虐待や性暴力を経験した方々は、深刻なうつ症状や悲しみに押しつぶされることがあります。
その中には「自分の気持ちがわからない」「身体の感覚がなくなった」と感じる人がいます。
これは、ただの一時的な状態ではなく、深く根付いた自己防衛の反応かもしれません。
過酷な体験を経た心は、あまりにも強い痛みを感じ続けることに耐えられないため、感情や身体感覚をシャットダウンしてしまうのです。
これは心が自らを守るために無意識に採る防衛手段であり、感覚を麻痺させることで、一時的な安堵や痛みからの逃避を図っています。
ここで最初に、誤解をほどいておきます。
「感じない」は、壊れた証拠ではありません。多くの場合、それは“守りの形”です。
泣けない、怒れない、怖いとすら思えない。そうやって心が静かになったとき、周囲は「もう大丈夫なのかも」と誤解します。けれど当事者の内側では、痛みが消えたのではなく、痛みへアクセスする回路が閉じているだけのことがあります。
そして、この閉鎖が長く続くと、本人は別の苦しさに襲われます。
「傷がつらい」よりも前に、「自分がいない」「生きている実感がない」「世界が遠い」――この感覚そのものが、孤独と恐怖になります。
感情や身体感覚が鈍く麻痺する(感覚鈍麻)とは
感情や感覚の遮断は、外部からは理解しがたいかもしれません。
しかし当事者にとっては、人生が“薄くなる”体験です。
- 感情が湧かない/何をしたいかわからない
- 身体が遠い/痛みや空腹が曖昧
- 自分が自分でない/存在がぼやける
- 喜びや悲しみが「他人事」になる
ここに、もう少し臨床的な輪郭を足します。
感覚鈍麻は「何も感じない」だけではなく、**感じ方の“偏り”**として現れることがあります。
たとえば、喜びや安心は入ってこないのに、不安だけは残る。愛情は分からないのに、責められる気配だけは過敏に拾ってしまう。
つまり、全停止ではなく、生存に必要な受信だけが残り、豊かさが落ちるという形です。
また、当事者の多くは「感じない」ことを望んでいません。
「感じたいのに感じられない」「泣きたいのに泣けない」。
この“できなさ”が続くと、人は自分を疑います。
「私は冷たい」「人として欠けている」「もう戻れない」。
しかし、ここで起きているのは人格の欠損ではなく、神経系の防衛運用である場合が多い。
だから必要なのは、自己評価ではなく、反応の理解です。
そしてもう一つ。
感覚鈍麻が長引くと、人はしばしば「正常に振る舞う」技術だけを上げていきます。
外から見れば働けている、笑えている、生活も回っている。
けれど内側は空洞のまま。
この“外見の維持”が、本人をさらに孤立させます。
「困っていると言う資格がない」と感じてしまうからです。
なぜ“感じない”反応が起きるのか──トラウマの自己防衛としての解離
心が痛みを感じ続けることに耐えられないとき、心身は一つの選択をします。
それが、感じる回路を落とすという選択です。
感じなくなることで、痛みから距離を置き、日常生活を送るための防波堤を作っているのです。
ここを、もう少し正確に言い直します。
解離は「逃げ」ではなく、過剰な現実接触を弱める調整です。
現実があまりにも危険で、あまりにも濃く、耐えられない。
そのとき人は、現実の一部を薄めることで生き残る。
だから、解離は“弱さ”というより、耐えるための最終手段として働くことが多いのです。
トラウマ体験は「思い出したくない記憶」という形だけで残りません。
むしろ多くの人は、思い出してすらいないのに、身体だけが反応します。
胸が詰まる、胃が固まる、頭が真っ白になる、視界が遠のく。
それらが続いた結果として、心身は「これ以上感じると壊れる」と判断し、全体の感度を下げます。
感覚鈍麻は、そうした長期戦の帰結として起きやすい。
「感じない」を責めると、本人はさらに感じられなくなります。
なぜなら、責められること自体が危険信号になり、神経系がより防衛を固めるからです。
