人は「もう終わったはずの出来事」に、今も苦しむことがあります。
ふとした音、気配、言葉、匂い――わずかな刺激が、心の奥に封じ込めたはずの記憶を一気に呼び覚ます。
その瞬間、胸が苦しくなり、汗が滲み、脳は過去の“あのとき”へ引き戻される。
PTSD特有の フラッシュバック とは、単なる思い出ではなく、身体を巻き込んだ“再体験”として襲ってくる現象です。
本稿では、フラッシュバックがなぜ動悸・不眠・涙などの身体症状を引き起こすのか、そして「今すぐできる現実的な対策」までを、臨床的知見をもとに深く解説します。
- トラウマがよみがえる瞬間 ― フラッシュバックの本質
- PTSDがもたらす心と体の“恐怖ループ” ― ホルモンの連鎖があなたを疲弊させる
- トラウマが生み出す「回避」と「麻痺」 ― 感じないことで生き延びた心
- トラウマを思い出すと動悸がする理由 ― 体は“今も危険”と判断している
- トラウマを思い出すと涙が出るのはなぜ? ― 感情の解放という自然な流れ
- トラウマを思い出すと眠れない ― 脳が「夜になっても戦闘態勢」を解除しない
- トラウマからの回復 ― 心と体を再びつなぐプロセス
- 感情を取り戻す ― 「感じること」から癒しが始まる
- 一人ひとりに異なる「回復の物語」
- トラウマを乗り越えた先に ― 再び「生きる力」が戻ってくる
トラウマがよみがえる瞬間 ― フラッシュバックの本質
フラッシュバックとは、記憶の“再生”ではなく、“再来”です。
脳の扁桃体が過敏化すると、いま目の前に危険がなくても、過去の恐怖がそのまま現在の出来事として処理されてしまう。
そして重要なのは、PTSDの再体験は 睡眠中にも起こる という点です。
悪夢、寝汗、突然の覚醒。これらは単に「寝付きが悪い」のではなく、脳が夜間に安全モードへ切り替わらないために起こる神経系の反応です。
PTSDがもたらす心と体の“恐怖ループ” ― ホルモンの連鎖があなたを疲弊させる
トラウマ記憶が刺激されると、扁桃体は危険信号を発し、アドレナリン・コルチゾールが急上昇します。
結果として起こるのが:
- 動悸・息切れ
- 手足の冷え・震え
- 頭が真っ白になる
- 過剰警戒(ハイパービジランス)
これはすべて「生き延びるための本能」です。
しかし、実際には危険のない状況でもこの反応が繰り返されると、心身は慢性的な疲労に陥り、睡眠の質まで崩れていきます。
→ 過覚醒(ハイパーアラウザル)とは?心が休まらない状態のメカニズム
https://trauma-free.com/hyperarousal/
トラウマが生み出す「回避」と「麻痺」 ― 感じないことで生き延びた心
過去の痛みがあまりに強いと、多くの人はその記憶を呼び起こすものを避け、自分を“忙しさ”で麻痺させようとします。
しかしその代償として、
- 感情が鈍くなる
- 身体感覚に気づけない
- 喜びや安心感を感じにくい
といった 情動の平坦化(numbing) が進みます。
この状態は、自分の心の声が聞こえなくなるため、生きている実感が薄れ、自己否定が強まりやすくなります。
アルコール・過食・リスク行動などに逃げる人が多いのも、この苦痛を“消したい”からです。
トラウマを思い出すと動悸がする理由 ― 体は“今も危険”と判断している
動悸は「脳の誤作動」ではありません。
自律神経が全力であなたを守ろうとしている証です。
トラウマ記憶が浮上すると:
- 扁桃体が危険と誤認
- 交感神経が優位になる
- 心拍を上げ、筋肉に酸素を送り“逃走準備”を整える
しかし現実には危険はないため、この反応はあなたを消耗させるだけになってしまいます。
深い呼吸、横隔膜を使うブリージング、グラウンディングは、この過剰反応の“ブレーキ”となります。
トラウマを思い出すと涙が出るのはなぜ? ― 感情の解放という自然な流れ
涙は、心が圧倒的な負荷から身を守り、調整しようとする自然な働きです。
