深淵に落ちる旅:複雑なトラウマを経験した人の心の内側の世界

複雑性トラウマ

トラウマは一種の心の深い森であり、その中心には入口のない塔が存在します。この比喩は、誰もがラプンツェルのようにその塔の中に閉じ込められ、自身の内部世界と孤立してしまうことを示しています。トラウマの痕跡は深く、複雑な経験を通じて身体に深く刻まれます。それは、人々を壊すほどに弱らせ、一つ一つの決断がまるで不安定な石橋を慎重に渡るかのような人生を歩ませます。

精神的な干渉、つまり他人の期待や要求、批判などが厳しくなると、それは更なる痛みを引き起こし、彼らはそれを避けるようになります。外部の世界が持続的に脅威となると、彼らは高度な警戒性と強い恐怖心を持つようになります。その結果、彼らの性格は慎重さに偏り、引っ込み思案で大人しくなる傾向があります。

このような人々は、外部の世界に対する恐怖から、自身の行動を制限し始めます。彼らは自分自身を守るために、社会から離れ、行動を起こすことを避けるようになります。これにより彼らは自分の生命力、活力、エネルギーを失い始め、生きる力が奪われていくのです。それはまるで、心と体が凍りつくかのように、彼らの内面は深い寒さに閉ざされていきます。

心の避難所:複雑なトラウマと空想の世界

複雑なトラウマは、それが胎児期や乳児期に始まるか、あるいは生活の後期に生じるか、その初めての体験は人それぞれです。何らかの不幸な出来事を経験してしまった人は、その痛みや不快感を長期間にわたって抱え続けることがあります。

複雑なトラウマを生み出す最も一般的な状況は、親が恐怖の源泉となるケースです。これは、親に対する依存と愛着の深さが、子供にとっては逆に傷つける要素となってしまうからです。親の存在が恐怖を生む原因となると、子どもは二つの相反する感情に引き裂かれます。一つは、親とのつながりを求めて傷つく部分。もう一つは、自分を守るために防衛的になる部分です。

このような子どもたちは、親との関係がこじれるにつれて、さらに深い傷を避けるために、トラウマの内なる世界に逃げ込む傾向があります。現実世界は安全な場所ではなく、親に対する不安感が高まり、親の反応を過敏に気にする場所です。親に対する怒りや、親を心配させる可能性からくる罪悪感に対する恐怖は、彼らが何かを言ったり行動したりするたびに感じます。

このような恐怖から逃れるため、彼らは感情を抑え込み、自分を動かすことができなくなります。世界への信頼が失われ、彼らは一人でいることを好むようになり、自己表現のために絵を描いたり、本を読んだり、または空想の世界に逃げ込むようになります。

この一人の空想世界は、誰からも批判されず、心地よく、理想的な場所です。王子様が自分を理解し、自分を迎えに来てくれるという安心感を与える幸せな世界を想像することがあります。しかし、この空想の世界は現実からの一時的な逃避であり、それが現実の過酷さや悲惨さから取り残される現実を変えることはできません。

現実の出来事は常に動き続け、変化していますが、彼らの心の中では、時間だけが静止し、現実感が薄れていくことがあります。それは彼らが現実と空想の間で行き来する生活を送りつつも、現実の厳しさから逃れられず、時間だけが無情に過ぎていく様子を描いています。

危機からの生還:トラウマとセルフのダイナミックス

人は、生と死を分けるような危機的状況に直面した時、その重圧に耐えきれず、無力感に陥ることがあります。しかし、同時に人間の内側には不思議な力が眠っており、このような極限状況でそれが表面化します。それはまるで救世主のような存在で、人を励まし、危機を乗り越えるための道筋を示します。この存在は、まるで天から降りてきた守護天使のように、落ち着いた声で我々を助け、困難な状況に立ち向かう勇気を与えます。

心理学者のD・カルシェッドは、複雑なトラウマを経験した人々の内側に生まれるこのような力を「セルフ」と呼びました。彼によれば、複雑なトラウマを経験した人のセルフは、進化した部分と退行した部分の2つに引き裂かれます。これら2つの部分は、神話化されたイメージを通して、心の中に元型的な自己保護システムを作り上げます。このシステムは、人間の内側の防衛力が、極めて原始的な段階から働き出すことを示しています。

カルシェッドによれば、自己の進化した部分と退行した部分は通常、一組として存在します。退行した部分は、親とのつながりを探し求める子どもの部分で、理想の親や新しい家族との出会いを夢見ています。一方、進化した部分は、危機への対処をするための戦略を形成し、自分自身の生活を冷静に観察する部分です。進化した部分は、生き残るためにあまりにも早く成長し、外の世界に過度に適応することで、生存を守ろうとします。

そして、この進化した部分は、退行した部分、つまり子どもの部分の物語を作り出す役割を持ちます。それは、自分が安心して生きられる、本当の意味での「居場所」を見つけ出すという物語です。この物語作りは、生きるための道筋を示すと同時に、複雑なトラウマを経験した人々が、再び生き生きと生きることができるようにする役割を果たします。

凍りついた時間:トラウマの中で閉じ込められた子どもの心

複雑なトラウマを抱える人々の内なる世界は、しばしば凍りついた時間という概念に捕らわれます。この中には、絶えず愛と安全な居場所を求めて彷徨う子どもの姿が存在しています。この子どもの部分は、過去の痛みや経験によって時間が止まってしまい、成長が妨げられていることがあります。