だから回復では、“感じない自分を責めない”という安全が、最初の治療的環境になります。
「感じないことで生き延びる反応」については、解離の枠組みとしても整理されています。
→ https://trauma-free.com/dis/
家族の中の恐怖が、感情を封印する──虐待サバイバーの心のメカニズム
親からの虐待は、子どもの心と感情に深刻なダメージを与えます。
家族は本来、愛情と保護、安心を提供する場所であるはずですが、虐待が存在することで、その環境が一変し、極度のストレスと恐怖の場になってしまいます。
ここで重要なのは、「暴力があった」だけではありません。
暴力が起きるだけでなく、日常の空気そのものが、子どもにとって“逃げ場のない危険”になることです。
部屋の音、足音、ドアの開閉、沈黙、機嫌の変化。
それらが予告なく襲う環境では、子どもは常に警戒を強いられます。
警戒が長期化すると、心身は二つの極に揺れます。
過剰に緊張するか、逆に、感じないことで守るか。
感情の封印は、その後者として起きることが多いのです。
感情を出すほど危険になる環境
日常的に親からの脅威や暴力にさらされる子どもは、自分の感情を外に出すことがさらなる危険を招くと無意識に学びます。
怒りや悲しみ、恐怖や痛みといった感情を表に出すことが、その瞬間の身を守るために封じ込められてしまうのです。
感情を表現することで虐待がエスカレートするリスクがあるため、子どもたちは本能的に「感じない」ことでその場をしのぐ術を身につけます。
ここに、長期的な影響を補足します。
この学習は、のちの人生でも繰り返されます。
職場で理不尽があっても、恋愛で不安があっても、「感じる=危険」という前提が残っていると、感情は引っ込む。
代わりに出てくるのは、過剰な思考、過剰な配慮、過剰な自己修正です。
つまり、感情が止まるほど、人は“頭”で生きるようになります。
けれど頭だけでは、安心は回復しません。
安心は身体の領域だからです。
抑え込まれた感情は“なくなる”のではなく、別の形で残る
このような環境で育った子どもたちは、自分の感情やニーズを正確に認識し、それを適切に表現することが非常に難しくなります。
幼い頃から感じること自体が危険だと刷り込まれてしまうため、感情を押し殺す習慣が定着してしまうのです。
しかし、内部に抑え込まれた感情はいつか限界を迎え、予測できない形で突然噴出することもあります。
噴出は、怒りや涙だけとは限りません。
突然の無気力、理由のない希死念慮、身体症状、対人の回避、強い過覚醒。
感情が言葉になれないとき、感情は別の媒体(身体・行動・症状)に移ります。
だから「症状をやめる」だけを目標にすると、本人はまた封印を強めます。
必要なのは、封印が必要だった背景に触れながら、少しずつ表現の器を取り戻すことです。
虐待が生み出す「心の凍結」──感情を失う恐怖と深刻な影響
幼少期からさまざまな形で虐待を受け続けた人々は、非常に過酷な環境の中で生き抜いてきました。
彼らの心や体はまるで「凍りついて」しまったかのように感じられ、精神的には混乱し、自分自身を見失うことが少なくありません。
ここで言う「凍結」は比喩ではなく、かなり身体的です。
言葉が出ない。動けない。表情が固まる。目線が逸れる。呼吸が浅い。
本人は怠けていないのに、体が先に止まる。
この“止まり”が続くと、人は「私はだめだ」と解釈してしまう。
しかし実際には、体が生存のためにブレーキを踏んでいるだけのことが多い。
だから回復では、自己評価の修正ではなく、身体の安全再学習が核心になります。
心の麻痺がもたらす危険
自分の感情を抑え続ける人の苦悩
「凍結/解離/感覚鈍麻」は、当時の環境を生き延びるために必要だった反応です。
ただ、その反応が長く固定化すると、痛みだけでなく“守るために必要な感覚”まで一緒に失われていきます。
