ユング派心理学における防衛機制:トラウマがもたらす闇の記憶

トラウマ理論

ここで取り上げるのは、ユング派の臨床心理学者であるドナルド・カルシェッドの著書『In Trauma and the Soul(トラウマと魂について)』です。この本では、トラウマが個人の心と魂にどのような影響を与えるかが深く考察されています。カルシェッドは、トラウマによって生じる防衛メカニズムや内なる保護システムに焦点を当て、それがいかにして人の成長や癒しを妨げると同時に、時には心を守る役割を果たしているかを示しています。

セルフケアシステムと心の深層

白い壁に囲まれた静かな部屋。その中に座る患者たちは、自分の体を通じて深い感情の世界を探り、自己の状態を確認しています。彼らは巧みに自己ケアシステムを活用し、防衛構造を体の内側から積み上げ、自分自身を守る仕組みを作り上げています。この防衛構造は感情を揺り動かし、身体がどの方向に向かっているのかを常に探り続けます。

しかし、この過程は一方向のものではありません。時折、私たちの心の奥底で囁く「内なる迫害者」と繋がることがあります。この存在は悪魔的とも言えるほど否定的な影響を及ぼし、我々の感情を不必要に刺激します。自己批判の声として現れることも多く、その声が行動や自尊心に悪影響を与えることは少なくありません。とはいえ、こうした内なる声が自己反省を促し、行動を再評価し、成長の道を見つけるきっかけを与えてくれることもあります。

私たちが経験する感情や身体の感覚は、人格を形作り、私たちが誰であるかを定義する要素です。身体の奥に眠る傷つきやすい感情は、その人自身の深い部分を映し出す鏡です。これらの感情を理解し、内なる迫害者と向き合うことで、私たちは自己をより深く理解し、豊かな自己表現を可能にします。

このプロセスにおいて特に重要なのが「内なる迫害者」との向き合い方です。これは、心が生み出す病的な存在であり、私たちを苦しめ、恐怖を増幅させるものです。しかし、この存在を理解し、適切にコントロールすることで、自己の成長や発展を助けることができるのです。

さらに、この内的なシステムの中には、「内なる子ども」とも言える存在があります。この子どもは、私たちが経験する感情や身体の反応を具現化したものであり、心理療法において重要な役割を果たします。内面に蓄積された感情と対話し、理解するための手段として、この「子ども」と向き合うことで、私たちは感情の根源に触れ、癒しのプロセスを進めることができるのです。

私たちはこの内なる子どもに目を向け、その声に耳を傾け、慈しみます。時には、この子どもは恐れや孤独、自己批判を抱えるかもしれませんが、そうした感情を認識し、受け入れることで、心の奥に刻まれた傷を癒すことが可能になります。

自己ケアシステムとは、自己理解と自己治療のための大切なツールです。身体の感覚や感情を探求し、内なる批判者と向き合い、そして心の中に存在する「子ども」を抱きしめることで、私たちは成長し続けます。

トラウマの記憶と高次元の意識

トラウマとは、心の奥深くに埋め込まれた強靭な構造物です。この構造の中には、私たちを苦しめる数々の体験が複雑に組み込まれています。トラウマは神経系ネットワークに深く染み込むことで、身体の反応や行動、感情までもが影響を受けます。特に恥辱や屈辱の感情は、まるで身体の細胞にまで刻まれるように、私たちの内面に強く影響を与え、意識的な選択を超えた行動パターンを形作ります。

トラウマに関連する記憶は、意識の表層に現れることは稀であり、むしろ脳の複雑なネットワークに絡み合いながら、高次の領域に潜んでいます。私たちが生活する現実の中で、この記憶の深層は次第にその複雑さを増し、あたかも脳の機能を超えた別次元の存在のように振る舞います。そのため、普段の認知では捉えきれない部分に隠され、私たちは日常的にその存在を意識することができません。

