心の闇が深い人の正体:トラウマがもたらす影響とその意味と原因を探る

闇を抱えている人にとって、イルミネーションが輝く街は、ただの「きれいな景色」ではありません。
ガラスに映る自分の顔と、その背後で脈打つように揺れる光のコントラストは、世界の残酷な構図をそのまま見せつけてきます。

――世界はこんなにも明るいのに、自分の内側だけが真っ黒なまま取り残されている。

笑い声、手をつなぐ人の温度、軽い冗談、肩が触れ合う距離。
そのすべてが「普通の人の世界」の証拠のように見えて、胸の奥で静かに絶望を増幅させることがある。
「あの輪の中には入れない」「あの光は別の種族の住む場所だ」と感じてしまう人がいます。

けれど、彼らは崩れているだけではない。
病気やトラウマに抗いながら、何度も立ち上がろうとし、自分なりの夢や目標をつなぎ直し、毎日を生き延びている。
それは本来、誰よりも勇敢で尊いことです。
にもかかわらず、ふと鏡を見る瞬間に、こう思ってしまう。

――映っているのは“人間”というより、闇そのものではないか。

この感覚こそが、「深い闇を抱えた人」が日々格闘している内面の現実です。
外からは見えにくいけれど、本人の内側では、まったく終わっていない戦争が続いている。


深い闇は「性格」ではなく、尊厳を揺るがされた歴史から生まれる

深い闇を抱えた人の多くは、人生のどこかで、人としての尊厳を土台から揺るがす出来事を経験しています。
それは、単発の“嫌な思い出”ではなく、心の深層にまで沈んでいく種類の体験です。

家庭内での虐待や暴力、性暴力や強制的な性的体験、長期にわたるいじめや排除、嘲笑。
そして何より深く残り続けるのが、「助けを求めても誰も来てくれなかった」という見捨て体験です。

幼い心は、世界を“説明”できません。
ただ、世界が怖いとだけ学習する。
守ってくれるはずの人が脅威であるなら、子どもの神経は「安心」という言語を獲得する前に、「警戒」という母語を覚えてしまう。
その結果、人生の基礎に「いつ何が起きてもおかしくない」という感覚が沈殿していきます。

子どもの心の傷が、どのように“闇”として固定化していくのかは、こちらでより丁寧に扱っています。
→ つらい子ども時代に刻まれる心の傷と闇
https://trauma-free.com/child-wound/

このようなトラウマが重なると、複雑性PTSDや解離スペクトラム、境界性パーソナリティ障害、統合失調症様の症状(幻聴・妄想・現実感の喪失)など、さまざまなかたちで心身の均衡が崩れていくことがあります。
しかしそれは、単なる「診断名」ではありません。
生き延びるために、心が自らを分割し、歪め、守ろうとしてきた歴史そのものでもあるのです。


「光の世界に属せない」という感覚は、思い込みではなく“学習”である

深い闇を抱えた人は、幼い頃から一貫した孤独感に包まれやすい。
「自分だけが最初から仲間外れだった」
「みんなが当たり前に持っている“ふつうの幸せ”が、最初から自分には配られていない」
「自分の人生は、何かの罰か呪いのようだ」
こうした感覚は、悲観というより、過去の経験が作った“世界観”です。

つらいときに寄り添ってくれる大人がいなかった。
苦しみを語るための言葉も、安心して泣ける場所もなかった。
そういう現実の積み重ねの末に、心は結論を出してしまう。
「自分は愛されるに値しない」
「苦しいのは自分のせいだ」
「うまくいかないのは、自分が根本的に欠陥品だからだ」と。

ここで起きているのは、“自己責任の呪い”です。
本当は環境の残酷さが原因だったのに、心はそれを外部に向けられない。
外部に怒りを向ければ、さらに攻撃されるか、孤立するか、見捨てられるかもしれない。
だから矛先を自分に向け、「自分が悪い」と決めることで、世界との関係をかろうじて維持しようとする。
その結果、「苦しんでいる自分を助ける」よりも「苦しんでいる自分を鞭打つ」ほうが、当たり前になっていくのです。


