感覚や感情が鈍くなり麻痺してしまう病気

複雑性トラウマ

本来ならば安心と愛を提供すべき場所で起きる親からの虐待というものは、子どもたちにとって極度のストレスになります。その重圧のもとで暮らす子どもたちは、感情や感覚が鈍ることが多いです。なぜなら、生き抜くためにはそのような自己防衛が必要だからです。親という名の脅威が同じ屋根の下にいる以上、感情を出すことが危険であると学習してしまいます。何度も拒絶や抵抗の感情を感じながらも、それを表に出すことができず、その感情を内側に封印してしまうことが起きます。

感情の麻酔:自己犠牲から始まる心の閉ざし方

自分の感情や願望を抑え、親の期待や願いに応えるためだけに生きてきた人々は、他人からの傷つけられる言動に対して、特に敏感であることが多いです。彼らは、既に感情を自分の内側に閉じ込め、自分自身を犠牲にしてきた経験から、外部からの痛みが何倍にも増して感じられます。

このような心の状態が続くと、時間とともにその辛さや苦しさが積み重なり、人は次第にその痛みに耐え切れなくなる可能性が高くなります。長い間感情を抑制してきたことで、その感情そのものが麻痺し始め、心が壊れていきます。その結果として、感情を感じる能力自体が低下し、かつて感じたような喜びや悲しみ、怒りや期待といった感情が希薄になり、心がほとんど動かなくなることもあります。

この段階に達すると、感情や願望、期待に対する「麻酔」が得意になります。自己防衛の一環として、未来への希望や自分自身の感情に鈍感になる技術を磨きます。この「麻酔」は、一時的な安堵をもたらしますが、長期的にはさらなる感情の麻痺を招き、本当の自分を見失ってしまう危険性があります。

幼少期の虐待が人間らしさを奪う:感情と自己認識の変質

幼い頃からいろいろな形の虐待を受け続けた人は、非常に厳しい状況で生きています。そのため、心や体がまるで「凍りついて」いるかのように感じられ、精神的にも混乱し、自分自身を見失ってしまいます。こうした心の「麻痺」は、心の奥底で自分が「自分でなくなる」という恐怖と不安を抱く環境を生み出すのです。

無意識に、彼らは常に何らかの危険や生命の危機を感じていることが多いです。これが原因で、過度な心配やうつ病、無力感に陥ることがよくあります。感情を無視または消してしまうことで何とか生き延びようとしますが、その過程で本当に何を感じるべきかを忘れてしまいます。

さらに、長い間この状態に慣れてしまうと、自分がまるで「人形のように」無表情でいることに気づくこともあります。このような感情の鈍感状態が続くと、自分が人間であるという基本的な自覚までなくしてしまう可能性があります。

このように、感情や感覚が鈍くなったり、完全になくなったりすることは、想像以上に深刻な影響を与えます。短期的には、自分を守るために心を閉ざすこともあるかもしれませんが、長い目で見ると、それが人間らしい感情や共感を感じる機会まで奪ってしまいます。

継続的な心の閉ざし方が続くと、その人自身も「感情って何だっけ?」と思ってしまうことがあります。その結果、人として普通に感じる喜びや悲しみ、怒りや愛情などの感情が鈍くなり、人生そのものが一種の「停滞状態」に陷ってしまうのです。

極度なストレスと感覚鈍麻が招く身体と心のシャットダウン

感じることのできない身体、失われた自我。この状態は、まるで「生きているけれど、生きていないような」感覚に陥ってしまいます。これは心の問題であり、極端な感覚の鈍化や自分自身のアイデンティティーが失われるといった精神的な健康問題が関連していることも多いです。

複雑なトラウマの影響により、何かに対する強烈な感情が、一度脳の奥底で生み出されると、その感情はしばしば恐怖として現れます。しかし、何らかの理由でたえず攻撃やストレスを受け続けると、この恐怖感は徐々に麻痺に変わっていく。ストレスの極度な状況では、背側迷走神経が活性化し、体を「凍らせて」しまいます。感覚が鈍くなり、血圧が下がり、さらには唾液の分泌まで停止してしまう。このような反応は、まさに体のシステムのシャットダウンと言えるでしょう。

