凍りついた心と身体が動き出すとき|複雑なトラウマからの回復プロセス

私たちの心と身体は、危険を感じた瞬間に「闘う」「逃げる」といった生存本能を自動的に起動します。これは本来、とても健全で頼もしいシステムです。

しかし、幼少期からの虐待や、繰り返される否定・暴力・見捨てられ体験など、複雑性トラウマを抱えた人の神経システムでは、この防衛反応が「過剰に」「止まらないまま」働き続けます。

頭では「今はもう安全なはず」とわかっていても、身体は過去の危機をなぞるように、すぐに闘争・逃走・フリーズのモードに入ってしまう。

アクセル(闘う/逃げる)とブレーキ(フリーズ)を同時に踏み込んだような状態の中で、体は動こうとしても動けず、心は叫びたいのに声が出ない――。その結果、筋肉は固まり、呼吸は浅くなり、全身が見えない「緊張の檻」に閉じ込められていきます。

この記事では、
複雑なトラウマによって凍りついてしまった心と身体が、
どのようなプロセスで少しずつ動き出していくのかを、
神経系・身体感覚・関係性という三つの視点から丁寧に辿っていきます。

回復とは、「無理に元気になること」でも
「過去を忘れること」でもありません。

凍りつきが生まれた理由を理解し、
それがゆるむ順番を知ること。
そこにこそ、現実的で持続可能な回復の道があります。


Table of Contents

1. トラウマが神経系に刻む「過敏な防衛システム」

複雑性トラウマでは、「一度限りの衝撃」ではなく、日常の中で何度も繰り返し、心と身体が傷つけられ続けます。

何をしても怒られる
予測できない暴力や怒鳴り声
助けを求めても誰も応えてくれない
「お前が悪い」と責められ続ける

こうした経験は、脳と神経系に「世界は危険だ」「他人は信頼できない」「いつまた襲われるかわからない」という前提を、深く刻み込みます。

過覚醒とフリーズが共存する「矛盾した状態」

複雑性トラウマの人の身体では、しばしば次の二つが同時に起きています。

いつも周りに神経が張りつめている(過覚醒・ハイパーアラウザル)
でも、いざ動こうとすると身体が止まってしまう(フリーズ)

つまり、「いつ何が起きてもおかしくない」と身構えながら、「どうせ何をしても無駄だ」という無力感にも縛られているのです。

この「フリーズ」を軸にした生理反応については、こちらの記事で詳しく解説しています。

凍りつきとフリーズ反応のメカニズム
https://trauma-free.com/freezing/

また、常に神経が張りつめた「過覚醒状態(ハイパーアラウザル)」が続くと、眠れない・ちょっとした音に飛び上がる・疲労が抜けないなど、日常生活にも大きな負担がかかります。

トラウマ後の「過覚醒状態」とは何か
https://trauma-free.com/hyperarousal/

こうして、防衛のためのはずのシステム自体が、やがて「生きづらさの中心」に変わっていきます。


2. 過敏な警戒反応がつくる「生きづらさの構造」

トラウマが神経系に刻み込まれていると、今目の前にある出来事よりも、身体が過去の記憶に先に反応してしまうことが起こります。

何気ない人の視線が「責められている」と感じられる
足音やドアの音に、身体がビクッと反応してしまう
相手の表情のわずかな変化に「嫌われたかもしれない」と動揺する

これらは理屈ではなく、身体レベルでの「再び傷つくかもしれない」という警告です。

「安全なはずの場所」が安全に感じられない

過敏な警戒反応が続くと、次のような感覚が日常化します。

どこにいても落ち着かない
一人でも不安だが、人と一緒にいるともっと疲れる
楽しそうに過ごしていても、どこかで常に「何かを警戒」している

周囲からは普通に生活しているように見えても、本人の内側では、24時間休みなく危険探知レーダーが回り続けているような状態です。

その結果、心と身体は消耗し、感情を感じるエネルギーすら残らなくなっていきます。


3. 孤立が深める「自己防衛の悪循環」

身体レベルで「人は危険だ」という記憶が染み付いていると、人との関係そのものが、無意識に「脅威」として扱われます。

人と話すときに、相手の表情や言葉を細かく読みすぎて疲れ果てる
「どう思われているか」が気になりすぎて、楽しむ余裕がない
近づきたいのに、近づいた瞬間に怖くなって距離を取ってしまう

