正気と狂気の間に広がる未知の領域|複雑性PTSD

複雑性トラウマ

複雑性PTSDを抱えている人は、心が絶えず不安定な状態で、精神的に常に挑戦されていると言えます。この精神状態は、正気と狂気、理性と感情の狭間で、自らの運命を左右する刹那に、絶えず立ち続けることを要求されます。この境界線上での生活は、常に切迫した状況と孤独な心との闘いを強いられるため、極めて緊張感が高まり、心の奥底では、持続的な精神的疲弊が進行します。しかし、その中でも彼らは、絶えず自己の心と向き合い、崩壊の瀬戸際でバランスを保ちつつ、生き抜く術を求めて戦い続けます。

このような深いトラウマを負っている人は、その痛みや恐怖を、他者から見ることのできない内面の深い部分に秘めて生きています。この心の傷は、時として身体にも影を落とします。その影は、常に緊張している筋肉、硬直した関節、そして常に警戒を怠らない五感として表れます。日常的な動作の中で、肩が無意識に持ち上げられ、眉間には心の重荷を示すような深い皺が刻まれ、呼吸は表面的で短く、繊細さを失ってしまっています。歩く際の足取りは、まるで不安定な地面の上を進んでいるかのように不安定であり、時折、世界全体が不安定であるかのように感じられることもあるでしょう。

さらに、予期せぬ出来事やショックがその人の心と体を襲ったとき、それは瞬時に身体の中心、心臓まで影響を及ぼします。心臓は激しく鼓動を繰り返し、まるで外に飛び出してしまうかのような錯覚を生むほどの感覚になることもあります。この時、体は一瞬で崩れ落ちるかのような感覚に見舞われ、全身がこわばり、深い寒さや震えが走ることも少なくありません。

しかしながら、外部からの視線で捉えた彼らの姿は、その内面の混乱や苦痛を感じさせない、平穏なものであることが多いです。これは彼らが自らを守るため、また周囲に迷惑をかけないための無意識の努力の表れかもしれません。そのため、トラウマを持つ人々の繊細さや苦悩は、周りの人々にはなかなか伝わらず、彼らの感じる孤独や理解されないという感覚は増して深くなることもあるのです。

トラウマの多面性:心と身体の繊細な闘いとその影響

トラウマというのは、それが及ぼす影響が単一ではなく、多様性を持つため非常に取り扱いが難しいものです。個々の人が体験した症状は、その背後にある経験や心の傷の度合い、深さによって様々であり、それは複数の症状が同時に、あるいは重なり合う形で顔を出すことも少なくありません。これらの症状は、体のあちこちで深い影を落とし、時にはその猛威に自分だけでは対応しきれない状態に追い込まれることもあるのです。

また、トラウマの症状は高い感受性を持ち、日常生活の中でのさまざまな刺激、例えば特定の音や匂い、場面や情景に対して過敏に反応することがあります。しかしそのトリガーは明確ではなく、自分自身でもなかなか特定できないため、予期せぬ瞬間に症状が悪化することも。これにより、持続的な緊張や焦燥感が生まれ、日常の集中を乱され、心の平穏を保つことが困難となることも。

実際、トラウマの症状は身体や心の内部で静かに、しかし強烈に進行するため、その苦痛やもがきが他人からはなかなか理解されにくいのです。その結果、外部からは不可解な反応や行動として受け取られ、周囲との摩擦や誤解が生まれることも。しかし、その背後には、症状との闘い、そしてそれを乗り越えようとする強い意志と努力が隠れています。

複雑なトラウマの中での生活:日常の緊張と不確実性

複雑なトラウマを抱えている人々の日常は、私たちが考える以上に、微細な事象への過敏な反応と連続した緊張によって特徴付けられます。普段、多くの人々が気に留めることなく過ごしている日常の中の些細な出来事や刺激にも、彼らは強く反応し、心身が瞬時に警戒態勢に入ってしまいます。

この持続的な緊張は、未来への不確かさや予期せぬ出来事への恐怖、そしてそれに伴う漠然とした予期不安から来るものです。そこには、日常のあらゆる瞬間における失敗や間違いへの過度な恐れやプレッシャーが絡み合っています。彼らの心の中では、「完璧な対応」が常に求められ、その基準が日々の生活の中で自分を追い詰めていきます。

しかし、この絶えず高い緊張とストレスの中で、心と体の限界が迫ると、その先に待ち受ける未知への不安や想像すら難しい恐れが心を襲います。この不安の中で、彼らは自分の意識をしっかりと保ち続けようとしますが、その試み自体が更なるストレスやプレッシャーとなり、心のバランスを乱す要因となることも。それは、まるで地下深くで継続的に響く微細な地響きのように、次第に大きくなり、彼らの心の地盤を崩していくのです。

