統合失調症の宗教妄想・幻覚・幻聴|集合的無意識の世界

精神疾患

生死の瀬戸際をさまようような壮絶な体験は、私たちが想像を超える衝撃を人々の精神に持ち込みます。このような経験は、日常のリアルから遥か遠く、深く神秘的な精神の領域へと私たちを導きます。この深い場所は、個人の無意識から、人間共通の集合的無意識へと続いていると言われています。この未知の領域では、人間が普段持っている知覚や理解を超えた存在や知識との接触が可能になることもあります。それはまるで宇宙との一体感、あるいは神秘的なエネルギーとの交流のように感じられることがあります。

多くの人々は、このような内的な旅によって、外部の現実からの一時的な避難所を見つけることができます。現実の苦しみや混乱から一時的に遠ざかることで、内的な世界での安らぎや自由を感じ、隠れていた夢や欲望、願望が明らかになることもあります。しかしこの深い精神の世界には、同時に罠も潜んでいます。その魅惑的な深みに取り込まれ、現実の生活や人々との関係から遠ざかってしまうことがあるのです。そして、その深い無意識の中で、人は自己のアイデンティティを見失い、孤立し、迷子となってしまうことも考えられます。このような体験は、私たちが自分自身や宇宙という存在を理解するための重要な手がかりを提供してくれる反面、それに取り込まれ過ぎると危険が伴うことも理解しなければなりません。

集合的無意識層の深淵に出会うと

私たちが現実と認識している世界は、肉体を通して知覚される表層的な世界です。この表面に存在する私たちは、日常生活を正常であるかのように送り、様々な行動を表向きに行っています。しかし、その一方で、私たちの体内には別の世界、大宇宙とも言える深層の世界が広がっています。

複雑に傷つきすぎて、表層の意識と深層の無意識の境界が無くなった人は、日常生活を送る中で、幻聴が私に語りかけ、時には無意識が反乱を起こします。この時、宇宙の暗闇が広がり、狂気の予感が浮かび上がり、私たちの本体は潜在的な脅威を察知します。それに反応して心の傷が恐怖を感じ、全身が警報を鳴らし、過剰な警戒状態に移行します。自己を保護するため、目に見えない狂気の檻が形成され、外界との接触を遮断します。

現実世界の人々との接触が困難で、自分が存在する場所を見つけることができない彼らは、外界との接触が消えて、集合的無意識の層へと下降していきます。それはまるで、自我を自己の内側へと引き寄せるような力に引き摺り込まれていくような状態です。

深層の世界に出会うことになった人は、この広大で無限に広がる宇宙の中にいます。暗い、どれほど探索しても全てを把握することができないほどに広大で深い宇宙の中で、私は見ています。この空間は、数え切れないほどの人間の罪で満ちています。無数の怨念の声が波立つ闇の中で、その嘆きの声が血潮のように波打ち、層をなしています。そこで私は立ち尽くし、動くことはありません。どこへ進むことも、どこへ動くこともできません。

これら全ては、私たちが接触する集合的無意識の深淵、特にその暗黒の層の中に存在します。その中では、怖い声、脅しの声、傷ついた人々の声を聞きます。これらの声は私たちの意識を揺さぶり、混乱を引き起こします。しかし、その中には人生を大切にする、希望を与える声も確かに存在します。それは傷つける声や苦しめる声の間から響く、人間の尊厳を示す音色であるかもしれません。

不安を抱えながら生きる人の自我と宇宙の結びつき

人々が日常生活を送る上で、我々の行動や感情を支える最も基本的なものとして、安定感や自我といったものがあります。しかし、統合失調症や解離性同一性障害といった精神疾患を抱える人々は、一般的に自我が脆弱とされ、心の強さや安定性がしっかりと定着していません。彼らは、自我形成の初期段階に、激しい外傷体験を曝されている可能性があり、その結果、根幹となる要素が揺らぎやすいという現実に直面しています。

