毒親育ちの子どもが抱える心の傷|親の機嫌の中で生き延びた人へ

毒親育ちの子ども 親子関係・毒親

玄関の鍵が回る音を聞いた途端、家の空気が変わる。足音がいつもより強い。食器を置く音が乱暴に聞こえる。親が何も言っていなくても、子どもはその日の機嫌を察し、これから何が起きるのかを考え始めます。

今日は話しかけても大丈夫だろうか。学校であったことを話しても怒られないだろうか。先に家事を済ませておけば、機嫌がよくなるかもしれない。

本来なら安心して過ごせるはずの家庭で、子どもが親の表情や声の調子を読み、自分の言葉や行動を絶えず調整していることがあります。

「毒親」という言葉は医学的な診断名ではなく、子どもの尊厳や安心感を損ない、親の不安や怒り、過度な期待を子どもへ背負わせる関わりを指して使われています。

親自身が孤独や未整理の怒り、夫婦関係の不和、経済的な不安、過去の傷つきを抱えている場合もあります。そうした問題が家庭のなかで適切に扱われないと、子どもへの暴言、無視、過干渉、過剰な期待などとなって現れることがあります。

しかし、子どもには親の怒りの理由が分かりません。なぜ急に不機嫌になったのか、どうして自分だけが責められるのか、何をすれば穏やかな親に戻るのか。

理解できないまま繰り返し傷つけられると、子どもは「自分が悪いから親が怒るのだ」と考えるようになることがあります。

本来、子どもは親を頼り、自分の気持ちや希望を育てながら、少しずつ外の世界へ出ていく存在です。ところが家庭のなかで親の感情を支える役割を担うと、自分の疲れや願いより、親が今どのような状態なのかを優先するようになります。

その生き方が長く続けば、自分の価値を確かめる基準まで、親の期待に応えられるかどうかへ結びついてしまうことがあります。

親に過去の傷や事情があったとしても、子どもが受けた苦しさは別に理解される必要があります。親の背景を知ることと、子どもの傷を認めることは、両立するものです。

毒親の二つの顔|外では良い親なのに、家庭では別の姿を見せる

子どもの成長や気持ちより、親自身の要求が優先される家庭では、親子の役割が逆転することがあります。

親の愚痴を聞く。夫婦喧嘩の仲裁をする。落ち込んだ親を励ます。家族の雰囲気が悪くならないように、明るく振る舞う。子どもが親の感情を支える役割を引き受けているのです。

親が「あなたのため」と言いながら、進路や友人関係、服装、恋愛、仕事にまで強く介入することもあります。表面上は心配や愛情に見えても、子どもの意思が尊重されず、親の考えに従うことばかり求められると、自分で決める力を育てにくくなります。

さらに複雑なのは、家庭の外では、その親が周囲から高く評価されている場合です。

近所では礼儀正しく、職場では頼りにされ、親戚の集まりでは子ども思いの親として振る舞う。学校の先生にも丁寧に接し、子どもの成績や将来を熱心に心配しているように見える。

ところが家庭へ戻ると、些細なことで怒鳴る。長く無視する。子どもの失敗を繰り返し持ち出す。親の気分によって、昨日は褒められたことが今日は叱責の理由になる。

子どもは、外の人が知っている親と、自分が家で見ている親との違いに混乱します。

親は周囲から立派な人だと思われている。それなのに、自分は家にいると苦しい。もしかすると、親がおかしいのではなく、自分の受け取り方が間違っているのかもしれない。

誰かに相談しようとしても、信じてもらえないことが怖くなります。

実際に「お母さんはそんな人に見えないよ」「あなたのことを大切にしているじゃない」と言われれば、自分が経験してきたことを話すのは、ますます難しくなるでしょう。

こうした家庭では、子どもは親の言動だけでなく、自分の感覚そのものを疑うようになる場合があります。

つらかったはずなのに、つらいと言えない。理不尽だと感じていても、親の方が正しいように思える。その結果、自分の経験を誰にも理解されないまま、長い時間を過ごしてしまうことがあります。

