人は生きる中で様々な経験をしますが、中には深いトラウマを持つ人々もいます。彼らは繰り返しの脅威や攻撃にさらされることで、身を守るための独特の防衛メカニズムを身につけることがあります。この中で最も顕著なものの一つが、自らの弱さを前面に押し出すこと、そして「死んだふり」という行動です。
このような行動をとる背後には、彼らが自己防衛の手段としての積極的な行動力、すなわち「戦う力」を失ってしまったことがあります。それは、文字通り、手を握りしめることすら困難で、日常の簡単な動作さえも難しく感じられるほどです。
彼らの心の中には深い無力感や脱力感が満ちており、日常の時間がゆっくりとしか進まないかのように感じることが多いです。時折、彼らは自分の内側と外側、すなわち精神と身体のつながりが断ち切られたかのような感覚に捉われることがあります。これは、まるで自分の魂が身体から離れてしまったかのような感覚で、もはや動くことも、何かを行うことも、困難で、どうしても何もしたくないという感情に支配されることが多いのです。
この「死んだふり」という反応は、彼らの心の中に宿る恐怖や絶望、そして深い無気力の表れであり、彼らが過去に経験したトラウマや厳しいストレスの影響が大きいと考えられます。これらの行動や反応は、彼らの心の中に刻まれた深い傷跡の一部として存在しており、彼らの心の叫びとも言えるでしょう。このような状態にある彼らには、理解と共感、そして真摯なサポートが必要とされます。
トラウマ後の反応:嫌悪刺激とサバイバルモード
人々が複雑なトラウマを経験すると、彼らの心と体は特有の反応を示します。これらの反応は一般的に、強烈な不快な刺激、または嫌悪刺激として知られるものに対して特に顕著です。個々の人にとって、この嫌悪刺激はそれぞれ異なる形を取ることがあります。それは他人の視線や存在感、声の調子や話す内容、歩く音や他の物音、日常生活の音、さらには特定の匂い、振動、光の強さ、気圧、温度まで、極めて多岐にわたります。
このような嫌悪刺激に曝されると、トラウマを経験した人の体は、自己防衛の反応として筋肉を硬直させます。それはまるで緊張した糸がピンと張られるかのようです。その後、その人の心は、彼らが直面している状況がどの程度の脅威であるかを評価するための内的なアセスメントを行います。
しかし、時には、これらの嫌悪刺激から避けることが不可能になることがあります。その場合、その人の体と心は一種の「サバイバルモード」に切り替わります。これは、身体が危機的な状況に対抗するための防御反応を引き起こす、体と心の自動的な反応です。サバイバルモードは、心身が直面する脅威に対抗し、生存するために必要な措置をとることを可能にします。
身体の脅威対応:交感神経と迷走神経の役割
身体が脅威を感じ、サバイバルモードに切り替わると、私たちの交感神経系が活性化します。これは体の「戦闘または逃走」反応の一部であり、身体を一種の過覚醒状態にします。この時点では、心臓は速く、力強く鼓動し、全身に酸素と栄養を運ぶための血液を一層効率的に送ります。呼吸は速く、深くなり、身体全体は緊張と活動準備で満たされます。手には力がみなぎり、足は急速な移動のために準備を始めます。さらに、汗が出てきて皮膚がぶわっと熱を感じるかもしれません。
しかし、脅威が直接的で生命に危険があると感じると、身体は再び切り替わり、交感神経の働きは急速に減速し、一方で背側迷走神経が過活動となります。迷走神経は私たちの「休息と消化」の反応を支配しており、この状態では身体が極度に弛緩し、身体の代謝が減少します。
この過活動状態になると、首や肩が固まり、身体全体のエネルギー消費が減少します。心拍数も減少し、省エネ状態を反映してゆっくりとしたリズムになります。特に危機的な状況では、交感神経系が完全にシャットダウンし、迷走神経が過剰に反応すると、心拍数は通常の範囲である60~100拍/分から、40~50拍/分まで大幅に下がります。これは虚脱状態と呼ばれ、身体は一時的に動けなくなり、不動状態から逃れることができません。
交感神経のシャットダウンと背側迷走神経の過活動が引き起こす身体変化
交感神経系がシャットダウンし、背側迷走神経が過活動すると、体は特異な反応を示します。この状態では、体の上部、特に横隔膜より上の部分が固まり、最小限のエネルギーだけを使って生命維持の活動を続けます。その結果、顔には生気がなく、表情は晴れやかさを失います。
心拍数の低下により、血圧が急速に低下し、皮膚は冷や汗をかき、冷たさを感じ、血の気が引くかのように見えます。特に唇は冷たく感じられ、顔色や唇の色が蒼白に変わることもあります。これにより頭の中が真っ白になり、体全体も感じが薄くなります。身体は鉛のように重く感じられ、立つことすら困難になります。
