自分が自分じゃない感覚が怖い、気持ち悪い、パニック障害

複雑性トラウマ

「自分が自分でない」―この感覚は、多くの人々にとって想像を超える恐ろしさや不安を伴うものです。これは、通常私たちが当たり前としている、自我の安定やアイデンティティの確固たる存在感が揺らいでしまう現象と言えます。パニック障害も伴う場合、その感覚はさらに強まり、心身ともに過度なストレスを感じることとなります。

この違和感は、まるで自分が現実の中で透明になってしまったかのような感覚や、自分の存在そのものが不確かであるという錯覚をもたらすことがあります。それは、まるで鏡の中の自分を見ているかのような、現実と自分との間に何か薄いヴェールがかかっている感じです。

その背景には、過去のトラウマや日常生活の中での持続的なストレス、身体的な疾患や薬物の影響など、様々な要因が考えられます。ときには、深い孤独感や自己のアイデンティティの探求といった、人間の根源的な問題からも引き起こされることがあるのです。

このような状態に陥った時、周囲の人々の理解やサポートは非常に重要です。無理に「現実に引き戻そう」とするのではなく、その人の感じる不安や恐れを認め、共にその感情を尊重していくことで、徐々に自分を取り戻していくことができるでしょう。

自己感が喪失していく過程

離人症や解離症状は、一般的にはその名の通り、自分が自分でないかのような感覚や、現実とのつながりが希薄に感じられる状態を指します。これは、私たちが日常生活で感じる、一貫した現実感やアイデンティティの確固たる感覚が一時的に欠けてしまうという、非常に特異な経験です。

驚くべきことに、この症状は我々の生活の中で予想外の瞬間に発生することがあります。目が覚めた直後のような、意識がまだはっきりしていない時や、車の運転中に一瞬集中力が途切れた時など、日常のささいな瞬間にも現れることがあります。

その原因としては、以前に経験したトラウマやショック、日々の生活の中での慢性的なストレスが重なることで、心が守護的に現実から一歩引いた状態を作り出すことが考えられます。また、心身の疲労や緊張、空腹や低血糖といった身体的な要因も影響してくることがあります。

ネガティブな感情が長期間蓄積されると、それが心の中で重荷となり、現実を直視することが困難になることもあります。このようなとき、人は無意識のうちに自己防衛の手段として解離の状態を作り出すことがあるのです。

以下は、複雑なトラウマを経験しているAさんの体験談

初期症状はパニック発作

突如として訪れる絶大な恐怖は、深い混乱とパニックをもたらします。この恐怖は単なる瞬間的なものではなく、その存在感はまるで暗闇から現れる圧倒的な怪物のように私たちを襲い、精神の奥深くまで染み入ってくるのです。その感覚は、自分が無数の巨大な手によって押し潰され、呼吸すらもできないほどの圧迫感に蹂躙されているかのように感じられます。

声は自然と上ずり、心臓は狂ったように鼓動を増していき、その激しい響きが体全体に響き渡り、過呼吸を引き起こしてしまいます。息ができない、心臓が止まるのではないかという感覚は、さらに追い詰められる恐怖を加速させます。

この全ての感覚は、まるで自分の中の秩序やコントロールが崩れ去っていくかのようで、その瞬間に自分が狂ってしまうのではないかという深刻な恐れが頭をよぎります。その中でも、私たちは自分自身という存在を確認し、現実とのつながりを保とうとする本能的な反応を見せます。

狂気と解離・離人させる力

突然の瞬間、目の前の風景が現実の質感を失って遠のいていくように感じられます。その風景は、かつての自分の知っている景色ではなく、まるで異次元の空間へと移行していくかのよう。その中で、自分がどこか別の世界に閉じ込められ、逃げ場のない未知の領域に投げ込まれてしまったような感覚に襲われる。