自我が脆弱な人は、体が丈夫に育ってなくて、自分自身の気持ちや要求よりも、他人や環境の影響を受けやすい傾向があることを意味します。これは、神経系の敏感さや自己識認識の問題によるもので、他人の潜在意識の中や特定の事物、事象に自分を見つける傾向があります。

これらの傾向は、恐怖心が大いに関与しており、自分自身を保護するための防衛機制とも言えます。特に、他人の行動や意図を予測できない状況では、このような現象が起きやすいです。何が起こるか分からないという不確定性は恐怖を引き起こし、その結果、自分を守るために他人を理解し、友好的な関係を築こうとする動きが強まります。

彼らは、常に自我や現実とのつながりが希薄になるという不安を抱えて生きています。それは、日々の生活の中で絶えず自己を確認し、現実感を掴もうとする行為に現れます。このような状態は、周囲の人々にはなかなか理解されにくいかもしれません。それはあたかも、常に地面が足下から崩れ落ちるかのような不安感を抱えながら生活を送るようなものでしょう。

彼らはその不安を軽減し、何らかの安定感を得るために、広大な宇宙や偉大な統一体といったものに自己を組み込もうとします。それは、自分が一部となる大きな存在の中で、自己を見失うことなく安心感を得られるという信念からなのかもしれません。大いなる全体の一部となることで、彼ら自身の存在が確かなものであると感じ、不安感を和らげることができるのです。

悪い妄想が止まらない病気

統合失調症や解離性同一性障害を持つ人々は、自身の精神に邪魔をする、止まることのない悪い妄想に苛まれることがあります。この不快な妄想は、しばしば彼らが過去に経験した苦痛を思い出させます。彼らは現実世界で数々の困難に直面し、他人から理不尽な扱いを受けたり、罵声に晒されたり、時には怖さと痛みに続々と襲われながら、自由を奪われた状態で生活を強いられることがありました。

彼らが経験した痛みから逃れようとすると、彼ら自身の精神、または魂は肉体から遠ざかります。これは一時的な解放のように思えるかもしれませんが、結果的には自我と身体の連絡を切ってしまいます。つまり、精神と肉体が本来一体となるべきところ、二つが結びつかなくなるのです。

この状況は、深いトラウマを背負った彼らの自己統合、すなわち自己の思考、感情、記憶、行動が一貫した状態を作り出すことを難しくしています。彼らはしばしば自己の身体の一部が独立して動いているように感じたり、痛みを避けるために自己が身体から離れるという体外離脱を経験します。

彼らの自我は、身体と精神が一体化、統合されていない状態にあります。これはしばしば憑依状態を引き起こし、彼らは外部の影響に非常に敏感になります。すなわち、他者の意見や周囲の環境変化に過敏に反応し、その結果彼ら自身の感情や行動が不安定になり、被害妄想を強めます。

集合的無意識の暗黒の層

このように発達早期にトラウマを負っている人は、その魂は身体から離れ、ユングが説いた集合的無意識の領域で生きることとなります。この集合的無意識の世界では、自己の分身が無限に存在し、宇宙全体と連なり、善なる神と闇の神の元で漂うのです。

集合的無意識の闇深い領域は、人々の痛みと苦悩がエネルギーとして結実した空間となっています。この領域は殺人、放火、誘拐監禁、人身売買、性的暴行、裏切りといった、人間性の最も残忍で悪辣な面が具現化された世界とも言えます。そして、この世界には、人々の痛みの叫びを享受する存在が存在しています。

闇深い領域にいる暗黒の神は、自己を傷つける存在となり、個人に対して強烈な自己批判をしてきます。このような存在ゆえに社会との交わりや親しい人々との関係性が難しくなると、否定的な勢力は一層強大になり、幻覚や妄想が増幅し、自身を脅威に感じる声が現れます。それらは彼らの意識をもてあそび、心に新たな妄想を植え付け、その不安を拡大し、彼らをより深い絶望へと引き寄せます。