親の感情を支える子ども|親子の役割が逆転するとき

親が不安定な状態にあると、子どもが親を支える側へ回ることがあります。

母親が泣いていれば慰める。父親が怒っていれば刺激しないようにする。夫婦関係が悪化すると、どちらの話も聞き、何とか仲直りさせようとする。

自分も助けてほしい年齢なのに、家庭を守るために大人の役割を引き受けるのです。

心理学では、子どもが親の情緒的な支えや、発達段階に見合わない大きな家庭内の責任を担うことを「親役割化(parentification)」と呼びます。

臨床心理学者グレゴリー・ジュルコヴィックは、著書『Lost Childhoods』で、子どもが親や家族の世話を過度に引き受ける親役割化について論じました。特に、子どもの発達段階に見合わない責任が続き、本人の感情や必要な支援が後回しにされる状況に注目しています。

母親が落ち込むと学校での悩みを話せず、父親が怒り出すと、家族が衝突しないように先回りする。子どもは家族を支えることに慣れる一方で、自分が助けを求める立場になることを難しく感じるようになります。

親の不調が強いとき、子どもは自分の心配事を話すことさえためらいます。

今、自分が泣いたら母親がさらに落ち込んでしまう。自分まで困っていると伝えれば、家庭がもっと大変になる。そんな思いから、学校で嫌なことがあっても黙り、体調が悪くても我慢するようになる場合があります。

家族を助けることそのものが問題になるわけではありません。子どもが無理のない範囲で家事を手伝い、家族を思いやることもあります。

しかし、親の感情を安定させる責任まで子どもが負い、自分の安心や成長のための時間を失っているなら、その負担は大きすぎます。

子どもが親を支えることに慣れてしまうと、大人になってからも、困っている人を放っておけず、自分の生活を犠牲にしてしまうことがあります。

周囲から頼られるほど頑張り、誰かの役に立てないと不安になる。そのような生き方の背景に、家庭のなかで早くから大人にならざるを得なかった経験が残っている場合があります。

いい子症候群で断れない・怒れない理由|幼少期の親子関係が残す影響では、親の期待に応えることで居場所を守ってきた人が、大人になってからも自分の感情を後回しにしてしまう心理を扱っています。

毒親の背後にある心の傷|トラウマが次の世代へ及ぼす影響

子どもを強く責めたり、感情を受け止められなかったりする親のなかには、自分自身も厳しい家庭環境で育ってきた人がいます。

子どもの頃から怒鳴られ、失敗すると罰せられ、弱音を吐けば甘えていると言われてきた。親に相談しても聞いてもらえず、悲しみや怒りをどう扱えばよいのか分からないまま大人になった。

そうした経験が、現在の子育てや家族との関わり方へ影響する場合があります。

親自身が感情を適切に扱う方法を学ぶ機会を持てず、子どもの泣き声や反抗に触れると、強い苛立ちや恐怖が生じることも考えられます。

しかし、親の過去を理解することと、その親が子どもへ与えた苦痛を軽く扱うことは別です。

親自身が傷ついていたとしても、子どもが親の治療者になる必要はありません。

親の孤独を埋めることも、怒りを鎮めることも、夫婦関係を修復することも、本来は子どもが背負うべき仕事ではないのです。

世代をまたぐ傷つきの連鎖は、暴力だけで起こるものでもありません。

怒りを表す代わりに何日も口をきかなくなる。子どもの感情を笑う。親の不安を繰り返し子どもへ話し、安心させてもらおうとする。親の期待に応えたときだけ優しくする。

そうした関わりも、子どもの安心感や自己評価に影響することがあります。

ただし、つらい家庭で育った人が、必ず自分の子どもへ同じことをするわけではありません。家庭の外で得た支えや、後に経験した人間関係、親自身が自分の経験を振り返る機会などによって、関わり方が変わる可能性があります。

親から受け取った価値観や感情の扱い方を見つめ直し、自分の生活のなかで違う対応を選ぶことが、世代をまたぐ連鎖を変えるための重要な一歩になります。

サイクルブレーカーとは|親から受け継いだ痛みの連鎖を、自分の代で止める人では、家庭で受け継がれてきた怒りや自己否定を、自分の代で見直していく心理について詳しく扱っています。

