映画『ジョーカー』のアーサーの変貌過程:トラウマと社会に対する反逆の考察

映画・アニメ

映画『ジョーカー』の主役アーサー・フレックのトラウマ的世界を考察します。

ジョーカーのストーリー

アーサーとジョーカー

アーサーは、笑顔を持つ人物です。母親のペニーは彼を「ハッピー」と呼び、幼い頃から「どんな時でも笑顔を忘れず、人々に幸せを与えなさい」と教えてきました。ペニーのこの教えは、アーサーの人生に深く刻まれています。彼は母親の言葉に忠実であろうとし、コメディアンになることを目指して努力しています。笑顔で人々を楽しませることが、彼にとって最も大切な使命です。どんな状況にあっても、彼は人々に笑顔と幸福を届けようと懸命に生きています。

アーサーは老いた母とともに、ゴッサムシティという大都市で暮らしています。この都市は、貧富の差が激しく広がり、社会不安が蔓延している場所です。アーサーは、この格差社会の中で取り残され、貧困層に属しています。彼の暮らしは厳しく、社会から疎外されているように感じながらも、彼は決して弱者であることを認めません。

アーサーの中には、強い信念があります。彼は自分の本当の力を信じ、いつしか「ジョーカー」として変貌していきます。ジョーカーとなったアーサーは、単なるコメディアンではなく、カリスマ的な存在へと進化し、社会に対して強烈なメッセージを発信し始めます。笑いを通じて人々に喜びを与えたいという願いは、次第に社会への反抗心と結びつき、彼は社会の不平等や不正義に対して挑む象徴的な存在へと変わっていきます。

アーサーは、母の教えに従い続けるだけの存在ではなく、笑顔の裏に秘めた激しい感情と共に、ゴッサムの混沌とした世界に変革をもたらすべく歩み始めるのです。

幼少期の虐待

アーサーは、幼少期から母親や彼女の恋人による虐待に苦しめられてきました。その結果、彼は複雑なトラウマを抱えた壊れやすく脆弱な人物へと変わっていきました。幼い頃に受けたトラウマは、彼を常に恐怖とストレスの中に閉じ込め、過剰な緊張が彼の身体を支配しました。彼はトゥレット障害に苦しみ、強いストレスや不安が彼を制御不能な笑いへと駆り立てました。

アーサーの痩せ細った体は、虐待がもたらした苦痛の象徴です。彼は体も心も脆弱で、常に周囲に脅威がないかどうかを過敏に探り続けていました。現実の厳しさから逃れるため、彼は空想の世界に浸り、そこでは自分をもっと楽しませる存在に変わっていたのです。彼の心は現実と幻想の境界を絶えず揺れ動き、その結果、アーサーは常に孤立した状態で生きていました。

彼は、他人を楽しませ、面白い人になることに魅了されていました。それは、自分の無力感から逃れ、価値を見出そうとする一つの方法だったのです。部屋に閉じこもり、架空の観客を前に演技をすることで、彼は現実の苦しみから一時的に解放されていました。テレビの人気者を夢見て、自分を成功したコメディアンとして想像し続けましたが、実際には孤立した人生を送っていたのです。

アーサーの人間関係は極めて限られたものでした。日常的に接するのは、同居していた母親や隣人、福祉部門のカウンセラー、職場の同僚といったほんのわずかな人々のみでした。彼の姿は、過去のトラウマと常に戦いながらも、現実の社会で自分の居場所を見つけるのに苦労する虐待被害者の痛ましい現実を浮き彫りにしています。彼の生き方は、心に深い傷を負った人間が、どのようにして社会の中で居場所を見つけようともがいているかを象徴するものでした。

人格の分裂的事象

アーサーは、幼少期に受けた母親からの虐待によって、彼の人格は深く分裂しています。本来、子どもが最も頼りにすべき存在である母親が、アーサーにとっては虐待的な存在でした。この状況は彼の内面世界を複雑にし、人格を二つに分断する原因となりました。一方で、アーサーは「オクノフィリア」という心性を持ち、母親に対して強い愛着を抱いています。オクノフィリアとは、空間が危険に満ちているため、対象と離れたくないという強い執着心を示すものです。しかし、もう一方の人格である「ジョーカー」は、母親を嫌悪し、フィロバティズムという心性を持っています。フィロバティズムは、危険から逃れ、孤立した環境の中で自分のスキルを磨こうとする心の動きです。この二つの相反する感情が、アーサーの内面で常に葛藤し続けています。

