他人がクソにしか見えなくなった人は、
もともと人間嫌いだったわけではありません。
むしろ逆です。
人を信じようとした人。
関係を大切にしようとした人。
期待や誠実さを、何度も差し出してきた人です。
それが、あまりにも報われなかった。
説明もなく、理由もなく、
ある日突然拒絶され、
裏切られ、切り捨てられる体験を、
何度も、何度も浴びてきた。
その積み重ねの末に、
心と身体は、ひとつの結論にたどり着きます。
「人は、信用すると壊れる」
「人は、近づくと必ず傷つけてくる」
これは思想でも、世界観でもありません。
冷たさや性格の問題でもない。
神経系が、生き延びるために下した判断であり、
その結果として形成された警戒のしかたです。
※この種の反応は、意志ではなく身体主導で起きます
→ 身体が先に止まる反応について
「他人はクソ」という結論に至るまで
他人がクソに見えるようになる人の多くは、
幼い頃から、人との関係の中で
緊張を解くことが許されない環境にいました。
機嫌ひとつで態度が変わる大人。
支配と服従しか存在しない関係。
嘘、裏切り、無視が日常の一部になっている空気。
優しさの直後に、必ず攻撃が訪れるやり取り。
その環境で学ばれたのは、
「人は安心できる存在だ」という感覚ではありません。
近づけば傷つく。
信じれば奪われる。
人間関係そのものが、
常に何かが起こりうる危険地帯として、
身体に刻み込まれていきます。
そこで生き延びるために、
心の奥に、ある声が住みつきます。
「信じるな」
「情けをかけるな」
「一瞬でも油断したら終わる」
それは攻撃性ではありません。
過去の経験に基づいて作られた、
極めて現実的な警戒反応です。
軽蔑という、防衛としての完成形
「他人はクソ」という言葉は、乱暴に聞こえます。
けれど、防衛として見るなら、非常に洗練されています。
相手を人として見ない。
期待を持たない。
関係を切ることに、罪悪感を持たない。
弱い立場に引きずり込まれない。
こうして、
感情が動く前に距離を固定する。
それによって、
これ以上深く傷つかずに済む。
軽蔑は、誰かを貶めるためのものではありません。
心が壊れないように、
感情そのものを止めるための操作です。
希望しない。
期待しない。
信じない。
その代わり、
二度と同じ痛みを繰り返さない。
「他人はクソ」という感覚は、
人を嫌うための思想ではなく、
環境に適応した結果として出来上がった、
生存のための形式です。
その多くは、表面的には「問題なく適応している人」として
扱われてきたケースでもあります。
→ 過剰適応として生きてきた人の内側
それでも、その人は鈍くなったわけではない
ここまでで見てきた防衛の奥には、
もうひとつ、誤解されやすい特徴があります。
他人はクソと思うほど傷ついてきた人は、
本当は繊細で、よく見ています。
相手の嘘。
無責任さ。
支配の匂い。
見下し。
裏の意図。
そうしたものを、
早い段階で察知してしまう。
それが分かるからこそ、余計に絶望する。
「どうせまたそうなる」と、
先に未来が見えてしまう。
だから心が硬くなる。
最初から距離を取る。
嫌悪で守る。
冷笑で遮断する。
この反応は、冷酷さではありません。
人を信じられなくなった結果でもない。
むしろ、
よく見えすぎてしまうがゆえの防衛です。
この鎧は、
人を嫌うためのものではありません。
二度と、同じ場所で壊れないために作られたものです。
世界が冷えて見える理由
一貫性のない関係の中では、
人は「この人は安全か、危険か」を
統合して感じることができません。
優しい顔と、残酷な顔。
守る手と、壊す手。
それらが同じ人物から出てくるとき、
心はどちらかを切り離すしかなくなる。
結果として残るのは、
「いつ牙を剥くかわからない他人」という像です。
世界は、
関係を育てる場ではなく、
耐えるか、遮断するかを判断する対象になる。
「他人はクソ」という感覚は、
世界を冷やし、距離を固定するための
現実的な操作でもあります。
これは思考ではなく、身体の反応
他人がクソに見える状態では、
身体が先に反応しています。
声のトーン。
表情の揺れ。
沈黙の間。
それらをきっかけに、
身体が即座に「危険」「信用不可」と判断する。
これは考えすぎではありません。
過去の経験をもとにした、反射的な生存反応です。
だから、
「そんなに疑わなくてもいい」
「もっと人を信じても大丈夫」
と言われても、何も変わらない。
身体がまだ、
人との関係を安全なものとして
学び直せていないからです。
ときにこの反応は、
感情を切り離す形で現れることもあります。
→ 関係性の中で起きる解離という防衛
内側にいる、冷酷だが忠実な番人
深く傷ついた心の中には、
とても厳しい声が生まれます。
「期待するな」
「信じるな」
「人はクソだ。近づくな」
この声は、敵ではありません。
これ以上、同じ壊れ方をしないための番人です。
だから、この声を
無理に黙らせる必要はありません。
それはあなたを孤立させるためではなく、
生き残らせるために現れたものだからです。
ビオンが解き明かす異常な超自我について
→ 解離が生む「厳しすぎる内なる声」の正体
回復とは、人を好きになることではない
回復とは、
再び「人は素晴らしい」と思えるようになることではありません。
信頼を取り戻すことでも、
警戒を手放すことでもない。
最初に起きるのは、
距離を保ったまま、関係が壊れずに続く経験です。
深入りしない。
期待しすぎない。
すべてを分かち合わない。
それでも、関係が続く。
違和感があっても、即座に崩れない。
この「壊れなかった」という事実が、
回復の出発点です。
回復とは、
信じ直すことではなく、
信じなくても壊れない時間が増えていくことです。
最後に
他人がクソにしか見えなくなった人は、
人を憎んだ人ではありません。
人を信じすぎた人です。
期待し、理解しようとし、
関係を壊さないように、自分を削り続けた人です。
だから、その視線の冷たさを、
急いで手放す必要はありません。
それは、
これ以上同じ場所で壊れないために、
身体と心が必死で編み出した知恵だからです。
回復とは、
その知恵を否定することではなく、
必要なときにだけ使える状態に戻すこと。
警戒を捨てることではなく、
警戒に支配されなくなること。
それが、
この段階における、現実的で役に立つ回復です。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。