集合的無意識の善良の層

傷つける声、苦しめる声が飛び交う一方で、そこには人生を大切にする声も存在します。善の神々の領域には、自身の人生を幸せに導くことが何よりも大切だと教えてくれます。彼らは語りかけます。「あなたが心から求めることを追求すべきだ」と。そして彼らはさらに付け加えます。「あなた自身であること、それ自体がすでに価値ある存在である」と。これらの声は自己肯定と自己実現のメッセージを発し、彼らに自己を受け入れ、自己の可能性を信じる勇気を与えるのです。

深いトラウマの傷を背負い、苦しみ続けた人々の中に、一縷の光として、神話の世界へと導く妖精が存在します。その妖精は魂の名付け親とも言える存在で、善意を象徴しています。その姿は肉眼では捉えられませんが、慈悲深いその声は聴くことができます。その声には、生きることの辛さを乗り越え、前向きに生きていけるようにと、励ましの言葉がこめられています。

しかし、現実の世界は、時に過酷で厳しいです。神話の世界からのガイドとも言える名付け親の妖精の言葉が、時に心に響かないことがあります。妖精の言葉は善意と希望に満ちていますが、現実の冷たさや厳しさに直面すると、その励ましの言葉が遠い幻、あるいは嘘のように感じられてしまうこともあります。

長い間苦しんできた人々は、しばしば自分自身に対する自信を喪失します。自己疑念は深く、痛みを経験した者にとって、これ以上の傷つきは耐えがたいものとなります。その結果、彼らはより明確な確信を求め、理解を避けることで、新たな痛みから自分自身を守ろうとするのです。自分自身を守るために、「わからないふり」を選択して、真実から目を背けることで、一時的な安らぎを得る方法です。

悪い妄想が絶え間ない人の特徴

悪い妄想が絶え間なく心を襲い、その苦しみから逃れることができない人々は、深い傷を抱え、時として行動を起こすことすら難しく感じることがあります。自分の感情や行動を制御することが困難だと思い込んでおり、自分の行動が他人を傷つける可能性、または自分自身が傷つく可能性があると懸念しています。

それは、集合的無意識の深層からのささやきのように彼らの心に響いています。「何もしない方が良い、動けば人々を傷つけたり、自身が傷つくだろう。ただ存在すること自体が罪を犯すことにつながるから、何も行動しない方が良い」というような声が、彼らの心の中に反響しています。人生が思うように進まない彼らは、生まれてきたこと自体に罪悪感を感じてしまいます。無意識の深層では、彼らは自己存在そのものを問い詰め、絶えず自己を責めています。

止まらない悪い妄想に悩まされる人は、壮絶なトラウマが引き起こす情感から逃れる行為として、自己の不動化や脱身体化を体験します。それは自己を深く白昼夢の中へと引き込み、耽溺させる現象なのです。身体は凍りつき、潜在的な脅威に集中しているため、この世界に対しての注意が狭まり、どこまでも深い冷たさが内部まで染み渡ります。それは苛立ちを引き起こし、やり場のない苦しみとなり、身体は重く、煩わしく感じ、所有しているだけで疲労感がこみ上げてくるほどです。

身体的には、彼らは極度の疲労を感じています。緊張感が強く、神経が尖り、感度が異常に高まっている状態です。これらの症状は、彼らが闘争・逃走反応、凍りつき、死んだふり、虚脱など、トラウマに対する反応を固定化してしまっていることを示しています。彼らの身体と心は、持続的な危険と戦い、痛みから逃れようとしているのです。

現実の世界から自分の存在を一掃し、深い場所へと沈みたいという願望が、心の中を支配します。それは無声な叫びであり、抑えきれない欲求です。ありのままの現実から離れ、まるで深淵へと身を投じるように、ひたすら深い闇へと身を沈めたいと思うのです。

幼少期から身体に痛みを抱えてきた彼らは、非常に苦しい日々を過ごしてきました。彼らは自分自身を苦痛から解放し、安らぎを見つけることを切望しています。傷つきすぎて彼らは、誰にも見つからない場所で休息を取りたいと願い、現実世界から遠ざかりたいと思います。そして、誰にも見つからない場所に隠れて、自己の内面に深く没頭することで、彼らは自己崩壊を防ぐのです。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-06-08
論考 井上陽平

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