現実との結び目をゆるめます。これは逃避ではなく、生存のための緊急対応です。 - 眠気・感覚の麻痺・意識の曖昧さ
目は閉じるのに、耳は世界の音をうっすら拾っている。嗅覚・触覚もゼロにはならず、弱く続いている。**深い眠りに似て非なる“浅い避難”**がそこで起きています。 - 曇り空の比喩
直射日光(苦痛)からは守られる。でも、青空のような爽快さはない。**安堵と不安定が同居する“曇天の安息”**が、解離の質感です。
一時的な安堵がくれるもの/奪うもの
- くれるもの:苦痛の軽減、思考の停止、心身への“猶予”
- 奪うもの:現実感・自己感の輪郭、他者とのつながり、問題解決への着手
解離は短期的には有効です。けれど繰り返すほど、現実との接点が薄れ、孤立が深まりやすい。そして課題は未処理のまま積み上がり、後でのしかかってきます。
解離の主観的体験:核と霧
解離の内側では、中心に硬質な「核」(自我・自己意識)があり、その周囲を曖昧な霧(感覚の鈍麻・反応の低下)が包みます。
核は存在するのに、輪郭がぼけてつかめない。外界の刺激は遠のき、現実からの「微妙な距離」が保たれる——それが安息と孤絶の両方を連れてくるのです。
なぜ“避難所”に留まり続けられないのか
避難所は、安全だけでなく孤独も運ぶ場所です。
感情へのアクセスは鈍り、言葉は遠くなり、他者への橋が落ちていく。守られるが、回復するために必要な“つながり”と“意味づけ”が細る——ここに長居できない理由があります。
リスクを見逃さない:一時的な「守り」が長期の「停滞」に変わるとき
- 解離の頻度・持続時間が増える
- 課題先延ばしが常態化
- 他者との断絶感が強まり、自己の輪郭が薄れる
- 罪悪感・無力感が増幅し、回避が固定化
**「守り」→「孤立」→「停滞」**の連鎖を断つためには、避難所の存在を否定せず、現実に戻る“道筋”を準備しておくことが大切です。
解離から戻るための「小さな橋」:今ここに戻る実践
重要なのは“強い意志”より小さく具体的な手順。体の感覚を手がかりに、曖昧さから「今ここ」へ還る。
① 呼吸の錨
- 4秒吸って、6〜8秒ゆっくり吐く × 5サイクル
- 吐く息で肩と顎の力を2割抜くイメージ
② 接地(グラウンディング)
- 足裏の三点(親指球・小指球・かかと)の圧を順番に感じる
- 椅子の座面が太ももを支える感触を10秒スキャン
③ 五感オリエンティング
- 見える物を3つ、聞こえる音を2つ、匂い/触感を1つ、心の中で“名前をつけて”列挙
- 速度はゆっくり、言語化が難しければ「色」「形」だけでもOK
④ 微小な運動
- 指を握る/開くを10回、肩を前後に各5回
- 立位が可能なら、足踏みを20歩(視線は水平)
⑤ 事実カード
- ポケットメモに「今は〇年〇月〇日」「ここは自室/オフィス」「私は安全」と3行書き、読む
- 言葉が入らない時は日付だけで十分な“現実の杭”になる
繰り返さないための下支え:日常のセルフケア設計
- 負荷の見える化:起床直後・昼・夜に0〜10でストレス/眠気を自己採点し、7以上で休憩のルール化
- 回復の予約:毎日同時刻に5〜10分の“何もしない時間”を固定(スマホは別室)
- 刺激の調律:音量・照度・匂いを自分仕様に下げる(ノイズキャンセリング/間接照明)
- つながりの維持:週1回、短文で近況共有(「今週は○○が助かった」)——深い会話でなくていい
- 引き金の把握:解離前後に共通する場面・時間帯・人・言葉をメモし、避ける/準備するどちらの戦略も用意
専門家と進める「根本へのアプローチ」
解離が守ってきた痛みは、安全が担保された対話と身体のワークで少しずつ解けていきます。
- 心理療法(トラウマ・インフォームド、安定化→処理→統合の三段階)
- ソマティック(身体志向)アプローチ:呼吸・体性感覚・微細運動
- 現実検討とセルフコンパッションの再学習
ポイント:避難所を否定しない。“役割を終えたら帰ってくる道”を一緒に作る——その姿勢が回復の推進力です。
まとめ:解離は「悪者」ではない——帰還路を持てば、避難は力になる
解離はあなたを守ってきました。
ただ、その避難所に住み続けると、現実の土壌がやせ細ってしまう。だからこそ、戻ってくるための小さな橋を日常に用意しておく。呼吸、接地、五感、微小運動、事実カード——たった数十秒の実践が、曇り空の下に確かな道を描きます。
守られたあなたが、また進めるように。
避難所を持ちながら、“帰る先”を増やしていく——それが、解離とともに生き、やがて解離を必要としない時間を増やしていく道です。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-04-10
論考 井上陽平
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造