ここでは、ジブリのかぐや姫の物語を取り上げて、トラウマの受けた人の内的な世界と外的な世界の行き来をユング派のドナルド・カルシェッドが提唱したセルフケアシステムの概念を使って、説明していきます。
先に述べた通り、セルフケアシステムは、ドナルド・カルシェッドの提唱した概念になります。カルシェッドは、「トラウマを受けた人のこころは、もともとのトラウマ的な状況で生じたらしいものと同じ、傷つきやすい部分自己が再び曝け出されるのを黙認できない。セルフケアシステムは、トラウマを受けた人の内的世界に存在し、現実からの影響を切断する解離的な心の防衛である」と論じます。この防衛は太古的であり、かつ元型的です。
カルシェッドによると、トラウマを受けた人々のセルフ(自己)は、この世界のなかで自分らしく生きるというよりも、個としてのその人生を生き延びさせることを優先します。そして、その元型としてのヌミノースな力を振るって、その人々を現実から切り離し、それ以上傷つけないように守るというかたちで、感情を奪い、人々の繋がりを妨げ、実質この世界では実感をもって生きられないようにします。
セルフケアシステムは神話的描写から説明しやすく、カルシェッドは、ラプンツェル、エロスとプシケ、フィッチャーの鳥、リンドワーム王子で説明しています。日本の物語では、竹取物語のかぐや姫がセルフケアシステムをよく表していると思います。かぐや姫は、トラウマを受けた傷つきやすい人を表します。
かぐや姫の物語
トラウマを受けた人の内的世界は、分裂し解離している状態にあります。解離傾向が高い人は、現実世界の耐え難い苦痛を切り離して、向こう側にある世界(空想世界)に飛び、現実世界との間を行き来します。向こうの世界で、ほとんどの時間を生きてきた人は、現実世界に戻るとほとんどのことが分かりません。かぐや姫の物語では、地球と月の二つの世界に分裂し、月の世界は、向こう側にある解離した世界を表していると言えるでしょう。
かぐや姫は地球人で月は空想

かぐや姫は、もともとは月の世界の住民で、そこで罪を犯したので、その罰として地球に送られて穢れに苦しみながら生きることを強いられたというストーリーです。しかし、トラウマ的な観点から見ると、かぐや姫は地球人であり、月に住んで罪を犯し、その罰としてこの地に下ろされたという物語は、彼女の洗練された空想(精巧な神話)として見ることができます。そして、月の世界の使者は、彼女を向こう側に連れていく、解離的なダイモン的人物(保護者/迫害者)として考えられます。

かぐや姫が地球人として見た場合には、両親に竹林に捨てられたため、孤児であり、どこかの家族にもらわれる必要がありました。竹取のおじいさんが竹が輝いているのを見て、そこに行くと、小さな女の子が座っていて、なんてかわいい子でしょうと、びっくりしてこの子を連れて帰ります。女の子にとって、おじいさんとおばあさんが育ての親になります。
かぐや姫の原初のトラウマ
ただ、両親に捨てられたことが、原初的なトラウマになっており、その時、生きることに追いつめられたため、現実と繋がって生きられている生という失われた世界の代わりに一つの世界が提供されます。赤ん坊の頃のかぐや姫は、親を求めて酷い目に遭い、希望が失われた自分自身を明け渡し、変性意識状態のなかで、より大きなものに包まれて、幻想的な世界に生きてきました。その幻想の世界が月の世界であり、そこで自分自身を高めて、神話的イメージと同一化し、ある種の自己愛的エネルギーが豪勢に膨らみました。
トラウマ後の驚くべき成長

最初の世話をしてくれる両親の代わりが、空想の世界の月の住民たちで、現実世界から離れて、幻想のなかで青々と茂り、純化していきます。また、野山の世界では、トトさま(おじいさん)、カカさま(おばあさん)の世話を受けた生活は、一つも悪いものはありませんでした。また、幼馴染の捨丸兄ちゃんと野山で遊び、不思議な体験をしていきます。かぐや姫は、この世のものを超えているところがあり、育ちが早く、速すぎる成長をとげ、あまりに早く自立していきます。そして、美しく成長して、魅力的な声をして、完全無欠な純粋で穢れをしらない女性として育ち、かぐや姫と名づけられるくらいに輝くほど美しい娘になります。
二つに分裂した世界