母親の機嫌で家庭が変わる|子どもが家の平和を守ろうとするとき

母親の気分によって家庭の雰囲気が大きく変わる場合、子どもは日常の細かな音や動作から、その日の安全を確かめようとします。

玄関の扉が閉まる音。台所で食器を置く音。廊下を歩く足音。話しかけたときの返事の速さや声の高さ。

母親が何も言っていなくても、子どもには不機嫌さが伝わってくることがあります。

今日は近づかない方がよい。学校であった話はやめておこう。先に洗濯物を片づけておけば、少し機嫌がよくなるかもしれない。

そうやって、子どもは自分の言動を細かく調整していきます。

母親が落ち込んでいる日は、子どもが家事を手伝い、明るい話題を出し、悩みを聞くこともあるでしょう。

何とかして母親を元気にできれば、家庭は穏やかになると信じているからです。

しかし、親の感情には、子どもの努力だけでは変えられない部分があります。

どれほど気を遣っても、親が怒る日はある。何も問題を起こしていなくても、不機嫌をぶつけられることがある。

そのたびに子どもは、自分の配慮が足りなかったのではないかと考え、さらに周囲の様子を読むようになります。

こうした生活では、家庭にいても気が休まりません。

学校から帰る途中、すでに親の機嫌が気になっている。家の前まで来てもすぐに入れず、中から聞こえる音を確かめている。

夜になり、母親が寝静まってから、ようやく身体の力が抜けることもあります。

安心できたというよりも、一日中続けていた警戒が途切れ、疲労を強く感じる時間なのかもしれません。

こうした反応は母親との関係だけで起こるわけではありません。父親や養育者の機嫌が家庭を左右する場合にも、子どもは同じように周囲の変化を読み取ろうとすることがあります。

優しい親と怖い親が同じ人である|愛情と恐怖の間で揺れる子どもの心

毒親との関係が複雑なのは、親から傷つけられた記憶と、愛情を感じた記憶が同時に存在することです。

誕生日にはケーキを用意してくれた。病気のときには看病してくれた。休日に出かけた楽しい思い出もある。

ところが、別の日には激しく怒鳴られ、長く無視され、人格を否定するような言葉を向けられる。

そのような関係では、子どもは親を嫌いになりきれず、優しい親へ戻ってほしいという期待を抱き続けることがあります。

自分がもっと良い子になれば、穏やかな親と一緒にいられるかもしれない。親を怒らせないようにすれば、以前のように笑って話せるかもしれない。

その期待があるために、傷つく経験が繰り返されても、親との関係を諦められない場合があります。

2020年にKatzらが発表した質的研究では、親から身体的虐待や性的虐待を受けた子どもへの司法面接82件が分析されました。

研究では、子どもたちが、傷つけてきた親に対しても愛情を語っていることが示されています。被害を説明するとき、親との関係を理解しようとするとき、被害を打ち明けた後に何が起こるかを考えるときにも、親への愛情が関わっていました。

