「手のかからない子だった」と褒められて育った人の心理構造――適応としての優等生性

「従順だったね」
「賢くて、手のかからない子だった」

そう言われて育った人は、たしかに社会では評価されやすい。学校でも職場でも、人間関係でも、「ちゃんとしている人」「問題のない人」として扱われることが多い。
けれど臨床の現場では、その“褒め言葉”の裏側に、長い緊張と自己抑制の歴史を抱えた人が少なくありません。

  • 感じる前に察してしまう
  • 言う前に飲み込んでしまう
  • 波風が立たない選択を反射的に選ぶ

それは性格ではなく、ある環境を生き延びるために身につけざるを得なかった高度な生存技術です。
ここを見誤ると、「自分のせい」「努力不足」「わがまま」という誤った自己評価に落ちていきます。


「従順さ」「賢さ」は欠如ではなく“適応”である

「いい子」は、のびのび育った子の結果ではなく、むしろ緊張のなかで発達することが多い

親が不安定だった。
怒りやすかった。
気分に波があった。
あるいは、要求が高く、失敗が許されなかった。

その環境では子どもは学びます。

(最優先の課題は)自分の感情ではなく、親の状態を読むことだ。
安心より先に、空気が動く。

このとき形成されるのが、過剰適応的な優等生性です。
「頑張り屋」「気が利く」「優しい」――そう見える要素は、じつは幼少期に獲得した対人サバイバル能力でもあります。

だからこの人は、他人の機嫌に異常なほど敏感なのに、
自分の“好き嫌い”が驚くほど分からなかったりします。

この構造はアダルトチルドレン領域と強く重なります。

アダルトチルドレン/過剰適応の背景
https://trauma-free.com/overadaptation/


自我が「なかった」のではない――奥へ退避していただけ

このタイプの人は、人生のどこかでふと自分を疑います。

「自分って、空っぽなんじゃないか」
「私は何がしたいんだろう」

しかしこれは“自我がない”のではありません。
自我はむしろ強い。強いからこそ、守られるために奥へ退避したのです。

自己主張すると関係が壊れる。
怒りを出すと嫌われる。
欲しがると迷惑になる。

この学習の中で、自我は前に出るのをやめ、代わりに**“場を保つ人格”**が表に立ちます。
外側だけを見ると、落ち着いて見える。大人に見える。扱いやすい。

でも内側では、ずっと緊張している。
ずっと、呼吸が浅い。
ずっと、「次に何が起きるか」を先に見張っている。


影として沈む感情――ユング派的理解

ユング派の言葉で言えば、こうして抑え込まれた衝動や感情は**影(シャドウ)**になります。

表の自分は「従順」「理性的」「感じがいい」。
しかし地下には、言えなかった怒り、無力感、報われなさ、悲しみが生き続ける。

影は消えません。
ただ、“別の症状”として回ってきます。

  • 何も問題がないのに虚しい
  • 休んでも回復しない
  • 心が動かない/楽しめない
  • 理由が分からない苛立ちが溜まる

「楽しいはずなのに、楽しくない」のは、怠けではなく心の生理の問題として起きます。

*楽しめない/快感が働かない状態
https://trauma-free.com/not-fun/


「良い対象」であり続ける選択――対象関係論の視点

対象関係論の角度から見ると、この人は早い段階で“決断”しています。

「私は良い子でいる。良い存在でいる。
そうすれば関係は続く」

この選択は、子どもにとっては合理的です。
だって、関係が壊れる=生存が揺らぐから。

ここで内在化されるのは、
「迷惑をかけない自己」「期待に応える自己」です。

その結果どうなるか。

境界が薄くなる。
「どこまでが自分で、どこからが他者か」が曖昧になる。

  • 相手の都合が自分の義務に変換される
  • NOが言えない(言った瞬間に罪悪感)
  • 断れたとしても、体が凍る

境界線の問題とトラウマ反応
https://trauma-free.com/boundary-trauma/


偽りの自己と“凍結された遊びの空間”

ウィニコットが述べたように、これは**偽りの自己(False Self)**が生き延び、真の自己が眠っている状態です。

真の自己が死んだのではない。
ただ、安全がない場所では出せなかった。

オグデン的に言えば、「感じる・遊ぶ・試すための心の空間」が育つ前に、
“対人警戒と適応”が優先された。

だからこの人は、
頑張っているのに、満たされない。
成果を出しているのに、安心できない。

そして限界が来ると、人はしばしばフリーズへ落ちます。
動けない、考えられない、先延ばし、眠気、脱力――。

フリーズ(低覚醒)状態の構造
https://trauma-free.com/freeze-low-arousal/


遅れて始まる自己回収の特徴

「手のかからない子だった」人の回復は、ある時期から始まります。
それは多くの場合、「安全が増えた後」です。

就職して家を出た。
結婚した。
距離を置いた。
経済的に自立した。
あるいは、親が弱った/支配が緩んだ。

すると心が遅れて問いを投げる。

「私は何を望んでいいのか」
「嫌だと言っても、関係は壊れないのか」

ここで出てくる戸惑いは、こういう形をとります。

  • 何が好きか分からない
  • 小さな選択でひどく疲れる
  • NOと言ったあとに、恐怖や罪悪感が強く出る
  • ひとりになると急に虚無がくる
  • 逆に人といると気を遣いすぎて消耗する

これは未熟さではありません。
長く使ってこなかった回路が再起動している状態です。


回復とは「わがままになること」ではない

回復とは、攻撃的になることでも、自己中心になることでもありません。
むしろ一番近いのは、

**“自分が自分の人生に戻ってくること”**です。

  • 期待に応えなくても関係は壊れない
  • 感じても拒絶されない
  • 役に立たなくても存在していい

この学習は、頭で理解しても終わりません。
体が変わるまで、何度も繰り返し“更新”されていく。

この更新は、焦るほど進まない。
それでも確実に、少しずつ、身体が反応を変えていく。


結び|優等生である前に、人であっていい

「手のかからない子だった」と褒められる人は、
これまで十分すぎるほど、周囲のために生きてきました。

これからは、

自分のために迷っていい。
自分のために拒んでいい。
自分のために時間を使っていい。

それは変化ではなく、
本来の自己が人生に参加し始めた証です。

回復とは、壊れることではありません。
長い適応の物語の、その先に続く――
静かな帰還なのです。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造
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過緊張や生きづらさは、あなたのせいではなく、育った環境や親子関係の中で身についた生存の反応として残ることがあります。
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。