生きる試練: 罪と苦難、十字架を背負いながら進む道

苦難・絶望

虐待や性暴力の被害者の中には、生きることの重荷を背負い、己を生ける屍と感じ、背中には大きな十字架を背負っている者がいます。それは、絶えざる罪と苦痛の象徴であり、彼らはその重い十字架をズルズルと引きずりながら、死に向かう長い道を歩んでいます。この十字架は、耐え難い苦痛と消えることのない罪を永遠に身に纏い続けます。 その結果、彼らの人生は不安定なものとなり、足元が揺らぎ、無力感にさいなまれ、まるで行き当たりばったりのように感じます。

自分の人生を自分で選択する力を奪われ、現実の重圧に圧倒されてしまいます。それは適切な行動をとる力を奪い、自己の価値を見失うことに繋がります。 そして、被害者は自分自身を見捨て、自己罰のような形で生きることを余儀なくされます。それは辛く、苦しい生き方でありながら、彼らが被った傷が深すぎるために、その苦しみを乗り越えることが困難となってしまいます。

生ける屍化する過程

物心がつく頃から親からの虐待やDVにさらされ続けた子ども達の日々は、言葉にすることさえ辛いほどの苦痛に満ちています。彼らの生活空間は、絶えず迫り来る危機に対応しなければならない戦場と化しています。対処の仕方を知らない彼らは、呼吸が困難になり、声を出すことさえ困難となり、身体の動きすらも奪われてしまいます。そうして、家というはずの安全な場所は、重苦しい空気に包まれ、彼らを圧倒してしまいます。彼らは暗い人生を歩むことを余儀なくされ、明るい日々を知ることなく成長していく。

親に対して反抗する度に、さらなる苦痛を与えられる状況が繰り返される中で、抵抗する意志が失われていきます。身体は防御的に凍りつくようになり、死んだふりをして、なんとか生き延びる道を探します。 親や周囲の人々から罵倒され、嘲笑され、裏切り者として扱われ続け、人間としての尊厳を踏みにじられた経験が重なります。その結果、致命的なトラウマを胸に抱き、身体の動きが封じられてしまいます。

怒りをぶつけることも、涙を流すこともできず、ただ痛みに押し潰されていく。その中で、自分は凍りつき、虚脱し、解離し、離人状態に陥り、自我が崩れ落ちていきます。その結果、この世界から救いの手が完全に消え去ってしまったように感じます。 その心の深層には、痛みと絶望が深く刻まれ、暗闇の中に閉じ込められている。それは、言葉にできないほどの苦しみと絶望の世界であり、その中で彼らは生きていくことを余儀なくされています。

この過酷な環境の中で、もともとの資質が次第に潰されていくと、心身の中に深く刻まれたトラウマが肥大化し、自己を侵食していきます。トラウマが深刻化するにつれ、環境の変化に対する耐性が失われ、不快な刺激や状況に直面すると、身体や心の反応は急速に激化します。 筋肉は硬直し、心は高揚し、恐怖や怒りが溢れ出します。心臓が痛む、腹痛が発生し、過呼吸になるなどの身体的な症状が現れ、頭は混乱し、声を出すことができず、体が動かないなどの不調が出てきます。

そして、本来なら危険とは認識しないはずの事象に対してさえ、脅威を感じ、体は凍りつくようになります。さらに、予期せぬ状況に遭遇したときには、強烈な驚愕反応が引き起こされ、パニック状態に陥ったり、解離したり、虚脱状態になったりします。その結果、トラウマの感覚が何度も引き起こされ、性格が内向的で弱気なものとなってしまいます。

ミスが許されない高い緊張感が伴い、痛みが身体に刻み込まれる非常事態が続く環境下で、親の態度が突如として変わるだけで、心臓は縮み上がり、いつも命を奪われるかのような恐怖に脅えながら生きていくことになります。この世界が耐え難いほどに恐ろしくなり、追い詰められていくと、身体は動くことを拒み、ネガティブな感情が暴走し始めます。その感情や感覚を押し込めると、自己の認識が曖昧になり、自分が自分であることが分からなくなるほどの混乱状態に陥ります。