かぐや姫の物語では、地球と月の二つの分裂だけでなく、野山と都の二つの全く違った世界に分裂しています。お話しでは、かぐや姫にとって、野山の世界が穢れていない純粋無垢な自然なままの世界で、生き生きとした木々、花、鳥、虫、獣に囲まれて、無邪気に幸せに見えます。野山の世界では、生物としての人間であり、生き生きとして、感情があり、本能や無意識的で身体的な領域を表しています。一方、反対側の都の世界は、かぐや姫にとって、高貴な姫君になるために、教養や振る舞い、現実の世界があり、体を変えらされます。また、屋敷のなかで世の中の決められたルールに規定されており、富や地位、名誉に縛られて、二つの世界を対比しています。
父の犠牲になる娘の病理
野山の世界では、トトさまが魔法をかけられ、竹林から金銀財宝を見つけて、肥大化した富や地位、名誉と同一化していきます。当時は、裕福な人と結婚することが幸せだと思われていたこともあり、トトさまの価値観を一方的に押しつけた結果、かぐや姫が犠牲になります。かぐや姫は、無理やりに人生を決められることが嫌で、逃げ出したいのですが、自分の真の欲求に目覚めていません。彼女は、外見の美しさだけで、全ての人の望みを受けて、自己嫌悪に陥ります。この世界は偽物で、内面は空虚で、自分も偽物の感覚があり、自分の人生を感じないようにしていきます。
危機から逃走するかぐや姫

かぐや姫を一目見ようとたくさんの男がやってくる宴の場面では、異性の分かりやすい欲望の対象になっているのが嫌でした。本能的には、その苦しみの感情から逃れようとして、身に纏っていたものを脱ぎ、ひたすら月に向かって助けを求め突っ走りたいと願いますが、実際は身動きが取れずに、眠りに落ちて、意識を失います。人間の汚い部分が分かってきて、月に帰りたくなります。
都の世界で失われていくもの

都の世界では、相模のもとで高貴な姫君のために厳しい躾を受けます。かぐや姫は、屋敷の暮らしを嫌だと言えず、本来の身体とは逆行して人生を生きることになり、籠の中の鳥のように生きます。そして、まるで人が変わったかのように手習いでふざけることもなく、ひとり静かに暮らすようになっていきます。体がちょっとずつ変わっていき、もともとあったものが失われて元気が無くなっていきます。都の世界では、自分の成長に合わせて時間が過ぎていきますが、野山の世界というのは、大人になるまでが一瞬なので、かぐや姫の内的な世界を現わしているとも言えるでしょう。
5人の貴公子

かぐや姫の美しさはあっという間に噂になり、求婚者が続出します。特に熱心に求婚を求める5人の貴公子がいました。トトさまと相模は、その5人の求婚者を非の打ち所がない完璧なお方だから誰を選んでも失敗はなく、幸せになると言います。なぜなら、地位もあって、富もあり、将来が安定しているからです。それは社会的な通念ですが、一方で、かぐや姫は全部断ります。かぐや姫は、この人とは一緒にいたいと心から思えず、純粋な気持ちを大事にしています。トトさまが求めているものと、かぐや姫が求めているものがずれていて、かぐや姫は、5人の中から選んでも幸せになれないことが分かっているから辛く、どんどんと重荷になっていきます。
セルフケアシステムの発動

かぐや姫は、5人の貴公子の求婚を拒んだため、帝(みかど)は、自分の元に来たがっていると考え、かぐや姫に近づきます。帝にいきなり抱きつかれる場面では、許可もしていないのに触られたことに怯え、怒り、気持ち悪いと思って、寒気や鳥肌がたち、身の毛がよだち、拒否します。身体が固まって、逃げたくなるけど、対処しきれないので、気が狂いそうになり、魂が別のとこに行って、ただそこに存在するだけになります。このとき、無意識のうちに、もうここにはいたくないと、月に助けてくれと叫んでしまって、セルフケアシステム(解離的な防衛)が発動します。月の使者は、大丈夫と言って、天から降りてきて、感情を消して、抵抗しました。
セルフケアシステムとは

