人は崩れる直前まで、自分の違和感を無視できてしまう。
胸の重さ、息の浅さ、肩の硬直、妙な焦り、理由のない眠気――これらは怠けでも甘えでもない。神経系が発する最初の警告灯である。
しかし、トラウマを抱えた人ほどこの灯を切りやすい。
なぜなら、過去にその声が守られなかったからだ。
本稿では、「違和感を味方にする回復の構造」を臨床的に整理する。
違和感を無視してしまう典型パターン
違和感を拾えない人は怠けているのではない。
多くは、拾わないほうが安全だった人生を生きてきた。
違和感とは派手な痛みだけではない。
ほんのわずかな胸の詰まり、息の浅さ、視線の固さ、体の重さ、焦りの微熱――それらは微細な神経系シグナルである。
① 先回りの合理化
「気のせい」「まだいける」「みんな同じ」
これは怠慢ではなく、崩壊を回避する自動処理である。
② 身体の切断
感じ始めると危ない――そう学んだ神経系は感覚を鈍らせる。
呼吸が浅くなり、目の焦点が固まり、世界が遠ざかる。
本人は「平気」と言うが、実際には**遮断(解離)**が起きている。
③ 反動の爆発
違和感を拾わない生活は、破綻するまで続く。
限界を超えると過覚醒かシャットダウンに一気に振れる。
「突然動けない」「突然泣き崩れる」は“突発的な病”ではなく、見逃された違和感の累積である。
理論からみた「違和感を拾う力」——回復の神経基盤
ピーター・ラヴィーンやパット・オグデンの身体心理療法では、回復の鍵は**「小さな身体感覚に戻れる能力」**だとされる。
トラウマを抱えた神経系はしばしば二つの極に振れやすい。
- 過覚醒(戦う/逃げる):速すぎる、硬すぎる、止まれない
- シャットダウン(凍結):重すぎる、遠すぎる、感じない
違和感を無視し続ける人は、この振れ幅が大きくなり、
「静かに整う中間帯=安全とつながるゾーン」に留まれなくなる。
一方、回復が早い人は、まだ軽い段階で身体に気づき、振れ幅を小さく戻せる。
これは意思の強さではなく、神経系が“安全を思い出す余地”を持っているかどうかの違いである。
過覚醒では思考が暴走しやすい。頭が止まらない背景はここに詳しい。
→ https://trauma-free.com/rumination-overarousal/
回復が早い人の「中間帯の技術」
中間帯は気合では作れない。神経系の学習で育つ。
回復が早い人は「揺れ」を消さない。小さく戻す。
彼らは問題解決よりも「復帰」を優先する。
- 深呼吸を頑張らない → 息が戻るのを待つ
- 感情を変えない → 体の硬さがゆるむのを観察
- 怖さを消さない → 怖さがあっても崩れない姿勢を保つ
中間帯が長くなるほど身体は学ぶ。
「感じても死なない」「止まっても見捨てられない」。
これが回復の土台である。
対象関係論からみた「違和感を大切にする心」
フェアバーン、バリント、ウィニコットの視点では、
「体の違和感を無視する癖」は自己管理の問題ではない。幼少期の関係の再現である。
子ども時代、
- 違和感を訴えても届かなかった
- 泣いても止めてもらえなかった
- 体調不良でも「我慢しなさい」と言われた
すると心は学ぶ。
「私の体は信じられない」
「私の感覚は迷惑である」
結果、大人になっても自分の体を内側から軽視する構造が残る。
回復とは単に体を整えることではなく、自分と体との関係をやり直すことである。
ウィニコットで言えば、「壊れずに受け止めてくれる環境」を内側に育て直す作業だ。
違和感は「境界線」の最小単位
境界線とは、言葉のNOだけではない。その前に体がNOを言っている。
本当は嫌なのに笑う。断れない。合わせる。
その瞬間、体は小さくブレーキを踏む。
胸が重い、息が浅い、肩が固い、妙な眠気――それが違和感だ。
無視が続くと、体が強制終了(凍結・シャットダウン)を起こす。
だから回復はまず「境界線を言い直す」より先に、境界線を感じ直す身体作業である。
カルシェッドの「内なる守護者」と違和感
ドナルド・カルシェッドは、トラウマの内的防衛を**「内なる守護者」**と呼んだ。
違和感を無視し続ける人の中には、この守護者が強すぎる場合がある。
彼の信念はただ一つ。
「感じすぎると崩壊する」
だから感覚が出始めると先回りして切ってしまう。
結果、本人は「平気なふり」を続け、崩れる時だけ一気に崩れる。
一方、回復が早い人は、守護者に少しずつ安全を教えてきた人である。
違和感を拾うたび身体は静かに学ぶ。
「感じても、まだ生きていける」
これが積み重なるほど、守護者は力を緩める。
守護者との交渉文
違和感が出た瞬間に使う内的セリフ:
「これは危険そのものではなくサイン」
「崩れない範囲で少しだけ確かめる」
「無理ならすぐ戻る」
守護者は説得ではなく体験で緩む。
小さく確認し、戻れる――その反復が鍵である。
神話モチーフ——「砂漠の泉」と「森のカナリア」
神話的に言えば、あなたの体は炭鉱のカナリアだ。
毒ガスが見えない世界で、最初に異変を知らせる存在。
- 回復が早い人=カナリアの声を殺さない人
- 回復が遅い人=「うるさい」と鳥かごを閉める人
もう一つの比喩は砂漠の泉。
違和感は枯れた砂漠に湧く小さな水脈。
無視すれば再び乾く。
立ち止まれば泉は広がり、あなたを生かす水になる。
あなたの体は敵ではない。生き延びるための羅針盤である。
「感じない」「遠い」という感覚は解離のサインでもある。
→ https://trauma-free.com/alive-but-not-feeling-alive-dissociation/
回復の核心——「壊れる前に降りる勇気」
回復とは強くなることではない。弱くなれる場所を持つこと。
違和感を無視しないとは甘えではない。
それは壊れる前に降りる勇気である。
速く走るより、
安全に降りられる人のほうが、結果的に遠くまで行ける。
「壊れる直前のサイン」を知っておくと降りやすい。
→ https://trauma-free.com/signs-of-emotional-overload/
最後に——あなたへの問い(実践的メッセージ)
これからのあなたに必要なのは、
「正しいセルフケア」ではなく、たった一つの姿勢だ。
違和感が出た瞬間、敵ではなく味方として扱う。
- 体が重い日 → 調整の日
- 眠い日 → 回復の日
- 止まりたい日 → 守られてよい日
この転換が起きたとき、回復は劇的に速くなる。
心理療法やトラウマ治療の全体像を整理して理解したい方は、心理療法とは何か|トラウマ治療・カウンセリング・身体アプローチを統合的に解説をご覧ください。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。