絶大な恐怖が心の中を支配していく中、視界は白い霧でゆっくりと覆われ始めます。次第に狭められた視界は、自分を孤立させ、外界とのつながりを遮断してしまう。まるで深い霧の中を歩むかのように、手を伸ばしても掴むことのできない未知の感覚が続く。

その霧の中で、心の奥底から湧き上がる恐怖との戦いが始まります。この恐怖は単なる外部からのものではなく、自分の中に潜む深い不安や疑念から生まれてくるもの。その深い不安感は、心の平穏を乱し、狂気へと導きかねない強烈な感情を引き起こします。

しかし、心の中には、この恐怖を乗り越え、自分を取り戻すための意志もしっかりと存在しています。この二つの力が絶えず引き裂かれるような闘争を繰り広げる中、外界の景色や音、匂いが異質で奇妙に感じられてしまう。

この恐怖の後に残された世界は、以前とは全く異なる質感を持っています。それはまるで、透明な膜に囲まれた別の次元のように、現実との境界が曖昧になってしまっている。しかし、時間が経つにつれて、その膜もゆっくりと溶けていき、再び現実の景色とのつながりを取り戻すことができるのです。

自分は自分ではなくなる不安との戦い

狂気の影が後退した後も、その爪痕は深く残り、外の世界への一歩さえ踏み出せないほどの恐怖と不安に苛まれ続けます。この感覚は、まるで自己の支えが外れ、漂流するような状態に陥ることがあり、自分の精神の中にもう一つの異質な自我が生まれ、操られるような錯覚に取り憑かれます。この二つの自我が、互いの存在を認識し、対立し合う中で、内なる戦場が形成され、その葛藤は心の奥で繰り広げられる戦争のように激しい。

この離人症や解離症状に悩む人々は、自分という存在が希薄化し、外界との境界が曖昧になります。現実と虚構の境が不明瞭となり、自分の感覚や感情すらも他者のものであるかのように感じることがある。この心の嵐の中で、本当の自分を探し、取り戻そうとする過程は、まるで暗闇の中を手探りで進むような旅の中での戦いとなります。

しかし、この経験は決して無駄ではありません。狂気や恐怖、不安との闘争の中で、人は自分自身の深い部分と向き合い、その本質を理解する機会を得ることができます。この困難な過程を乗り越えることで、心の強さや自分の価値を再認識し、真の自己を取り戻すことができるのです。そして、この過程は人間としての成長と深い理解、そして新たな人生観を築き上げる貴重な経験となります。

自分が自分じゃない感覚の人の特徴

自分が自分でないと感じる人々の中には、その感覚の背後に、幼少期や青春期といった初期の発達段階でのトラウマや深刻な経験が隠されていることが多いです。彼らは、その敏感な体質から生じる過度の感受性により、日常の出来事や感情に対しても感覚や感情が鈍化したり、過敏に反応することがあります。

このような人々は、現実の世界に適応することが難しく、日常の些細な出来事や人間関係においても、自分のアイデンティティや自己の存在意義を疑問視することが増えます。彼らの心は、自分自身を理解し、受け入れることが難しく、それにより自己のアイデンティティや存在価値の感覚が揺らぎます。このような状態が続くと、孤独や虚無感に悩む時間が増え、その結果として、人々との関係も希薄になることがあります。

対人関係において、彼らは他人の目を恐れ、直接的なコミュニケーションを避ける傾向が強まる一方、自分の価値感や考えを他人に依存する「他人軸」の性格が強化されることがあります。これは、自らの価値やアイデンティティを他者の評価や意見に委ねることで、一時的に自己の不安や虚無感を緩和しようとする防衛機制であると言えます。

このような背景や特徴を持つ人々は、外部の刺激や変動に対して過度に反応することがありますが、その奥底には、純粋で優しく、深い感受性を持つ心が隠れています。彼らの独特な感受性や感性は、他者との深い共感や繊細なアートへの感受性として現れることもあります。