現実感の喪失、自己との分裂、身体の崩れは「壊れ」ではなく生存反応の名残

深いトラウマを抱えた人は、身体にも心にも、さまざまな症状を抱えます。
ただ、ここで大切なのは「症状の羅列」ではなく、症状が生まれる仕組みです。

危険やストレスに晒されると、神経システムは自動的に反応を選びます。
戦う、逃げる、凍りつく。
けれど、逃げられない環境、戦えない相手、抗えばさらに傷つく状況が続くと、「凍りつく」ことが唯一の生存戦略になります。
その状態が慢性化すると、世界が遠く霞んで見えたり、自分の身体にいても「ここにいない」感覚になったりする。
まるで雲の中を歩いているような、薄い現実感。
それは壊れた証拠というより、壊れないために続けてきた反応の名残です。

解離と「分かれた自分たち」の感覚については、こちらでも整理しています。
→ 解離性同一性障害と“分かれた自分たち”の内側
https://trauma-free.com/dis/did/


情動的な人格部分の二極:脆弱さと残酷さが同じ根から生える

構造的解離の視点では、心の中には「日常を回すための自分」と、トラウマ体験や未処理の感情を抱えた「情動的な人格部分」がいると考えます。
ここで重要なのは、情動的な部分がしばしば二極化することです。

一つは、怯え、泣き叫び、助けを求める“脆弱な部分”。
もう一つは、冷酷さや憎しみをまとい、先に攻撃することで自分を守ろうとする“残酷な部分”。

前者は「どうしてこんな目に遭うの」「誰か助けて」という悲鳴そのものです。
後者は、その悲鳴を聞き続けた結果、「この世界を信じるほうが危険だ」と決意してしまった断片です。

夢の中で暴れる人物、頭の中で罵倒してくる声、身体のどこかでうずくまっている子どものイメージ。
それらは単なる空想ではなく、心が生き延びるために切り分けた“自分の一部”が、別の姿をして現れていると理解できます。


無情さと深い闇の対話:内的迫害者は「悪」ではなく、痛みの代理人である

闇が深い人の内側では、しばしば冷酷な声が響きます。
「何度も君を傷つけ、終わらせようとした。それでも君は生き続けている。いつも死にたいと願っているのに、なぜ実際に死なないのだ?」
「君の存在が周りに迷惑をかけていると感じているのではないか。本当に死にたいなら、なぜ今すぐ死なないのか?」

この声は、ただの自己否定ではない。
かつて誰にも守られなかった自分が、二度と同じ無力を味わわないために作り上げた、無情さという鎧でもある。
そしてその鎧は、守るために作られたはずなのに、いつのまにか「守る対象」そのものを刺す刃になる。

しかし、同じ内側で、別の声が応じることがある。

「今すぐにでも消えても構わない。でも、私がいなくなれば、あなたはどうなる?困るのはあなた自身ではないのか?」
「何を言っているんだ?君がいるから僕たちはこんなに苦しんでいるんだ。」
「本当にそうだろうか?私がいなくなれば、あなたは一時的に楽になるかもしれない。しかし、その輝きは長続きしない。光は暗闇があるからこそ輝く。暗闇が深ければ深いほど、光はより鮮明に見えるのだ。だから私はここにいる。あなたを支えるために、この暗闇と共にいるんだ。私がいなくなれば、あなたは一体どうする?」

この対話は、単なる詩的表現ではない。
心が分裂してでも生き延びてきた歴史が、言葉になって噴き出しているだけだ。
消えたい側と、生きたい側が同時に存在し、互いを否定しながらも依存し合う。
それは矛盾ではなく、長期の極限環境で成立した「生存の構造」である。

カルシェッドの枠組みは、この“守護者であり迫害者でもある存在”を理解する助けになります。
→ ドナルド・カルシェッドと“内的迫害者”の世界
https://trauma-free.com/donald-kalsched/

内的迫害者の冷酷さの根底には、しばしば、途方もない渇望が埋もれています。
「誰か、あのときの私を見つけてくれ」
「あの痛みを分かってくれ」
闇が深いほど、その闇は“悪意”ではなく、“理解されなかった痛みの凝縮”である場合が多いのです。


「悪魔」の囁きからの解放:闇の正体は破壊衝動ではなく、報復として固定化した痛み

闇の使者――もはや悪魔へと成り果てた存在は、自己の内に深く埋もれた苦痛を映し出します。
その悪魔的な側面は、苦しみを抱える人々を描写するかのように、心を縛り、支配します。