そして、予期せぬ出来事や衝撃が訪れたとき、それは彼らにとってまるで足元の安定した土台が一気に消え去ったかのような体験となります。その瞬間、心は深い空虚感に飲み込まれ、心臓は恐怖によって激しく動き出します。身体はその恐怖に対する反応として、冷えや麻痺を感じることがあります。特に膝から下の部分は、まるで氷に触れた時のような冷たさを覚えることがある。そして、その冷たさの中で、まるで無限の深さへと落ちていくような恐怖と絶望を感じるのです。

複雑なトラウマと心の境界:不安定な歩みと繊細なバランス

複雑なトラウマを背負った人々の日常は、私たちが歩む安定した地盤とは大きく異なります。彼らの日常を、常に不安定な薄氷の上を歩く経験に例えるならば、その氷の下には、時として荒々しく、そして暗く沈黙した異なる世界が広がっているのです。この氷の層は、彼らの「正気」と「狂気」との間の薄くも非常に重要な「境界」を形成しています。これは、私たちが感じる日常の安定とは異なり、微妙なバランスで成り立っているのです。

氷の下の異世界は、トラウマの影響で発生する感情や反応を持っており、それが突如として現れることで心のバランスを失う危険があります。その氷の薄さは、この異世界の存在を常に思い起こさせ、踏み越えてはいけない境界を示しています。それは、混乱と秩序、安定と不安定、明と暗の間の繊細なバランスを示しているのです。

「正気」という彼らの心の状態は、極めてデリケートであり、絶えず注意を要するものとなっています。それは、日常の些細な刺激や挑戦に対しても、今にも破れてしまいそうな細いワイヤーの上を歩むかのような状態を維持していることを意味しています。多くの人々が「正常」や「普通」と捉える日常の感覚は、彼らにとっては霧の中の遠い存在となっており、常に手の届かないところに存在しているのです。

「正気」と「狂気」の微妙なバランスとその背後の深淵

「正気」とは、安定し平衡の取れた心の状態を示し、「狂気」とは、その均衡が乱れ、時には混乱した精神の状態を指します。両者の間には微妙なバランスが存在し、一人一人の心の中には、この両者を行き来する「狭間」という境界域が存在します。

この「狭間」は、日々の膨大な判断や選択の中で、私たちの心がどちらの道を選ぶのかの重要な分岐点となります。それは、ある瞬間は論理的な思考と賢明な判断によって「正気」を選び、次の瞬間は感情や過去のトラウマにより「狂気」の道を選ぶことができるほど不確かなものです。

心の「狭間」は、明確な境界線が引かれているわけではなく、一つの選択や判断によって揺れ動く微妙な位置にあります。ここでの選択は、自分自身の「意識」の状態に大きく依存します。清らかで明瞭な意識は、「正気」への道を照らしてくれる明かりとなりますが、曖昧で混濁した意識は、「狂気」への道を示唆する陰影となることがあります。

この「正気」と「狂気」の間に広がる狭間を歩む経験は、冬の静かな湖の薄氷の上を歩くようなものです。その氷の下には深く、冷たく、時には恐ろしい「狂気」の世界が広がっており、薄氷の上を歩く者にはその下の深海への恐怖が常に忍び寄ります。一歩間違えば、氷が割れ、その深く暗い世界に取り込まれてしまう危険が潜んでいます。

まとめ

複雑性PTSDを抱える人は、心が絶えず不安定で、日常の刺激や出来事に対しても常に繊細に反応します。彼らの心の状態は、安定と不安定、明と暗の間のデリケートなバランスにあり、その境界線を歩む経験は、薄氷の上を進むようなものと例えられます。この氷の下には深くて暗い世界があり、一歩間違えるとそこに取り込まれる恐れがある。

複雑性PTSDを持つ人々は、深い心の傷や不安を内に秘めながらも、持続的な挑戦と向き合いながら生きています。彼らが心の傷から回復するためには、まずその痛みや恐怖を認識し、それを受け入れることが必要です。続いて、日常生活の中での安定感を取り戻す努力を行うことが大切です。具体的には、心のバランスや安定を助けるためのサポートや療法を受けること、そして過去のトラウマや現在の感情・反応を理解し、それに適切に対処する方法を学ぶことが不可欠です。安全な環境やサポートグループ、カウンセリングなどを通じて、自己理解を深め、新しい自分を再構築することで、真の回復と癒しを実現することができます。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-09-28
論考 井上陽平

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