痛みや苦しみから心を守るために、自己を遠ざける過程で、自分自身を見失い、生き生きとした現実感が薄れ、まるで生きているだけの壊れた人形のようになります。この状態に陥った人々の心は空洞化し、内面が空虚となり、自己認識が薄れていきます。 彼らは一人でぼんやりと時間を過ごし、天井を見上げ、ただ時が過ぎていくだけの日々を送ります。また、自身の人生があまりにも悲惨であることから、自己効力感を見失い、自己価値を感じることができず、罪悪感だけが残ります。 彼らは常にトラウマの影響下にあり、恐怖や無力感、絶望感に押しつぶされ、性器を切り取られ、去勢されてしまったかのような感覚に苦しんでいます。

生ける屍の特徴

「生ける屍」は、自身の体から湧き上がるべきエネルギーがまったく感じられない、生と死の境界にあるような存在です。自分が生きているのか死んでいるのかすら分からない、そんな彼らは、まるで生者の肉体を持つ亡者のようです。彼らの日々は、人生に対する情熱や意欲が完全に失われ、ただ翻弄されるばかりの無意味な時間の連続となっています。彼らが働くのは、その日をなんとか生き延びるためだけで、真の生きがいなど存在しません。

常に無感情な目をして生きている彼らからは、生命の輝きなど微塵も感じられません。ただ生きているだけで、何一つ楽しむことなどありません。視覚までもがおかしくなり、この世界が暗くどんよりと見え、生きている感覚が希薄で、五感も次第に乱れていきます。日常生活の記憶は徐々に薄れ、物忘れが増えていきます。物事を覚えることができなくなり、同じ過ちを繰り返すなど、彼らの心には常に不安が漂っています。

呼吸の仕方

「生ける屍」のように生きている人々は、その息遣いが微かで不規則なものとなります。鼻と口からはか細く、しかし窒息感は特にないという矛盾した状態を体験します。それはまるで、存在しないはずの鰓(エラ)を使って呼吸をしているような感覚に陥ります。横隔膜の動きはほとんど感じられず、その息遣いは静かでゆっくりとしたものとなります。深く大量の空気を吸い込むと、逆にその身体は疲労感を増幅させ、怠さが身体を覆ってしまいます。ひとつひとつの呼吸は、生命の維持という基本的な行為であり、繊細に調整されていて、まるで静かな海の波のようにゆっくりと周期的に続いている。

生ける屍の身体

慢性的なトラウマに苦しむ「生ける屍」と化した人々は、虚脱傾向が強く、体力が著しく低下しています。免疫力の低下により、体は脆弱となり、炎症を引き起こすことが常となっています。人間への不信感から、彼らは人間そのものを恐れるようになります。彼らの自我は、まるで何度も打ちのめされたかのような状態で、感覚も麻痺してしまっています。筋肉は凝り固まるか、または伸び切り、体は重くて動きづらく、外に出ることさえも困難です。体に力を入れることができないため、彼らはぐったりと力無い状態が続きます。

心臓の拍動は異常で、筋肉の機能は崩壊しています。心拍のリズムが乱れ、恐怖を感じても、心臓の拍動は弱く、体の反応は鈍くなっています。しかし、胃や腸といった内臓だけが活発に働き、消化機能だけが異常に向上しています。自分の体がまるで紐で吊られ、首から下が無力にぶら下がっているように感じます。喉が詰まり、息苦しさが常に付きまとい、姿勢は前のめりで、手足はだらんと垂れ下がり、体内のエネルギーは完全に枯渇しています。体内は空洞のようで、頭の中は空っぽです。何もイメージが浮かび上がらず、考えることすら困難となります。彼らは、まるで抜け殻のように、ただただ歩き続けるのです。

緊張が頂点に達する場面では、身体はまるで石のように硬くなり、息を吸い込むことさえも困難となります。発作が起こったり、胃が痛むこともあります。筋肉が萎縮しているかのように感じられ、まるで骨だけの存在であるかのような感覚に陥ります。手足や動作が一体性を欠き、手先の不器用さから、何事もスムーズに進行せず、日常のささいなことすらも困難となります。