こうして、「つながりたい自分」と「近づいたら傷つくと恐れる自分」が、絶えず引き裂かれ続けるのです。

自分を守るための「距離」が、やがて孤独を深める

危険から身を守るために、人との距離を取る――これはとても自然な防衛です。
しかし、距離を取り続けることで、

相談できる人がいない
分かち合える相手がいない
「理解してもらえる」という経験が積み重ならない

という、別の苦しみが生まれていきます。

その結果、「誰も信じられない → 一人で抱えるしかない → さらに孤独が深まる」という悪循環が固定されてしまうのです。

対人場面で距離を取りすぎてしまう苦しみについては、こちらの記事も参考になるかもしれません。

人を避けてしまう心理とその背景
https://trauma-free.com/complaint/avoidance/


4. 凍りついた心と身体:フリーズが「生き方」になってしまうとき

フリーズ反応は、本来は極度の恐怖から命を守るための短期的な反応です。
しかし、複雑性トラウマでは、次のように長期化・慢性化しやすくなります。

いつも身体に力が入り、肩や首がガチガチに固まっている
呼吸が浅く、胸の奥が詰まったように感じる
動きたいのに動けない、頭ではわかっているのに体がいうことを聞かない
「どうせ自分は変われない」という諦めや無力感が、心の底に居座っている