体の下部、特に横隔膜以下の胃や腸は消化活動が活発化します。これは、体が生命の危機を感じて、ストレスホルモンや毒素を放出するためで、その結果、吐き気や下痢を引き起こすことがあります。また、お腹がギュッと痛む感じがすることもあります。
呼吸器系にも影響が出始め、深呼吸が困難になります。心臓の鼓動はもはや強く響くことはなく、体全体が風船がぽわんと膨らむような感じになります。体は不安定にゆらゆらと揺れ、視界もはっきりせず、まるで曇りガラスを見ているかのような感覚になります。
困難な幼少期:生き抜くための身体の反応とその影響
背側迷走神経が過活動している人々は、往々にして難しい幼少期を過ごしてきたことが多いです。親の関係が不健康だったり、親が精神的問題を抱えていたり、虐待が経験として存在するなど、これらの状況は、彼らが自分自身を守るための機構を過度に発展させる可能性があります。
家庭や学校生活での連続した脅威にさらされることで、警戒心が強まり、交感神経系が過剰に働くようになります。しかし、個々の脅威に対抗する力が不十分であるとき、自己の存在感を極力抑える、いわゆる”凍りつき”や”死んだふり”の反応がしばしば観察されます。
不安や恐怖の日々の中で、身体が自由に動くことができず、思考が曖昧になり、日々をぼんやりと過ごす傾向があります。それは心身のエネルギーを消耗し、疲労が深まる一方で、記憶の欠落、集中力の低下、全般的な無気力状態といった症状を引き起こします。そして、さらに深刻な状況では、自己の意識が遠ざかり、失神し、身体的に倒れてしまうことすらあります。
幼少期の困難から大人の虚脱状態へ
幼少期から困難な環境に身を置き、近くに自分を脅威にさらす人物が存在すると、体は攻撃に備えるようになります。この状態では、心と体が常に警戒モードにあり、筋肉が固くなります。特に首、顔、肩、胸、背中の周辺の筋肉が硬直し、これらの部位の機能が低下します。
体がこのように固まってしまうと、いくつかの身体的な症状が現れます。声を出すことが難しくなり、他人の話を聞き取る能力が低下します。また、呼吸が難しくなることもあります。涙や唾液の分泌も抑制され、手足にはしびれるような感覚が生じることもあります。肺はまるで凍りついたかのように息が苦しくなり、胃は不快な感じがし、便秘や下痢になる可能性もあります。
より厳しい環境に置かれた人々は、さらに深刻な状態に陥ることがあります。目が虚ろになり、血流が悪くなると、手足は力を失い、全身が虚脱状態に落ち込みます。体は鉛のように重く感じられ、無気力状態に陥ります。その結果、ただ立ち尽くすだけだったり、ぼんやりとしていたり、意識が朦朧とすることがあります。心身がその限界に達すると、全身が極度の疲労を感じ、椅子に座ることすら困難になります。動くことが辛く、ベッドから起き上がることができず、学校や職場に行くことができないという状況に至ることもあります。休日はほとんど寝て過ごすようになるかもしれません。
背側迷走神経の過活動:生存の闘いと社会生活への影響
背側迷走神経が過活動すると、その人は自分の命が危険に晒されていると感じるようになります。その結果、身体は自分を守るためにさまざまな反応を示し始めます。例えば、視界がぼんやりとかすんできたり、耳が聞こえにくくなったり、息をするのが苦しくなったりします。さらに、自分自身が目立たないようにするために、頭を下げて背中を丸めるような守りの姿勢をとることもあります。
この状態では、脳への血液供給が不足し、酸欠状態となる可能性があります。これは、肺が苦しみ、呼吸が困難になることに対応するために起こります。生き残るための闘いは、苦しみながらもがくような生活に変わってしまいます。虚脱や「死んだふり」の状態で過ごす人々は、息を潜めたり、一時的に呼吸を止めるような生活を送っているため、酸素の必要量が通常よりも少なくなります。
この背側迷走神経の過活動状態は、人間社会の中での生活にも影響を与えます。家庭、学校、職場などの人間関係では、何度も失敗を繰り返し、ネガティブなスパイラルに陥ってしまうことが多いです。恐怖感が常に全面に立ちはだかっているため、彼らは絶えず脅威にさらされながら生活を送っています。自分が他人から悪意を向けられることへの恐怖や、自分の負の部分が他人に知られてしまうことへの恐怖が、彼らの日常生活に影響を及ぼします。
背側迷走神経の過活動と心の葛藤:不動の絶望のサイクル
背側迷走神経が過活動し、身体が動かなくなるという状態にある人々は、絶望感や無力感に襲われ、心は焦燥と苛立ちに満ち溢れ、深い憂鬱に落ち込みます。自身が動けない事実がイライラを生み、彼らは状況を力ずくで変え、自身を強引に動かしたいという衝動に駆られます。
