反出生主義者の特徴|正しさ、反論、理解できない

社会・哲学

反出生主義は、現存する人間の苦しみや痛みを考慮し、生まれなかった方が良いのではないかという思考に基づいています。人は生まれない方が幸せだという考え方は、誕生を避けることが良いとされ、すべての人間が存在しなかった方が適切であると主張されています。また、反出生主義者は、子どもを産むことに慎重な態度を取り、無闇に子どもを産むべきではないと考えています。

人間の欲望や破滅的な性質についても、反出生主義は批判的な視点を持っています。彼らは、人間の欲望が混沌とし、社会や環境に悪影響を及ぼすことを指摘し、破滅をもたらす存在として人間を見なしています。しかし、これは全ての人間が破滅を望むというわけではなく、あくまで人間の本質に対する厳しい議論を展開しているのです。

反出生主義は、生命の価値や人間の幸福、存在意義を問いかけることで、私たちに人間性や倫理的な選択について考えさせる機会を提供しています。しかし、この考えに対しては様々な意見があり、人生の価値や喜びを享受することの重要性を考慮することも大切です。このような思想は、社会や環境への責任を自覚し、より良い未来を築くための議論を促進することができます。

苦痛とは

トラウマは、私たちの心身に深く刻まれ、その記憶は身体に根付いています。例えば、胎児の時期や乳児期に遭遇した事故が原因と考えられる長期間にわたる慢性的な痛みや身体的不調の深刻さは切実な問題になります。身体的な痛みの感じ方は、人それぞれに違いがあり、同じ出来事でも感じる苦痛の程度は、個人差によって5倍から100倍程度まで変わることがあります。

発達初期のトラウマの暗黒面

発達初期にトラウマを経験した人々は、子ども時代の困難な状況から生き抜くために、自己防衛的な態度をとり、内面的に特定のプロセスを辿ることが多いです。幼少期のトラウマが深い傷跡として身体に刻まれているため、再び傷つけられたり、恥を晒されることは耐え難い苦痛を感じさせることがあります。そのため、彼らは自らを守る目的で、防衛的な側面の暗い部分を顕在化させることがあります。

この自己防衛の態度は、人間の根源的な生存戦術の一つともいえます。自分の暗黒面に同一化することで、恥や痛みの経験から回避する試みが行われます。しかしながら、この暗黒面は、人間関係の維持や他者とのつながりを築くことを困難にすることがあります。心の奥底で激しく渦巻く原初的な攻撃エネルギーは、人々が互いに繋がりを求める願いに対して攻撃的な反応を引き起こし、様々なつながりを断ち切る力を発揮します。

このように、発達初期のトラウマを経験した人々は、自己防衛のために心の内側で複雑なプロセスを経ることがあります。そして、その結果として、彼らは周囲の人々との関係やつながりを築くことに苦労することが多くなります

苦痛に対するシゾイド的防衛

発達初期にトラウマを経験し、シゾイド的防衛を行う人は、身体的な痛みを持っています。彼らは、内面に張りつめた緊張感と極度の弛緩が共存し、まるで凍りついたような様子を見せ、動作が硬くぎこちない不自然さが伴うことがあります。この特徴的な身体性は、彼らの人生のある時点で、心身が繰り返し脅威にさらされた結果の痕跡であることが多いです。

この状態は、混沌とした感情を抑制し、自分を守ろうとする努力の裏返しでもあります。彼らは感情の表現がリスクや傷つきやすさをもたらすと感じているため、他人との距離を維持することを好む傾向があります。

シゾイド的防衛を行う人は、愛する人と共にいることが困難であり、深い関係を築くことに苦労することが多いです。これは、彼らが初期の熱望を持って愛着対象に接近しようとするものの、トラウマがその試みを阻んでしまうためです。その結果、子どもが本来持つ母親などの愛着対象を求める欲求が、憎しみや拒絶感に取って代わられることが一般的です。

このような状況は、日常生活の大部分において対象への憎しみや拒絶感が支配的になることを意味します。そのため、シゾイド的防衛を行う人は、社会に対して無関心であったり、批判的な態度を取ることが一般的です。

