ここで取り上げているのは、ユング派臨床心理学者、ドナルド・カルシェッドの著書『In Trauma and the Soul(トラウマと魂について)』です。
冥界の神と心理的解離:幼児期のトラウマからの永続的な影響
ユング派の研究者たちは、冥界の神々に深い興味を持ち、その神秘性に焦点を当てていた。彼らの視点では、冥界の神々は心理的な解離―つまり、心がひとつに統合できていない状態―の具現化として語られる。冥界の神々は、この解離状態を引き起こす実体であり、それが彼らの魅力とも言える。
彼らの考えるところでは、我々が幼児期に経験するトラウマは、解離を通じて経験される。これらのトラウマは、その影響を最小限に留めるために解離によって「ぶつ切り」にされ、私たちの心の中に分断されたまま存在している。これらぶつ切りにされた断片の中には、人間としての生活を可能にする要素が含まれている。
しかし、内なる世界でこれらのトラウマが活動的な存在として生き続けるためには、持続的な攻撃、つまりトラウマを維持するような経験によって維持されなければならない。そして、そこに冥界の神が出現する。この神々は持続的な攻撃の中心に存在し、私たちの心の深層に影響を与え続ける。
内なる攻撃、つまり心の中で繰り返される自己批判や自己否定などが止まれば、時間が経つにつれてトラウマは自然と薄れていく。しかし、トラウマが続くとすれば、それは冥界の神の影響が継続していることを示す。冥界の神の力は、心の中で絶えず働き、生き抜こうとする精神力を懸命に試練に晒す。
冥界の神とペインボディ:痛みが創り出す自己同一化とその影響
トルという研究者は、冥界の神という存在について、特異な理解を示している。彼によれば、冥界の神は幼児期に経験した痛みが積み重なって形成されたものである。その痛みは時が経つにつれて心に残り、冥界の神という存在へと変貌する。
幼少期に積み重なったこの痛みは、身体と心に深く刻み込まれる。それがどのような形で刻み込まれるかというと、それは痛みそのものの肉体として、あるいはネガティブな感情が満ち溢れた状態として存在する。この状態は心理的なトラウマと深く結びついており、人間の精神と身体に根深く影響を与え続ける。
トルの著作(1999年)によれば、この「痛みの身体」(ペインボディ)という存在は、他の生命体と同様に生存の本能を持っています。このペインボディは、あなたの内部で無意識的に自己同一化し、その過程を通じて生き延びる力を得ます。それは徐々に成長し、あなた自身の一部として変貌します。それはあなたを通じて生き、あなたを通じて養分を摂取します。
このペインボディは、自己と同調するエネルギーを感じる経験を求めます。それが何らかの形で痛みを感じる経験であれ、怒りや悲しみ、暴力、病気といった負のエネルギーであれ、ペインボディはそれを全て吸収しようとします。この痛みの身体があなたに代わって活動し始めると、それはあなたの人生に影響を及ぼし、その結果として痛みに満ちた状況を生み出します。
この現象は、まるで冥界の神が生き抜くためのエネルギーを反映させているかのようです。この状況をより具体的に描くと、冥界の神の成長は継続的に供給される食物やエネルギーによって促されます。あなた自身を通じて、その神は存在を維持し、影響力を増大させる状況を生み出します。痛みは痛み上にのみ成長でき、そのエネルギーは負のスパイラルを生むかのように働きます。
痛みの身体が一度あなたに取って代わると、あなたの心はさらなる痛みを求めるようになります。痛みが生み出す負のエネルギーに自分を捧げることにより、自己犠牲という形でさらなる痛みを引き寄せます。そして、あなたは他人にもその痛みを与えたくなるかもしれません。それはまるであなた自身が深い痛みに苦しむことを求め、それが生活の一部となってしまうかのようです。
このように、冥界の神という存在は人間の心理と行動に深く影響を与え、痛みの循環を生む原動力となります。それは私たちが抱える内的な問題を増幅させ、人間関係や自己認識に影響を与え、結果として人生全体を支配することとなります。
ペインボディが引き起こす自己同一化と苦しみのサイクル
冥界の神やペインボディがもたらす影響は、一度その存在が確立されると、我々の心の奥深くに根を張り、日常生活に深刻な影響を及ぼします。その力は、まるで無意識のうちに我々の行動や感情を操るかのように作用し、自己破壊的なパターンを繰り返すように導くのです。人間関係においては、我々の中に生まれたこの痛みが、他者とのつながりを妨げ、常に自分を犠牲にするような状況を作り出します。こうした自己犠牲は一見、他者に尽くす行為に見えるかもしれませんが、実際は痛みを増幅させるサイクルに過ぎず、冥界の神をさらに強大にしていくのです。
この過程で重要なのは、ペインボディが生き延びるために、さらなる痛みや苦しみを欲していることに気づくことです。それは、感情的な混乱を引き起こし、過去のトラウマや未解決の問題を繰り返し思い出させることで、その存在を維持しようとします。冥界の神は、我々の心の深層に存在する痛みの源からエネルギーを吸収し続け、成長するのです。この神は、心の中で我々の一部として溶け込み、無意識の中で行動や感情を操作します。そのため、我々はしばしば同じ過ちを繰り返し、自分にとって有害な環境に留まり続けてしまいます。
トラウマの影響は個々人によって異なりますが、冥界の神はその影響を拡大し、自己認識や人間関係を支配する力を持っています。特に、自分を見失うほどの深い痛みや苦しみを抱える人々にとって、ペインボディが彼らの存在を飲み込み、完全に支配してしまうこともあるのです。この場合、痛みと自己の境界が曖昧になり、痛みがアイデンティティの一部となります。そうなると、痛みを手放すことが自己を失うことに等しいと感じ、さらに苦しみの循環に囚われてしまうのです。
このような状況を脱するためには、まず自分の中に潜む冥界の神とその働きに気づき、直視する勇気が必要です。痛みの身体が自己と同一化しているという事実に気づくことが、第一歩となります。そのうえで、自分自身を優しく受け入れ、痛みと対峙することで、少しずつ解放の道が開けていくのです。
参考文献
Donald Kalsched.(2013):『Trauma and the Soul:A psycho-spiritual approach to human development and its interruption』
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-06-17
論考 井上陽平
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