もともとの子供

アーサーの内的世界は非常に複雑です。彼の心の中には、母親からの冷たい態度や虐待によって閉じ込められた「本来の子ども」が存在しています。この内なる子どもは、恐怖と無力感の中でおしゃぶりをし、外の世界から身を隠すようにしています。彼の本来の姿は外からは見えず、心の奥深くに封じ込められているのです。この部分は彼自身にも気づかれておらず、時折表出することがあるものの、常に隠された存在としてアーサーの中に眠っています。ただし、このような描写は作中には明確に描かれていないため、あくまで推測に過ぎません。

日常を送る自己アーサー

アーサーは日常生活において、自分を守るためにピエロのような役割を演じています。外面ではいつも笑顔を作り、周囲の人々を楽しませようとする姿を見せますが、それは内面の深いトラウマを隠すための仮面です。彼は本当の自分を誰にも見せることができず、他人との関わりの中で自分の痛みや苦しみを隠し通します。アーサーは非常に敏感で、自分の苦しさを誰かに伝えることができないため、その苦痛を自分自身の中で紛らわそうとします。彼は、嫌な記憶や感情を切り離し、見ないようにして生きる方法を身につけているのです。

このような日常生活の中で、アーサーの内面では二つの人格が常に対立しています。母親に対して愛着を持つ一方で、母親を嫌うジョーカーの人格も同時に存在しています。この内面的な分裂は、彼を現実と幻想の間で揺れ動かし、彼の存在自体を曖昧なものにしてしまいます。アーサーの中で、愛と憎しみ、楽しさと苦しみが入り混じり、彼の内面はますます混乱していきます。

ヌミノースの力を纏ったジョーカー

ジョーカーという人格は、アーサーが耐え難い状況に追い込まれたときに生まれます。虐待によって心が壊れそうになる中で、ジョーカーは彼を守る存在として現れました。ジョーカーは、ヌミノースな力を纏っています。ヌミノースとは、「聖なるもの」を意味し、個人を超えた大きな力や存在を指します。ジョーカーは、この強大な力を持つことによって、アーサーの精神を守り続けているのです。

ヌミノースの力は、ジョーカーを単なる人格の一部ではなく、アーサーを救うために現れた強力な存在にしています。彼は自らを破壊から守るため、内面的な力を駆使し、苦しみや恐怖から逃れる手段としてジョーカーという形を取ったのです。このヌミノースな力を持つジョーカーは、単なる狂気の象徴ではなく、アーサーの内なる防衛者でもあると言えます。

ジョーカーという存在を通して、アーサーは自分自身の壊れそうな心を守り、同時に社会に対して反抗する力を手に入れました。彼は自分を強く保つために、この危険な力を利用し続けることで、現実世界の苦しみに立ち向かっているのです。

アーサーの笑い病

アーサーが笑ってしまう理由は、脳に負った怪我による障害が原因であるとされています。この障害は彼の感情やストレスに対する反応として、制御不能な笑いを引き起こします。緊張が高まると、彼の内に蓄積されたトラウマが活性化し、その結果として笑いが発作的に現れるのです。しかし、この笑いは喜びや楽しさを表すものではなく、むしろ彼が抱える深い苦しみや恐怖の表れです。彼の体は過剰な緊張や不安を処理しきれず、異常な反応として笑いが生じるのです。

さらに、アーサーの母親は彼に「常に笑顔で人々に幸せを与えなさい」とプレッシャーをかけ続け、その期待に沿えないアーサーに無意識に罪悪感を植え付けます。この強制された笑顔は、アーサーが抱える苦痛や孤独感を覆い隠すための仮面であり、彼の本当の感情を抑え込んでいます。彼が発作的に笑ってしまう「笑い病」として描かれるこの状態は、抑圧された感情が爆発的に表れる瞬間であり、心の傷が表面化するものです。

彼の笑いは、単なる喜びの表現ではなく、痛みや絶望を表すものであり、社会に対する彼の怒りと憤りの象徴でもあります。アーサーは、母親の期待に応えられなかったことや、社会に受け入れられなかったことを自らの罪と捉え、その罪悪感から自己破壊的な行動を取るようになります。