この研究が扱っているのは重大な虐待を経験した子どもたちであり、すべての複雑な親子関係へそのまま当てはめることはできません。

それでも、親から傷つけられた子どもが、その親を愛していることもあるという、重要な現実を伝えています。

親を大切に思う気持ちが残っているからといって、受けた傷が小さかったことにはなりません。

また、親に怒りを感じているからといって、過去に愛情を感じた時間まで嘘だったことにもなりません。

親を好きだった気持ち、怖かった気持ち、許せない気持ち、今も分かってほしいという願いが、一人の心の中で重なっていることがあります。

こうした複雑な感情を急いで整理しようとすると、かえって自分の経験を受け止めにくくなる場合があります。

大切なのは、親への愛情や怒りのどちらかを選ぶことよりも、自分が経験してきたことを、そのまま理解できるようになることです。

何が怒りの引き金になるか分からない|「地雷」を避け続けた生活

親の機嫌が予測できない家庭では、子どもは常に正しい行動を探そうとします。

ある日は成績について怒られる。別の日には部屋の片づけや食事の仕方が問題になる。友人と遊びに行けば遊びすぎだと言われ、家にいれば外へ出て活動しろと言われる。

昨日まで許されていたことが、今日は怒られる理由になる場合もあります。

こうした環境では、子どもが安心して従える安定した基準がありません。

それでも、子どもは何とか正解を見つけようとします。

先に家事を済ませておこう。今は話しかけない方がよい。親が機嫌のよいときに相談しよう。怒られたら、すぐに謝ろう。

しかし、一つの問題が収まっても、次の問題が起こります。

どれほど注意しても、親が何に怒るのかを完全に予測することはできません。

Dadiらが2023年に発表した質的研究では、子ども時代に心理的虐待を経験した18〜25歳の若者58人へのインタビューが分析されました。

そこで語られたのは、親の期待に応えられないこと、人格を批判されること、兄弟姉妹や他人と比較されること、感情や精神的な苦しさを否定されることなどでした。

参加者のなかには、親が何を求めているのか予測できず、その時々で基準が変わることに苦しんだ人もいました。

子どもは一生懸命に期待へ応えようとしているのに、何をしても十分ではないと言われる。その経験が続けば、自分の行動を信じられなくなるのも無理はありません。

大人になってからも、仕事で何かを決めるたびに、間違っていないかと不安になることがあります。

上司の声が少し変わると、叱られるのではないかと身構える。誰かの表情が曇っただけで、自分の発言を何度も振り返る。

そうした反応の背景に、子ども時代の予測できない家庭環境が関わっている場合があります。

毒親育ちの子どもが抱える無力感|逃げられない環境で自分を責める

親から繰り返し傷つけられる関係であれば、本来は距離を取ることが自分を守る方法になります。

しかし、子どもには、そのための手段が十分にありません。

住む場所も食事も学校へ通うためのお金も、親や養育者に頼る必要があります。家庭から離れたくても、どこへ行けばよいのか分からない。

助けを求めたところで、親の方が信用されるかもしれない。相談したことが親へ伝われば、さらにひどく責められるのではないかという恐怖もあります。

そのような状況では、子どもは家庭のなかで生き延びる方法を探すしかありません。

良い子でいれば、今日は怒られずに済むかもしれない。自分が黙っていれば、親は落ち着くかもしれない。

けれど、努力しても状況が変わらない日が続きます。

良い成績を取っても褒められない。家事を手伝っても別のことで怒られる。何も言わずにいても、不機嫌をぶつけられる。

こうした経験が重なると、自分が何をしても状況を変えられないように感じることがあります。

その無力感が、やがて自己否定へ変わる場合があります。

「自分が悪いから親が怒る」

「もっと良い子なら、愛してもらえたかもしれない」

「自分がいなければ、家族はもっと幸せだったのかもしれない」

親の不安定さや攻撃性の原因を、自分自身の存在へ結びつけてしまうのです。

子どもにとって、親は生活を支える大切な存在です。その親が自分を理不尽に傷つけるという現実を理解することは、簡単ではありません。

むしろ、自分が変われば親も変わると考える方が、わずかでも希望を持てる場合があります。

しかし、親の感情や行動の責任まで、子どもが負う必要はありません。

子どもがどれほど努力しても、親の問題をすべて解決することはできないのです。

毒親育ちが身につけたサバイバル戦略|親の機嫌を読むことが性格になる

不安定な家庭で育った子どもは、さまざまな方法で自分を守ろうとします。

親の表情を細かく読む。目立たないようにする。自分の希望を言わない。良い成績を取る。親の相談役になる。家族のなかで冗談を言い、雰囲気を和らげる。

こうした行動は、家庭内で安全を確保するための工夫として身につく場合があります。

子どもによって、その方法は異なります。

親の期待へ徹底的に応えようとする子もいれば、なるべく親の視界に入らないようにする子もいます。家族の問題を解決しようとする子もいれば、自室へ閉じこもることで身を守る子もいるでしょう。