衝撃的な出来事が起こると、脳は即座にフリーズし、突然の大声や自分の意志とは無関係に体が動き出します。トゥレット症候群のように、自分の意識を超えて体が異なる行動を取ります。たとえば、自分を傷つけるような行動をとったり、近しい人々に対して無意識のうちに怨みをぶつけたりします。また、不適切な言葉を口に出すこともありますが、それは自分が望んで行っている行動ではないのです。

内的な世界にいるパーツ

生ける屍化している人々は、人生の行き詰まりや恐怖、怒り、絶望の淵に立たされています。自己を放棄せざるを得ない状況の中、内面の世界では、他人から人間として認められなかった過去の経験から来る世界への怨念や憎しみ、そして消え去りたいという恐怖や不安に満ちた防衛的な一面が葛藤しています。 この防衛的な側面は、機能が断片化していて、自己中心的な行動をとったり、過剰な反応を示したり、依存的な態度を示したり、昏睡状態に陥ったり、パニックになったりします。その結果、日々を生きる自分自身は、常に緊張した表情を浮かべ、その一瞬一瞬を生き抜くしかないのです。

彼らの内なる世界には、保護者としての役割を果たす存在と、迫害者としての存在が共存しており、彼ら自身はまるで自分に何か他者が憑依しているかのように感じています。保護者の役割を担う存在は、窮地に立たされた自我を救済します。しかし一方で、迫害者としての存在は、現実世界の人々と関わりながら、問題行動を引き起こすことがあります。また、日々の生活を送る自己が何らかの失敗を犯した時には、厳しく非難します。迫害者は、全ての過ちを告白し、許しを求めるまで自分自身に対する非難を止めません。

慢性的な不動状態

体が動くことはないものの、生活を維持するために仕事を無理に続けています。仕事が順調に進まなかったり、仕事が終わると、まるで生命力を失ったかのように立ち尽くします。生活を続けること自体が困難で、仕事の終わりには、心身ともに疲労困憊し、体力が著しく奪われてしまいます。その結果、立つことさえ辛く、食事を摂るための力すら失います。体に力が入らず、動くこと自体が困難になり、風呂に入ることさえも厄介な仕事となります。ベッドから起き上がるためのエネルギーすらなくなり、体の中が徐々に枯れていくかのような感覚に襲われます。体中に不快感や疼痛が広がり、刺すような痛みが体を襲います。

非常事態

不断の不安と焦燥感にさいなまれ、思考は特異な形をとり、現実を適切に考慮することができません。常に緊急事態に対応するような生活を送り、本来不要なものまで、いつか必要になるかもしれないという思いから手放すことができません。外出する際も、万全の準備を行い、自分のお守りと考え、本来は不必要そうな物品さえも身につけて歩きます。他人との関わりにおいて強烈な感情的刺激に混乱し、他者に対して警戒心を持ちつつ、自己を防衛する姿勢を保ちます。

治療法

身体と心の調和を促すために、身体ワークとイメージワークを実施します。筋肉を伸縮させることで、体の状態を整えていくことが目指されます。目標は、日常生活において極端な緊張や過度のリラクゼーションを感じることなく、バランスの取れた状態を創り出すことです。セラピーを週に一度行い、毎日ヨガを実践することで、健康状態は徐々に改善されていきます。ただし、根底にある過敏さや危険感からくる緊張は完全に解消することが難しいかもしれません。それゆえ、日常生活の中で自己調整のスキルを習得し、自分自身のケアを学ぶことが重要となります。

まとめ

幼少期から無力感を伴うトラウマを抱え、その重みにより打ちのめされてきた人々は、絶えず絶望と苦痛の中に身を置いています。外界との接触が困難となり、人目を避け、まるでその場に存在しないかのように振る舞います。現実に対する関心が薄れ、暗闇の中で身を守り、体は感覚を失います。その結果、自己のアイデンティティが曖昧となり、その存在は半分だけが生き続け、一方で半分はすでにこの世界から脱落しているかのように感じられます。

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-04-04
論考 井上陽平

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