この状態が長く続くと、仕事・勉強・人間関係など、「生きていくために必要な領域」そのものが少しずつ失われていきます。

トラウマは、単なる「過去の出来事」ではなく、「現在の生き方」を縛りつける、見えない力として働き続けてしまうのです。

こうした複雑性トラウマと神経システムの関係については、ポリヴェーガル理論をもとにまとめた次の記事で、より体系的に整理しています。

ポリヴェーガル理論から見るトラウマと神経システム
https://trauma-free.com/treatment/polyvegal/


5. 回復への第一歩:身体感覚を「敵」から「味方」に戻す

トラウマからの回復は、理屈で「もう終わったこと」と理解するだけでは進みません。

なぜなら、トラウマは「頭」だけでなく、身体と神経システムにも深く刻まれているからです。

① 自分の身体の状態に気づくことから始める

最初のステップは、「どうにかしよう」と頑張ることではなく、「いま自分の体がどうなっているか」を静かに観察することです。

肩にどれくらい力が入っているか
胸の内側は広い感じか、狭い感じか
足の裏は地面を感じているか、それとも浮いている感覚か

ここでは、良し悪しを判断する必要はありません。
「こうなっているんだな」と気づくだけで十分です。

この「気づき」は、フリーズに固定された神経システムに「いま・ここ」を知らせる小さな灯りになります。


6. 安全な関係の中でしか、凍りつきは本当にゆるまない

複雑性トラウマは、多くの場合、「関係性の中で傷つけられた体験」と深く結びついています。

助けてくれるはずの大人が、逆に傷つけてきた
信じた相手が、自分を裏切った
弱さを見せた瞬間に、笑われたり、攻撃された

そのため、回復のプロセスもまた、「安全な関係性の中でしか進まない」という側面があります。

話しても否定されない
弱さを見せても見捨てられない
つらさを言葉にしたとき、「重い」と突き放されない

こうした体験が少しずつ積み重なることで、心と身体に染み付いた「世界は危険だ」という前提が、わずかずつ書き換えられていくのです。


7. 防衛の鎧を脱ぎ、「生きる感覚」を取り戻す旅

複雑性トラウマを抱える人の心と体は、過去に何度も命の危機を感じながらも、それでも生き延びてきた証として、過剰な防衛と凍りつきを身につけてきました。

常に警戒してしまうことも
人を信じられないことも
体が固まって動けなくなってしまうことも

すべては「かつての自分を守るために必要だった適応」です。

ただ、その防衛がそのまま現在にも続いているがゆえに、今のあなたの生きづらさをつくってしまっている――ここに、トラウマがもたらす深い矛盾があります。

神経システムの過覚醒やフリーズ反応、そしてそれに伴う心身の症状について、より詳しく知りたい方は、こちらも参照してみてください。

トラウマ後の過覚醒とフラッシュバック
https://trauma-free.com/trauma/symptoms/

トラウマからの回復は、「過去をなかったことにする旅」ではありません。

凍りつき・過剰防衛・孤立という形で生き延びてきた自分を理解し、少しずつ別のやり方を身に着けていく長いプロセスです。

身体の緊張に気づくこと
安全な他者との関係に少しずつ身を置くこと
「怖くてもいい」「緊張する自分を責めない」という態度を育てること

その一つひとつが、凍りついた時間をゆっくり溶かし、「生きる感覚」を取り戻していくための、確かな一歩になります。

凍りついた心と身体が動き出すとき、
それは「生まれ変わる瞬間」ではありません。

これまで必死に自分を守ってきた防衛が、
もう少し休んでもいいかもしれないと緩む瞬間です。

回復とは、
新しい自分になることではなく、
本来あった“生きる感覚”を、取り戻していく過程なのです。


8. 凍りつきがほどける順番――回復は「上から」ではなく「下から」起きる

凍りついた心と身体は、ある日突然、意志の力で動き出すわけではありません。

回復は、多くの場合、
「考えが変わる → 感情が動く → 身体がついてくる」
のではなく、その逆の順番で進みます。

まず最初に変化が起きるのは、思考でも感情でもなく、身体のごく小さな反応です。

・呼吸がほんの少し深くなる
・肩の力が一瞬だけ抜ける
・足の裏に床の感触を感じる時間が増える

こうした変化は、とても地味で、本人でさえ「変化と呼んでいいのかわからない」ことが多い。

しかし神経系のレベルでは、それは「危険が去りつつある」という重要なサインです。

フリーズ状態が長く続いた人ほど、
「動けるようになる前に、まず“感じられるようになる”」
という段階を丁寧に通る必要があります。

この順番を飛ばそうとすると、無理な前進が再び防衛反応を強め、
「やっぱり自分はダメだ」という二次的な絶望を生みやすくなります。

凍りつきがほどけるとは、
身体が少しずつ“今は大丈夫かもしれない”と学び直す過程なのです。


9. 「動き出したあと」に訪れる不安――回復期に起きやすい揺り戻し

凍りついた心と身体が、ほんの少し動き始めると、多くの人が次のような戸惑いを経験します。

・前より感情が揺れやすくなった
・不安や怒りが以前より強く感じられる
・「前のほうが楽だったのでは」と思ってしまう

これは、回復が失敗しているサインではありません。
むしろ、凍りつきがゆるみ始めた証拠であることが多いのです。

フリーズ状態では、強い感情や衝動は“凍結”によって抑え込まれていました。

その氷が溶け始めると、
これまで感じられなかった恐怖・悲しみ・怒りが、
一時的に表に出てくることがあります。

この段階で多くの人が、
「こんなに不安定になるなら、回復なんてしない方がいい」
と自分を責めてしまいます。

しかし実際には、
これは神経システムが“動ける状態”へ移行している途中経過です。

回復とは、一直線に楽になる道ではなく、
「凍りつき → 揺れ → 再調整」を繰り返しながら、
安全の幅を広げていくプロセスなのです。


10. 回復を加速させる「安全の設計」――生活・人間関係・情報刺激を整える

複雑なトラウマからの回復は、「気合い」や「根性」で進むものではありません。
むしろ回復に必要なのは、神経系が安全を学習し直せる条件を、現実の生活の中に増やしていくことです。

神経系は、言葉よりも環境に反応します。
「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせても、睡眠不足や過剰な刺激、対人緊張が続けば、身体はすぐに警戒モードへ戻ってしまう。

だからこそ、回復を進めるには「安全の設計」が重要になります。

① 生活の安全:まずは“崩れない土台”を作る

複雑性トラウマの回復では、派手な気づきより先に、地味な土台が効きます。

睡眠時間が乱れにくい時間帯を決める
食事の間隔を極端に空けない(低血糖は不安を増幅させる)
カフェインやアルコールを「ゼロ」にせずとも“量と時間”を調整する
スマホを見る時間を「減らす」のではなく“見る時間を決める”

これらは心理の問題というより、神経系の安定化です。
土台が整うほど、フリーズや過覚醒は「起きる」から「収まりやすい」方向へ動きます。

② 対人の安全:関係性の“距離”を自分で決める

回復期の人が最も消耗するのは、「相手に合わせすぎること」です。
複雑性トラウマの人は、無意識に“危険を回避するための同調”をしてしまうことが多い。

そのため、回復の中核には、次の練習が入ってきます。

会う頻度を自分で決める
連絡の速度を「相手のペース」ではなく「自分の容量」で決める
苦手な話題を無理に扱わない
疲れたら途中で切り上げる許可を自分に出す

距離を取ることは、人を拒絶することではありません。
神経系にとって「安全を保ったまま関われる範囲」を自分で確保することです。

③ 情報の安全:不安を増やす刺激を“入れない設計”にする

複雑性トラウマを持つ人は、脳が危険の情報を優先的に拾いやすい。
そのため、ニュース・SNS・動画・対立的な言説などが、知らないうちに過覚醒を強めます。

ここで大切なのは、「見ないように頑張る」ではなく、環境として遮断する工夫です。

スマホの通知を減らす
寝る前の情報摂取をやめる
刺激の強いコンテンツを避ける(暴力・性的・対立煽り)
“安心できる情報”を意図的に増やす(自然、身体、回復、学習)