自分がわからなくなる感覚とは

自分がわからなくなるという深くて複雑な感覚は、まさに心の中での彷徨い、自己同一性やアイデンティティの喪失を示唆しています。それは、我々が日常的に感じ、考え、行動する中での基盤となる自分自身の認識が、一時的または継続的に曖昧になってしまう状態を指します。

このような感覚の背後には、さまざまな原因や背景が存在することが考えられます。それは、幼少期のトラウマや成長過程での経験、対人関係の摩擦、社会や文化的な要因、あるいは深い内省や自己反省の結果として生まれることがあります。身体的な感覚や日常の感情、考える過程や行動、信念や価値観に至るまで、全てが繋がり合っている中で、一部が不透明になることで、全体の均衡が崩れ、自己の不確実さが生まれるのです。

こうした時期に、人は「私は本当に何者なのか?」、「自分の真の価値や目標は何なのか?」といった深い自問自答を繰り返し、時には混乱や孤独を感じることがあります。しかし、このような心の迷いや混乱は、自己を更に深く知る過程であり、新しい自分を発見し、成長する機会ともなるのです。

身体感覚の麻痺から自己喪失

早い発達段階でトラウマを経験した人々や性暴力被害者は、その後の人生においても、心の奥底に深い傷を抱えています。この傷は、他者にはなかなか理解されにくく、彼らの感じる痛みや敏感さは、一般人が感じるそれとは異なる強度と質を持っています。身体的・感情的な痛みは彼らの中でエコーのように響き続け、神経が細やかに、時に過敏に反応することとなります。

外部からの些細な刺激でも、彼らの中で大きなストレスとなり、ネガティブな感情や身体的な痛みとして表れることがあります。常に高まった緊張状態に置かれているため、筋肉の凝りや皮膚の感覚の低下など、身体的なサインとしてもこれらのトラウマは現れます。長い時間、このような状態が続くと、彼らは自らの身体からの感覚や現実とのつながりを失い、自分の存在そのものが希薄になる感覚に苛まれることがあります。

現実の世界との関わりが複雑になる中で、彼らは安全な場所として空想の世界に逃げ込むことが多くなります。この空想の中でしか、彼らは自分自身を安全に感じることができないのです。しかし、この逃避が繰り返される中で、彼らは現実の自分を見失い、アイデンティティや自己感の喪失を経験します。

自己同一性の喪失の問題は

自己同一性を見失う感覚を持つ人々は、外界との関係性を通して自分を定義し、その安定を保っています。彼らは、日常生活の中での役割を果たすことによって、自分のアイデンティティを確認し、確かめることができるのです。例えば、職場での自分、家庭での自分、友人との関係の中での自分というように、それぞれのシチュエーションでの役割が、彼らにとって自分の存在価値や自己認識を形成する材料となっています。

しかし、そのような役割や外部との関係がなくなったとき、彼らは自己の核を見つけるのが難しくなります。一人になると、その安定したアイデンティティが揺らぎ、自分がどのように在るべきか、また、何者であるのかが曖昧になってしまいます。この感覚は、まるで鏡に映らない幽霊のような存在感を持つことと似ています。彼らは他者との関わりの中での自分しか知らず、その状況がなくなると自分を見失ってしまうのです。

人は社会の中で生きる存在として、他者との関わりを通じて自己を確認し成長していきますが、彼らはその関わりの中でしか自分を見出すことができないのかもしれません。しかし、この状態にある人々には、他者との関係だけでなく、自己の深層に触れ、自分の中の真の価値やアイデンティティを探求することが求められます。

慢性的な虚無感

自分が自分でないと感じる人々は、日常生活の中での細かな感覚や感情の繋がりを失ってしまうことが多い。彼らの心は、絶えず霧の中を彷徨っているかのようで、その霧の中で目の前の世界が曖昧に見え、何が重要であり、何が真実であるのかを見極めることが困難になります。この状態は、一歩一歩が不安定で、まるで氷の上を歩くような感覚とも言えます。

