19世紀後半、ジャン・マルタン・シャルコーの催眠療法を通じて、ヒステリーが心因性の病であることが明らかになりました。シャルコーの影響力は大きく、弟子として彼のもとで学んだジークムント・フロイトは、この理論に強い影響を受けました。当時のヨーロッパでは、ヒステリーが身体的な症状や感情の過剰な表出を伴う神経症として広く認識されており、フロイトはその根本原因を精神的なトラウマに求め始めます。
フロイトは同僚であり協力者であったヨーゼフ・ブロイアーと共に、精神的トラウマがヒステリーの原因であるとする理論を深めました。1895年、彼らは『ヒステリー研究』を発表し、これが現代の心的外傷や解離性障害の理論的基盤となりました。彼らの研究は5つの症例に基づいており、特にアンナ・Oの治療が重要な位置を占めます。ブロイアーはアンナに催眠カタルシス療法を施し、催眠状態でトラウマを再体験させることで感情的な解放を促しました。この療法は一時的に彼女の症状を軽減しましたが、ブロイアーに対する強い感情移入が生じたため、治療は中断されました。
一方、フロイトは別の患者であるエミー・フォン・N夫人の治療で、催眠に加え、自由連想法を導入しました。この方法は、患者が無意識に抑え込んだ思考や感情を自由に語ることを促し、トラウマにアクセスする手段として発展しました。さらに、エリーザベト・フォン・Rの治療では、フロイトがヒステリーに対して分析的なアプローチを提供し、精神分析の基礎を固めていきました。
フロイトとブロイアーは、患者の記憶と感情に直接働きかけ、隠されたトラウマを明らかにする方法を開発しました。これにより、トラウマがどのようにヒステリーの症状を引き起こすのかを理解しようとしました。この研究の成果が、後に精神分析学という新たな心理学の領域を生み出し、現在でも人々の内面の心理状態と行動、思考の相互関係を探求する重要な学問として評価されています。
シャルコーのヒステリー研究とその4段階モデル
ジャン・マルタン・シャルコーは、特に「大ヒステリー」と呼ばれる発作について、その発症から経過までを詳細に観察し、発作の時間経過を4つの段階に分けて表にまとめました。この研究は、当時の神経学および心理学の発展に大きな影響を与え、後の精神医学に多大な影響を及ぼしました。ピエール・ジャネやジークムント・フロイトといった後の著名な精神科医たちもシャルコーの指導のもとで学んだことが知られています。
シャルコーが示したヒステリー発作の4段階は以下の通りです。
- 前兆期
発作の始まりを告げる兆候が現れる段階です。特に「卵巣痛」と呼ばれる痛みが、ヒステリー発作の到来を予示するとされ、患者はこの持続的な不快感に苦しみます。 - 発作期
この段階では、突然の叫び声、顔面の蒼白、意識の喪失、そして筋肉の硬直が発作の特徴となります。これらの症状は、てんかんに似た発作として記述され、患者は卒倒し、体が硬直する様子が観察されます。 - おどけ症期
シャルコーが「間代性」または「おどけ症」と名付けたこの段階では、患者は感情的に不安定で、大げさな身振りや意図的な体の捻転、さらには恐怖や憎しみなどの強い感情を芝居がかった仕草で表現します。この時期の行動は極端であり、シャルコーは「すべてがヒステリー性だ」と述べています。 - 消退期
発作が次第に収まっていく段階です。ここでは、すすり泣き、涙、時には大笑いといった情緒的な表現が特徴的で、患者は次第に通常の状態に戻っていきます。
シャルコーの研究では、これらの発作に加え、ヒステリー患者が「カタレプシー」や「夢中遊行(夢遊病のような状態)」といった症状を示すことも指摘されました。カタレプシーは、患者がまるで蝋人形のように特定の姿勢を長時間保つ現象であり、夢中遊行は無意識に動き回る行動です。
これらの研究は、ヒステリーという現象が単なる身体的な病ではなく、心因性の要因が大きく関与していることを示し、神経学から精神医学へと理解が進むきっかけとなりました。シャルコーのヒステリー研究は、後の精神分析や解離性障害の理論に大きな影響を与え、現代の心理学・精神医学の発展に繋がった重要な研究とされています。
シャルコーのヒステリー発作と現代的解釈:トラウマと解離の影響
このモデルを現代的な解釈に基づき、より具体的に説明すると、次のような段階が見られます。
- 前兆期
この段階では、患者は強いストレスや突然の痛み、恐怖、脅威を感じています。身体は緊張し、お腹が痛くなったり、不安感が高まることで発作の前兆が現れます。心身は戦闘態勢に入り、過剰な緊張状態に置かれます。 - 発作期
