解離性健忘症は、心がトラウマや過度のストレスに反応して引き起こす記憶障害の一種です。通常の「物忘れ」とは異なり、個人にとって重要な情報や経験にアクセスできなくなるという特別な形の「記憶のギャップ」が生じます。たとえば、自分の名前や過去の出来事、重要な人生の瞬間に関する記憶が部分的、あるいは完全に失われたように感じることがあります。この現象は、心が個人を守るために、不快な経験やトラウマの影響を遮断しようとする防衛メカニズムの一環として機能しています。
記憶自体が完全に消失するわけではなく、心の深層に閉じ込められてアクセスしづらくなっている状態です。これは心が過去の痛みや苦しみから個人を守るために行う無意識の反応ですが、日常生活に大きな支障をきたすことがあります。たとえば、家族や友人との関係において自分が話したことや共有した瞬間を忘れたり、職場での重要なタスクを記憶から抜け落としてしまったりすることで、孤立感や不安感が高まることがあります。
解離性障害とは?記憶の欠落が心に与える影響
解離性障害に苦しむ人々は、記憶に関して特有の困難を抱えることが多くあります。特に、感情的に強い負荷がかかる出来事や、心理的に苦痛を伴う経験に関する記憶が部分的に欠けたり、場合によっては完全に失われることがあります。これらの記憶の欠落は、ストレスやトラウマが強いほど顕著になり、出来事の詳細を正確に思い出すことが難しくなるのです。
たとえば、非常にストレスフルな出来事やトラウマを経験した際、その時の出来事の一部だけが断片的に記憶に残り、他の部分は完全に忘れ去られることがあります。このような場合、ただ記憶が曖昧になるだけでなく、その時の身体的な痛みや強いネガティブな感情も同時に記憶から消えることがあります。記憶の「穴」となるこの現象は、心が過剰なストレスやトラウマから個人を守るために無意識のうちに行う防衛機制とされています。
心がこうした防衛を行う結果、辛い経験に直面することを避けることができる反面、過去の出来事や経験の全体像を把握することが難しくなります。これにより、自己同一性や現実感の喪失感が強まり、日常生活や人間関係に大きな影響を及ぼすことも少なくありません。
身体に刻まれたトラウマ:解離性障害がもたらす心と体の痛み
解離性障害に苦しむ人々は、しばしば生まれながらに繊細で傷つきやすい性質を持ち、その背後には深いトラウマが刻まれています。このトラウマは、彼らが本来の自己とは異なる道を歩まざるを得ない原因となり、人生全体に影響を及ぼします。幼少期から、彼らは人間関係の中で困難を感じ、緊張を強いられる日々を送り、心の安らぎや居場所を見つけられない経験を積み重ねてきました。多くの場合、彼らは性暴力や虐待の被害者であり、その経験がトラウマの大きな源となっています。
このような心的外傷は、身体に長期間わたって慢性的な緊張をもたらし、神経が常に張り詰めた状態となります。身体の深部はまるで凍りついたかのように硬直し、手足の末端は冷たく、麻痺したように感じられることさえあります。この身体的な変化は、自己の身体に対する不安感を強め、外部環境への過敏な反応を引き起こします。特に、他人の目や評価に対する恐怖が強まり、人との接触や社会的な場面で傷つけられる恐れが増大します。人込みの中では情報を適切に処理できず、圧倒されてパニック状態に陥ることも珍しくありません。
このような状況下で、彼らはしばしば現実から逃れる手段として、頭の中で空想の世界に飛び込むことがあります。空想は、一時的に痛みや不安から逃れるための防衛策ですが、その間の出来事は記憶から抜け落ちてしまうことが多いのです。こうして、解離の症状が強く現れるようになり、現実世界とのつながりが断たれ、自分自身の認識との間に深いギャップが生じます。
このように、解離性障害の人々は、幼少期から蓄積されたトラウマと、そこから生じる身体的および精神的な影響に日々直面しています。彼らが感じる痛みは、心だけでなく身体全体に刻まれ、その結果として現実とのつながりが薄れてしまうのです。
迷いの中の自己: 解離性健忘と複数人格のはざまで