その結果、生活の中での小さな喜びや悲しみ、愛や憎しみといった人間らしい感情や体験が、彼らにとっては遠く感じられるようになります。それはまるで、厚いガラスの壁の向こう側にいるかのようで、外の世界と自分との間には大きな距離が生まれてしまうのです。このガラスの壁の向こう側から、他者の感情や反応を理解することは難しく、彼らは孤独感を強く感じることが多くなります。

心の中に生まれるこの虚無感や孤独感は、日常の選択や行動にも影響を及ぼします。彼らは、自分の価値や存在意義を見失い、生きる喜びや目的を感じられなくなってしまいます。このような状態は、自分を取り囲む世界や他者との繋がりを失った時の絶望感とも似ており、それは精神的に極めて厳しいものとなります。

凍りつきや死んだふりの防衛スタイル

痛みの身体を持つ人の中には、その痛みが心の傷跡として形成され、自らの存在そのものに絶望を感じる者たちがいます。彼らは、もしかしたら幼少期のトラウマや悲しい出来事、理解されない孤独から、世界と自分を隔てる壁を築いてきたのかもしれません。彼らの中には、一刻も早くその苦痛から逃れたくて、自らの存在を目立たなくすることで、外の世界からの痛みや不安をシャットアウトしようとする者たちがいます。

まるで夜の闇に紛れて透明になりたいと願うように、彼らは他人の視線や意識から逃れ、静かで目立たない生活を望んできました。しかし、長い時間、自分を押し隠して生きることは、彼らの心の中に深い傷として残り、心の声を聞くことが難しくなります。その結果、外界からの刺激が乏しくなり、自らの存在が希薄になってしまうことも。

このように、自分を隠して生きることの続く日々は、彼らにとっては受け入れがたい現実となっています。その中で、彼らの心はまるで空っぽの人形のように感じられ、真実の自分を見つけるのが難しくなってしまいます。

他人軸で同調傾向の強まり

身体の麻痺が発生すると、それはただ肉体的な制約だけでなく、人の精神や心の成長にも影響を及ぼすことがあるのです。この制約が心の中に深く刻まれると、自分自身の存在感やアイデンティティが希薄になってしまうことがあります。それは、まるで大きな音楽の中で自分の声を探すような、孤独と混乱の中での模索です。

このような状態では、自分の本当の気持ちや意見を見失い、それを大切に持ち続けることが困難になります。心の奥底では、自らの意志をしっかりと持ちたいという思いがあるにも関わらず、外部からのプレッシャーや期待に流されやすくなるのです。その結果、環境や周囲の人々の感情、感覚に敏感になり、それらと同調することで自分を守ろうとする姿勢が強まります。

しかし、ここには重要な人間の本質が隠れているとも言えます。それは、「他者との関わりの中で自己を見つける」という人間の根本的な探求です。身体の麻痺が生む心の変化は、自分を取り戻すための過程でもあり、その中での学びや気づきは計り知れないものがあるのです。

まとめ

自己感の喪失という経験は、人間の心理の深淵に触れるもので、離人症や解離症状の発生は多様な状況や背景と繋がっている。これらの症状は、人が過去のトラウマや持続的なストレスとの関連性を持ちながら、現実から遮断される過程を示唆している。初期段階では、突如としてパニック発作が訪れることが多く、それは深い恐怖感とともに狂気、解離、離人感をもたらす。この経験は極めて不安定で、恐怖が少し和らぐと、今度は自己の存在や意識が曖昧になるという苦悩に見舞われる。

こうした症状に苦しむ人々の背後には、現実感が薄れることで生じる空虚感や自分を取り戻すための闘いがある。この闘いは、外界や他者との繋がりを再確立しようとする心の働きからくるものである。

重要なのは、離人症や解離症状を経験することは、必ずしも「異常」ではないということ。むしろ、これは脳が私たちを過度な刺激や潜在的な危険から守ろうとする自然な反応の一部かもしれない。そういった背景を理解することで、このような経験を有する人々への共感やサポートが深まることを願っている。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-04-10
論考 井上陽平

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