このような病状における体験は、高度なストレス状態や無力感によって引き起こされるもので、このような状態が継続すると、望ましくない状態に陥ってします。その結果、多くの人々は過食や薬物、アルコールといった外部からの刺激に頼るようになります。これは一種の痛みを麻痺させ、自分自身を感じる能力を鈍らせる手段として機能します。

この適応方法は悲しいものです。感情や感覚が麻痺すると、本来感じるべき「生きている実感」もその影響を受け、鈍ってしまいます。外部からの物質に依存することで、一時的に痛みを緩和させることはできても、根本的な問題解決には至らない。むしろ、その過程で新たな問題が生まれ、結局は自分自身をさらに痛めつけてしまう可能性が高いです。

感情の霧の中で心の葛藤と探求

繰り返し挫折やトラウマといった嫌な出来事を経験する中で、一度ならず、そのたびに悲しみ、怒り、失望といった感情と向き合わなければならなくなります。最初は、それらの感情がはっきりと身体の中で疼くように感じられます。それが続く中で、徐々にそれぞれの感情が特定の出来事に直結しづらくなり、まるで霧の中を歩いているような、はっきりとした形のない感情の渦に飲み込まれていきます。

そして、その感情の渦の中で、ある日突然、感覚の麻痺が訪れます。それまでの痛みや悲しみ、喜びや期待といった感情が次第に希薄になり、まるで感情のスイッチが切れたかのように何も感じなくなります。この状態は、まるで心が二つに裂けたかのように感じることがあります。一方は、かつての明るく活動的だった自分、もう一方は、全てを冷静に、無機質に見つめる自分。この二つの自分が、まるで同じ体の中で別々の部屋に住んでいるかのように感じられます。

明るい部屋の私は、その感覚の麻痺に対して戸惑い、抵抗し、何とか昔の自分に戻ろうと奮闘します。しかし、暗い部屋の私は、全てを静かに受け入れ、何もかもをニヒルに受け流してしまいます。その冷徹さは、まるで深い闇の中でひときわ光る星のように、周りのものを照らすことなく、ただ静かに存在しています。

この状態は、周囲の人々から見れば「変わってしまった」と感じられることが多いです。しかし、本人にとっては、まるで心の中で絶えず戦争が繰り広げられているかのよう。この戦争は、自分自身との戦争であり、その結果として生まれた二つの部屋、二つの自分が、ともに共存しながらも、それぞれの価値観や感覚で世界を見つめています。そして、その中で、どちらの部屋の自分が真の自分なのか、あるいは、両方が真の自分なのか、その答えを探し求める日々が続きます。

虐待が引き起こす感情の麻痺と内なる再生の力

親から受ける虐待の影響で、多くの人は感情や感覚が鈍くなってしまいます。この状態が進むと、生活の基本的な要素でさえも、例えば呼吸することさえも、意識せずに止めてしまうことがあります。そうなると、「自分が生きているのか死んでいるのか」さえもはっきりと分からないほど、心が混乱してしまいます。このような状態は、心にとって非常に危険です。

しかし、厳しい状況にあっても、人々の心の中にはまだ希望といえるようなエネルギーが残っています。これは、過去の痛みや現在の困難から解放するための「内なる力」です。このエネルギーはしばしば、気づかないうちに心の中で燃え上がり、何かを訴え続けます。

この状態から抜け出すための「自己再生」は可能です。多くの場合、そのきっかけは専門家の治療や、自分自身の内側での気づきによって生まれます。人生は厳しい面もありますが、その中には癒しと再生の可能性も確かに存在しています。

心に深い傷を持つ人々には、専門的なケアが必要です。心理療法や薬物療法、日常生活でのストレス管理の方法などが、その人を元気づけ、再び「自分らしさ」を取り戻させる方法となるでしょう。最も大切なのは、その人が自分自身でいられるような環境と、必要なサポートを提供することです。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-09-09
論考 井上陽平

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