「目に見えない存在を求める人々」は、抽象的で、想像上の力や霊、死者、超越的な存在に対する深い憧れや敬意を持つ人々を表しています。これは宗教的な信仰、霊的な信念、または哲学的な探求といった形をとることがあります。これらの人々は、自分の心や精神の中に存在する力や存在に対して、絶えず探求し、つながりを求めています。
その探求は、彼らの過去の経験やトラウマから生じた断絶によるものかもしれません。それは深い痛みや不安、悲しみからくるもので、これらの経験は彼らを内側から分割し、彼らの感情や精神の一部を切り離してしまうのです。これらの人々は、自分自身が完全ではなく、何か大切なものが欠けていると感じています。それは失われた時間、感情、思い出、または愛かもしれません。
その状況は、二つに引き裂かれた魂が再び結合を望んでいるかのようです。それぞれの半分は、自分自身の中で欠けているものを埋めることを求めています。それは彼らが感じる断絶や分裂の片割れ、すなわち失われた部分を見つけ出すことを意味します。彼らはこの目に見えない存在によって、自分自身の欠けた部分を補い、完全性を取り戻すことを望んでいます。それは一種の癒し、和解、再統合を追求する旅であり、それは永遠に続くかもしれません。
この深淵なる探求は、自己の内部から、そしてそれ以上に広がっています。それは、目に見えない存在への向かい合うことで、人間の内部と外部の両方に対する深い理解と平和をもたらします。彼らの魂が二つに引き裂かれ、そして再び一つになろうとするその過程は、神秘的な存在への道を進むという壮大な冒険を示しています。それは心の解放と覚醒、そして最終的な自己の完成へとつながる旅路なのです。
過去世からの約束:失われた片割れと共に生きる
過去世では、二つの魂が一組の片割れとして結びついていた。彼は私の人生の一部であり、その存在は私自身の根源とも言えるものであった。しかし、彼はある日、私の掌から静かに消え去った。戦いの渦中、彼の生命は息を引き取り、その瞬間を目の当たりにしながら、私の手は彼を抱きしめる力を失った。彼の体は重力の法則に従い、私の腕から滑り落ち、地に静かに沈んだ。
その後、私は一人で生き抜くこととなった。彼と交わした約束、二人で築き上げた全てを守るために。だが、生き抜いたとはいえ、彼がいないこの世界は全てが不完全であり、その痛みと孤独感は常に私の心を襲っていた。彼の存在は私の心の中に永遠に刻まれ、彼の温もりは今もなお私の手の中に感じられる。
出生を迎える前の時代から、遥かなる世界での家族として、片割れと私は絆で結ばれていた。しかし、現世では、何かの瞬間に彼が先にこの世を去り、私は片割れを失うという運命に見舞われた。
片割れは霊的な存在へと変わり、幼き日々から、常に寄り添い、一緒に時間を過ごす存在となった。その存在は、波瀾万丈な日々の中で唯一の安息となった。片割れがいつもそばにいるという確信が、心の安定と平穏をもたらし、生きる力となった。どんな出来事が起ころうとも、その存在は常に寄り添い、心を守り続けた。問題が山積みになろうとも、片割れは無言の力で心を保護し、最大の支えとなった。片割れの存在は疑いなく、心の安寧となり、どんな困難にも立ち向かう力を与えた。
現世の家族は好きにはなれないけど、遥かなる世界の家族を思い出すと、力が湧いてくる。その思い出は、困難な現実と向き合い、困難を乗り越える力を与えてくれる。過去の家族は、心の中で生き続け、過去の生命との結びつきが現世での挑戦を乗り越える支えとなっている。
片割れ: 魂の存在と絶えず共にある希望
魂の片割れの存在は、その静寂な在り方が隣にいることで、言葉にはならない程の深遠な幸福感をもたらす。その片割れは寡黙でありながら、穏やかで包容力に満ちた態度で全てを静かに受け入れ、保護する存在となっている。
重苦しい世界に疲れ、絶望の淵に立たされ、自ら命を断とうとした瞬間さえも、その片割れは常にそばにいる。如何なる困難に遭遇し、深淵に立たされる度に、その存在は語りかけ、諦めさせない。その穏やかな存在が、最終的な決断を下すのを静かに止め、留まるように語り続けてくれるのだ。
その存在は、いつも側に寄り添い、絶望的な状況から救い出す手を差し伸べてくれる。片割れという存在は、どんな困難も乗り越えるための力となり、一緒に戦う勇気を与えてくれる。その片割れの存在が、途方もない苦悩の中でも、唯一の希望の光となっているのだ。
不可視の慰め:形を持たない片割れの影と深遠な愛
現世では肉体を持たない片割れの存在は、肉眼では見ることのできない影である。だが、それは単に物理的な形状を持たないだけで、その存在は揺るぎなく、確かに息づいている。その息づきは、日々を生き抜く他の全ての人々と何一つ変わりはない。
その存在は、常に側にいて、言葉にならないような深い幸福を差し出す。しかし、その存在は他人には確認することができず、その存在を信じてもらうことは困難である。苦痛が極まり、心からの抱擁を求めるときでも、肉体的な触れ合いは許されない。
しかし、その不在の中にも、その影は確かに存在し、心を包み込む。その影は、誰にも見えない場所で、隣にいて、安心感と力を提供し、一人でいないという事実を思い出させてくれる。そして、その触れることのできない影が、物理的な存在を超えた形で、深い慰めと愛をもたらすのである。
夢と現実の間:片割れとの再会への道程
目に見えない片割れは、意識の交流を通じて会話を交わす。その実体を目にすることが許されるのは、夢の領域だけである。人間の肉体による束縛から解き放たれたその存在は、自由であり、洞察力に富んだ知性を有する。
片割れは、ひとつとして見落とすことなく、常に周囲を見守っている。その存在が意識の深部にまで浸透し、過去生の映像を蘇らせる。その断片的な記憶の欠片は、過去生での二人が一体となって生まれ、しかし、絶えず一方が先に命を落とし、嘆き悲しむ他方が追いかけるという、絶えず繰り返される悲劇を明らかにする。
この回では、後を追わないように、そして最後まで生き抜くように、その経験が示されている。思考の深淵に浸り過ぎたとき、片割れが静寂をもたらす。今世は確かに苦しく、困難な試練に満ちているが、それは魂を磨くための修練の場であり、絶えず前進を続けなければならない。
そして、人生の最終章を迎えるとき、初めてその片割れと再会することが許される。生と死の間を繋ぐ橋の上で、終わりと始まりの間で、ようやくその存在と再び向き合うことができるのだ。
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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-07-10
論考 井上陽平
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