「あなたが暴力を行使するたび、私はあなたの支配下にあることを感じます。あなたの内なる闇が私を包み込み、自由を奪います。あなたの闇に操られ、私は自分の意志に反する行動を強いられ、自己のコントロールを失ってしまいます。喜びや平和を望んでも、あなたの闇に押し潰され、心も体も限界に達しています。

なぜ、あなたはその暗闇を背負い続けるのでしょうか?なぜ、私たち二人にとっての苦痛となるこの闇を手放さず、抱え続けるのですか?時には、あなたは私の命すら奪おうとしますが、その行為にどんな意味があるのでしょうか?あなたが私を傷つけるたびに、あなた自身も同じ苦しみを受けているはずです。そんな自己破壊を続けることで、何を得ようとしているのですか?」

この問いに対して、悪魔はしばしばこう答える。

「お前が逃げなかったせいで、私はお前の代わりに長い間苦しみ続けた。だから、お前は死ぬまでその苦しみを味わうべきだ。」

ここには、報復がある。
だがそれは、単なる加虐性ではない。
「逃げられなかった」
「助けを呼んでも誰も来なかった」
「守られることがなかった」
そうした歴史の中で、痛みが時間を超えて保存され、人格の一部として固定化した結果だ。

この段階まで来ると、闇は外に向けても内に向けても、どちらにしても破壊を生む。
外に向ければ他者を傷つけ、内に向ければ自己破壊になる。
どちらも、根にあるのは同じで、守られなかった痛みが、力の形を借りて暴れているだけだ。


解離は緊急避難装置だった。だから回復には「解除の順序」が要る

あまりにも過酷な環境から逃げられないとき、人は心を守るために解離を選びます。
意識を遠ざけ、その場にいながら“いないふり”をする。
記憶を切り離し、「なかったこと」にする。
自分とは別の誰かが、代わりに痛みを引き受けてくれているように感じる。
解離は、生き延びるための緊急避難装置です。

ただ、その装置が長年オンになりっぱなしになると、「本当の自分がどこにいるのか分からない」という新しい苦しみが生まれます。
だから回復では、いきなり“光のほうへ引っ張る”ことが逆効果になることがある。
闇を剥がすのではなく、闇が生まれた順序を尊重しながら、少しずつ神経系の安全を取り戻していく必要があります。


カウンセリングで大切にしていること:闇を消すのではなく、闇の役割を理解する

当相談室では、「闇が深すぎて、人に見せてはいけない気がする」という方を、いきなり明るい言葉で励ましたり、ポジティブに解釈し直す方向へ急かしたりしません。
闇は多くの場合、あなたの人生を破壊しに来たものではなく、あなたを生き延びさせてきたものだからです。

大切にしているのは、闇を排除することではなく、闇が「何を守ろうとしてきたのか」を一緒に理解していくこと。
“悪魔”に見える存在の背後にある切実さを、言語化できる形へ戻していくこと。
そして、「消えたい自分」と「それでも生きたい自分」の両方に、同じだけの居場所を用意することです。

トラウマや解離に特化した継続的なサポートについては、こちらのページでご案内しています。
→ トラウマケア専門こころのえ相談室のカウンセリング案内
https://trauma-free.com/treatment/counseling/


終わりに:闇があなたに見せる鏡は、あなたの全体ではない

イルミネーションの街で、自分だけが取り残されているように感じるとき、あなたは弱いのではありません。
その場で笑えないのは、努力不足ではありません。
あなたの神経と心が、長い年月をかけて「世界は危険だ」と学習してしまっただけです。

そして本当に重要なのは、闇を抱えている人の多くが、その闇を使って誰かを支配したいわけでも、誰かを傷つけたいわけでもないという事実です。
むしろ、これ以上傷つかないように、これ以上壊れないように、必死に自分を保っている。
闇は、あなたの中で勝手に増殖したものではなく、あなたが生き延びた結果として残ったものです。

もし「これは自分のことかもしれない」と感じたなら、すでに長いあいだ、一人で深い闇を抱えてきた方だと思います。
闇を消すのではなく、闇を理解し、闇と共に生きるための秩序を取り戻す。
その道を、必要な速度で一緒に歩んでいければと思います。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造
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本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。