また、家庭では緊張していても、学校では明るく振る舞い、誰にも苦しさを見せないこともあります。

そのような生活を続けていると、周囲の様子を読むことが、本人にとって当たり前になります。

大人になってからも、相手の機嫌を先に考える。頼まれたことを断ると罪悪感が出る。仕事で失敗すると、必要以上に自分を責める。

自分の疲れや希望を確かめる前に、誰かが何を求めているのかを考えてしまうことがあります。

本人には、それが自分の性格のように感じられるかもしれません。

しかし、その反応の一部は、子ども時代の家庭環境に合わせて身につけたものかもしれません。

そのように理解できると、現在も同じ対応が必要なのかを考える余地が生まれます。

親を怒らせないために沈黙していたとしても、今の人間関係では、自分の意見を伝えられる場合があります。

家庭内の問題をすべて引き受けてきたとしても、大人になった今は、誰かの責任まで抱え込まない選択ができるかもしれません。

機能不全家庭で育った人の生存戦略|神経が覚えた適応のかたちでは、幼少期の家庭環境に合わせて身につけた警戒や過剰適応が、大人になってからも残る仕組みを詳しく扱っています。

毒親の影響が大人になっても残る理由|自己肯定感と人間関係の苦しさ

家庭のなかで安心して過ごせなかった人は、大人になって親と離れて暮らすようになっても、人間関係で緊張を感じる場合があります。

恋人が少し黙り込むと、自分が何か悪いことをしたのではないかと不安になる。上司から呼ばれると、注意される内容が分かる前から身体が固まる。

友人からの返信が遅いだけで、嫌われてしまったのではないかと考えることもあります。

親の機嫌を読み続けてきた経験が、現在の対人関係でも働いている可能性があります。

また、長い間、自分の気持ちを抑えてきた人は、親しい関係になったときほど不安が強まる場合があります。

誰かに大切にされると嬉しい。それなのに、相手が自分の内側へ近づいてくるほど、いつか傷つけられるのではないかと怖くなる。

親密さを望みながら、近づかれると身構える。そのような葛藤を抱えることもあるでしょう。

自分の価値を他者の評価へ委ねてきた人は、誰かから褒められても、安心が長続きしないことがあります。

今日は認められていても、明日は失望されるかもしれない。相手が自分の欠点を知れば、離れていくかもしれない。

そのように考え、関係を維持するために無理を重ねてしまう場合があります。

身体にも、長く続いた緊張の影響が現れることがあります。

人と会ったあとに強く疲れる。家へ帰ると急に動けなくなる。眠ろうとしても周囲の音が気になり、なかなか休めない。

こうした状態にはさまざまな原因が考えられますが、幼少期から続く警戒や現在の対人ストレスが関わっている場合もあります。

慢性疲労と過緊張の関係|刺激のあとに回復できない神経系では、緊張が続いたあとに心身の疲労が強まる状態について詳しく説明しています。

自分の生きづらさを理解するときには、現在の性格や行動だけでなく、それがどのような環境で身についたのかを考えることも大切です。

毒親との関係から離れるとき、罪悪感が強くなることがある

親と離れて暮らすようになっても、連絡が来るたびに緊張することがあります。

電話に出なければ怒られるかもしれない。実家へ帰らなければ、親が寂しがるかもしれない。自分の希望を優先すれば、親不孝だと思われるのではないか。

そのような考えから、親の要求へ応じ続けてしまう場合があります。

子どもの頃、親の機嫌を保つことが自分の役割だった人は、大人になってからも、その責任感を手放しにくいことがあります。

親が落ち込んでいれば、励まさなければならない。親が困っていれば、自分が何とかしなければならない。

自分の生活が忙しく、疲れていても、親の問題を優先してしまいます。

しかし、大人になった今は、親との関わり方を調整することもできます。

連絡を返す時間を決める。会う頻度を減らす。自分の体調が悪いときには予定を変更する。親の相談をすべて引き受けず、必要に応じてほかの人や支援機関へつなぐ。

親との関係を続ける場合にも、自分の生活を守るための距離を考えることができます。

一方、暴力や脅迫などが続いている場合には、安全を確保することが優先されます。

親の期待へ応えない選択をしたとき、罪悪感が生じるかもしれません。しかし、罪悪感が出ることと、その判断が間違っていることは同じではありません。