その結果として起きるのは、「つらい」の増加というより、人生の足場が静かに崩れていくような危険です。
自分の感情や願望を抑え、親の期待や役割に応えることを最優先にして生きてきた人は、他人の言葉や態度に対して過剰なほど敏感になります。
それは気が弱いからでも、性格が繊細すぎるからでもありません。
「感情を出すと危険が増える」「本音は関係を壊す」という学習を、長い時間をかけて身体が身につけてきたからです。
その学習が積み重なるほど、外部からの刺激は“現在の出来事”としてだけでは入ってきません。
何気ない一言、少し強い声、表情の曇り、沈黙。
それらが、過去に経験した否定や支配の気配と重なり、何倍にも増幅された痛みとして身体に響くことがあります。
そして多くの場合、本人はその敏感さを「気にしすぎ」として恥じ、さらに抑えようとします。
しかし抑えれば抑えるほど、内側の緊張は処理されないまま蓄積されていきます。
感情を出さないことは、その場の安全には役立っても、長期的には“心の負債”を増やしていく形になりやすいのです。
感情を抑え続けるほど「傷つきやすくなる」理由
感情を抑え続ける人は、一見すると落ち着いて見えることがあります。
けれど内側では、痛みに対する耐性が上がっているのではなく、痛みを処理する回路が細くなっていることが多い。
処理できない刺激が増えるほど、身体は「これは危険だ」と判断しやすくなり、反応が先鋭化します。
ここで起きているのは、心の強さの問題ではありません。
安全確認を司る神経系が、慢性的に警戒モードに置かれているという問題です。
だから、些細な出来事が“致命的な出来事”のように感じられてしまうことがあるのです。
さらに、感情を抑える生活が続くと、人は「自分を消す技術」を洗練させていきます。
相手の機嫌を先に読み、望まれる言動を選び、違和感を飲み込み、疲労を感じる前に動き続ける。
それによって関係が保たれる場面もありますが、同時に「自分の境界」も分からなくなっていきます。
境界が曖昧になると、次に起きやすいのは二つです。
ひとつは、過剰適応の果ての突然の崩れ(燃え尽き、抑うつ、身体症状)。
もうひとつは、境界を守れないまま不適切な関係に巻き込まれていくこと(支配、搾取、再被害)です。
「麻酔」が進むと起きること──喜びも回復力も薄くなる
この状態が長く続くと、心は次第に“感情そのもの”に麻酔をかけたようになります。
最初に薄れるのは、喜びや安心、期待などの肯定的な感情であることが多い。
一方で、不安、緊張、罪悪感だけが残りやすくなり、「生きている実感」が痩せていきます。
ここが重要です。
感情の麻痺は、苦痛を減らすために始まったのに、結果として人生の栄養まで断ってしまうことがあります。
つながり、楽しさ、回復のきっかけになる小さな満足感が入ってこないと、人は回復の方向へ歩く力を失いやすいからです。
そして麻痺が強くなるほど、本人は「困っていると言う資格がない」と感じやすくなります。
生活は回っている、仕事もしている、表情も作れる。
だから助けを求めると自分が大げさに見える気がしてしまう。
この自己否定が、支援から遠ざけ、孤立を固定化させます。
失われた自我と麻痺した身体
トラウマがもたらす感覚の消失
感情や身体感覚が失われた状態にいると、人はしばしば「生きているけれど、生きていない」という感覚に包まれます。
心と身体の結びつきが弱まり、感情や感覚が鈍化し、自分自身の存在感すらぼやけてしまう。
これは一時的な疲労ではなく、複雑なトラウマによって形成された防衛反応であることが少なくありません。
複雑なトラウマを抱えた人は、強い感情を感じること自体が危険だった時期を生きています。
悲しみや怒りを感じれば罰せられ、恐怖を表せばさらに追い詰められる。
その経験が積み重なると、心と身体は「感じる回路」そのものを弱めることで生き延びようとします。