解離性健忘は、特定の期間の記憶が完全に欠如する状態で、数分前に自分が行った行動すら思い出せないことがあります。これは、非常に強いストレスや耐え難い心の痛みを経験した結果として生じることが多く、まるで身体と心が分離しているかのように感じられることもあります。現実世界がぼんやりと曖昧になり、夢と現実の境界が不明確になることさえあります。
解離性健忘は、特に解離性障害や解離性同一性障害(DID)の症状の一部として現れます。これらの障害を抱える人々は、日常的に記憶の一部が抜け落ちる経験をしており、自分が行った行動や発言に対して全く自覚がないこともしばしばです。例えば、見知らぬ人が自分のことを知っていると主張したり、他人との関係性に対して恐怖を感じたりします。こうしたことが起こると、彼らの現実感が揺らぎ、人間関係も大きな不安をもたらします。
さらに、解離性障害の中には、複数の人格が同一の身体に存在しているように感じられる場合もあります。ある人格は引っ込み思案で内向的でありながら、別の人格は社交的で、仕事を積極的にこなし、恋愛関係にも積極的に関わることがあります。しかし、これらの人格が交代する際、主な人格はその間に何が起きたのか、ほとんどまたは全く覚えていないことが多いのです。この人格の交代による記憶の喪失は、本人にとって大きな混乱を引き起こし、自己同一性や現実感にも深い影響を与えることがあります。
解離性健忘の影響は、日常生活において深刻な問題を引き起こします。仕事や人間関係が不安定になり、自分が何をしたのか、どのように他者と接してきたのかという確信が持てなくなるため、孤立感や不安が強まります。自己を守るために心が行う防御メカニズムである一方、解離性健忘は個人の生活に大きな混乱をもたらし、社会生活を困難にする要因となるのです。
解離性健忘症のチェックリスト
解離性健忘症のチェック項目についての説明をより詳細かつ分かりやすく表現すると、以下のようになります。
- 重要な個人情報の喪失: 通常、人は自分の生い立ちや過去の重要な出来事、大切な人々のことを忘れることはありません。解離性健忘症の場合、これらの基本的な情報が思い出せなくなることがあります。
- トラウマやストレスによる記憶喪失: 心的外傷や極度のストレスを経験した後、関連する記憶が欠落することがあります。これは、心が経験したトラウマから守るために記憶を封じる反応です。
- 普通の忘れ物とは異なる記憶喪失: 日常的な物忘れと解離性健忘症は異なり、後者はより深刻な記憶の欠如を伴います。
- 自身の過去に関する混乱: 自分が誰であるか、または自分の過去の重要な出来事について混乱し、自己同一性に疑問を持つことがあります。
- 自分の身元に対する不明瞭さ: 自分自身の身元や出自について明確な理解がなく、自分がどこから来たのか、何者であるのかが不明瞭です。
- 断片的な時間認識: どうして現在の場所にいるのか、どのようにしてそこに来たのかが分からないという状況に陥ることがあります。
- 日常機能への影響: 社会的、職業的、あるいは日常生活において、記憶喪失が機能障害を引き起こす可能性があります。
- 他の医学的な原因によるものではない: この状態は、薬物の影響やアルコール依存症、脳の疾患など、他の物理的な原因によるものではありません。
これらの症状が見られる場合は、精神保健の専門家に相談し、適切な診断と治療を受けることが重要です。自己診断は避け、専門家の助言に従うことが勧められます。
解離性健忘症の体験談
解離性健忘症の体験は、非常に混乱を伴い、自己同一性の喪失感とともに日常生活に深刻な影響を及ぼします。以下は、その体験を具体的に表現したものです。
忘れられた日々: 解離性健忘症と自己探求の迷宮
「今日、私は何をしていたのだろう?」――この問いに答えられないことが、私の日常にはしばしばあります。朝目覚めてから夜眠りにつくまで、まるで記憶が白紙のページとなり、私からこぼれ落ちてしまうのです。それは、抜け落ちたページの多い本を手に取るような感覚。時間が経てば経つほど、自分がどこにいて、何をしていたのかが全く思い出せません。目が覚めるたびに「ここはどこ? 私は誰?」と自問自答し、自分の存在がぼんやりと霞んでいく。自分が誰で、どんな人生を歩んできたのかすらわからなくなる瞬間が、何度も訪れます。
