年老いた毒親との付き合い方、距離の取り方、振り回される

親子・家族

毒親のもとで育った多くの人々は、親の欲望や感情の波に合わせて”道具”としての役割を果たさなければならない場面に直面します。彼らは子どもとしての基本的な権利や自由を犠牲にして、親の要求や期待を満たすことが求められます。この状況は、親が子どもの人生や未来に対する責任を放棄し、時として後の年月での介護やサポートまでを要求することとなります。

これは子どもの心に深く刻まれる傷となり、成長する過程での自己認識や自尊心に影響を与えることがあります。毒親問題は、個人や家族の問題を超えて、社会全体が共感し、理解し、対応すべき重要な課題となっています。

毒親の影:逃れがたい圧力と大人の子どもたちの闘い

毒親を持つ子どもが大人になっても抱える厳しい現実があります。例えば、独立して親から距離を置いた生活を送っていたとしても、親が病気になったり、高齢による世話が必要になった際には、社会や周囲から一番初めに子どもに責任が求められることが多いのです。このような状況は、親子や家族という名の重いつながりに起因しており、その圧力は容易に逃れられるものではありません。

このつながりは、多くの人々にとっては暖かく安心感をもたらすものである一方で、毒親を持つ子どもにとっては、逃れられない圧力となってしまいます。その結果、子どもは感情的、あるいは物理的な負担に悩まされることが多く、そのストレスはさまざまな形で生活に影響を及ぼすこととなります。

親への感謝と子どもの責任の間でバランスが取れなくなる

「親から育ててもらったから感謝しなさい」という認識を幼い頃から植え付けられて育つと、多くの人は親に対して過大な恩義を感じることが一般的です。このような環境で育った場合、親から受けた教育、愛情、そして物質的なサポートに感謝します。しかし、その感謝が親の介護に関する「子どもの責任と義務」という厳格な固定観念に繋がってしまい、それが心の中で絶えず重荷となってしまいます。

この固定観念は、独立して自分自身の人生を形作る際にも大きな影響を与えています。親に対する感謝の念があるからこそ、介護の責任も当然のように自分にあると信じ込んでしまい、そのプレッシャーは時として自分自身を追い詰めるほどです。そのため、将来的に親が病気になった場合や、高齢での生活支援が必要になったとき、その全てが自分の責任であるかのような感覚に苦しみます。

このような感覚は、親と自分の関係だけでなく、自分自身の心の健康や人生の質にも影響を与えてしまう可能性があります。親からの愛情と育てられた環境には感謝しつつも、それが形成する「責任と義務」の固定観念に翻弄されることなく、バランスの取れた親子関係を築くことが、私たち自身の心の平和と健康にも繋がる重要なポイントかもしれません。

毒親との関係: 心の健康と距離感の重要性

毒親の存在は、非常に厳しい心理的な負担を家族に与えることが多く、その影響は年を重ねるにつれてもなかなか消えません。特に問題が、家族自体が毒親の問題行動を無視または許容している場合、その厳しさはさらに増します。状況が悪化すると、年老いた毒親の面倒を見る責任が一人の子供や家族に降りかかることも珍しくありません。

このような状況で感じる辛さは、一般的な親子や家族関係の問題とは次元が異なります。なぜなら、毒親に対しては、社会的にも道徳的にも「親だから面倒を見なければならない」という期待を一身に背負うことになるため、そのプレッシャーは計り知れません。しかし、そのような厳しい状況下でも、何らかの手を打つ選択肢はあります。

例えば、他の家族メンバーと協力して問題を共有する、第三者の専門家に相談する、必要であれば法的手段を考慮するなど、解決策は存在します。しかし、そのような決断をするためには、まずは自分自身の健康と心の平和を優先する必要があります。血縁関係に縛られるあまり、自分自身を犠牲にするような選択は、長期的には誰にも良くありません。

血縁関係というのは、確かに逃れがたいものですが、その中でどれだけ健全な距離感を保てるかがキーです。愛とは、必ずしも身を粉にして犠牲になることではありません。自分自身が健康で、心の平和を保つことができれば、初めて他人をも助ける力が湧きます。

縁を断ち、新しい人生への扉を開く:毒親との関係を乗り越えて

立ち去るべく、毒親との縁を切る決断は極めて困難な道です。その責任感から生じる罪悪感は、どうしても消え去ることがありません。周囲には幸せそうな家庭が多く、それらを遠くから眺めながら、自分は親不孝であるという自己非難に苦しみます。

成人してから実家を出て、自分自身の人生をスタートさせようとしても、親という枷は簡単には外れません。長い時間と多くの内省が必要になり、ようやく縁を断つ決断ができるようになります。その後は「もう親とは別の人生」と捉え、新しい日々を生きるようになります。

毒親から距離を置く選択は、社会的にはなかなか理解されにくいことがよくあります。さらに、罪悪感や疑念、寂しさといった感情が時々心に浮かぶことも確かです。しかし、それにもかかわらず、自分の精神的な健康と平和を第一に考える選択をすることは、長い目で見れば必要なことかもしれません。

縁を断つ勇気:毒親との関係と新しい人生への道

親子の関係は、単なる感情や日常の交流以上に、戸籍や財産相続といった法的な側面も多く含んでいます。そのため、親との縁を完全に切るというのは容易なことではありません。とはいえ、多くの人が誤解しているように、子供が親の介護を法的に義務付けられているわけではありません。ですので、精神的、感情的な側面で毒性を感じる場合、その距離をどうにかしておくことは可能です。

一つの方法として、連絡先を全て削除し、その旨を親に明確に伝えることが考えられます。この選択にはかなりの覚悟が必要ですが、それが心の平和をもたらす場合も少なくありません。毒親との関係においては、自分自身の心の健康と平安が最優先であると考えることが重要です。時として、厳しい選択をすることで、より健全な人生を送る道が開ける場合もあるのです。

親との縁を断つという選択は極端に聞こえるかもしれませんが、それが自分自身や将来の家庭、さらには社会全体に対しても健康的な選択である場合があります。このような重大な決断は、深い内省と強い覚悟が必要ですが、その先に新しい人生が待っている可能性も高いのです。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-09-02
論考 井上陽平

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