また、アーサーはしばしば芝居のような大げさな動きや仕草を見せます。これは、彼が恐怖や不安、憎しみといった感情を身体的に表現しようとするためであり、彼の内面の混乱や苦しみを反映しています。その動きは滑稽に見える一方で、自分の感情を表に出すことができない無力感や苛立ちが込められています。このようにして、アーサーの笑いと動きは、彼が抱える深い傷や苦しみを象徴しており、彼の心の闇を浮き彫りにしているのです。

狂ってるのは俺か? それとも世間か?

映画の冒頭で、アーサーは「狂ってるのは俺か? それとも世間か?」という疑問を投げかけます。これは、彼の内的な混乱と外的な世界への違和感を端的に表しています。アーサーは、幼少期からのトラウマや社会的孤立によって精神的に追い詰められ、狂気と正常性の狭間にいると感じています。彼が抱える問題は、単なる個人的な苦しみを超えて、社会全体に向けた疑問に変わっていくのです。

彼の内的な世界では、恐怖や逃避、争いといった感情が交錯しています。ショックな出来事が起こると、彼は現実から逃れ、心がフリーズし、夢のような非現実の世界に飛ばされます。この解離の状態で、彼の日常は一時的に遮断されるのです。しかし、別の側面では「戦う」ことを選び、問題を起こしてしまいます。その結果、彼はしばしば無意識のうちにトラブルに巻き込まれ、気づいたときには自分が原因で問題が起きていることを知ります。

アーサーが抱えるこの複雑な心の葛藤は、社会との接触の中でますます浮き彫りになります。彼の問題行動は、幼少期のトラウマによる解離や過度の覚醒反応によって引き起こされるものですが、周囲の人々はその背景を理解しようとせず、彼を批判し、疎外し、しばしば不当な扱いを受けさせます。彼は社会から隔離され、周囲からの非難や罰に苦しみ、これが彼の自己価値感をさらに低下させていくのです。

こうした経験の中で、アーサーは自分自身が狂っているのか、それともこの世の中が狂っているのか、という深い葛藤を抱きます。この問いは、彼が社会の規範に適応できないという個人的な苦悩を超え、社会全体が抱える不条理や不平等に対する批判となっていくのです。彼の混乱は、ただの個人的な狂気ではなく、社会の狂気を映し出す鏡であると言えるでしょう。

妄想の世界

アーサーの妄想

アーサーは、幼少期から虐待や不条理なトラウマに苦しんでおり、その影響で現実世界が耐え難いものとなっています。彼は、現実から逃れるために妄想の世界に没入し、そこでは一時的な安らぎや心地よさを感じることができます。現実がうまくいかないと、アーサーは妄想の中へと逃げ込むのです。

彼は、普通の人とは異なり、時間や空間の感覚が歪んでおり、心の中にはまだ幼い部分が残っています。そのため、しばしば妄想の世界に没頭し、自分自身の存在や感情を正確に理解することが難しくなっています。事実と妄想の境界が曖昧になり、一日中妄想に浸っていたり、同じ場所に長時間留まってほとんど動かないこともあります。このように、彼は現実から乖離し、自分を見失ってしまっているのです。

生きながらに死んでいる

アーサーの体つき

アーサーは、長年の虐待によって心身ともに衰弱し、機能が低下していました。彼の体は痩せ細り、あばら骨が浮き出るほどで、肉体的な力を失い、精神的にも極限まで追い詰められています。彼の人生は、あまりにも過酷な体験の連続であり、その辛い過去に向き合うことができないまま、自分の内なる世界へと逃げ込んできました。

妄想の世界の中では、アーサーは自分を力強く感じ、現実とは違った力を発揮します。しかし、現実に戻ると、生きながらにして死んでいるような虚無感が常に彼を覆っています。彼は過去の出来事に直面することができず、その痛みや悲しみを押し込めたまま生きているため、感情を認識することすらできない状態に陥っているのです。