時間が進むにつれて、自然にその傷は癒されるわけではありません。むしろ、親との複雑な関係に疲れ果ててしまったり、深く痛みを感じて消耗し尽くすこともあります。この子どもの部分は、あまりにも重い痛みに耐えきれずに消えてしまったり、激痛に耐えるために身を隠すために見えなくなることもあります。

この隠された子どもの部分は、まるで地下室で動きを止めてしまった死体のように見えたり、凶暴な怪物に襲われた犠牲者のように見えたりします。または、誰にも見つけられないような隠れ家で、一息ついて休んでいるかもしれません。

この閉じ込められた子どもの部分は、暗闇の中で冷たさを身にまとい、光一つ入らぬ空間で孤独に過ごしています。この空間は、負の感情で充満しており、一度閉ざされた扉は容易には開かないかもしれません。この子どもは、一人きりで過去の傷を繰り返し思い出し、孤独と恐怖に包まれ、身体も心も固まってしまうことがあります。

しかし、この状況にもかかわらず、彼らの心の中にはほんの僅かな希望が残っています。誰も頼れない状況の中でも、彼らは誰かに信じられ、誰かに助けてもらえることを密かに願っています。そして、その希望は、小さな泣き声となって、誰かが自分を見つけ出し、自分を救ってくれることを静かに待ち続けているのです。

内なる保護者:私たちの心を守り、癒し、成長させる力

私たち自身の成長した部分は、まるで親のように、自身の子どもの部分が世界に迷い込んでしまったとき、それを内側の世界へと引き戻し、暖かく抱きしめ、安心させるように努めます。これは、心の保護者ともいえる存在です。この保護者の部分が、トラウマによって引き起こされる内的な混乱と葛藤の物語を紡ぎ出す可能性を秘めています。

この保護者の部分は生存そのものを司り、普段は表に出ることは少なく、ひっそりと我々の背後で存在し、世界が秩序だったものであることを強く求めるがゆえに、時として過度な厳格さを持つように変わることもあります。この部分が支配的になると、我々は外部からの情報や刺激を遮断し、厳格なルールや秩序を持つことを求めるようになることもあります。

心理学者カルシェッドによると、この保護者の部分は、複雑なトラウマを抱え、そこから発生する破片状の、傷つきやすい部分を、再度の打撃から守ることを主目的としています。この保護者の存在は、内側で傷つきやすい子どもの部分を慰め、保護し、同時に、外部の非難や恥から隠蔽する存在となるのです。これは、まるでダイモン(ギリシャ神話における霊的存在)や守護天使のようなもので、我々の内的世界に存在し、傷ついた部分を守り、癒し、成長させる力を与えるのです。

日々の生活を送る私たちの背後には、この保護者の部分が存在し、その部分は攻撃的で暴力的な側面を持ちつつも、同時に私たちの生命力そのものを供給する源であります。保護者の部分は外傷体験から一歩引いて、事態を冷静に観察し、適切な解決策を見つけるために絶えず考え続けてきたのです。

保護者の部分は、自分の信念や価値観に基づいて行動することが多く、他人の意見や感情にはそれほど敏感ではありません。このため、日常生活を送る私たちに対して厳しい言葉を投げかけることもあります。しかし、本来、保護者の部分は私たちを守るために存在していて、過度に攻撃的な存在ではありません。保護者の部分が厳しい言葉を使うのは、私たちが再び傷つくことのないよう、警告するためなのです。

原始的防衛は、過去のトラウマや危機状況での反応を持続させ、現実的な危機について何も学ばないと、カルシェッドは指摘します。そのため、このような防衛は、意識的な魔術的レベルで機能し、再び外傷を受ける可能性がある新しい状況を脅威と見なし、攻撃的に反応することがあります。

保護者の部分は、新たな出会いや人間関係を築くことが、再トラウマの危険を引き起こす可能性があると感じることがあります。相手が好意を持って接してくれていても、「お前が思っているような人ではない」「周りはみんな低俗な奴ばかりだ」「期待したところで、結局は裏切られるだけだよ」といった否定的なメッセージを発信し、新たな人間関係から自分を遠ざけるように働くことがあります。

保護者の部分は、トラウマを抱えた人が安全に生きるために、希望や幸せな関係を持つことを恐れることがあります。何度も傷つき、痛みを味わった経験から、保護者の部分は自己を守るために、過度な警戒心を持ち、自分の感情や欲求を抑えることがあります。

しかし、保護者の部分は、日常生活を送る私たちを応援し、知識と洞察を与え、回復の助けとなるだけでなく、私たちの創造性を引き立てます。保護者の部分は、トラウマを抱えた人が新しい経験をするとき、傷つけられないように手を差し伸べ、適切な判断をする力を与えてサポートします。保護者の部分は、トラウマを抱えた人が回復するために必要な存在であり、安心感を提供し、自己を保護しつつ、成長し続けることを助けます。

保護者の部分があることで、トラウマを持つ人は自分を取り巻く、暖かな包容力を感じることができ、その感覚は純粋な心を保ち続ける手助けになるかもしれません。保護者の部分が私たちの内面の世界を広げてくれるおかげで、より高い理想を持つ生き方が可能になり、希望が湧いてくると元気になり、勇気を出して行動することができます。それでも、人間は微妙でデリケートな存在であり、小さなことでも傷つきやすく、壊れやすいです。これが、人間関係で本当に結びつくことが難しく、時には不毛な状況に陥る原因となることもあります。

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2022-12-20
論考 井上陽平

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