この自己の曖昧さが、私の内面に揺れを生じさせ、周囲の出来事や人々の言動に対して過敏に反応してしまいます。自分が何を感じているのか、どんなことを考えていたのかがはっきりせず、他人の意見や感情があたかも自分のもののように混ざり合ってしまうのです。そうして一日が終わる頃には、私は自分が何をしたのか、どこにいたのか、何を感じたのかさえ曖昧になり、まるで夢を見ていたかのような感覚に包まれます。
この状態が続くことで、私は自分を信じることが難しくなり、現実そのものが不安定に感じられます。ときには現実と幻想の境界が曖昧になり、今自分が感じていることが本当に起こっていることなのか、それとも心の中で作り上げた幻影なのか、区別がつかなくなるのです。この不確実な世界の中で、私は常に自分という存在を探し求めているような感覚に囚われています。
周囲とのコミュニケーションも、どこか現実感が薄く、相手が話しかけてくれているにもかかわらず、その声が遠くで響いているように感じられます。私の中で、何か大事なものが欠けている感覚と共に、実際にこの世界に存在しているのかすら疑わしくなることさえあります。日常の中で自分が確かな存在であると感じる瞬間は、ほんの一瞬で、それ以外の時間は、私という存在が薄く、ぼやけてしまっているのです。
この曖昧な自己感覚の中で生きることは、想像以上に苦しいものです。自分の存在をしっかりと感じ、周りの人々と繋がる感覚が失われていくと、私は孤立感に包まれ、さらに深い霧の中へと迷い込んでいくように感じます。
夢遊病者の現実:解離と共に生きる日々
解離の状態に陥ると、私は現実から遠ざかり、まるでふわふわと浮いているような感覚に包まれます。その瞬間、まるで夢の中にいるかのような心地よさを感じますが、それは現実とは別の、もう一つの世界です。この時、私の中に隠れている別の自分が顔を出し、現実から完全に切り離されてしまいます。時間はただ過ぎ去り、私はぼんやりとした状態に留まり、何をするでもなく、ただその場にいるだけです。
日常生活の多くは、現実世界とその「向こう側」の世界との間を行き来することに費やされています。現実に戻ってきたとき、私は周囲で何が起こっているのか、また自分がどこにいるのかさえ理解できずに困惑します。知り合いや同級生が声をかけてくれても、どう反応すればよいのか分からず、戸惑うことが多いのです。
記憶も曖昧で、今いる状況を把握するのがとても困難です。さらに、私の中にもう一人の人格が現れ、その人格が自分とは異なる行動、例えば恋愛などの経験をしていることもあります。しかし、その経験にどう対処すればよいのか、自分でも全く理解できないのです。この「もう一つの自分」が現実世界で行動し、その影響で私は日々翻弄され、現実の自分と切り離された感覚に陥ります。
この状態では、現実の世界との関係を築くことが非常に難しくなり、自分自身を見失うこともしばしばです。日常生活の中で、何が現実で何が幻想なのかを見極めるのは困難で、自己同一性も揺らいでしまいます。私は、自分の中に複数の人格が存在し、それぞれが異なる現実を生きているように感じるのです。
断片的な自己と失われた連続性
解離性健忘症の影響で、私の生活には一貫性がありません。職場での出来事、学校での体験、さらには昨夜何をしていたのかすらも、明確に思い出せないことが多々あります。日常の出来事が断片的にしか記憶されず、自分の人生に連続性を感じられないのです。
この断片的な記憶は、自己理解を難しくします。自分がどんな人間で、どのような経験を積んできたのか、家族や友人から話を聞いて初めて知ることが多くあります。しかし、これらの話を自分のものとして受け入れることができず、自己のアイデンティティがますます曖昧になります。結果として、家族や友人とのつながりも希薄になり、孤独感が深まるのです。
私の人生は、まるで他人の物語を聞いているかのように感じられます。過去に自分がどう振る舞っていたのか、どのような人間関係を築いてきたのかが、自分の記憶には存在していないのです。このため、自己の輪郭がぼやけ、私自身が誰であるのかという根本的な疑問に直面します。記憶が繋がらないという現実は、自分という存在そのものが確かなものではないかのように感じさせ、時には現実感すら失わせます。