自殺願望

アーサーは、自分の人生に対してほとんど実感が持てず、ただその場しのぎで日々を過ごしています。周囲の人々の目が常に気になり、人とのコミュニケーションを煩わしく感じることが多い彼は、慢性的に自殺を望んでいるような内面を抱えています。彼の日記には「この人生以上に硬貨(高価)な死を」という言葉が記されており、彼の深い虚無感や生きることへの倦怠感がにじみ出ています。定期的に通うカウンセリングのセッションでも、アーサーはしばしば自殺について語りますが、その思いは軽減されることなく、彼の中で静かに膨らみ続けています。

人生には数多くの課題や困難があり、その重みを抱えながらもアーサーは自分の内なる世界に逃避します。想像力を駆使し、自分をコントロールしようとする彼の姿は、現実から乖離し、空想の世界に生きることでしか安心感を得られない人物像を描き出しています。空想の中では、アーサーはまだ「生きている」と感じ、現実に存在する自分を何とか維持しようとしますが、その実感はどんどん希薄になっていきます。表面的には生きているように見えるアーサーですが、内面ではすでに心が死んでしまったかのような感覚が彼を支配しているのです。

このように、彼の内的な世界と現実との間には深い断絶が生じており、アーサーは空想の中でしか本当の生を感じられません。しかし、それでも彼はその虚ろな現実に縛られ、生きながらにして死んでいるような状態で日々を過ごし続けています。彼の苦悩は、自分が存在する意味を見失い、内なる闇と向き合いながら生きることを余儀なくされている人物像を深く象徴しています。

ピエロの生き方

アーサーピエロ

アーサーは、他者との接触を恐れています。人から悪意を向けられることを極度に嫌がり、争いごとを避けるため、できる限り目立たずに振る舞おうとします。彼は緊張感のある状況が苦手で、注目を浴びることを恐れ、人混みの中ではできるだけ静かに過ごそうとしています。しかし、目立たなさすぎることが逆に孤独を深め、彼をさらに追い詰めていきます。そうした孤独感を和らげようと、アーサーはピエロのように明るく振る舞い、気遣いを見せることで人と関わろうとしますが、それが彼の本心を覆い隠しているにすぎないことが、次第に明らかになります。

アーサーは、人とのコミュニケーションに困惑し、自分の言動が他者にどう映るのかを常に気にかけています。特に、面白いことを言うことで他人から認められることに価値を見出し、笑わせたいという純粋な願望を持っています。しかし、孤独な生活が続く中で、自分自身の本当の姿を見失いがちです。アーサーには、人を笑顔にしたいと心から願う面と、暴力や悪意を向けられることを恐れる面があり、その矛盾した感情の中で、彼はピエロという仮面をかぶり続けるしかなくなっているのです。

彼の行動には、純粋さと恐怖が交錯しています。周囲を楽しませ、幸せをもたらしたいという願いとは裏腹に、心の奥底では人々の暴力性や敵意に怯え、心を閉ざしてしまいます。この二重性が、彼をますます孤独に追いやり、仮面をかぶり続ける人生へと導いていくのです。

ジョーカーに代わるシーン

アーサーは、日常の枠を超えた劇的な変化の瞬間に登場します。彼は働き先で解雇され、絶望の中で地下鉄に乗っていたところ、裕福な3人組に暴力を振るわれるという過酷な状況に直面します。この事件は、彼の人生における転機となり、追い詰められたアーサーは内面的な変容を余儀なくされます。

彼は、この経験を通じて、もはや従順で無害な普通の人間ではいられなくなり、心の奥底に潜んでいた「ジョーカー」へと変貌していきます。ジョーカーとしてのアーサーは、不遜で暴力的な力を手に入れ、彼を支配していた恐怖や無力感から脱却し、自分を取り戻そうとします。その象徴的なシーンでは、彼は銃を乱射し、3人を瞬時に射殺します。

この一連の出来事は、アーサーがジョーカーとして覚醒する瞬間を強烈に描いています。彼は、ただの被害者から、社会の抑圧に対する反逆者へと姿を変え、自分自身の存在意義を見出すために、破壊的な行動を取るようになるのです。この変化は、彼が心の中で抱えていた混乱や痛みが、ついに暴力という形で噴出した瞬間でもあります。