心臓が激しく鼓動し、胸が締め付けられるような痛みとともに呼吸が浅く早くなり、過度の覚醒状態が続きます。このとき、自律神経の一部である背側迷走神経が急激に働き、全身がこわばって凍りついた状態になります。呼吸は困難になり、顔色は青ざめ、意識が朦朧となり、最悪の場合には意識喪失に至ることもあります。この状態は、パニック発作やフリーズ反応に似た症状を引き起こします。血圧が低下し、心臓の働きが弱まり、まるで死の淵にいるかのような感覚に襲われます。 - おどけ症期
発作が進行すると、個人の人格が変わり「第二の人格」が表れることがあります。この段階では、身体と心が一体となって発作に対処しようとします。穏やかな場合には、対象の注意を引くために滑稽な行動を取ったり、いたずらをすることもあります。特に、許しを求めたり感情が不安定になりやすい傾向があります。
しかし、生命の危機に直面した場合には、身体が完全に凍りつき、強烈な緊張状態の中で攻撃性や自傷行為、自暴自棄な行動が見られることもあります。過去のトラウマが引き起こされ、心身が混乱し、身体が無意識に動き出すことがあります。トラウマが身体に深く影響を与え、身体の捩じれや異常な動きが見られることもあります。 - 消退期
発作が収まり、不快な状況から解放されると、この段階が訪れます。身体に溜まったエネルギーが解放され、泣いたり笑ったりといった情緒的な反応が見られます。ここでは、身体がリラックスし、現実世界へと徐々に戻っていく過程が進行します。無力感や悔しさが一時的に表れることもありますが、次第に心身は平静を取り戻します。
現代的な視点での理解:
シャルコーが観察したヒステリーの発作やカタレプシーは、現代の視点では解離性障害やトラウマ反応に類似しています。これらの発作は、トラウマを抱えた人々や無力感に苦しむ人々によく見られ、パニック発作や解離性フラッシュバックなどの症状が関連しています。患者は、過去の外傷体験がフラッシュバックとして再体験されることで、精神的および身体的な反応が過剰になり、自分の人格が変わるかのような感覚を味わいます。
この発作の理解を通じて、心と体が密接に結びついていること、そして過去のトラウマが現在の行動や感情にどれほど強い影響を与えるかが明らかになります。
フェレンツィの理論:第二の人格と身体的解放の重要性
精神分析家シャーンドル・フェレンツィは、恐怖が心の中の感情や思考を引き裂く力を持ち、その分裂した部分が心の中で隔離され続けることを指摘しました。この隔絶された心の一部と突然再び接触すると、激しい感情的反応が引き起こされます。その表れ方はさまざまで、痙攣や身体の過敏な反応、激しい怒りの爆発、さらには抑えきれない笑いとして表現されることが多いのです。
これらの感情的な動きは、心の中で長期間抑圧されていたエネルギーが一気に噴出する形で現れます。フェレンツィは、この過程がエネルギーを大量に消耗するため、最終的には比較的落ち着いた状態に戻り、悪夢から覚めたかのような安堵感を得ると述べています。
この理論に基づくと、第二の人格が現れることで、感情の劇的な表現や大げさな身体の動きが見られることがあります。恐怖、不安、憎しみなどの感情が、演劇的な派手な身振りや手振りによって強烈に表現されるのです。これらの反応は、個人が本来の自分を取り戻すために必要なプロセスの一部であり、抑圧された感情を解放するための方法とも言えます。
トラウマの回復過程では、このような身体的な表現を受け入れ、本来の自分を再発見することが求められます。第二の人格のように、心の中で押し込められた感情を解放するためには、身体をダイナミックに動かし、エネルギーを解放することが有効です。こうすることで、脳と体は生存の危機から抜け出し、より安全で安心した状態へと切り替えることができるのです。
この身体的解放は、単なる感情の発散ではなく、深い心理的変容をもたらすプロセスです。トラウマによって凍りついた心身を解放し、再び自由に動くための手段として、フェレンツィの理論はトラウマケアにおいて重要な視点を提供しています。
ヒステリー発作の悪循環:トラウマが引き起こす孤立と過敏反応
ヒステリー発作を引き起こす人々は、心の奥に抱えた深いトラウマを身体内に封じ込めています。彼らは強い恐怖や恥、苛立ちを感じると、癇癪を起こしたり、意識が空白になったり、身体が硬直するなど、さまざまな心身の反応が引き起こされます。これらの症状には、感覚麻痺、視野狭窄、痙攣、運動麻痺、凍りつき、倒れ込み、健忘、朦朧などの典型的な解離症状が見られます。
発作が起こる瞬間、彼らは恐怖に満ちた表情を見せ、過度な警戒心から周囲の人々を脅威として感じます。この過敏な状態では、体が凍りつき、胸にざわめきが生じ、恥や怒り、不快感が一気にこみ上げ、その場から逃げ出したくなる衝動に駆られます。叫び声を上げたり、気が狂いそうな感覚に襲われ、理性では抑えられない強い感情が爆発します。