長い間、親の要求に応えることで関係を保ってきた人にとって、これまでとは違う選択をすることには不安が伴います。

その不安を理解しながら、現在の自分にとって必要な距離を考えていくことが大切です。

親の呪縛から自由になるには|自分の人生を取り戻すまででは、親の期待から離れようとするときに生じる罪悪感や恐怖、自分の人生を選び直す過程について扱っています。

毒親育ちの心の傷を回復するには|親の機嫌から自分の感覚へ

毒親との関係で長く苦しんできた人にとって、回復は親をすぐに許すことや、過去をすべて忘れることによって進むとは限りません。

むしろ、自分が何を経験し、どのような感情を抱えてきたのかを理解することが重要になります。

親に怒鳴られたとき、本当は怖かった。無視されたとき、悲しかった。何度も期待へ応えようとしてきたのに、認めてもらえなかったことが悔しかった。

そのような感情を、少しずつ自分の経験として受け止めていきます。

親の事情を考えることに慣れている人は、自分が傷ついたことを理解するよりも、なぜ親がそのような態度を取ったのかを説明しようとする場合があります。

親も苦労していた。夫婦関係が悪かった。仕事で疲れていた。親自身も厳しく育てられた。

そうした背景があったとしても、そのとき子どもだった自分が何を感じていたのかは、別に考えることができます。

回復では、親について理解することと、自分の感情を理解することの両方が必要になる場合があります。

自分が何を怖がっていたのかを知る

親の機嫌を読んできた人は、現在も似た状況で身体が緊張する場合があります。

大きな声、突然の沈黙、ため息、乱暴な物音などに触れたとき、今の自分がどのように反応するのかを確かめることができます。

その反応が、現在の相手との関係から生じているのか、過去の経験と重なることで強まっているのかを、少しずつ理解していきます。

ただし、強いトラウマ反応がある場合には、記憶を一人で詳しく掘り起こそうとすると負担が大きくなることがあります。

現在の生活を維持しながら、必要に応じて専門的な支援を受け、扱える範囲から進めていくことが大切です。

自分の感情を、親の評価から分けて考える

親から「わがままだ」「考えすぎだ」「そんなことで傷つくな」と繰り返し言われてきた人は、自分の感情を信じることが難しくなっている場合があります。

何かを嫌だと感じたときにも、自分の方が間違っているのではないかと考えてしまう。

そのようなときには、自分が何を感じているのかと、その感情に対してどのような評価をしているのかを分けてみます。

嫌だと感じたこと。怖かったこと。疲れていること。

それらをまず自分の状態として受け取り、そのうえで現在の状況にどう対応するかを考えることができます。

安心できる人間関係を経験する

約束を守ってくれる人、気持ちを急かさない人、断っても不機嫌にならない人、自分の話を最後まで聞いてくれる人。

そうした関係を経験することも、回復を支える大切な要素です。

子どもの頃には、親へ反対意見を伝えるだけで怒られたかもしれません。

しかし、現在の人間関係では、意見が違っても話し合える場合があります。

自分の希望を伝えても関係が続く。疲れていると話しても責められない。相手の機嫌を直す役割を引き受けなくても、一緒に過ごせる。

そのような経験を重ねることで、人と関わるときの感じ方が、少しずつ変わっていく場合があります。

小さな選択を自分の側へ戻す

親の期待へ応えることが習慣になっている人は、自分のために何かを決めることへ不安を感じる場合があります。

そのときには、日常の小さな選択から始める方法があります。

今日は何を食べたいのか。休日をどう過ごしたいのか。誰と会いたいのか。今は休みたいのか。

そうした感覚を確かめ、自分で選んでみる。

何かを断ったあとに罪悪感が出ることもあるでしょう。自分の希望を伝えたあとに、相手の反応が気になる場合もあるかもしれません。

それでも、自分の意思で選び、その結果を確かめる経験を重ねることができます。

親の機嫌を最優先にしてきた生活から、自分の気持ちや身体の状態も大切にできる生活へ、少しずつ変えていくことが重要です。

なお、現在も家庭内で暴力や脅迫、強い心理的な虐待が続いている場合には、本人の努力だけで状況を変えようとせず、安全を確保することが優先されます。未成年の場合には、学校の先生やスクールカウンセラー、児童相談所など、家庭の外にいる信頼できる大人や支援機関へ相談することも必要です。