冷蔵庫のシーン

アーサー冷蔵庫

終盤になると、アーサーの元の自我は次第に消え去っていきます。特に冷蔵庫に入るシーンは、彼が経験した多くの衝撃的な出来事とトラウマによって、心と体が完全に凍りつき、感覚が麻痺してしまったことを象徴しています。このシーンでは、彼の存在感がどんどん小さくなり、身体は冷たく震え、かつての生気やエネルギーが抜け落ちていく様子が描かれています。

かつて人々に純粋な幸せを届けたいと願っていたアーサーの姿は、ここで消滅します。絶望と空虚感に飲み込まれ、すでに脆くなっていた彼の自我はさらに縮小し、完全に崩壊していきます。そして、アーサーとしての自分が失われ、代わりに登場するのがジョーカーです。彼の人格はもはや以前の優しさや夢を持ったものではなく、混乱と狂気、暴力に支配されたジョーカーという存在に置き換わってしまいます。この過程は、アーサーがトラウマと絶望の果てに、破壊的な人物へと変貌する様を強烈に描き出しているのです。

アーサーからジョーカーに

ジョーカーに覚醒

この文章は、内面的な自己が病的な心の影響に取って代わられていく過程を描写しています。(ソロモン2001)私は当時、深いうつ状態にあり、自分の中で何かが次第に膨れ上がっていくのを感じました。それはまるで私自身を取り巻く存在のようで、私を包み込みながら、私の生気を吸い取っていく何かでした。やがてその存在は、私自身よりも生き生きとしていて、まるで自分の中で別の存在が成長し、私自身の代わりに生きようとしているかのようでした。

最悪の段階に達したときには、もはや自分の感情が自分のものであるとは思えず、その感情に自分が操られているかのように感じていました。私の中で湧き上がる感情が、まるで他人のもののように感じられ、コントロールすることができない。感情は私の意志とは無関係に動き、私自身の存在が薄れていくような感覚を抱いていました。この状態は、内的な自己が分裂し、精神的な崩壊をもたらす危険な過程を示しています。

Donald Kalschedの「Trauma and the Soul」は、このような心の防衛機制と自己の崩壊について詳述しています。トラウマによって生じる内的な分裂や心の闇は、しばしば自己の中心から遠ざかり、まるで他者のような感情や行動を生み出すことがあります。

トリックスターかつ悪魔的

ジョーカー柄が悪い

ジョーカーは、まさに変幻自在の存在であり、「トリックスター」としての側面を強く持っています。彼は、さまざまなエネルギー体へと変身し、既存の社会やその秩序を根本的に否定します。道徳や倫理といった規範に囚われることなく、犯罪や暴力に手を染める殺人者でありながら、その行動には一種のカリスマ性を帯びています。ジョーカーは、秩序を破壊し、混乱を巻き起こすことで、かえって新たな可能性や変革の契機を作り出そうとします。彼の「悪魔的」な性質は、その破壊が単なる無意味なものではなく、新しい始まりを促す力でもあるのです。

ジョーカーは、絶望の中に沈んでしまった自我を救う一方で、世界に対して強い否定的な態度を持っています。彼の内には抑えがたい怒りが渦巻いており、残酷な性格が表れます。物理的な痛みや寒さを感じないという特徴を持つジョーカーは、死を恐れることなく、常識を超えた行動を平然と行います。彼にとって死は恐怖の対象ではなく、むしろその存在を軽視し、自由に振る舞う力の源です。周囲の規範や秩序を無視し、彼の行動は予測不能な方向に進みます。

彼は、自分の命すらも価値を置かず、大胆に発言し、行動します。たとえ死が訪れたとしても、それを受け入れる覚悟を常に持っています。さらには、大衆の中に爆弾を投げ込み、混乱や恐怖を引き起こすことで、他者の不幸を嘲笑うことさえあるのです。ジョーカーの行動は、一見すると破滅的で無秩序なものに見えますが、その根底には社会の偽善や不正を暴露し、既存のシステムに揺さぶりをかけようとする意図が隠されています。彼の存在は、単なる反逆者ではなく、社会全体への挑戦状であり、変革へのメッセージでもあります。