特に、発作中は呼吸が乱れ、体が動かなくなり、痛みによる凍りつきが起こり、コントロールが完全に失われます。この瞬間、理性ではなく、情動的な人格が表に出て、怒り、恐怖、怯え、興奮、さらには性欲など、生々しい感情が剥き出しの行動として現れます。周囲から見ると、その人の行動は奇異で理解しがたいものであり、関わることを避けたいと思わせる要因となります。
このため、ヒステリー発作を経験する人は、自分が他者からどう見られているかを過度に気にし始め、常に世間体を意識し、周囲の視線に怯えるようになります。人前では表面的に良い態度を取り繕おうと努めますが、内心では神経が過敏で、常に警戒心を持ち、周囲の反応に過剰に敏感になります。こうした過度な警戒心が、集団の中での孤立感や不安を助長し、ますます自分が噂されていないか、恥をかいていないかを気にする悪循環に陥るのです。
結果として、過度のストレスや緊張感が高まり、不安が募ると再び発作が引き起こされ、その人の不安感や恐怖心は強化されます。この悪循環は、周囲とのズレを生み、思うように物事が進まないという不満や不快感がさらに積み重なり、発作の頻度や強度が増していくという厳しい現実に繋がります。
ヒステリーとトラウマ:身体に刻まれる過去の記憶とその治療法
シャルコーやフロイト、フェレンツィが示したように、ヒステリーやトラウマは単なる精神的な問題ではなく、心と体が密接に絡み合った複雑な現象です。特に、身体的な反応と感情の関係性が重要視され、現代においてもこれらの理論はトラウマ治療において大きな影響を与え続けています。ヒステリー発作や解離性障害、パニック発作など、トラウマが引き起こす様々な症状は、心だけではなく身体全体を巻き込んで現れることが多いです。
このような心身の反応が、過去に経験したトラウマの再体験によって引き起こされることが多いことは、トラウマ治療における重要な理解となります。トラウマを抱えた人々は、過去の記憶が断片的に再現されることによって、感情や身体の反応が過剰に活発化します。これにより、現実の脅威がない状況でも、心と体が極度の警戒状態に入り、発作が引き起こされるのです。
現代のトラウマ治療では、心と体のつながりを意識したアプローチが重視されます。例えば、トラウマが身体にどのように刻み込まれているかを理解し、それを解放するための身体的なエクササイズやリラクゼーション法、マインドフルネスなどが効果的な治療法として取り入れられています。これらの手法は、過去のトラウマによって硬直し、凍りついてしまった身体を徐々に解きほぐし、感情の流れを再び自然なものへと戻すことを目指します。
また、トラウマを抱える人々にとって重要なのは、周囲のサポートと理解です。ヒステリーやトラウマによる発作は、外部からは異常に見えたり、理解しづらかったりすることがありますが、その根底には過去の深い傷が存在しています。そのため、周囲の人々が発作や症状を理解し、共感的なサポートを提供することが、患者にとっての回復への大きな助けとなります。
シャルコーのヒステリー発作モデルが示したように、発作には段階があり、トラウマがどのように心と体に作用しているかを知ることで、治療やサポートの仕方も変わってきます。トラウマケアにおいて、心身の両方に働きかけるアプローチを採用することで、トラウマからの回復が可能になります。
最後に、トラウマの回復は個々人のペースに合わせて進められるべきであり、時間をかけて少しずつ進んでいくプロセスです。心と体のつながりを意識し、自分自身に優しく接しながら、無理のない範囲で自己を解放していくことが重要です。シャルコーやフロイト、フェレンツィが提唱した理論は、トラウマを理解する上での基本的な視点を提供し、現在でも私たちがトラウマに向き合うための道筋を示しています。
トラウマ治療は、心と体が再び調和を取り戻し、患者が過去の苦しみから解放され、再び健全な日常生活を送れるようになることを目指しています。そのため、治療には忍耐と共感が求められ、患者が安心して自己を開放できる環境を提供することが大切です。このようなアプローチにより、患者は過去の傷から回復し、新たな未来へと歩みを進めることができるのです。
参考文献
Etienne Trillat:(安田一郎 訳、横倉れい 訳)「ヒステリーの歴史』青土社 1998年
シャーンドル・フェレンツィ:『臨床日記』(訳 森茂起)みすず書房
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-07-26
論考 井上陽平
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