しかし、この「闇に記された記憶」は、脳の左半球、つまり論理や言語を司る領域が介入することで、徐々に言葉として具現化されます。言葉に変換されることで、もともと抽象的で不確定な感情や体験がより明確な形を取るようになり、私たちはその記憶を理解し、処理するプロセスを始めることができるのです。言葉は、曖昧な感覚を整理し、記憶に新たな意味を与えるための重要な手段です。

このプロセスは、英国の精神分析家D.W.ウィニコットが提唱した「人格化(personalization)」という概念と通じるものです。ウィニコットは、太古からのエネルギーの記憶を、我々人間が理解可能な形に変換することが人格化であると述べました。つまり、心の深層に潜むエネルギーを、私たちの心のフレームワークの中で整理し、認識可能なものとして具現化する過程を指しています。この人格化のプロセスは、私たちが内なる記憶や感情に対峙し、それを人間らしい形で理解するための重要なステップなのです。

心と身体が織り成す記憶のフラッシュバック

トラウマを抱える人々は、心の安全を守るために防衛機制を駆使します。彼らは、自分自身の中にある恐怖や苦悩から逃れるために、内なる「保護者」と「迫害者」を作り出し、自己を守ろうとするのです。しかし、この防衛的な反応はしばしば、心と身体が統合するプロセスを阻害し、自己の一部を隔離させてしまいます。その結果、心の中の断片がつながらず、トラウマの癒しを難しくしてしまいます。

トラウマによって引き起こされる防衛反応は、身体に大きな負担をかけます。ストレスホルモンであるコルチゾールが体内に溢れ、全神経系がその影響を受けることで、身体は常に危険信号を発し、防衛態勢に入ります。この生物学的な反応は、脳が記憶や感情を無意識の中から引き出し、それを意識化しようとする試みの一環でもあります。しかし、このプロセスは常にスムーズに進むわけではありません。

私たちの身体的な感覚や感情は、右脳の領域に深く組み込まれています。右脳には、闇の中に記され、普段は照らされることのない記憶が眠っているのです。これらの記憶には、原始的で狂おしいほどの感情が含まれていますが、その存在は右脳と左脳のバランスが崩れることでさらに深刻な問題となります。このバランスの悪さは、フラッシュバックが発生する瞬間に顕著です。

フラッシュバックが起こるとき、トラウマの記憶は突如として蘇り、論理的な連続性を持たないまま一瞬で現れて消える感覚をもたらします。特にストレスホルモンが脳内に充満している状態では、フラッシュバックは激しさを増し、私たちの内に潜む「迫害者」が活発化します。この迫害者は、急激な感情の変動や混乱の中で働き、私たちをさらに困惑させます。

トラウマは幼少期の断片化された記憶と密接に結びついています。例えば、性的虐待を受けた子供は、その経験が視覚的な断片として脳に刻まれることがあります。この断片的な記憶は、しばしばトランス状態や解離と結びつき、現実と記憶の境界が曖昧になることがあります。これらのフラッシュバックや断片化された記憶は、被害者にとって過去の体験を繰り返し感じさせるだけでなく、現在の感情や行動にも影響を与え続けるのです。

トラウマが私たちに与える深層の影響

身体の痛みは、次第に存在感を失い、断片化された視覚的な経験が記憶にぼんやりと刻まれていきます。生々しい感覚は次第に背景へと溶け込み、知覚の闇に影のような印象を残すだけになります。トラウマとは、まさにこのような断片化された感覚の集積体であり、私たちが体験したものが意識の表層ではなく、深い無意識の領域に沈み込んでしまうのです。

視覚、匂い、触覚といった感覚的な経験は、トラウマによって一つのまとまりを持たなくなり、それぞれが霧の中に浮かぶ断片のように変容します。これらの断片は明確な形を失いますが、決して消えることはなく、私たちの記憶の深層に残り続けます。それらは、普段は意識されることなく、まるで見えない手で私たちの感情や行動に影響を与える存在となるのです。

