普通の人ができることができない病気|発達障害、トラウマ

発達障害

人々は普通、生きていくうえで自分の目標を達成したいと考えます。目的に向かって力を尽し、努力することを理想的な生き方と考えます。それは社会で広く共有されている考え方のように思えます。しかし、心身が不安定な人々にとっては、生活自体が日々の闘いであり、自己の状態を維持することだけで精一杯になります。彼らは痛みを抱えながら生きており、新たな目標を立てて追求する余裕がないこともあります。

一見、何も努力していないように見える人々に対して、多くの人々は理解を欠くことがあります。しかし、その背景には複雑なトラウマや精神疾患、発達障害などを患っていて、最低限の生活を維持すること自体がやっとであり、社会生活を営むことは困難な状態にあるかもしれません。 彼らにとって、社会が課す”努力”が常識とされている世の中は、生きづらい場所となります。

発達障害やトラウマ:当たり前のことができない障害

子どもたちの中には、発達障害や初期のトラウマの影響により、当たり前とされていることができず、日常生活に困難を感じる者がいます。その子たちは、まるで他者のペースに合わせることが難しく、コミュニティの一部となることが困難です。彼らはしばしば孤独であり、人の話をうまく理解できないことから、時には周囲から無理解な視線やからかいを受けることもあります。

学校では、肉体的な問題も抱えています。常に身体が固すぎて動きが鈍く、身体を使うことが不器用で、日常の作業が遅く、時間がかかり、授業についていけないことが多いです。彼らは時には集中力を失い、放心した状態で彷徨っていたり、自分を鼓舞して過ごすこともあります。

人との対話や関係は、彼らにとって極めて恐ろしいものです。彼らは人と関わることに耐えきれず、それを乗り越える方法を理解できないでいます。それにより、彼らの視野は狭くなり、何も出来なくなってしまいます。しかし、人がいない場所にいるとき、彼らの視野は広がり、身体も自由に動かせます。

他人に注視されるということは、彼らにとって恐怖そのものです。自己が無力で何もできないと感じるためです。ほとんどの場面で緊張し、恐怖により身を固くしてしまいます。彼らはしばしば自分を解離させ、現実を忘れるために空想に耽って過ごします。彼らの日常は、実感の欠如という現実から逃れるためのもので、自分だけが何もできないという悔しさを常に抱えています。

複雑なトラウマ:日常生活への影響と困難さ

人々が複雑なトラウマを経験すると、生き抜くための方法を磨き上げることに集中しますが、それと同時に、社会活動や努力をする気力は大きく減少することがあります。複雑なトラウマを抱えて、絶えず息苦しさを感じ、警戒のアラームが頭の中で鳴り続け、深い悲しみに包まれます。彼らの心は、過去の痛ましい記憶のフラッシュバック、突然の恐怖によるパニック発作、または特定の状況や思い出を避ける行動に悩まされます。

トラウマの症状は全身に影響を及ぼし、日常生活は常に自己の状態に気を配ることと自己管理に振り回されることとなります。最悪の時期には、身体の反応が鈍り、生きた心地がせず、楽しみや喜びといった感情が感じられなくなることもあります。そして、エネルギーは枯渇して、半分眠ったような状態で日常生活を過ごすようになり、彼らの体力と精神力を更に消耗させます。

また、体力の衰弱により、日常的な行動すら困難になることもあります。例えば、朝起きるのが辛くなったり、食事を摂ったり、トイレに行ったり、お風呂に入ったり、そして寝るだけでも、その全てが一生懸命の活動となります。これらは、複雑なトラウマが人々の日常生活に及ぼす深刻な影響を示しています。

過酷な現実:生存の苦痛と自己縛りの影響

劣悪な家庭や虐待する親、そして健康な身体からは程遠い状況で育った人々は、生きること自体が苦痛に感じられるかもしれません。そういった人々は、自身の不完全さや劣等感を隠すために、必死に努力し、周囲に合わせようとします。彼らは一生懸命に物事に取り組み、いつかは堂々と歩けるほどの強い人間になれると信じて努力を続けます。

しかしこのような無理を続けると、彼らの心と身体に重大な影響を及ぼすことがあります。過度のストレスと無茶な努力が重なり、心身の健康が損なわれ、体には消耗と疲労が蓄積されます。こうした過酷な状況は、最終的に彼らの精神的および身体的健康を害し、逆に自己の状態をさらに困難なものにしてしまうことがあります。

さらに、人々は、心身の状態が不安定であっても、職場や学校で他人から強制的に課される仕事や勉強をこなさなければなりません。それらは厳しい要求であり、時には身体的な疲労と精神的なストレスを伴います。これにより、彼らの心と体は疲弊し、ボロボロの状態になります。

家に帰れば、その困難は終わらず、今度は親や兄弟、配偶者などから家事の手伝いを要求されます。これにより、彼らは休息する間もなく、さらなるストレスを抱えることとなります。他人から直接的な要求がない状況でも、彼らはしばしば自身に厳しい責任感を持ち、自分が何かを成し遂げなければならないと感じます。それは自己縛りの形で現れ、彼らに逃れることのできない圧力を与えます。

困難からの解放:自己の平穏と再生を追求する

心身の調子が優れなく、日常生活のルーティンが難しく感じられるとき、その人は日々の不安や恐怖、そして困難から逃れるための戦略を練らなければなりません。自身の安全と平穏を脅かすものから遠ざかり、安堵と解放感をもたらす場所や時間を探し出すことが、自身の生存と精神的健康にとって非常に重要な要素となります。

現実の困難から一時的に離れ、リラクゼーションを追求することで、心身ともに休息を取ることができます。それは、これまでの重荷を一時的に脱ぎ捨て、自分自身のためだけに生きることに焦点を当てるための重要な手段です。すべてを頑張る必要はないと認識し、時には抱えている問題から逃げ出すことも必要かもしれません。これは自己放棄ではなく、自己の心と体の健康を守るための策です。

また、半年間ほどは、自分自身のことだけに専念し、自分をゆっくりと立て直す時間を設けてみてください。自己の再生と修復に集中することで、自分を愛する力と自己の再定義を進め、再び人生のコントロールを取り戻す道を見つけることができます。自分自身を優先し、自分のペースで生きることは、自己のバランスを回復する重要なステップであり、最終的にはより強く、より充実した人生へと導いてくれるでしょう。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-07-27
論考 井上陽平

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