- 抑圧された悲しみ
- 言葉にできなかった怒り
- 認めてもらえなかった痛み
これらが表面化すると、涙を通して体外に流れていきます。
泣いたあとに心が少し軽くなるのは、神経系が緊張を緩めたサインです。
ただし、涙が止まらずパニックのようになる場合は、感情処理が孤独に耐えられないほど負荷が大きい証拠であり、専門家の支援が役に立ちます。
トラウマを思い出すと眠れない ― 脳が「夜になっても戦闘態勢」を解除しない
夜、静けさが訪れるほど不安が強まる――これは多くのPTSD当事者が経験する現象です。
脳は本来、夜になると安全モードへ切り替わり、回復のために副交感神経が働くはずです。
しかし、トラウマが残っていると扁桃体が警戒を解かず、眠気が来ても体が「寝てはいけない」と判断します。
悪夢・途中覚醒・寝汗・睡眠の浅さ。
これらはすべて 脳の安全システムが過剰に働くことで起きる現象 です。
トラウマからの回復 ― 心と体を再びつなぐプロセス
トラウマ治療の核心は、「記憶を消すこと」ではありません。
断絶した心身のつながりをゆっくりと回復させることです。
近年の研究では、次のような“身体アプローチ”が有効だとされています:
- 横隔膜呼吸・グラウンディング
- 軽いストレッチ・ヨガ
- 瞑想・マインドフルネス
- ソマティック・エクスペリエンス
身体に「今は安全だ」と教えることで、凍りついた神経系がゆっくりと緩み、過去の記憶に対しても新しい意味づけが可能になります。
→ ソマティックエクスペリエンスの効果とやり方:トラウマ治療
https://trauma-free.com/treatment/somatic-experiencing/
→ 筋肉の状態が人生を変える:新しい神経生物学的アプローチ
https://trauma-free.com/treatment/muscle/
感情を取り戻す ― 「感じること」から癒しが始まる
長い間凍りついていた感情に触れ、言葉・表現へと変換することは回復の重要な段階です。
創造的表現(アートセラピー)の力は特に大きく、
- 絵
- 詩
- 音楽
- 日記
といった形で、言葉にできなかった痛みが“作品”として外在化されると、そこに新しい意味と距離が生まれます。
一人ひとりに異なる「回復の物語」
トラウマの回復には決まった道筋はありません。
必要な時間、過程、つまずきも含めて、それぞれの物語があります。
安全なコミュニティやサポートグループに身を置き、「自分だけではなかった」と実感する瞬間は、孤立した心にとって大きな支えとなります。
トラウマを乗り越えた先に ― 再び「生きる力」が戻ってくる
トラウマは人生を永遠に支配するものではありません。
心の傷は消えなくても、その痛みと共に生きる新しい形が必ず見つかります。
適切な理解と支援、そして安全な関係の中で、あなたの神経系は再び“安心”を学び直すことができます。
そのとき、過去はあなたを縛る鎖ではなく、「生き延びた証」へと変わるのです。
【執筆者 / 監修者】
井上陽平(公認心理師・臨床心理学修士)
【保有資格】
- 公認心理師(国家資格)
- 臨床心理学修士(甲子園大学大学院)
【臨床経験】
- カウンセリング歴:10年/臨床経験:10年
- 児童養護施設でのボランティア
- 情緒障害児短期治療施設での生活支援
- 精神科クリニック・医療機関での心理検査および治療介入
- 複雑性トラウマ、解離、PTSD、愛着障害、発達障害との併存症の臨床
- 家族システム・対人関係・境界線の問題の心理支援
- 身体症状(フリーズ・過覚醒・離人感・身体化)の心理介入
【専門領域】
- 複雑性トラウマのメカニズム
- 解離と自律神経・身体反応
- 愛着スタイルと対人パターン
- 慢性ストレスによる脳・心身反応
- トラウマ後のセルフケアと回復過程
- 境界線と心理的支配の構造