カール・ユング派の著名な心理学者、ドナルド・カルシェッドの重要な著作「trauma and the soul」は、トラウマと魂の深層に焦点を当てています。これを分かりやすくまとめると、トラウマからの回復を図る人々は、トラウマを扱うセラピストの手引きに従い、心の底に広がる苦しみの領域、つまり「地獄」へと降りていくことを求められます。その切なさと向き合い、天国と地獄の間をゆっくりと行き来することにより、彼らの心には健康な層が次第に積み上げられ、本質的な変化が可能となります。
この地獄への旅は容易ではないかもしれませんが、その過程で得られる経験は、個人の不快な感情や思考パターンを変える力を持っています。トラウマの深い痛みを理解し、その中に立ち向かう力を育てることは、複雑性PTSD、自己愛性パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害からの自由を得るための重要なステップとなります。これらの内面的な成長は、暴言や暴力といった問題行動を減らすことにも寄与します。
極度の痛みから至福へ:インフェルノ、プルガトリオ、パラダイスの三面相
インフェルノ、人間が極度の苦痛と厳しさを永遠に体験する地獄の世界は、全ての快楽や安らぎから切り離された存在です。その壮絶な風景は、苦しみが無限に続く漆黒の淵とも言えます。耐え難い痛みが常に吹き荒れ、恐怖と絶望が空気のように充満しています。
プルガトリオ、精神的な浄化と裁きの場所であり、痛みは時間とともに訪れる一方、希望の光が待ち構えています。ここは罪人が自身の罪を浄化するための中間地点であり、苦痛は必然的に増すものの、同時に浄化と解放への道筋も見え始めます。
一方、パラダイスは全ての痛みと苦悩から解放され、絶えず光に包まれている存在です。永遠の平和と喜びが存在し、痛みの概念自体が消失します。光明が全てを満たし、愛と知識が絶えず広がり、至福の瞬間が永遠に続きます。
しかしながら、地獄の階層は最下層ほど痛みと暴力が増し、その中心に位置する冥界の神ルシファーは、絶望的な冷気に包まれ、凍りついた姿で存在します。彼の存在は地獄の究極の痛苦と絶望を象徴し、彼の周りでは罪と罰が永遠に続く凍てついた地獄が広がります。
極限の絶望:地獄の深淵からの叫び
地獄、それは震え上がるような、背筋が凍るような場所であり、その存在自体が恐怖そのものです。悪魔に体を引き裂かれ、人間の血塗られた肉塊が無秩序に散らばっていることが日常の風景となっています。その光景は、人間の想像を超えた恐怖と絶望に満ち溢れており、それは身の毛もよだつような様相を呈しています。
悪魔や堕天使たちは、彼らの営みを眺め、喜びを感じます。彼らは人間同士が絡み合い、傷つけ合い、裏切り合い、憎しみ合う様子を糧に、さらなる地獄の深淵を作り出しています。彼らは人間がこの世に生を受けること自体を罰に値するとみなし、無尽蔵の罪を背負わせ、その罰が人間の運命であると断じます。
そして、悪魔たちは、人間が苦痛に悶える様をじっくりと、冷酷に楽しむのです。彼らは、罪人が拷問によって苦しむ姿を喜び、それが最後の瞬間まで続くことを望んでいます。罪人は、どんなに拷問で苦しんでも、死ぬことは決して許されず、自らの生命を絶つことすらも可能ではありません。
罪人たちは、「もう殺してくれ」と涙ながらに懇願するほどの地獄の苦しみを味わうことになります。そして、悲痛な声で「死にたい、死なせて、殺して」と叫び、泣き叫び、苦痛とともに永遠に生き続ける運命に繋がれています。
ダンテの冥界探訪:『神曲』に描かれる地獄の旅路
『神曲』に描かれたダンテの地獄旅行を詳細に描写していきます。ダンテは、彼が高く尊敬する詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄の門を通過し、地獄の深淵まで降り、罪人たちが経験する運命を描き出します。
まず出会うのが地獄の門で、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という忌まわしい言葉が刻まれています。この言葉は、入口を通過する者へ向けた不吉な予言のようで、それが地獄へと向かう道のりを象徴しています。