このような解離性健忘症の影響を受けた生活は、日常的な活動だけでなく、深い自己探求にも困難をもたらします。自己認識が断片化し、何度も自分を見失う感覚が続くのです。それでも、少しずつ自分の記憶をつなぎ合わせ、自己を再構築する道のりを歩んでいかなければなりません。
二つの世界に生きる:日常と失われた時間
私の日常は、まるで二つの世界を行き来しているかのようです。普段の私は、何の問題もなく日常を送ることができるのに、仕事となると、まるで別の人格が代わりに働いているかのような感覚があります。仕事中に行った会話や決断、何気ない行動のすべてが記憶から抜け落ちてしまい、出勤時と帰宅時の私が同じ人物でありながら、その間に何が起きたのかが全くわからないのです。
この奇妙な状態に気づいたのは、数ヶ月前のことです。最初は、単に疲れや忙しさから来る「物忘れ」だと考えていました。しかし、徐々にその症状は進行し、日に日に「記憶の空白」が広がっていくのを感じました。仕事仲間から「昨日の会議であなたの発言、素晴らしかったよ」と言われても、それが自分の言葉だという実感が全く湧かない。記憶の断片すら残っていないのです。
さらに困難なのは、自己の存在感が薄れていく感覚です。鏡を見ても、そこに映るのが自分であることは理解できても、心のどこかで「これが本当に自分なのか?」という疑念が湧いてしまいます。家族や友人と会話をしていても、まるで自分が遠く離れたところからその場面を観察しているような気分になり、自分がその瞬間に存在しているという実感が失われてしまうのです。
診断を受けた結果、医師は私の状態を「解離性健忘症」と説明しました。心的外傷や強いストレスによって、記憶やアイデンティティが一時的に失われるこの症状は、心が自分を守るために働いている防衛機制だと言います。治療は進んでいるものの、完全にこの状態を克服するには長い時間と根気が必要だと医師は警告しました。
今の私にとって、毎日が自分を取り戻すための戦いです。記憶の空白に苦しみながらも、少しずつ自己の感覚を再び取り戻していく過程の中で、確かな実感を得るために前に進み続けなければなりません。
過去と向き合い、未来へ:解離性健忘症からの小さな一歩
記憶を取り戻すという作業は、単なる過去を思い出すこと以上のものです。それは、一歩一歩進む繊細なプロセスであり、失われた感情や身体感覚を再び感じ、心と体が忘れてしまっていた部分を再発見していく作業です。過去がどのように体や心に影響を与えてきたのかを掘り起こすことは、時に痛みを伴うものです。しかし、その痛みこそが、回復に向かうために必要なステップでもあるのです。
例えば、過去にトラウマとなった出来事に対する感情が蘇るとき、それに伴って押し込めていた恐怖や不安も表面に現れます。そうした感情の波は非常に苦しいものですが、それを感じることで、自分の中にある力強さや回復力を実感できる瞬間もあります。そういった瞬間は、自分がこれまで無意識に抑え込んでいた感情に向き合い、それを受け入れることの大切さに気づかせてくれます。
医師やカウンセラーのサポートを受けながら、恐れずにその感情と向き合うことで、過去の出来事を封じ込めるのではなく、それを認め、少しずつ前に進む勇気が育まれていきます。このプロセスは、解離性健忘症の影響を軽減し、過去の記憶と再びつながるための重要な手段となっています。
もちろん、解離性健忘症が日常生活に与える影響は大きく、仕事や人間関係においても、記憶の欠落が不安となることは依然としてあります。しかし、その不安と共に生きるためのスキルを学び、小さな成功体験を積み重ねることで、次第に自分の中にある可能性を信じられるようになります。こうした成功体験は、自信と自己肯定感を育て、日々の生活に安定感をもたらしてくれます。
回復は決して一夜にして成し遂げられるものではなく、時間をかけて少しずつ進んでいくものです。失われた記憶や時間を一度にすべて取り戻すことはできないかもしれませんが、今この瞬間、自分が存在していることをしっかりと感じることが、解離性健忘症と向き合うための最も大切な一歩です。この今ここにある感覚が、少しずつ未来への希望を形作っていくのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2023-11-13
論考 井上陽平