生まれ落ちることの暴力

人間の人生において、最も重要な要素は、どのような家庭環境で育ち、どのような親によって成長を支えられるかという点に大きく関係しています。もし裕福で愛情に溢れた親のもとで育つことができれば、子どもは安心して自己実現に向かって生きることができるでしょう。

一方で、暴力を振るい、搾取してくる親のもとで生まれ育った子どもは、自分の夢に向かって努力する環境すら持ち得ないと言えます。

このように、人の人生の質は、どの家庭で育つかという問題に大きく影響されますが、その状況は運によって左右されることが多いです。生まれながらの不平等が存在し、これが人間の生命における内在的な暴力性とも捉えられます。

反出生主義は、子どもが親を選ぶことができない現実に着目し、親が子どもを生むこと自体が、時に暴力的な行為になり得るとされます。その根幹にあるのは、子どもが苦しむ状況を避けるために、そもそも生まれてこないほうが幸せだという主張です。

この立場は、親が十分な愛情や支援を与えられない場合や、子どもが虐待やネグレクトに苦しむ状況を想定しています。反出生主義者は、子どもがこのような環境で育つことを望まず、無痛の状態である非存在を選ぶべきだと主張します。彼らは、子どもが生まれること自体を無責任で、自己満足な行為と見なすことがあります。

この世界の不平等と苦痛

この世界は不平等であり、目には見えないが確かに存在する階級の違いが、人々の運命を大きく左右します。生まれてこなければ、そのような不平等に悩まされることはなかったという思いが、時には人々の心を重くすることがあります。

子どもは親を選ぶことができず、親の決断によって生命が創られます。その結果、虐待を受けるような環境で育った人は、生まれてこないほうが幸せだと感じることもあります。このような家庭環境は、無垢な子どもたちに対する暴力となり、彼らの心に深い傷を残すことがあります。

また、社会の構造によって、良い環境で生まれた人はお金持ちになりやすく、貧しい環境で生まれた人は貧困に苦しむことが多いです。このような社会構造は再生産され、世代を超えて不平等が続いていくことがあります。

反出生主義は、不平等である世界とその構造に対する批判的な見解を持ち、目に見えない階級や社会構造が苦痛を引き起こす犠牲者を生み続けると主張します。この考え方は、生まれてくる前の無痛な状態から、苦しみや不平等に晒される世界へと子どもを誘い出すことに疑問を呈しています。

反出生主義者は、社会構造が常に再生されることで、新たな犠牲者が生まれ続けると考えます。これは、経済格差や教育の機会の不平等、人種やジェンダーに関する差別など、さまざまな要因による犠牲者が存在することを意味しています。彼らは、このような不平等を避けるために、子どもが生まれないほうが良いと主張することがあります。

人類滅亡への望み

人間は欲望に満ちた汚れた存在であり、この世は地獄だから、それゆえに人類が滅亡に向かうことは望ましいとされます。反出生主義者の中には、無垢で純粋な動物たちが住む世界が理想的であると考える人もいます。

この思想は、人間の欲望が様々な苦痛を生み、さらに自然界や他の生物に対して悪影響を及ぼすことを批判的に捉えています。例えば、環境破壊や資源の枯渇、動物たちへの虐待など、人間の欲望によって引き起こされる問題があげられます。このため、反出生主義者の中には、人類が地球上から姿を消すことによって、無垢な動物たちが住む平和な世界が実現すると主張する人もいます。

反出生主義の優しいところ

反出生主義者は、自分自身が経験した苦痛や悲しみを他人にも味わわせたくないという優しさを持っています。彼らの思考は、人々の幸福を真剣に考えることから生じるものであり、他人が苦しみや困難に直面することを避ける方法を探求しています。

この優しさは、反出生主義者が新しい生命が誕生することによって起こる悩みや苦痛を軽減しようと願っていることからも理解できます。彼らは、将来的に子どもが経験するであろう困難や苦痛を減らすことができると信じており、そのために出生そのものを避けることを提案しています。

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トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-05-05
論考 井上陽平

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