おわりに|親の機嫌を中心にしてきた人生から、自分の人生へ

毒親との関係のなかで育った人は、幼い頃から親の感情を読み、家庭の空気を乱さないようにしてきたのかもしれません。

玄関の音に身構え、親の声の調子を確かめ、何を言えば怒られるのかを考える。

自分の気持ちを伝えるよりも、親が何を望んでいるのかを先に考える。そのような生活が当たり前になっていた人もいるでしょう。

親が優しい日には安心し、怒り出すと自分が悪かったのではないかと考える。何度傷ついても、次こそ穏やかな親と過ごせるかもしれないと期待する。

そのような複雑な関係のなかで、子どもは自分を守るためにさまざまな方法を身につけてきました。

親の機嫌を読むこと、良い子でいること、目立たないこと、家族の問題を引き受けること。

それらは、当時の家庭を生き延びるために必要だった反応かもしれません。

しかし、大人になった今も、すべての人間関係で同じ対応を続ける必要があるとは限りません。

誰かが不機嫌になったとき、その人の感情を自分の責任として引き受けるのか。それとも、相手の状態を理解しながら、自分の生活を守ることができるのか。

誰かから頼まれたとき、自分の疲れを無視して引き受けるのか。それとも、今の自分に余裕があるのかを確かめてから決めるのか。

そうした小さな場面で、これまでとは違う選択ができる場合があります。

親が自分の問題を認めてくれないこともあるでしょう。子ども時代の苦しさについて、謝罪してもらえない場合もあります。

それでも、自分が経験してきたことを理解し、今後どのような関係や生活を望むのかを考えることはできます。

親に愛されたかった気持ちが残っていても、親から傷つけられた経験を認めることができます。親の事情を理解していても、自分の限界を守ることができます。

そして、自分が子どもの頃に必要としていた安心や尊重を、現在の生活のなかで少しずつ育てていくこともできるでしょう。

毒親育ちからの回復とは、親の機嫌や期待だけを基準に生きてきた人が、自分の感情、身体、願いを大切にしながら、自分の人生を選べるようになることです。

長いあいだ、家族の空気を整えるために使ってきた力を、これからは自分の生活を守ることにも使えるようになる。

誰かを安心させるためだけに振る舞うのではなく、自分も安心して過ごせる時間を持つ。

そのような経験を重ねることが、親の機嫌のなかで生き延びてきた人が、少しずつ自分の人生を取り戻していくための土台になるのです。


参考文献

  1. Dadi, D., Bonilla, Z., Beckstrand, M. J., et al. (2023). Emerging adult college students’ descriptions of exposure to childhood emotional abuse and associated factors: A qualitative exploration. Child Abuse & Neglect, 146, 106516.
  2. Jurkovic, G. J. (1997). Lost Childhoods: The Plight of the Parentified Child. Routledge. https://www.routledge.com/Lost-Childhoods-The-Plight-Of-The-Parentified-Child/Jurkovic/p/book/9781315825762
  3. Katz, C., Tener, D., Nadan, Y., & Roer-Strier, D. (2020). “What’s love got to do with this?” The construction of love in forensic interviews following child abuse. Children and Youth Services Review, 116, 105223.

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井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)。
トラウマ・解離・PTSD・愛着障害を専門とする心理カウンセラー。
児童養護施設、情緒障害児施設、精神科クリニックでの臨床経験を積み、
心身反応(フリーズ・過覚醒・離人感)への介入や、
複雑性トラウマ、対人関係、境界線の問題に重点的に取り組む。

研究テーマは「複雑性トラウマの身体反応」「解離と自己構造」「愛着スタイル」「虐待と対人関係のパターン」。現在は「こころのえ相談室」にてトラウマ専門のカウンセリングを提供。書籍の企画・執筆に関するご依頼も承っております。

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