神経系は、静けさの中で回復しやすい。
安全とは「何も起きないこと」ではなく、危険が増幅されない条件を用意することでもあります。


11. フリーズが強い人ほど効く「短い接地」――長い瞑想が逆効果になる理由

回復のために「瞑想が良い」「呼吸が良い」と言われることがあります。
しかし、複雑性トラウマや強いフリーズ傾向がある人ほど、長い瞑想が逆効果になることがあります。

なぜ長い瞑想が逆効果になるのか

フリーズが強い人は、内側の身体感覚が「危険の記憶」と結びついていることがあります。
静かに目を閉じて内側に注意を向けるほど、過去の感覚が立ち上がりやすくなる。

呼吸に意識を向けた瞬間に息苦しくなる
胸が詰まり、動悸が増える
身体の感覚が気持ち悪くなり、現実感が薄れる
フラッシュバックや解離が起きる

この場合、必要なのは「内側に深く入ること」ではなく、**外界と身体を結び直す“短い接地”**です。

「短い接地」とは何か――神経系に“今ここ”を知らせる

短い接地は、1回10秒〜30秒で十分です。
大切なのは、長さではなく、成功体験を増やすこと。

足裏の圧を10秒感じる
手のひらで机の硬さを感じる
椅子の背もたれの感触を背中で感じる
視線を動かして“安全なもの”を3つ探す
首を小さく左右に動かして、視野を広げる

ここでのポイントは、**「落ち着こう」ではなく「今ここに戻る」**です。
落ち着くことを目標にすると、落ち着けない自分を責めやすくなります。

短い接地は、回復のための「練習」であり、神経系の再学習です。
少しずつ回数を重ねるほど、フリーズは「固着」から「ゆるみ」へ向かいやすくなります。


12. 相談・心理療法で扱うべき順番――安定化→身体→記憶処理の実務

複雑性トラウマでは、回復の順番を間違えると、かえって症状が強まることがあります。
特に、いきなり「過去の記憶」を深掘りしすぎると、神経系が再び危険モードへ入り、フリーズや解離が増えるケースが少なくありません。

そのため、実務として重要になるのが、段階的な回復の順番です。

① 安定化:安全を増やし、日常の機能を守る

まず最初に行うべきは、「思い出すこと」ではなく、生活と神経系の土台を守ることです。

睡眠・食事・生活リズム
刺激量(仕事量、人付き合い、情報量)の調整
フラッシュバック時の対処
過覚醒を下げる短い接地
危険な関係・環境からの距離

ここが整わないまま記憶に触れると、回復は“治療”ではなく“再体験”になってしまいます。

② 身体:凍りつきの固定をほどき、選択肢を増やす

次に扱うのは、思考より先に身体です。
凍りつきは意志では解除しにくい。だからこそ、身体の側から「今は安全」を学び直します。

呼吸・筋緊張・姿勢・視線の動き
小さな動作(首、肩、手足)での解除
安全を感じる感覚の探索(温度、重さ、支え)
身体が反応しすぎたときの戻し方

ここで大切なのは、劇的な変化ではなく、神経系の“揺れ幅”を少しずつ小さくすることです。

③ 記憶処理:準備が整ったときだけ、過去に触れる

記憶処理(トラウマの想起・再処理)は、回復の核ではあります。
ただし、それは「最後に置く」からこそ安全に進みます。

話しても崩れない安全基地がある
症状が出たときに戻れる方法がある
身体が“今ここ”に戻れる
日常が最低限回っている

この条件がそろって初めて、過去は「自分を壊すもの」から「整理して統合できるもの」へ変わっていきます。


最後に:凍りつきは、ほどけていく

凍りつきは、弱さの証ではありません。
それは、かつてのあなたが生き延びるために選び得た、最も強力な防衛でした。

そして回復は、その防衛を否定することではなく、
「もう少し休んでもいいかもしれない」と身体が学び直すことです。

凍りついた心と身体が動き出すとき、
それは派手な変化ではなく、呼吸が少し深くなるような小さな兆しから始まります。

その小ささを見落とさず、
順番を飛ばさず、
安全の条件を増やしていく。

その積み重ねが、
複雑なトラウマによって止まってしまった時間を、
少しずつ現実へ戻していきます。

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【執筆者 / 監修者】

井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)

【保有資格】

  • 公認心理師(国家資格)
  • 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)

【臨床経験】

  • カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
  • 児童養護施設でのボランティア
  • 情緒障害児短期治療施設での生活支援
  • 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
  • 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
  • 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
  • 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入

【専門領域】

  • 複雑性トラウマのメカニズム
  • 解離と自律神経・身体反応
  • 愛着スタイルと対人パターン
  • 慢性ストレスによる脳・心身反応
  • トラウマ後のセルフケアと回復過程
  • 境界線と心理的支配の構造