なぜ自分の中で相反する声が生まれるのか――トラウマと自己分裂の心理構造

人の心は、本来ひとつのまとまりとして機能する。
感じ、考え、行動し、他者との関係の中で調整され、修復されながら、少しずつ統合されていく。

この統合は、個人の努力によって生まれるものではない。
安心して関係に入り、失敗や感情を受け取られ、再びつながり直す経験の積み重ねによって成立する。

しかし、その前提となる関係そのものが安全でなかった場合、
心は同じ道筋をたどることができなくなる。


関係が安全でなかったときに起こる変化

近づけば傷つく。
求めれば拒まれる。
感じれば否定される。

こうした体験が反復される環境では、
心は次第に「関係=危険」という学習を形成していく。

親や養育者との関係、家庭や学校環境において、
慢性的な緊張や恐怖、予測不能な反応が続くと、
他者との関係は安心を回復する場ではなく、
警戒すべき対象へと変わっていく
(参考:https://trauma-free.com/hard-life/。)


外の関係を断念した心が取る選択

関係が安全でないと学習した心は、
やがて外の関係に期待することを諦める。

しかし、関係そのものを完全に失えば、
心は生き延びることができない。

そこで心は、
関係を外ではなく、内側に作り出すという選択を取る。

これが、トラウマ環境で形成される
〈内的関係世界〉である。

それは空想や逃避ではない。
現実の関係が危険だったがゆえに、
心が生存のために組み替えた、合理的な構造である。

この内的世界への移行は、
しばしば解離的な体験や現実感の希薄化を伴う
(参考:https://trauma-free.com/dis/dissociative-disorders/)。


なぜ自己は一つのまま保てなかったのか

フェアバーンの対象関係論が示すように、
子どもにとって最も耐えがたい現実は、
「愛した対象が危険だった」という事実である。

この事実をそのまま受け取れば、
世界全体が一気に信頼不能なものへと変わってしまう。
守ってくれるはずの存在が、
同時に恐怖や否定、侵入の源であったと知ることは、
幼い心には処理しきれない。

そこで心は、
現実をそのまま引き受ける代わりに、
配置を反転させるという方法を取る。

悪いのは対象ではなく、自分。
壊れたのは関係ではなく、自分の価値。

こうして、
「良い対象を守るために、悪い自己が引き受ける」
という内的配置が成立する。

この時点で、
自己はひとつのまとまりとして存在することをやめる。
生き延びるために、
役割による分割が必要になったからである。


機能する自己――現実を回すための部分

ひとつは、
社会に適応し、機能し、前に進もうとする部分。
現実と折り合いをつけながら生きるための自己である。

この自己は、
日常生活を回し、仕事をこなし、
他者との関係を最低限維持する役割を担う。
外から見れば
「普通に生きている自分」として認識される部分だ。

トラウマ研究では、この部分は
「見かけ上の正常部分(Apparently Normal Part)」
として記述されてきた。

しかし、
この自己が担っているのは健全な成長ではない。
崩壊を防ぐための最低限の機能維持である。

感じること、期待すること、甘えることは、
ここでは意図的に抑制される。


感じる自己――危険を引き受けるための部分

もうひとつは、
怒り、恐怖、絶望、否定、恥、
そして
「汚れた」「価値がない」「存在してはいけない」
という感覚を一身に引き受ける部分である。

この自己は、
感じすぎ、反応しすぎ、壊れやすい部分のように見える。

だが正確に言えば、
壊れたのではない。
壊れるほどの現実を、
ひとりで引き受けさせられた部分である。

フェアバーンが示したように、
子どもは
「愛した対象が危険だった」という現実を
そのまま抱え続けることができない。

そのため心は、
良い対象を内的に保存する代わりに、
危険や破壊性を自己の一部に押し付ける。

  • 良い対象は守られる
  • 危険は「悪い自己」が引き受ける

このとき形成されるのが、
感情・衝動・恥・怒り・恐怖を背負う自己である。


真の自己が前面に出られなかった理由

ウィニコットの言う
**「真の自己」**は、
本来この〈感じる自己〉に近い。

感じ、反応し、つながりを求め、
他者とのやりとりの中で育つはずだった部分だ。

しかしトラウマ環境では、
この自己が前面に出ることは許されない。

感じれば、拒絶される。
怒れば、見捨てられる。
助けを求めれば、支配される。

その結果、
この自己は外界との接触を断たれ、
内側へと隔離される。


相反する声が同時に存在する理由

こうして、
機能する自己と、感じる自己は分離する。

前に進めと言う声と、
近づくなと言う声。

期待するなと言う声と、
それでも求めてしまう感覚。

これは矛盾ではない。
ひとつの自己が分業化された結果である。

自己が統合できなかったのではない。
統合できない環境において、
分かれる以外の選択肢がなかった。

それが、
自己が一つのまま保てなかった理由である。


発達早期トラウマという成立条件

このような自己分割は、
発達のごく初期に、
安心・保護・情動の調律が十分に与えられなかった環境で形成される。

守られるはずの段階で守られず、
感じ取られるはずの情動が受け取られず、
境界が曖昧なまま侵入や否定が繰り返されると、
心は「そのまま存在する」ことを維持できなくなる。

