ある出来事が、傷つけた側にとっては短時間の出来事でも、傷ついた側にとっては「世界の安全が壊れた瞬間」になることがある。
非対称性は、記憶力や繊細さの差ではない。逃げ場と安全と権力の差によって生まれる。
二次的外傷(secondary trauma / retraumatization)とは、
単に「つらい出来事があった」ことを指す言葉ではありません。
それは、出来事のあとに起きた否定、軽視、沈黙の強要によって、
傷がさらに深く、長く、終わらない形で固定されてしまう現象です。
多くの場合、当事者を縛り続けるのは出来事そのものよりも、
次のような体験が連なった結果です。
逃げられなかった。
助けが来なかった。
その出来事の意味づけを、ひとりで背負わされた。
さらに「気にしすぎ」「大したことない」と扱われ、
傷ついたという事実ごと消された。
ここで決定的なのは、出来事の大小ではありません。
孤立の構造です。
出来事が過去になっても、神経系は「まだ終わっていない」と判断し続ける。
だから、身体が終われない。
非対称性の正体は「感受性」ではなく「安全格差」
同じ場にいたはずなのに、
片方は忘れ、片方は一生残る。
この差は「感じやすい体質」では説明できません。
傷つけた側には、少なくとも一つ以上の安全があることが多い。
立場が上で責任を問われにくい。
時間や関係から退く自由がある。
周囲が味方になりやすい。
「自分は悪くない」という物語に乗りやすい。
一方、傷ついた側には逃げ場がない。
逃げられない出来事は、神経系にとって「終結」ではなく「封印」になります。
封印は、時間が経っても自然には解けません。
封印を維持するために、身体は緊張し、過覚醒し、
ときに麻痺し、遮断します。
こうして出来事は「過去」にならず、現在に留まり続ける。
この構造は、
トラウマが身体に残る仕組みとしても説明されています。
→ トラウマとは何か
https://trauma-free.com/trauma/
心に残るのは出来事ではなく「逃げられなかった構造」
心に残るのは、暴力の強さではありません。
残るのは「逃げられなさ」です。
同じ出来事でも、助けが来た、味方がいた、説明を受けた、
責任の所在が明確だった場合、
傷は「出来事」として回収されます。
しかし、助けが来ない。
誰にも言えない。
何が起きたのか整理できない。
そもそも訴える資格がない空気がある。
相手が正しく、自分が悪いという前提がある。
これらが重なると、心は出来事を出来事として扱えません。
出来事が、世界のルールに昇格してしまう。
どうせ言っても無駄だ。
どこにも安全はない。
私は軽い存在だ。
こうして生存戦略は、人格の核に埋め込まれていきます。
相手が「必要な存在」であるとき、傷は自己責任に変換される
親、養育者、教師、上司、配偶者。
相手が生活や所属を握っている場合、
弱い側は相手を「悪者」にできません。
悪者にできないと、責任はどこへ行くか。
自分の内側です。
私が悪かった。
私が我慢すればよかった。
私がもっと上手くやれば。
これは単なる自己否定ではありません。
関係を壊せない状況で生き残るための合理性です。
しかし、この合理性は長期的に猛毒になります。
出来事が終わっても、自分の存在そのものが裁かれ続けるからです。
出来事の記憶よりも、
「私が悪い」という自己解釈のほうが、はるかに消えにくい。
二次的外傷の核心は「傷ついた事実が否定されること」
二次的外傷が起きる瞬間は、とても静かです。
大げさだ。
気にしすぎだ。
そんなつもりじゃない。
もう終わった話だ。
あなたにも原因がある。
ここで否定されているのは、出来事そのもの以上に、
傷ついたという現実です。
人は傷ついたとき、理解を求めます。
理解されないと、回復は止まる。
理解の代わりに軽視が来ると、心は学習します。
私は感じてはいけない。
私は訴えてはいけない。
私は大切に扱われない。
この学習が沈黙を深めます。
沈黙は、傷を固定する装置になります。
→ 言葉で傷つく/些細な刺激で崩れる理由
https://trauma-free.com/words/
身体が終われないのは、神経系がまだ危険だと判断しているから
トラウマは記憶ではなく、まず身体反応として残ります。
些細な刺激で心拍が上がる。
呼吸が浅くなる。
視界が遠のく。
言葉が出ない。
身体が固まる、あるいは急に落ちる。
これらは、理屈で止められません。
神経系は説明より先に、生存を優先するからです。
だから回復には、理解と同じくらい
安全の再学習が必要になります。
魂が否定された瞬間、身体は現実から離れる
傷は、出来事の中だけに生まれるのではありません。
出来事のただ中で、
それを生きた自分が受け取られなかったとき、
傷は深部へ落ちていきます。
ここにいないほうがいい。
感じないほうがいい。
このままでは壊れてしまう。
そう判断するのは思考ではなく、身体です。
身体は現実との接触を弱めます。
感覚は薄れ、時間は伸び、
自分は自分の内側から少し外れる。
それは壊れではありません。
逃避でもありません。
存在が否定される場から生を守るための後退です。
→ 感じないことで生き延びる反応
https://trauma-free.com/dis/
傷は「関係で生じ、関係でしかほどけない」
傷が過去になる瞬間は、時間が経ったときではありません。
誰かが本気で受け取ったときです。
受け取るとは、正論で片づけないこと。
解決策を急がないこと。
「あなたがそう感じた」ことを現実として扱うこと。
この受け取り直しが起きたとき、
出来事ははじめて一人の世界から出てきます。
孤独の中に封印されていた意味が、
共同の場へ移される。
そのとき、神経系が遅れて追いついてきます。
回復とは「消すこと」ではなく「意味を降ろすこと」
回復とは、出来事を消すことではありません。
出来事が人生全体を支配する
「法」にならないよう、意味の重さを降ろすことです。
たしかに、あれは一瞬ではなかった。
けれど、あれが一生である必要はなかった。
あの出来事は、私のすべてではない。
そのために必要なのは忘却ではありません。
再配置です。
出来事を、誰かと一緒に、
適切な場所に置き直す。
それができたとき、ようやく過去になります。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造