私たちの心の奥底には、誰にも見せることのない“暗闇”が存在しています。
精神分析の臨床家が語るブラックホールとは、まさにその闇を象徴するものです。
幼少期のトラウマや過去に受けた深い痛みが心の中に作り出した「空白」——。
それは目に見えないのに、確かにそこにあり、私たちの感情や人間関係、そして生き方そのものに静かに影響を与え続けています。
ブラックホール——心を引きずり込む“見えない力”
トラウマを抱える人々の心には、このブラックホールが潜んでいます。
その中では、忘れたい過去や激しい感情が渦巻き、ある瞬間に突如として姿を現します。
そしてその引力は、本人の意思では抗えないほど強烈です。
気づけば何もかもが飲み込まれ、思考も感情も混乱し、まるで心の重力に引きずり込まれるような感覚に襲われます。
それは単なる「悲しみ」や「怒り」ではなく、過去の痛みが現在もなお生きている証拠です。
日常の中でふとした出来事——人の言葉、音、匂い、光——が引き金となり、心の奥で眠っていた傷が目を覚まします。
気づけば世界が遠のき、時間が止まり、すべての意味が崩れ落ちていく。
この体験こそ、トラウマの闇が現実を侵食する瞬間なのです。
光に憧れながら、闇を生きる——孤独な心の戦い
闇の中を生きる人は、決して光を忘れてはいません。
心のどこかで「本当は明るく、自由に、笑って生きたい」と願っています。
しかし、現実は深い闇に覆われ、光はいつも遠く、届かない場所にあるように感じられます。
街を歩くだけでも心が痛む。
他の人たちは笑い合い、楽しそうに生きているのに、自分だけが取り残されているような感覚。
まるで世界が二重構造になり、自分はその外側——光に届かない世界——に閉じ込められているようです。
この「光と闇の二重世界」は、トラウマを抱える人が感じる存在の孤立そのもの。
他者と関わろうとしても、心のどこかで「どうせ理解されない」と感じ、距離を置いてしまう。
そうして孤独が深まり、世界の光はますます遠ざかっていくのです。
それでも、心の最も奥深くでは、「いつかこの闇を抜け出したい」という微かな願いが消えることはありません。
希望と絶望のはざまで——揺れ動く心の風景
どんなに深いトラウマを抱えていても、人の心には必ず「希望の灯火」が存在します。
それはわずかに揺れる小さな光。
しかし、その光の奥にはいつも漆黒の闇が潜んでいます。
サバイバーの心を包むのは、苦悩・孤独・無力感・失望・自己否定といった感情の波。
それらは時に圧倒的な力で押し寄せ、光をかき消そうとします。
希望に手を伸ばしても、闇がその光を引き裂き、心は再び奈落へと沈んでいく。
それでも——光は完全には消えません。
どんなに暗くても、希望の光は生き続け、かすかな輝きで私たちを支えています。
この光と闇のせめぎ合いこそ、トラウマを抱える人々の中で日々繰り返されている心の戦いです。
その葛藤の中で、私たちは“再び生きる”という選択を学んでいくのです。
心のブラックホールに囚われる——恐怖とフリーズ反応の実体
トラウマのブラックホールに囚われた人は、まるで薄氷の上を歩くような不安定な日々を送っています。
体は過去の記憶を覚えており、何気ない音や言葉、匂いが引き金となって当時の恐怖が再現されるのです。
その瞬間、全身は凍りつき、呼吸が止まり、時間の感覚が消えてしまう。
心も体も硬直し、まるで奈落に引きずり込まれるような恐怖に襲われます。
その感覚は「もう二度と抜け出せない」という絶望と直結しています。
怒り、憎しみ、悲しみ——これらの感情は、消えることなく何度もよみがえり、日常生活の中で静かに再演されます。
サバイバーはこの見えない闘いの中で、自分を守るために必死に生きているのです。
闇と向き合い、光を見出す——心の再生のプロセス
心のブラックホールとは、過去のトラウマと未解決の感情が作り出す深い虚無の象徴です。
そこに引きずり込まれないためには、「自分を知る勇気」と「感情を感じる力」が必要です。
心の闇に目を向けることは恐ろしい作業ですが、避け続ける限り、闇は形を変えて何度も私たちを飲み込もうとします。
トラウマケアや心理療法の現場では、
- 自己理解
- 身体感覚への気づき(ソマティック・アウェアネス)
- 他者との安全なつながり
が回復の鍵とされています。
小さな一歩を積み重ね、少しずつ「安心」を体で取り戻すことで、
ブラックホールの重力から抜け出し、再び光の中で生きられるようになります。
絶望を超えて——希望を灯す自己表現と自由への道
トラウマを抱えた心が再び動き出すとき、それは“自己表現”の瞬間から始まります。
感じること、話すこと、描くこと、歌うこと——どんな形でもかまいません。
心の奥で閉ざされていた感情を、言葉や行動として外に出すことが、自由への第一歩となるのです。
社会や家族の期待に縛られ、「弱さを見せてはいけない」と思い込んできた人ほど、この自己表現の力は大きな意味を持ちます。
それは「私はここにいる」「私は生きている」と世界に告げる宣言であり、失われた自分自身の存在の回復なのです。
心の闇と対話しながら、自分の中にまだ残っている希望を信じる。
その小さな光を見失わない限り、私たちは再び生きる力を取り戻すことができます。
闇は消えません。けれど、光もまた、決して消えないのです。
終章——闇を抱えて生きることは、光を知ること
トラウマを抱えるということは、闇の中で生きることを意味します。
けれど同時に、それは誰よりも光を知るということでもあります。
痛みを通して、優しさを知り、絶望を通して、希望の意味を学ぶ。
ブラックホールの中で見つけた一筋の光は、やがてその人の生き方そのものを照らす“導き”となります。
心の闇を消そうとするのではなく、その中に宿る光を見つけること。
それこそが、トラウマを抱えた人が“自由に生きる”ための最も深い癒しの道なのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2024-10-28
論考 井上陽平
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造