このとき自己は、
統合を失うのではなく、
役割分担によって生き延びる構造を取る。


機能する自己と感じる自己の非対称な関係

自己が二つの役割に分かれたあと、
それらは対等な関係として並ぶわけではない。

主導権を握るのは、常に機能する自己である。

それは、この自己が「強いから」ではない。
外界と接触し、現実を回し、破綻を防ぐという役割を
一身に担っているからだ。

感じる自己は、
怒り、恐怖、恥、絶望、価値のなさといった
関係の危険性を引き受けている。

しかしそれらの感覚は、
外界に向けてそのまま表現できない。
表現すれば、再び拒絶や侵入が起こることを、
心はすでに学習している。

そのため、
感じる自己は内側に留め置かれ、
機能する自己が前面に立つ配置が固定される。

これは抑圧ではない。
役割分担による統制である。


なぜ機能する自己は、感じる自己を抑え込むのか

機能する自己は、感じる自己に対して
次のような暗黙の論理を持つ。

お前が感じるから、危険になる。
お前が期待するから、侵入される。
お前が前に出るから、壊れる。

これは攻撃ではない。
また、自己嫌悪でもない。

生き延びるための判断である。

感じる自己が前面に出れば、
過去と同じ力学が再演される。
それを防ぐために、
機能する自己は先回りして遮断する。

感情が立ち上がる前に止める。
期待が芽生える前に冷やす。
つながりが生じる前に距離を取る。

この制御がなければ、
心は外界との接触に耐えられなかった。


感じる自己が「危険」として扱われる理由

感じる自己が抱えているのは、
単なる感情ではない。

それは、
かつて関係の中で実際に起きた
拒絶、侵入、否定、裏切りと結びついた
身体化された記憶である。

怒りは、
拒絶された瞬間の緊張を含んでいる。
悲しみは、
見捨てられた時間の長さを含んでいる。
恥は、
存在そのものを否定された感覚を含んでいる。

そのため、
感じる自己が活性化すること自体が、
心にとっては「再接触」を意味する。

機能する自己が
感じる自己を危険視するのは、
その感覚が現実の危険と
強く結びついているからである。


自己攻撃として現れる内的統制

この非対称な関係は、
しばしば自己攻撃の形を取る。

まだ何も起きていない段階で、
自分を責める声が立ち上がる。
期待する前に、
諦める方向へ思考が向かう。

これは破壊衝動ではない。
感じる自己を外に出さないための封じ込めである。

機能する自己は、
感じる自己を消したいのではない。

むしろ知っている。
感じる自己が完全に失われれば、
感受性も、意味も、内的な活力も消えてしまうことを。

だから、
排除ではなく「管理」という形を取る。

この管理が、
冷酷さや厳しさとして自覚されるとき、
人は「自分が自分を傷つけている」と感じる。

しかしその実態は、
壊さないための制御である。


なぜこの構造は大人になっても続くのか

発達早期に形成されたこの配置は、
心にとって最初に成立した「安定」である。

外の世界に
安全な関係が存在しなかったため、
この内的配置だけが
崩壊を防いできた。

そのため、
環境が変わっても、
成長しても、
危険が去ったあとも、
この構造は自動的に維持される。

それは性格ではない。
意志でもない。

更新されていない生存配置である。


回復とは、配置を壊すことではない

回復において重要なのは、
機能する自己を弱めることでも、
感じる自己を無理に前面に出すことでもない。

どちらも、
心にとっては再び危険となる。

必要なのは、
この二つの役割を保ったままでも、
関係が崩れない現実を
身体と関係の中で経験し直すことである。

感じても、壊れない。
期待しても、侵入されない。
拒まれても、全体が否定されない。

その体験が積み重なったとき、
機能する自己は
感じる自己を過剰に抑え込む必要を失っていく。

二つの自己は、
統合されるのではない。

互いを敵とせず、同じ場に存在できる状態へと
移行していく。

それが、
トラウマからの回復において
実際に起こる変化である。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造