長期的なストレスや繰り返される攻撃は、脳と神経系に慢性的な防衛状態を作ります。
その結果、感情は恐怖や不安へと収束し、やがては感覚の麻痺へと移行していきます。
無力感、空虚感、身体の重さや遠さは、この過程の中で生じる自然な帰結です。
シャットダウンという防衛──背側迷走神経と「止まる身体」
極度のストレスが続くと、身体は背側迷走神経を介して防衛反応を起こします。
これは「逃げる」「戦う」ことが不可能な状況で発動する、最後の生存戦略です。
身体は活動を落とし、感覚を鈍らせ、外界との接触を最小限にします。
この状態では、身体の感覚が遠のき、血圧が下がり、呼吸が浅くなり、唾液の分泌さえ弱まることがあります。
本人の意思とは無関係に、身体が「もうこれ以上は危険だ」と判断しているのです。
問題なのは、この反応が環境が変わった後も続いてしまう点です。
「感じたい」衝動と依存への傾斜
感情や感覚が麻痺した状態にある人は、無意識のうちに「何かを感じたい」という欲求を抱くことがあります。
過食、アルコール、薬物、過剰な刺激、危険な関係。
それらは一時的に感覚を呼び戻す手段として選ばれることがあります。
しかし、これらの方法は根本的な回復にはつながりません。
一時的に感覚が戻っても、その後に強い反動や空虚感が訪れ、さらに深い麻痺を招くことが多いからです。
結果として、依存や自己破壊的な循環が固定化されていきます。
霧の中を歩く感覚──二重の自己と内的葛藤
繰り返される挫折やトラウマ体験は、最初ははっきりした感情として心身に現れます。
胸が締めつけられる悲しみ、怒りで体が震える感覚、逃げ場のない恐怖。
しかし、処理されないまま続くと、感情は次第に出来事と結びつかなくなり、理由の分からない不安や空虚感として漂い始めます。
やがてある時点で、感覚が大きく切り替わることがあります。
それまで存在していた感情の動きが急に希薄になり、まるでスイッチが切れたように何も感じなくなる。
この変化は安堵を伴うこともありますが、同時に深い違和感と恐怖を生みます。
このとき、心の中に二つの自己が並立するような感覚が生じやすくなります。
かつて感情豊かに生きていた自分と、すべてを距離を置いて眺める冷淡な自分。
どちらも自分でありながら、交わらず、同じ身体の中で別々の視点から世界を見ている。
外から見れば「落ち着いた」「変わった」と映っても、内側では緊張と葛藤が続いていることがあります。
回復の方向──「麻酔を剥がす」のではなく「安全を増やす」
ここまで読んで、最初に確認しておきたいのは次の一点です。
感情を麻痺させたことは間違いではありません。
それがなければ耐えられない時期が確かにあった。
だから回復は、麻痺を責めて壊すことではなく、麻痺が不要になる条件を現実の中に増やしていくことから始まります。
回復の最初の変化は、派手ではありません。
最初に戻ってくるのは、喜びよりも「小さな違和感」や「小さな嫌だ」であることが多い。
その感覚を無視しないでいられる環境が整うと、心身は少しずつ凍結を緩め始めます。
そして、そのプロセスでは順序が重要です。
いきなり感情を解放しようとすると、神経系は危険だと判断し、凍結を強めることがあります。
まずは身体の安全(睡眠、食事、呼吸、過覚醒の鎮静、距離の取り方)を整える。
その上で、扱える範囲の感情から、ゆっくり言葉にしていく。
この順番が、長期的な回復の土台になります。
「感じないことで生き延びた反応」については、解離の枠組みとしても整理しています。
→ https://trauma-free.com/dis/
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造
本書では身体と神経系の視点に加えて、感情・自己否定・人間関係のしんどさまで含めて、専門用語をできるだけ使わずに整理し、安心を取り戻す22のレッスンとしてまとめました。必要な方に届けば嬉しいです。