心の平穏を求めて― 仏教と臨床心理学が示す「安心感」が生まれる場所 ―

心の安心感とは、単なる「不安がない状態」ではありません。
それは、身体の内部で感じられる平穏さや静寂と深く結びついた感覚です。

私たちが本当に安心しているとき、
感情や体験を「処理しよう」「変えよう」とはしません。
その瞬間に立ち上がっている感覚を、
評価や判断を加えず、静かに味わうことができます。

この静寂は、何も起きていない空白ではありません。
日常の不安やストレスから一時的に解放され、
内側に注意が戻っている状態です。

臨床心理学の視点で言えば、
これは「防衛が解除され、自己が自己に接触している状態」と言えます。
仏教的に言えば、「執着が一時的に緩み、心が散逸していない状態」です。


心の安心感がもたらす身体的変化

― 緊張がほどけるとき、何が起きているのか ―

心の安心感は、必ず身体に現れます。

私たちが心から安心を感じているとき、
身体の緊張は意識的に緩めなくても自然にほどけていきます。
呼吸は深くなり、
肩や顎、腹部に入っていた微細な力みが抜け、
身体は「警戒を解いてもよい」と判断します。

この状態が続くと、
安心感はやがて幸福感や満足感へと変化していきます。
それは刺激的な喜びではなく、
「足りている」「これ以上何も足さなくてよい」という感覚です。

心が安らかであるとき、
その感覚は一点に留まらず、
体全体へと広がり、私たちを包み込みます。

臨床の現場では、
この状態を「自己調整が外部に委ねられていない状態」と捉えます。
つまり、人や状況に振り回されず、
内側から均衡が取れている状態です。


心と身体が一体となるとき

― 真にリラックスしている状態とは ―

心の平和が身体と一体となったとき、
人は初めて「本当の意味で」リラックスします。

ここで言うリラックスとは、
何も考えていない状態でも、
気を紛らわせている状態でもありません。

外部の出来事や他者の反応に、
即座に引きずられないだけの内的な余白がある状態です。

この余白があると、
不安や心配は「消える」のではなく、
通り過ぎるものになります。

仏教が説く「苦からの自由」とは、
苦が存在しなくなることではありません。
苦に心全体が占拠されなくなることです。


心の平穏を奪うネガティブな思考のループ

― エネルギーはどこで失われているのか ―

日常生活の中で、
ストレス、不安、緊張、焦燥感が積み重なると、
心は次第に休むことを忘れていきます。

安心していない心は、
常に「次に何が起きるか」を監視し続けます。
その結果、思考は止まらず、
頭の中はネガティブな事柄で占領されます。

この状態では、
私たちの思考は「解決」のために働いていません。
危険を回避するための反復確認として働いています。

だからこそ、
同じ悩みを何度も考え続ける
「思考のループ」に陥ります。

このループは、
新しい情報も、創造的な視点も生みません。
ただ、心身のエネルギーを消耗させるだけです。

臨床心理学では、
これは「覚醒レベルが下がらない状態」と理解されます。
仏教的には、「渇愛が心を掴み続けている状態」です。


安心感と生理状態の密接な関係

― 感情は身体の上に成り立っている ―

人間の感情は、生理状態と切り離せません。
特に安心感は、生理的安全感が前提条件です。

危険や生命の脅威を感じているとき、
心がどれほど「大丈夫だ」と言い聞かせても、
安心感は立ち上がりません。

これは意志の問題ではありません。
神経系の問題です。

社会的なつながりや人間関係の中で、
自分の居場所があると感じられるとき、
身体は「ここにいてよい」と判断します。

すると、
呼吸が整い、
血圧が安定し、
筋肉の過剰な緊張が解けていきます。

安心感を感じている人が、
他者と親密な関係を築きやすいのは偶然ではありません。
生理的に開いている状態だからです。

神経系と安心感の関係について
https://trauma-free.com/treatment/polyvegal/


仏教における瞑想と心の平穏

― 苦しみから自由になるとはどういうことか ―

仏教において、瞑想は「心を落ち着ける技法」ではありません。
それは、苦しみの構造を見抜くための実践です。

仏教は、人が苦しむ原因を
渇望・執着・固執に見出します。

重要なのは、
「欲望をなくすこと」ではありません。
欲望に無自覚に引きずられている状態から離れることです。

瞑想では、
浮かんでくる思考や感情を
追い払うことも、評価することもしません。

ただ、起きていることとして観ます。

臨床心理学的に言えば、
これは「体験を対象化する力」を育てる営みです。
仏教的には、「無常を直接体験すること」です。


瞑想がもたらす静寂の質

― 波のない湖の比喩が示すもの ―

瞑想によって訪れる静寂は、
何も感じていない状態ではありません。

むしろ、
感覚や感情がそのまま現れては消えていく状態です。

波のない湖は、
風が存在しないから静かなのではありません。
水面が風に抵抗していないから、乱れないのです。

心の平穏も同じです。
出来事がなくなるのではなく、
心が掴まなくなるのです。

心を静めようとして苦しくなるとき
https://trauma-free.com/hyper-tension-nervous-system/


安心感を育むための具体的アプローチ

― 人間関係と日常体験の中で ―

安心感は、特別な修行の中だけで育つものではありません。
日常の関係性と体験の中で、繰り返し育て直されます。

人間関係における安心感

・視線を向ける
・声のトーンを感じ取る
・表情の変化を受け取る

これらはすべて、
言葉以前のレベルで
「敵意がない」「排除されていない」という情報を伝えます。


五感を通じた安心感の回復

自然の音、肌触り、香り。
これらは思考を介さず、直接神経系に届きます。

だからこそ、
安心感が失われているときほど、
五感へのアプローチが有効になります。

五感を通じた安心感の回復について
→ https://trauma-free.com/treatment/self-care/


食事・呼吸・美的体験

ゆっくり味わう食事、
深く吐く呼吸、
美しいものを「ただ見る」時間。

これらは、
自分自身が安心感の発信源になる体験です。


心の平安を保つための4つのステップ

① ネガティブな感情の認識と再構成

感情を否定せず、
「起きていること」として理解することで、
反応の自動化から離れられます。

② 変えられないものを受け入れる

受容は敗北ではありません。
無駄な消耗を止める行為です。

③ 自己ケアを大切にする

自己ケアとは甘やかしではなく、
回復力を維持するための基盤です。

④ 問題解決への適切なアプローチ

不安なままでも、
一歩ずつ現実に関われる力を育てます。


結び

― 心の平穏は「獲得」ではなく「回復」 ―

心の平和は、
新しく手に入れるものではありません。

本来そこにあったものが、
ストレスや防衛によって覆われていただけです。

臨床心理学も仏教も、
最終的に指し示しているのは同じ方向です。

戻ること。
つながり直すこと。
掴むのをやめること。

心理療法やトラウマ治療の全体像を整理して理解したい方は、心理療法とは何か|トラウマ治療・カウンセリング・身体アプローチを統合的に解説をご覧ください。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造
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