地獄の最初の圏は、辺獄(リンボ)と呼ばれます。ここでは洗礼を受けなかった者たちが、罪悪感こそないものの希望も失われ、永遠の時間を静かに過ごしています。
次に、愛欲者の地獄、第二圏に到着します。ここでは、愛欲に身を委ねた罪人たちは、絶え間ない猛烈な暴風にさらされています。
さらに進むと、第三圏、貪食者の地獄に至ります。ここでは、食欲に負けた罪人たちは、三つ首の地獄の番犬、ケルベロスによって容赦なく引き裂かれます。
第四圏は、貪欲者の地獄です。ここでは、罪人たちは背に重い金貨を担ぎ、永遠にそれを引きずり歩くという罰を受けています。
そして第五圏、憤怒者の地獄では、激怒に身を任せた罪人たちは、沸騰するスティージュの川に身を浸されています。
そして、悪魔の街へと辿り着きます。この場所は冥界の神ルシファーが君臨し、赤く燃え上がる永劫の炎に包まれた要塞のような場所です。この地のゲートは、堕天使たちによって護られています。これらの堕天使たちは、かつてルシファーに忠誠を誓っていた者たちで、彼らを倒さなければゲートを開くことはできません。最終的に、恐ろしい堕天使、メドゥーサをはじめとする悪魔たちを打ち倒し、ゲートが開かれるのです。
ダンテの地獄遍歴:四つの罪の圏への降下
ダンテの旅は、『神曲』の地獄篇に描かれるように、続いて第六圏、異端者の地獄へと至ります。ここでは、巨大な火葬炉のような墓地が広がり、炎がまるで命を持つように踊っています。なだらかな丘を進むと、血で煮えたぎった顔を持つ凶暴な罪人たちに出会います。彼らはかつて異端と呼ばれ、真理を歪めた者たちです。
次に、第七圏、暴力者の地獄へと踏み入れます。ここでは、罪人たちは終わりのない拷問に耐えなければなりません。火の雨が容赦なく降り注ぎ、凍りつくような雨が彼らを打ちます。その中を怪物がうろつき、彼らは暗闇の中で永遠の苦しみを味わうのです。
さらに深く進むと、第八圏、悪意者の地獄に到達します。罪人たちは悪魔に無慈悲に打ちのめされ、糞尿で満ちた池へと突き落とされます。怪物たちは罪人たちの頭や腕をひきちぎり、食べ尽くします。体が引き裂かれ、辺り一面は血と肉の塊で覆われます。肉体が引き裂かれた後も、魂は永遠に苦しみ続けるのです。
最後に、第九圏、裏切者の地獄「コキュートス」へと降りていきます。ここは巨大な洞窟の奥深くにあり、冷たく広大な池が広がっています。この池は喪に服す者たちの場所で、全ての重みが一点に集まります。失われた心の世界であり、全てが凍りついた永遠の極寒の闇の中です。罪人たちは全身氷漬けにされ、全ての感覚を失い、体が震えるほどの寒さを感じます。まるでガラスに閉じ込められた藁のように、永遠に苦痛を感じ続けるのです。
堕天使の終焉:冷たい氷の中のルシファー
地獄の底深く、ジュデッカの最奥に位置する場所に立ち向かう者は、地球の全重力が集約するポイントへと引き寄せられるでしょう。その中心部は、最も冷たく無情な地点であり、ここに神への反逆者、堕天使の末路、魔王ルシファーが氷によって永遠に閉じ込められています。
ルシファーは、かつては最も美しく、光輝に満ち溢れていた天使でした。その美麗さは天上でも屈指で、純粋な光と輝きを放っていました。しかし、彼が神に背いた罪により、その姿は今や醜悪なものとなりました。その顔は三つあり、各々が独自の恐怖を示しています。それはかつての美しさを裏切るような、残酷で怖ろしい存在へと変貌を遂げています。
彼の巨大な身体の半分は、コキュートスと呼ばれる氷の海に深く埋もれています。永遠に凍てつく極寒の中で、彼は天に対する反逆の代償を支払っています。この光景は地獄の中心で、神への最大の反逆者が下す刑の象徴であり、全ての罪人にとって最大の警告となっています。
ダンテの対峙:闇から光への問い掛け
ダンテの視界に、驚くほど巨大な影が突然浮かび上がりました。それは、周囲の暗闇をさらに深くし、一瞬で全てを覆い隠してしまうほどの大きさでした。その後、彼の驚きと恐怖は増すばかりで、その巨大な影が徐々に縮んでいく様子が見えました。それはまるで背後から近づいてくる者がいるかのような感覚でした。
その時、彼は寒さと恐怖によって体が極限まで冷えてきたことに気付きました。それは、彼がこれまで経験したことのない種類の寒さで、全身が氷に包まれたかのようでした。彼はその恐怖と寒さによって意識を失いそうになりましたが、なんとかそれを防ぐために、呼吸を止めずに深く、ゆっくりと呼吸を続けました。