マレー・フランクリン・ショー

マレー・フランクリン・ショー

アーサーは、日々の生活に疲れ果て、人生に絶望し、自殺を望むほど追い詰められていました。しかし、一方で、彼が「ジョーカー」として生きるようになってからは、危険な状況を乗り越え、驚異的な生命力を発揮するようになります。ジョーカーは死を恐れず、むしろ死を迎えるよりも、人間と関わり続けること、そして苦しみや痛み、裏切りや憎しみを味わい尽くすことを選びます。彼は自分を生き地獄に投じ、その中で生きることを望んでいるかのように感じさせる存在へと変わっていきます。

ジョーカーは、長年憧れてきたテレビショーに出演するという夢を叶え、敬愛していた司会者との共演も実現します。この瞬間、彼は一見成功したように見えますが、その内側には深い怒りと社会への反発が渦巻いています。彼は、自分の経験を通じて、社会の辺境に追いやられた人々の苦しみを語り出します。自分が味わってきた孤立感と絶望を、彼は社会全体に向けた強烈な批判としてぶつけるのです。

ジョーカーは、富裕層だけが権力を握り、自由を謳歌している現実を鋭く批判し、その怒りの頂点で、司会者を銃で撃ち殺すという衝撃的な行動に出ます。この行動は、彼がただの犯罪者ではなく、反逆者としての側面を持つことを示しています。ジョーカーは、自分の存在そのものを武器にして、社会の不条理や不平等に対抗する悪魔的なトリックスターです。彼は混乱を巻き起こし、既存の秩序を打ち壊そうとしながら、社会全体の矛盾を映し出す存在でもあります。

この瞬間、ジョーカーは単なる個人の破滅ではなく、現代社会に対する反逆者としての姿を明確にします。彼の行動は、社会の不正や無関心に対する深い批判であり、その中で彼は自身の苦痛を利用して、より大きな混乱と変革を引き起こそうとしています。

まとめ

アーサーは、「よい行いにはよい報い、悪い行いには悪い報いがある」という社会の一般的な理念を信じ、その信念に従って生きようとしていました。彼は人々を笑顔にし、幸せをもたらすことを生きる目的に据え、真摯に良い行いを続けてきました。しかし、彼が現実の社会で直面したのは、理不尽な扱いや無関心、さらには冷たい拒絶でした。どれだけ努力しても報われないという不公平さに絶望し、次第に社会と家族に対して恨みを抱くようになります。そして、その恨みは彼自身をも蝕み、自分自身が「汚れてしまった」と感じるようになります。この絶望と孤立感こそが、彼が「ジョーカー」というキャラクターへと変貌する要因となりました。

ジョーカーというキャラクターは、アーサーが背負ってきたトラウマ、社会的孤立、そして彼の内面に存在する分裂した自己の象徴です。幼少期の虐待や母親の過剰な期待によって、アーサーは自分を否定し続ける人生を送ってきました。彼の心には、満たされない愛情や絶えず感じる不安が深く根付いており、それが彼の自己認識を曇らせていきました。彼が「ジョーカー」へと変貌したとき、それは単なる個人の狂気の発露ではなく、彼が長年にわたって抱えてきた苦しみや社会に対する怒りが爆発した瞬間です。

ジョーカーの笑いは、表面的には陽気でありながらも、実際には彼が経験した痛みや屈辱が表現されたものです。それは、単なるコメディではなく、彼自身が感じてきた社会の不条理や、理不尽な現実への強烈な批判の手段でもあります。彼はもはや、単なるピエロではなく、社会に反旗を翻す反逆者としての存在感を増していきます。

ジョーカーの物語は、個人の精神的崩壊とそれに拍車をかけた社会的な無関心が、いかにして破壊的な力を生み出すかを描いています。彼は、孤立と不平等に苦しむ一人の人間であり、その痛みはやがて社会全体への挑戦として爆発します。アーサーがジョーカーへと変貌する過程は、現代社会における孤立感や不公平感が、どれほど人間を追い詰めるかを象徴しており、この物語は、そうした現実に対する深い警鐘を鳴らしているのです。

ジョーカーは、正義と悪が曖昧な境界線にあるキャラクターです。彼が抱える内的な苦しみと、それに対する社会の冷淡さが重なり合い、彼をただの悪役ではなく、社会全体の歪みを反映する鏡のような存在にしています。

当相談室で、カウンセリングや心理療法を受けたいという方は以下のボタンからご予約ください。

STORES 予約 から予約する

トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-03-21
論考 井上陽平

コメント