これらの断片化された記憶は、心の深い層で集合し、見えないパターンを形成します。そのパターンは、意識されないまま私たちの行動や感情に影響を与え、時に未来に対する不安や漠然とした恐怖として表出します。トラウマの影響は、私たちが意識する以上に深く、そして複雑に作用しているのです。

トラウマは単なる過去の記憶や経験ではありません。それは、私たちの無意識の中で常に作用し、私たちの選択や行動に影響を与える強力な力です。それは断片化された記憶が集合し、無意識の中で一つの大きなパターンとなって私たちの存在に深く関わってくるのです。だからこそ、トラウマの影響を理解し、その癒しに向き合うことが重要なのです。

トラウマがもたらす影響を理解し、他者とのつながりを再構築する

トラウマの影響は単なる過去の出来事にとどまらず、現在の私たちの感情、思考、行動に深く影響を与え続けます。特に、トラウマがもたらすフラッシュバックや感情の激しい揺れは、日常生活において予期せぬ瞬間に現れ、自己制御を難しくすることがあります。この状態は、まるでトラウマが心の中に無限に生き続け、私たちの行動を監視し、時折その存在を主張するかのようです。

フラッシュバックは、過去の記憶が突然蘇り、感覚や感情がその瞬間に戻ってしまう体験です。これは脳の防衛反応の一部であり、未処理の感情が表面化する過程でもあります。感情的な過去の記憶が脳に影響を及ぼし、理性的な判断が一時的に難しくなるため、トラウマを抱えた人々はしばしば、こうしたフラッシュバックを避けるために日常生活の中で防衛的な行動を取るようになります。人間関係において距離を置いたり、過度に警戒したりすることは、こうした防衛行動の一例です。

トラウマの根源を理解し、それに対処するための第一歩は、こうした過去の記憶が現在の自分にどのように影響を与えているのかを認識することです。内なる迫害者や内なる子どもとの対話を通じて、私たちは感情のコントロールを取り戻し、自己理解を深めていくことが可能になります。これには、専門的な支援や、自己洞察を促進する方法が不可欠です。心理療法やカウンセリングは、トラウマに向き合うための重要な道具となり、自己探求の旅をサポートします。

また、感情を外に表現すること、言葉にすることも、トラウマの影響を軽減するための重要な手段です。感情や経験を言葉にすることで、無形で圧倒的だった感情が具体的な形を持ち、私たちはそれを理解し、適切に対処できるようになります。こうした表現は、自己の内面に対する洞察を深め、トラウマがもたらす感情的な揺れに対してより効果的に対処するための手がかりを提供します。

自己ケアのシステムは、トラウマの影響から自己を守るために重要ですが、それが過剰に機能すると、逆に自分を孤立させ、感情的な閉鎖を招くことがあります。このシステムを再評価し、適切に調整することが、トラウマからの回復にとって不可欠です。自分自身を守る防衛構造が、自己成長を妨げる壁となることを避けるためには、柔軟な心と体のバランスを取り戻すことが求められます。

トラウマを抱えた人々にとって、内なる世界と外の現実を統合することは、大きな課題です。自己の内面に囚われ、外界とのつながりを失ってしまうと、孤独感や疎外感が強まります。このため、トラウマからの回復には、自己との対話を通じて内なる世界を癒すだけでなく、他者との関係を再構築することが重要です。

他者とのつながりを回復する過程では、少しずつ自分自身の限界を認識し、無理をせずに信頼関係を築いていくことが求められます。これは、すぐに結果が出るものではなく、時間をかけてゆっくりと進んでいくプロセスです。心の防御が自然に和らぎ、他者との接触が心地よく感じられるようになるまでには、段階を踏むことが大切です。

最終的に、トラウマを乗り越えるための旅は、内なる自分との対話を深め、他者とのつながりを再構築することで、より豊かで意味のある人生を送るための基盤を築くことにつながります。

参考文献
Donald Kalsched.(2013):『Trauma and the Soul:A psycho-spiritual approach to human development and its interruption』

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-05-19
論考 井上陽平

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