しかし、身体が思うように動かない現実に直面すると、ますます無気力となり、なすすべもなくただ待つしかないという投げやりな気持ちに陥ります。自身がなかなか変わることができない現実に対して、うんざりとした気持ちが押し寄せてきます。彼らはもどかしさと自己卑下の感情に苦しむようになります。
日常的な動作すら困難になると、自分を見捨てるような絶望感が湧き上がります。何をしても失敗するという経験が重なると、暗闇の中で生き続けるという無情の現実に直面し、彼らは気力を振り絞って身体を無理に動かそうとします。しかし、身体は重く、全身に怠さが広がり、力がまったく入らない状態です。
なんとか動かさなければならないという焦燥感が彼らを追い詰め、気力が尽きると、体は力なく崩れ落ち、他人と関わることも、何も感じることも避けたいという欲求が心を支配します。このように、彼らは心を閉ざし、世界から隔絶した状態に陥ってしまいます。
シャットダウンした心と体をつなぎ直す:無力感からの回復
心と体が完全に遮断されたような感覚に苦しむ彼らは、自分自身に対する期待や、周囲の要求に応えることができない現実に打ちひしがれます。この状態は、ただ怠けているわけでも、意志が弱いからでもなく、心身が無理をしすぎて「シャットダウン」した結果なのです。しかし、外部からの理解が乏しいため、彼らはさらに孤立し、深い絶望感に支配されていきます。
この悪循環は、繰り返される無力感の波の中で強化されます。体が動かないことでさらに自分を責め、外の世界との接点を持とうとする努力が空回りしていくのです。こうして、彼らはますます内向きになり、他人の助けやサポートを受け入れることも難しくなってしまいます。
しかし、この暗闇の中にも微かな希望の光が差し込むことがあります。少しずつ、外の世界との接触を回復し、小さな成功体験を積み重ねていくことで、彼らは再び「生きている感覚」を取り戻すことができるのです。このプロセスには時間がかかるかもしれませんが、適切なサポートと共感があれば、彼らは次第に自らの心と体を再びつなぎ直すことができるでしょう。
解離と無力感に悩む人々にとって重要なのは、周囲の理解と、焦らずに少しずつ前進することです。リハビリのように、ゆっくりと段階的に進むことが、彼らの回復の鍵となるのです。小さな成功は自信を育み、彼らの心身を再び統合へと導く力となります。そしてその過程で、自分自身と向き合い、トラウマを乗り越える力を得ることができるのです。
少しずつ進む回復の道:無力感とトラウマと共に歩む日々
彼らが少しずつ進む道のりは、決して平坦ではありません。進んだと思った途端、再び後退することもあります。無力感に押し戻される日もあれば、過去のトラウマが突然襲い、再び心と体の繋がりが断たれる瞬間も訪れます。しかし、それでも彼らは、少しずつでも前進していくのです。
この回復の過程で、彼らが頼るべきは、自分自身を責めないこと、そして失敗を受け入れつつも諦めないことです。無力感や孤独感に支配される時こそ、彼らは自分の内側で感じる小さな変化に気づく必要があります。たとえば、ある日、少しだけ息が楽にできた瞬間や、ほんの短い時間でも心地よく座れた時間。それらの小さな進展は、大きな回復の一歩として重要なのです。
また、周囲の人々も、彼らが直面する困難を理解し、無理に変化を強いるのではなく、彼らのペースに寄り添う姿勢が求められます。焦りや期待を押し付けることは、かえって彼らを再び深い無力感に閉じ込めてしまう可能性があるのです。
一方で、彼らが感じるトラウマや恐怖は、必ずしも完全に消え去るものではありません。しかし、それを「乗り越える」ことではなく、「共存する」方法を学んでいくことが、彼らの回復において大切なポイントとなります。トラウマの影響が消えなくとも、それに対してどう対応するか、どう適応していくかが、彼らの未来を形作るのです。
時間をかけて、自分自身の力を取り戻していく過程では、リラクゼーションやマインドフルネスなどの自分を安定させる技法が大きな助けとなります。呼吸を整えることや、静かな環境で心を落ち着けることは、サバイバルモードに入った体を再び休息モードに切り替える手助けをします。
彼らがこのような自己調整のスキルを身につけ、自分のペースで再び日常生活に戻る準備をしていくとき、心と体のバランスが少しずつ回復し始めます。そして、最終的には、日常の中で喜びや満足感を感じる瞬間が増えていくのです。これこそが、彼らにとっての「回復の道」なのです。
当相談室では、恐怖状態の死んだふりやうつ病に関するカウンセリングや心理療法を希望される方に対し、ご予約いただけるようになっております。予約は以下のボタンからお進みいただけます。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-07-17
論考 井上陽平
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