セルフケアシステムとは、人が耐えられない苦しみの瞬間に、超越的な存在が窮地に陥った自我を内的な神秘界へと連れ去ります。トラウマを受けた人が脅かされると、身体が凍りついて動けなくなり、感情が無くなって解離していきます。解離していくときは、その場面の記憶を消して、ヌミノースなものに包まれて熱さに溶けていくか、眠りのなかで酔うかして、向こうの世界に運ばれ、夢の国へと続いていきます。
痛ましいトラウマを受けた人は、セルフケアシステム(解離的な防衛)の働きが強く、自我をはるかに超える影響をもたらします。かぐや姫は、自分の意志ではどうしようもできないことを言葉にします。「私、月になんか帰りたくない。どうかここにいさせてください。でも今月の15日には迎えに行くって…」。「必死にお願いしたんです。もうダメなの。遅すぎたの、もう逃げられない。もう見つかっているの…」。
月の使者(ダイモン的存在)
かぐや姫の物語では、月の使者(トランスパーソナルなダイモン的存在)がかぐや姫を救済し、月の世界に連れていって、その幻想のなかで魔法をかけようとします。向こうの世界に行くと、この世界の記憶は全て無くなり、悲しみも悩みも消えます。月の使者は、月の世界(向こう側)と地球(現実世界)を仲介する人物になります。
セルフケアシステムの描写

セルフケアシステムという太古的、かつ元型的な力を前にした人間は無力です。トトさまとカカさまは、かぐや姫を渡したくないから、屋敷を武士たちに守らせますが、月の使者が使う魔法のなかでは、攻撃が全く効きません。どうあがいても勝つことはできず、神の力で変性意識状態にされて、眠らされてしまいます。
かぐや姫は、解離という自我を内的な世界に引きずり込んで閉じ込めてしまおうとする強靭な力を前にして、後ろから引っ張られて、手足の力を失い、無表情になって、感覚が鈍くなっていきます。月の使者は、かぐや姫を迎えに来て、「さぁ参りましょう。清らかな月の都へお戻りになれば、そのように心のざわめきも無くなり、この地の穢れも拭い去れます。」と言います。かぐや姫は、人間世界の日常の声を聴いて、一瞬我に返りますが、月の羽衣を纏い、至福のユートピアがある向こうの世界に運ばれていきます。
かぐや姫的な自己を持つ人は

かぐや姫的な自己を持つ人は、両親との関係がうまくいかなくて、空想の中で、両親を本当の親ではないと思い、新しい家族にもらわれるという空想を持ったり、自分を天に属する者であると思っています。このようなセルフケアシステム(解離的な防衛)を持つ人は、外の世界や人々とのトラウマ的な相互作用に傷つくことから遠ざけられており、かぐや姫と同じような境遇に陥っていきます。月の使者のような内的な人物は、現実世界と向こう側(あちら側)の世界の仲介する人物になり、無垢な自我の保護者としての役割と、否定的な声によって現実から切り離していく迫害者としての役割を持ちます。
解離的な防衛を用いる人は、現実に耐え難い出来事が起きると、一旦逃げることができますが、現実との連続性が絶たれて、向こうの世界に帰ってしまいます。向こうの世界とは、大きな意味で何もない世界ですが、夢の中の世界に似ていて、そこで考え事をしたり、ご飯食べたり、どこかに出かけたりします。向こうの世界に行っている間、その間の記憶を失い、酷い場合には、何年から何十年も現実世界から離れてしまう人もいます。
トラウマを受けた人は、狂気にとらわれ、心地良い世界にトリップするか、愛する人に身をゆだねて、埋没してしまいます。彼らは、圧倒的で耐え難い現実に対処しており、内的な世界を発展させ、幻想に純化し、精神性の高い生活を送って、外面はよく見えます。しかし、現実世界を生き生きとして生きることが妨げられて、この世界に根を落とせなくなります。人から好意を向けられるとどうしたらいいか分からなくて逃げたくなります。愛する人に身をゆだねて、埋没してしまいたい気持ちと、人と関わることが煩わしく、人間関係を回避して、生きづらさを抱えたまま、葛藤がせめぎ合います。
参考文献
D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)『トラウマの内なる世界』新曜社 2005年
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-05-05
論考 井上陽平

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