そんな中、突如として明るい光が彼の前に現れました。それは光の息子とも言える存在で、その光がダンテを照らし、彼の恐怖を少しずつ和らげていきました。光の息子は、ダンテに向けて問いかけ、彼が持つ疑問や恐怖に対する答えを探そうとしました。これは、ダンテがこれまでの試練を乗り越え、新たな理解へと導かれる重要な瞬間でした。
ダンテの冥界からの脱却:天界への試練
ダンテが身を置いている地獄の中心は、彼が絶望と無力感に飲み込まれ、永遠の凍結あるいは消滅に瀕する場所でした。彼がそうならないためには、この大悪から逃れ、遥か遠くへ移る必要がありました。
彼の逃避の旅路は、魔王の硬く毛深い体を必死によじ登ることから始まりました。この冒険は、はじめは陰鬱とした場所を抜けることを必要としましたが、彼はその場所を力強く突破し、魔王から最も遠い地点へと逃れることに成功しました。
次の目的地は、地球の真ん中でした。そこに辿り着くと、地上へと続く道が広がり、岩肌がごつごつとした洞窟のような場所が見えてきました。ダンテはその洞窟を抜けると、眼前に広がる川を下りました。川沿いの道は海へと続き、彼の目前にはプルガトリオの島が広がっていました。
この島は希望の島とも呼ばれており、その中心には高い煉獄山がそびえ立っていました。ダンテはその山をひたすら上に上に登り続け、最終的には天上世界、パラダイスに到着しました。
パラダイスに到着したダンテは、星空を眺めながら自身の肉体が新たに生まれ変わる様子を静かに眺めました。これまでの苦難と試練を乗り越え、彼は新たな希望と共に新しい世界を歩み始めました。
ダンテの「神曲」を通じて見るトラウマ治療
ダンテの「神曲」に描かれた「地獄」、「煉獄」、「天国」は、単なる神話的な物語以上の意味を持つと言えます。これらの段階は、人々がトラウマと向き合い、乗り越え、そして再生するプロセスを象徴しており、現代の心理療法にも多くの示唆を提供しています。
- 地獄 (Inferno): トラウマ治療では、まず患者が自身のトラウマ、つまり「地獄」に直面しなければならないことがあります。この段階では、患者は深く辛く、苦しい感情に直面し、それらが引き起こす恐怖や絶望を体験します。治療者は、患者がこのプロセスを安全に経験できるように支援し、患者が自身の感情や体験を理解し受け入れる手助けをします。
- 煉獄 (Purgatorio): この段階では、患者は自身の罪や過ち、つまりトラウマを引き起こす要素に直面し、それらを浄化しようと努めます。これは心の浄化のプロセスであり、患者は自己の再評価と自己受容を通じて、トラウマと向き合い、それを克服する力を育てます。治療者は、患者が自己への理解を深め、自己変革のプロセスを進める手助けをします。
- 天国 (Paradiso): 最後に、患者は全ての痛みと苦悩から解放され、新たな人生へと移行します。患者は新たな自己認識と自己成長を経験し、再び明るい未来に向けて前進することができます。治療者はこの段階で、患者が新たな人生を肯定的に受け入れ、自分自身を愛し、自己効力感を再び取り戻す手助けをします。
ダンテの物語は、私たちの内面の旅を象徴しています。トラウマ治療は容易なものではありませんが、この旅を通じて人は真の自己の癒しと成長を追求することができます。治療者の存在は、この旅の各段階での指南役として、患者が自らの過去や現在、そして未来を理解し、受け入れ、再評価するためのサポートを提供します。
参考文献
Donald Kalsched.(2013):『Trauma and the Soul:A psycho-spiritual approach to human development and its interruption』
当相談室では、複雑性ptsdに関するカウンセリングや心理療法を希望される方に対し、ご予約いただけるようになっております。予約は以下のボタンからお進みいただけます。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-07-12
論考 井上陽平